20日の水戸戦の試合前(開門から)、
メインスタンド入口と7ゲートとで
「ベルマーレのクラブハウスを馬入(ばにゅう)へ!」という
A4ヨコ・黄緑色のビラをサポーター有志で配った。
このビラは14日の徳島戦の前に行われて
クラブの真壁社長も現況説明した
「クラブハウフ問題を考える」ミーティングを受けて、
約1週間かけて有志で文面、レイアウトを考え、
お金を出してつくったもの。
その1週間の間にこのブログでもそのミーティングの概要を
記事にすべきだったが、今になってしまい恐縮である。
なお、ミーティングの議事録はクラブも内容を確認した上で
後日「まとめサイト」にUpされる。
(20日に配布したビラも掲載されている)
「クラブハウス問題移転問題・まとめサイト」のURL↓
http://wiki.livedoor.jp/bellmare2006/d/FrontPage
この記事では、主に真壁社長の説明内容に基づいて、
大神を離れて馬入へ移ることになった経緯と
その馬入にクラブハウスを市が建ててくれない(建てさせない)
理由、そしてベルマーレにクラブハウスが必要な理由(私の意見)を
簡単に述べる。
・98年秋、フジタがバブル崩壊後の自身の経営危機の為、
当時のベルマーレ平塚からの経営撤退を表明。
チームは平塚市長主導の「存続検討委員会」の結果、なんとか
平塚市・平塚市開発公社が大株主の湘南ベルマーレへと
99年冬に引き継がれ、大神グラウンドも引き続きフジタから賃借。
・大神はフジタが売却を余儀なくされる状況にあり、
ベルマーレも買取を検討したが、04年春に松蔭学園(松蔭大)が
フジタ側の希望価額で(自身の部活用に)購入することが決定、
同年9月には所有権移転。ベルマーレは06年9月末の移転が不可避に。
(2年間もの猶予がもらえたのは松蔭さんのご厚意だと思う)
・馬入ふれあい公園・・・02年完成のサッカー場は韓日W杯時に
ナイジェリア代表がキャンプで使用。現在はアリーナもあり。
これを拡張(河川敷の長瀞スポーツ広場の敷地を転用)して
天然芝のピッチを増設する計画があり、
市とNPOベルマーレが共同で W杯日本組織委員会解散時の剰余金が素の
「2002FIFAワールドカップ記念事業
『サッカーを中心としたモデル的スポーツ環境整備助成金』を
2度目の応募の末に04年12月に得ることが内定して、市が事業に着手。
・総工費は3億2100万円、うち2億2000万円(2/3)が助成金。
事業内容は、グラウンド整備事業、クラブハウス整備事業及び
夜間照明施設等整備。
全国の数多くの候補地の中から平塚が選ばれて
この助成金を得れたのは、その計画の素晴らしさ
(ベルマーレ主導で描いた)だけでなくJクラブがあることが
審査ポイントで大きかった。
・在来のサッカー場は天然芝から人工芝へ全面張替え(完成済)。
河川敷に天然芝2面、これは7月1日オープン予定。
ベルマーレは、10月からこの天然芝を優先的に使用可能。
(月に1度の市民優先枠や他の大会の開催日は除く)
・しかし・・・ベルマーレのクラブハウスが建設されない。
サッカー場隣接で既存のクラブハウスでは手狭で、
室内トレーニングや器材収納が不可能。
建設の際にネックとなっているのは都市公園法、
「敷地内に目的外の施設の建造が不可能」というもの。
・クラブ側はフロント機能は市街地へ移し、
それ以外のクラブハウス機能と
スポーツと関連の深い共用施設(接骨院や売店)とを
セットにした形でのクラブハウス建設を提案したが
それも市に却けられる。
・9月末には移転が不可避なので、6月中旬には
移転の為の作業に着手が必要。
市がクラブハウスが建ててくれないなら、
できるだけ近い場所(とはいえ公園敷地外)に
土地を借りて、そこに仮設のクラブハウスを建てる予定。
(それでもお金がかなりかかる・・・)
そこにはトップチームの収容がやっとで、
下部組織は全て別のところに拠点を置かないといけなくなる。
簡単でもなかったな(苦笑)、
ここまでの経緯について最低限のことを書いてもこれだけになった。
・ベルマーレがあったから所要の1/3の資金で
馬入を立派なスポーツ公園に整備できるのに、
ベルマーレに対して市は冷たすぎませんか?
