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クラージュせたがや ~Courage Setagaya~

元はベルマーレ応援サイト「STweb」の別館で2005年7月開始も、2010年12月の韓国赴任を機に半ば休業中。

デフレスパイラルを止める為に、これからのベルマーレの為に ~ベルマーレ・クラブハウス移転問題~

2006-05-21 01:21:58 | 湘南ベルマーレ(その他)
20日の水戸戦の試合前(開門から)、
メインスタンド入口と7ゲートとで
「ベルマーレのクラブハウスを馬入(ばにゅう)へ!」という
A4ヨコ・黄緑色のビラをサポーター有志で配った。
このビラは14日の徳島戦の前に行われて
クラブの真壁社長も現況説明した
「クラブハウフ問題を考える」ミーティングを受けて、
約1週間かけて有志で文面、レイアウトを考え、
お金を出してつくったもの。
その1週間の間にこのブログでもそのミーティングの概要を
記事にすべきだったが、今になってしまい恐縮である。
なお、ミーティングの議事録はクラブも内容を確認した上で
後日「まとめサイト」にUpされる。
(20日に配布したビラも掲載されている)

「クラブハウス問題移転問題・まとめサイト」のURL↓
http://wiki.livedoor.jp/bellmare2006/d/FrontPage

この記事では、主に真壁社長の説明内容に基づいて、
大神を離れて馬入へ移ることになった経緯と
その馬入にクラブハウスを市が建ててくれない(建てさせない)
理由、そしてベルマーレにクラブハウスが必要な理由(私の意見)を
簡単に述べる。

・98年秋、フジタがバブル崩壊後の自身の経営危機の為、
 当時のベルマーレ平塚からの経営撤退を表明。
 チームは平塚市長主導の「存続検討委員会」の結果、なんとか
 平塚市・平塚市開発公社が大株主の湘南ベルマーレへと
 99年冬に引き継がれ、大神グラウンドも引き続きフジタから賃借。

・大神はフジタが売却を余儀なくされる状況にあり、
 ベルマーレも買取を検討したが、04年春に松蔭学園(松蔭大)が
 フジタ側の希望価額で(自身の部活用に)購入することが決定、
 同年9月には所有権移転。ベルマーレは06年9月末の移転が不可避に。
 (2年間もの猶予がもらえたのは松蔭さんのご厚意だと思う)

・馬入ふれあい公園・・・02年完成のサッカー場は韓日W杯時に
 ナイジェリア代表がキャンプで使用。現在はアリーナもあり。
 これを拡張(河川敷の長瀞スポーツ広場の敷地を転用)して
 天然芝のピッチを増設する計画があり、
 市とNPOベルマーレが共同で W杯日本組織委員会解散時の剰余金が素の
 「2002FIFAワールドカップ記念事業
 『サッカーを中心としたモデル的スポーツ環境整備助成金』を
 2度目の応募の末に04年12月に得ることが内定して、市が事業に着手。

・総工費は3億2100万円、うち2億2000万円(2/3)が助成金。 
 事業内容は、グラウンド整備事業、クラブハウス整備事業及び
 夜間照明施設等整備。
 全国の数多くの候補地の中から平塚が選ばれて
 この助成金を得れたのは、その計画の素晴らしさ
 (ベルマーレ主導で描いた)だけでなくJクラブがあることが
 審査ポイントで大きかった。

・在来のサッカー場は天然芝から人工芝へ全面張替え(完成済)。
 河川敷に天然芝2面、これは7月1日オープン予定。
 ベルマーレは、10月からこの天然芝を優先的に使用可能。
 (月に1度の市民優先枠や他の大会の開催日は除く)

・しかし・・・ベルマーレのクラブハウスが建設されない。
 サッカー場隣接で既存のクラブハウスでは手狭で、
 室内トレーニングや器材収納が不可能。
 建設の際にネックとなっているのは都市公園法、
 「敷地内に目的外の施設の建造が不可能」というもの。