・他がどうだから、とはあまりいいたくないが、
都市公園法でつくられたスポーツ施設内に
Jクラブのクラブハウスがあるケースは
市原、新潟ほかいくつもの例がある。
(解釈、もっというとやる気の問題では?)
ちなみに、新潟の現施設もW杯記念助成金でつくられた。
・根本の原因は、ベルマーレへの思い、という「空気」が
市の中に希薄なだと察せられること、と思う。
市長・市役所だけでなく、市議会、財界・・・
ひょっとしたら、「ただありさえすればいい」と
思ってらっしゃるだけなのかもしれない。
クラブの維持・発展の為にはやはり投資が必要。
それはクラブ自らだけでなく、その周囲もなのだが・・・
私は2つの思いから今回の活動に携わっている。
1.99年以降続く、ベルマーレの「デフレスパイラル」からの
脱却をここで果たさないといけない
2.「これからのベルマーレ」の為に、今守るべきものがあるはず。
一旦手放すと、それを取り戻すのがどれだけ難しいか・・・
私はあいにく平塚市民ではない。
だからできることも限られている。
(ビラを考えたり、配ったり、意見を市にぶつけたりはできるが)
でも、できることはやるつもり。
今回の活動の趣旨に賛同いただける方は、どなたでも
ぜひご協力お願いします。
これからのベルマーレのために・・・
「クラブハウス問題移転問題・まとめサイト」のURL↓
http://wiki.livedoor.jp/bellmare2006/d/FrontPage
市への意見の提案の仕方も載っています。
メインスタンド入口と7ゲートとで
「ベルマーレのクラブハウスを馬入(ばにゅう)へ!」という
A4ヨコ・黄緑色のビラをサポーター有志で配った。
このビラは14日の徳島戦の前に行われて
クラブの真壁社長も現況説明した
「クラブハウフ問題を考える」ミーティングを受けて、
約1週間かけて有志で文面、レイアウトを考え、
お金を出してつくったもの。
その1週間の間にこのブログでもそのミーティングの概要を
記事にすべきだったが、今になってしまい恐縮である。
なお、ミーティングの議事録はクラブも内容を確認した上で
後日「まとめサイト」にUpされる。
(20日に配布したビラも掲載されている)
「クラブハウス問題移転問題・まとめサイト」のURL↓
http://wiki.livedoor.jp/bellmare2006/d/FrontPage
この記事では、主に真壁社長の説明内容に基づいて、
大神を離れて馬入へ移ることになった経緯と
その馬入にクラブハウスを市が建ててくれない(建てさせない)
理由、そしてベルマーレにクラブハウスが必要な理由(私の意見)を
簡単に述べる。
・98年秋、フジタがバブル崩壊後の自身の経営危機の為、
当時のベルマーレ平塚からの経営撤退を表明。
チームは平塚市長主導の「存続検討委員会」の結果、なんとか
平塚市・平塚市開発公社が大株主の湘南ベルマーレへと
99年冬に引き継がれ、大神グラウンドも引き続きフジタから賃借。
・大神はフジタが売却を余儀なくされる状況にあり、
ベルマーレも買取を検討したが、04年春に松蔭学園(松蔭大)が
フジタ側の希望価額で(自身の部活用に)購入することが決定、
同年9月には所有権移転。ベルマーレは06年9月末の移転が不可避に。
(2年間もの猶予がもらえたのは松蔭さんのご厚意だと思う)
・馬入ふれあい公園・・・02年完成のサッカー場は韓日W杯時に
ナイジェリア代表がキャンプで使用。現在はアリーナもあり。
これを拡張(河川敷の長瀞スポーツ広場の敷地を転用)して
天然芝のピッチを増設する計画があり、