・クラブ側はフロント機能は市街地へ移し、
 それ以外のクラブハウス機能と
 スポーツと関連の深い共用施設(接骨院や売店)とを
 セットにした形でのクラブハウス建設を提案したが
 それも市に却けられる。

・9月末には移転が不可避なので、6月中旬には
 移転の為の作業に着手が必要。
 市がクラブハウスが建ててくれないなら、
 できるだけ近い場所(とはいえ公園敷地外)に
 土地を借りて、そこに仮設のクラブハウスを建てる予定。
 (それでもお金がかなりかかる・・・)
 そこにはトップチームの収容がやっとで、
 下部組織は全て別のところに拠点を置かないといけなくなる。



簡単でもなかったな(苦笑)、
ここまでの経緯について最低限のことを書いてもこれだけになった。

・ベルマーレがあったから所要の1/3の資金で
 馬入を立派なスポーツ公園に整備できるのに、
 ベルマーレに対して市は冷たすぎませんか?
・他がどうだから、とはあまりいいたくないが、
 都市公園法でつくられたスポーツ施設内に
 Jクラブのクラブハウスがあるケースは
 市原、新潟ほかいくつもの例がある。
 (解釈、もっというとやる気の問題では?)
 ちなみに、新潟の現施設もW杯記念助成金でつくられた。
・根本の原因は、ベルマーレへの思い、という「空気」が
 市の中に希薄なだと察せられること、と思う。
 市長・市役所だけでなく、市議会、財界・・・
 ひょっとしたら、「ただありさえすればいい」と
 思ってらっしゃるだけなのかもしれない。
 クラブの維持・発展の為にはやはり投資が必要。
 それはクラブ自らだけでなく、その周囲もなのだが・・・

私は2つの思いから今回の活動に携わっている。
1.99年以降続く、ベルマーレの「デフレスパイラル」からの
  脱却をここで果たさないといけない
2.「これからのベルマーレ」の為に、今守るべきものがあるはず。
  一旦手放すと、それを取り戻すのがどれだけ難しいか・・・

私はあいにく平塚市民ではない。
だからできることも限られている。
(ビラを考えたり、配ったり、意見を市にぶつけたりはできるが)
でも、できることはやるつもり。
今回の活動の趣旨に賛同いただける方は、どなたでも
ぜひご協力お願いします。
これからのベルマーレのために・・・

「クラブハウス問題移転問題・まとめサイト」のURL↓
http://wiki.livedoor.jp/bellmare2006/d/FrontPage
市への意見の提案の仕方も載っています。

色「黄緑と青」とその使い方、意味についての私案

2006-03-05 23:56:28 | 湘南ベルマーレ(その他)
ベルマーレの応援について、必ずといっていいほど
議題となるのが「色」である。

「ベルマーレの色は「黄緑と青」。
 スタンド、ピッチ上でベルマーレの色を青か黄緑で
 (試合ごとに)1つにして、
 チーム、サポーターの一体感を示したい」
 というのがこの趣旨である。
 
まず、色のもつ意味について、
私の考えを述べたい。
色は、スタジアム(その行き帰りや日常生活)において
自分たちがそのチームを応援している、
と示す証の1つだ。
もう少し掘り下げてみる。
スタジアムにベルマーレを見にきている人には
その席の位置、声を出す出さない、コア度など
いろいろな違いがあるのは否めない。
その違いを超えて
「ベルマーレを応援しているのは皆同じ」
「皆でベルマーレを応援している」という
「一体感」を少しでも強く出せるのは、
色をもってでしかないと思う。


さて、「ベルマーレは何色なのか」。
順を追って確認したい。

1.チームのユニフォームの色の推移について。
94~98年はリーグ戦用ユニフォームを記載。
(1)94~96(MIZUNO)
1st:黄緑 2nd:白
(2)97~98(MIZUNO)
1st:黄緑と青 2nd:白
(3)99~00(Kappa)
1st:黄緑と青 2nd:白
(4)01~02(Kappa)
1st:青  2nd:白
(5)03~04(Puma)
1st:青  2nd:黄緑
(6)05~06(PIKO)
1st:青  2nd:黄緑

(4)の時期は黄緑がほとんど消えたが、
それでも1stの首回りでは黄緑が使われていた。
ここまでを通して、
何らかの形で黄緑と青の「両方の」色を
使ってきたことがわかる。

2.メインの旗のデザインは
平塚時代も湘南時代も不変で
(一時期、デザインを変えた旗が
出ていたが、定着しなかった)
黄緑と青がその色である。

3.歌も平塚時代は
「♪緑と青の 勇者平塚」があったし
今の湘南時代も
「♪緑と青の 勇者湘南」とある。
(メロディは異なるが)

結論:「(黄)緑か青か」ではなく、
「(黄)緑と青」両方がベルマーレの色だ。
チームの色が複数というのは十分ありうる。
ACミランが「ロッソネロ(赤と黒)」で
アルゼンチン代表が
「セレステ イ ビアンコ(水色と白)」であるし
国内でもFC東京は青と赤、
慶應義塾のスクールカラーは三色(BlueRedBlue)だ。

青は、日常での着用になじみやすいし
代表とも同じ色である一方、
冬には冷たさを感じさせたり夜には目立ちにくい、
他のチームでも青色のチームが多い、
という長短がある。
黄緑は、青の概ね正反対の長短がある。

とはいえ、チームカラーというのは
名前と同じようなものだ。
どの色にも一長一短あるが、
チームがこの色だと決めてしまった以上
この色を通すしかないよね。


そして、青と黄緑の使いこなし方について、
前述の色の意味や色の特徴も踏まえながら
私論を述べたい。

1.チーム同様の色(ホームでは青、
アウェイでは概ね黄緑)を身につける。
(概ね、と書いたのはアウェイでもたまに青のことがあるから)

2.ナイトゲームでは、
試合によってはホームでも黄緑を身につける。

アウェイゲームではホームチームの色が青系統、
ということがよくある。
その時に自分たちの色が青いままでは、
ホームチームの前に自らの存在が
埋没してしまわないだろうか?
また、照明がそう明るいわけでもない平塚競技場では
いくら1stのカラーが青色でも
ナイトゲームの時に色が闇の中に埋没しかねない。
それは極力避けたいし、
せっかくチームカラーが2つあることを
有効に使うようにしたいところ。

私は03年以降、トップチームの公式戦では
ホームでは1st(青)のユニフォーム、
アウェイでは概ね2nd(黄緑)のユニフォームを身に着け、
さらに首回りに(タオル)マフラーをまくことが殆どだ。
平日夜の会社帰り、
11月の寒い夜や雨の日など一部の試合では
(黒の)コートやスーツで(タオル)マフラー、
ということもあるが、
私は11月でも晴れた昼の試合なら試合中はコートを脱いで
半袖ユニフォームを長袖シャツの上に着ている。

(タオル)マフラーだけでなく、できるだけ多くの着衣を
チームカラーで染めたいところだ。
さすがにコートまで青や黄緑とは
なかなかいかないだろうけど。

十人十色の意見があるであろう、このチームの色について、
なぜここまでうるさく書いたか。
03年以降の3年間、
アウェイで合計9勝しかできていないからだ。
ナイトゲーム主体の時期に
いつも上位争いから脱落しているからだ。
ただでさえベルマーレを応援している人たちは
人数自体大して多くもないのに、
その割に各自のスタンスが
違いすぎる気がするのは私だけだろうか。
たかが色かもしれないが、
色の使い方、意味から、
まずは皆さん見直してみてはどうだろうか。
色くらいは、スタンスを超えて
少しでも一体感をもたせたくないか???