市とNPOベルマーレが共同で W杯日本組織委員会解散時の剰余金が素の
「2002FIFAワールドカップ記念事業
『サッカーを中心としたモデル的スポーツ環境整備助成金』を
2度目の応募の末に04年12月に得ることが内定して、市が事業に着手。
・総工費は3億2100万円、うち2億2000万円(2/3)が助成金。
事業内容は、グラウンド整備事業、クラブハウス整備事業及び
夜間照明施設等整備。
全国の数多くの候補地の中から平塚が選ばれて
この助成金を得れたのは、その計画の素晴らしさ
(ベルマーレ主導で描いた)だけでなくJクラブがあることが
審査ポイントで大きかった。
・在来のサッカー場は天然芝から人工芝へ全面張替え(完成済)。
河川敷に天然芝2面、これは7月1日オープン予定。
ベルマーレは、10月からこの天然芝を優先的に使用可能。
(月に1度の市民優先枠や他の大会の開催日は除く)
・しかし・・・ベルマーレのクラブハウスが建設されない。
サッカー場隣接で既存のクラブハウスでは手狭で、
室内トレーニングや器材収納が不可能。
建設の際にネックとなっているのは都市公園法、
「敷地内に目的外の施設の建造が不可能」というもの。
・クラブ側はフロント機能は市街地へ移し、
それ以外のクラブハウス機能と
スポーツと関連の深い共用施設(接骨院や売店)とを
セットにした形でのクラブハウス建設を提案したが
それも市に却けられる。
・9月末には移転が不可避なので、6月中旬には
移転の為の作業に着手が必要。
市がクラブハウスが建ててくれないなら、
できるだけ近い場所(とはいえ公園敷地外)に
土地を借りて、そこに仮設のクラブハウスを建てる予定。
(それでもお金がかなりかかる・・・)
そこにはトップチームの収容がやっとで、
下部組織は全て別のところに拠点を置かないといけなくなる。
簡単でもなかったな(苦笑)、
ここまでの経緯について最低限のことを書いてもこれだけになった。
・ベルマーレがあったから所要の1/3の資金で
馬入を立派なスポーツ公園に整備できるのに、
ベルマーレに対して市は冷たすぎませんか?
・他がどうだから、とはあまりいいたくないが、
都市公園法でつくられたスポーツ施設内に
Jクラブのクラブハウスがあるケースは
市原、新潟ほかいくつもの例がある。
(解釈、もっというとやる気の問題では?)
ちなみに、新潟の現施設もW杯記念助成金でつくられた。
・根本の原因は、ベルマーレへの思い、という「空気」が
市の中に希薄なだと察せられること、と思う。
市長・市役所だけでなく、市議会、財界・・・
ひょっとしたら、「ただありさえすればいい」と
思ってらっしゃるだけなのかもしれない。
クラブの維持・発展の為にはやはり投資が必要。
それはクラブ自らだけでなく、その周囲もなのだが・・・
私は2つの思いから今回の活動に携わっている。
1.99年以降続く、ベルマーレの「デフレスパイラル」からの
脱却をここで果たさないといけない
2.「これからのベルマーレ」の為に、今守るべきものがあるはず。
一旦手放すと、それを取り戻すのがどれだけ難しいか・・・
私はあいにく平塚市民ではない。
だからできることも限られている。
(ビラを考えたり、配ったり、意見を市にぶつけたりはできるが)
でも、できることはやるつもり。
今回の活動の趣旨に賛同いただける方は、どなたでも
ぜひご協力お願いします。
これからのベルマーレのために・・・
「クラブハウス問題移転問題・まとめサイト」のURL↓
http://wiki.livedoor.jp/bellmare2006/d/FrontPage
市への意見の提案の仕方も載っています。