今回の話はいずれ、ネット上だけでなく実際の話合いでも
議題に上げたいと思っている。

ワンダーランドへいってきました

2006-02-19 17:19:13 | 湘南ベルマーレ(その他)
私にとっては3年ぶりのワンダーランド。

開始は12時。
今年もスタジアムナビゲーターそして今回の司会を務める田子千尋、三村ロンド両氏がまずは開会の挨拶。今年は去年よりも三つ多い39のブースがあるとのこと。
その後メインステージに登場したのはベルマーレユースのメンバー。
まずはチョウ監督が挨拶。
今年は4月9日開幕のプリンスリーグに参戦、「全国大会優勝」「プロ選手の輩出」を目標に掲げた。
ついで関口、猪狩、露木の三人へ司会の二人がインタビュー。
チョウ監督の印象について
「熱い」「少し怖い」と答える(やはり(笑))。
目標については監督同様
「全国大会優勝」「プロ選手になること」を挙げた。
猪狩は
「好きな選手はクリスチアーノロナウド」「海外でプレーしたい」とも答えた。

これで私にとっての今年のワンダーランドはほぼ終了(爆)
あとはハンドブックの入手とスタンプラリーをすませて平塚を足早に去ったのだった(苦笑)

「メンバー非公開」とかクラブ自身でいいながら・・・

2006-02-14 00:56:04 | 湘南ベルマーレ(その他)
土曜の大神日記。
新加入・須田について、
「今日の試合は、1本目と2本目に出場」という記述。

月曜の大神日記。
植村「週末の2連戦で叫びすぎて・・・」という記述。

さすがに練習試合のことを題材にしなければ
この時期ネタは乏しくなるよな。
とはいえ、揚げ足をとるような・・・とかいうなかれ。
メンバー非公開にご理解とご協力を、
と発信していたの、クラブ自身でしょ。

「メンバー非公開」が先のことを考えずに
ただの誰かの思いつきのままに宣言されたこと、
あるいは担当者がUpしたコンテンツが
誰もチェックせず垂れ流しにしっぱなしになっていること、
今回のことでクラブの情報管理がいかにいいかげんかが
露呈された。
もっと言おう。
今回のクラブの方針に気をつかっている
ベルマーレサポーターに対する「クラブの裏切り」だよ。


一方、Web上では、専修大のサイト内のブログに
練習試合の模様の画像がUp。
(その中に湘南の選手も数人はっきりと写っている)
日刊スポーツの山形版には湘南側の得点者の記載。
テレビでは「すぽると」。

自分からもポロポロメンバーを漏らし、
他からもポロポロメンバーは漏れていく・・・
それでもまだ「メンバー非公開」つづけますか?
せめて自分で管理できるところはきっちり管理して、
自らのポリシーを貫いてくれ。
今からでも上記の箇所を修正してほしいよ。



「怒ってます」モードで終始しても仕方ないので、
クラブ側からして「一番知られてはまずい情報は何か」を
少し考えてみよう。
恐らくは、「出ていない選手は誰か」だ。
「出てない(出れない)選手が誰か」そのものの情報、
「出てない(出れない)選手が類推できそうな」情報の公開は
私以外の観戦者は避けたほうがいいと思う。
クラブのためを思うならね。
※森谷は1月末に既に負傷で開幕戦出場困難な旨発表済

なお、クラブ側の姿勢に「さらに」大きな変化がない限りは、
私は次の練習試合の観戦記は東京戦と同じスタンスで書く予定。
観戦できれば、だが・・・

「遠征は計画的に」 7月迄の遠方での試合への行き方を少々検討

2006-02-05 00:06:16 | 湘南ベルマーレ(その他)
去る1月下旬にJ1・J2・ナビスコ杯の試合日程が発表になった。
そこで、遠方の試合にどうやって行こうか、少し検討してみた。
(平日の関東以外で開催ならそもそも行けないのだが・・・)
7月末までの29試合の内、1都3県以外での開催で
「遠征」が必要になるのは以下の11試合。

以下、(節) 月日 開始時間 対戦相手 会場 の順

( 3) 3月18日(土) 1400 対水戸  笠松

( 7) 4月 5日(水) 1900 対徳島  鳴門
( 9) 4月15日(土) 1300 対札幌  札幌ド
(11) 4月22日(土) 1400 対愛媛  愛媛陸

(14) 5月 6日(土) 1300 対仙台  仙台
(16) 5月17日(水) 1900 対山形  山形県

(19) 6月 3日(土) 1400 対神戸  神戸ウ
(21) 6月10日(土) 1400 対鳥栖  鳥栖

(26) 7月 8日(土) 1900 対草津  群馬陸
(27) 7月12日(水) 1900 対水戸  笠松
(31) 7月29日(土) 1400 対札幌  厚別

遠征がきついのは、まずは4月。四国・北海道が計3回!
5月は東北に2回。6月は西へ2回。7月も楽とはいえない。

なお、今年はユースの公式戦も多い。
4月~5月・7月はプリンスリーグのグループリーグが計9試合。
5月下旬~6月はクラブユース関東予選。
毎週のように「落とせない」公式戦が続く。
やはりユースもできるだけ見に行きたいので、
J2戦とかぶらないような開催を望むばかり。
(プリンスリーグは日曜開催が多いようだが)

3/18の笠松は、私も含めて3、4人揃えば
車で行こうかと思う。(3人だと1人4,000円になる)
そうでない場合は電車+シャトルバスかな。

4/15の札幌と6/10の鳥栖は飛行機の超割期間。
羽田‐札幌、羽田‐福岡は共に12,300円。
今年の鳥栖、2回とも昼間開催になりそうなんだよな。
夜の鳥栖なら負ける気しないし
スタジアムの雰囲気もいいのだが・・・

4/22の愛媛は、行きは飛行機、
帰りは夜行バスを考えている。
翌日プリンスリーグがありそう、というのもあるし、
そんなに安いツアーがなさそう、というのもある。

5/6の仙台はGWの終盤なので行きづらい。
行きはよくとも帰りは混雑必至なので。
そうでなければ昨年みたく2人以上で車で往復、
でいけるのだが・・・
夜行バス往復で行くかな・・・

何かと先の早い話だが、
7/29の厚別はクラブユース全国大会とかぶる。
6月の時点でのトップチームの状況と
そもそものユースの全国進出可否によって変わるのだが、
土曜は羽田→札幌→仙台→福島
日曜にクラブユース応援
とできれば一番いいが・・・

あと、私の職場がもうじき山手線の中に移る。
それによって、水曜夜の前橋や笠松が少し行きやすくなる。
(もちろん、平塚もだが・・・)
さすがに開始時間には間に合わないが、
前半途中からは参戦できそうだ・・・

「情報」について ~ベルマーレについての本年最後の記事~

2005-12-31 22:53:17 | 湘南ベルマーレ(その他)
2005年も残りわずかとなった。
その2005年のベルマーレを振り返るにあたり、
1つのキーワード「情報」をあげたい。

・最近、PWJからDMがきた。どこがその名簿を提供したか?
 私は少なくとも「ベルマーレ」のためにしか
 個人情報を提供していない。
 仮に法的にOKだとしても、名簿を他団体に流したことには
 このクラブの「情報管理」の姿勢を疑う。

・FMナパサ(平塚)で3回シリーズで放送される
 「ベルマーレホルダースタジアム」が
 伊勢原でも放送されることになった。
 しかし、クラブ主体で放送するのにホームタウン全域でなく
 まだ一部の市町でしか聞けないのは確か。
 文字にしてホームページで公開できないの?
 このクラブの「情報伝達」の姿勢をまだまだ疑う。

・8月のとある試合の後、某選手とフロントの某が
 取っ組み合いの喧嘩をした後
 ミックスゾーンなどでお互いに涙を流していた。
 (この話は複数のルートから聞こえてきたから確かだろう)
 この話ほどチーム崩壊の現状を如実に示すものはない。
 しかし、この話が公になったことは私の知る限りない。
 この話はクラブが自らすすんで暴露することではない。
 (それは、選手やフロント個人からもだ!)
 でも、メディアは何をしているのだろうか。
 何のために取材でミックスゾーンなどにいるのか?
 それを糸口に何か取材・報道できなかったのか?
 この時点で公にエスカレーションすれば
 このチームの抱えている膿が「手遅れ」になる前に
 取り出せたかもしれない。
 メディアによってはクラブとの力関係で
 それができないところもあるかもしれない
 (それは、仕方ない)が、そういうメディアしか
 今ベルマーレというクラブに
 寄り付いていないのなら、それ自体も末期的な現状だね。
 
 結局は、白井さんが退団を前提に話した
 「ボイス」(12月に公式サイトの中に掲載)の中で
 チームの実態はある程度明らかにはなったのだが、
 それはやはり退団というある意味最悪な結末が
 あったからこそそれと引き換えに出せたものだ。
  

中には、ここに書くべきことではないかもしれないが
敢えてここで書いた話もある。
来年は、このクラブをめぐる「情報」が改善されることを
切に願う。
今年限りでこのクラブの膿はすべて出し切って
来年こそ、それを復活の糧にして、いい年にしようよ。

今こそ、彼の力と気持ちを活かせないか?(SC鳥取・増本浩平)

2005-12-02 00:01:16 | 湘南ベルマーレ(その他)
私がベルマーレユースを見始めてから
今年で丸6年になる。
その6年前のシーズン(99年)、
ベルマーレユースは全国クラブユース選手権そして
高円宮杯全日本ユースで準優勝を果たす。

その時の主力の1人で当時2年生だったのがCBの増本浩平である。
彼は一言でいえばガッツマン。
当時のユースの中でも、茂庭や美尾らと並んで
私にとって強く印象に残る1人だった。
プレーだけでなく、彼の両親と試合会場で
よく話をさせてもらった、
というのも印象の強さの理由の1つだが。

高校卒業後、彼は東京農業大に進学し
大学のサッカー部に入る。
そこでの活躍は時々はWebでチェックしていたが、
いつの間にか彼はFWに転向し(4年の時らしい)
しかも関東2部で得点王にまでなって
チームの20年ぶりの1部復帰に大きく貢献していたようだ。

卒業後、彼はJFLのSC鳥取に入団。
そしていつの間にか後期14節時点で
リーグ得点ランク5位の14得点を
叩き出していた。
チームの総得点40の35%である。
(ちなみに、リーグ最多は18得点で、アマラオは15得点)

彼の活躍ぶり(画像もけっこうある)は、↓のリンクから参照あれ
http://www.sanin-chuo.co.jp/sports/modules/news/106968089.html


人づてに聞いたところ、
彼は昨オフにベルマーレのセレクションに
ユースの同級生の中垣雅博と共に参加していたらしい。
(中垣も現在SC鳥取)
彼はベルマーレというチーム、クラブが
存続・降格という混乱期にいた時を知っている。
チーム、クラブの体質もある程度はわかっているだろう。
それでも、彼らはセレクションを受けに来た。

ここ2年で大きく開花させた増本の能力は、
今の湘南の得点力解消に役立つ可能性はあると思う。
さらに、彼は湘南に対しても人一倍強い気持ちを
もってくれている(た、かもしれないが)選手だ。
人の気持ちを動かすのはカネを除くと
やりがいや愛着、といった気持ちしかない。
湘南にカネがない以上、
彼のような気持ちを活かさない手はないと思うだが・・・