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新旧の鉄道&風景の撮影紀行

鉄道のある風景、京都をはじめ自然のある風景をカメラに納めてます!

湖西線撮影紀行(2) 彼岸花

2011年10月10日 | 湖西線

秋の風物詩と言うと、稲穂、ソバ畑、柿などは味覚の秋にふさわしい食物になります。

一方、コスモスや秋の七草(すすき、萩、桔梗、おみなえし、フジバカマなど)は鑑賞して楽しめます。

彼岸花は、秋のお彼岸の頃に咲き真っ赤な妖艶な感じがして曼珠沙華とも呼びますが、田園地帯の畦によく見かけます。

一説には彼岸花の根は有毒のため畦を荒らすモグラ対策に植えられたと聞いたことがあります。

さて、鉄道写真を撮影する場合のアクセントとして真っ赤な彼岸花を前景に列車が通る構図を考えます。

今回のフオトは彼岸花(曼珠沙華)を前景に稲穂の中の寝台特急日本海4002レ  

と、稲刈りを終えた田んぼの落ち穂に群がる白鷺と485系パノラマ編成

をアップしました。

なお、見出し画像は今は少なくなったEF81の貨物列車です。

秋の風物詩と鉄道をお楽しみ下さい!

   

  上り寝台特急日本海                         上り485系特急雷鳥のパノラマ編成(2010年)


湖西線の沿線撮影紀行(1)

2011年10月07日 | 湖西線

湖西線は琵琶湖の西側を通り琵琶湖の湖や比良、蓬莱山,箱館山と言った湖西の山並みがそびえる風向明媚な路線です。

一方、東海道本線は琵琶湖の東側を通りますが、米原経由で敦賀に行くと距離が長く、サンダーバードが強風の影響で米原回りに

なると数十分時間が余計にかかります。

また。湖西線は京都から比較的近い場所にあり並走するR162は走りやすい道路で便利であり、またJRを利用して移動する場合は、

近江中庄駅の近くに撮影地があり便利です。

今日ご紹介する場所は、近江中庄に近くブラックバスなどのルアー釣りで人気のある貫川内湖ですが、何時も朝の早い時は

湖面が水鏡になって列車が映って美しい情景を醸し出しますが、寝台特急日本海4002レのやってくる頃は風が出て来て

水鏡とならない事がよくあり残念な思いをします。

もう一つの場所は、安曇川の河川敷でアユ釣りの釣り人が竿を垂らす場所で橋の向こうに鉄道の橋梁が見えます。

また安曇川付近は、夕焼けと列車を撮影するのに適当な場所ですが夕日が落ちる時間と目的の列車が通過する時間帯とが一致せず

これはと言うベストショットは中々撮影出来ないことの繰り返しです!

                 

                 貴川内湖を行く4002レ

   

安曇川河川敷から下りEF81コンテナー車を撮影                       アユ釣りの釣り人とサンダーバードの出会い

        安曇川付近から夕焼け小焼けを行く485系(2010年)

 


旧東北、北海道の鉄道撮影紀行(最終回)

2011年10月06日 | 花輪線

                                                      *見出しのカラー画面は5月の龍が森なので雪はありません!

昭和45年当時! 

深夜の函館駅でC623牽引の急行すずらん6号を見送った後に、青函連絡船第2便で青森に早朝4時20分に到着する。

青森駅を奥羽本線の422レで6:30頃に発車して大館駅に9時前に着き、花輪線に乗り換えて竜が森駅には昼前に到着する。

花輪線は大館と好摩を結ぶ全長約107キロの路線で、今回訪れる龍が森駅は勾配区間のサミットにありその前後の赤坂田ー岩手松尾は

33/1000の急勾配があり線路規格の関係から老兵8600形式のSLが奮闘している。

龍が森駅は現在、安比高原駅と改称してスキー場のメッカとして東京方面からDE10牽引ブルートレインの臨時列車として活躍した事で

記憶に新しいと思います。

昔の話に戻りますが、龍が森では上り列車は8600型SLが本務機と後補機のプッシュブルで運転で又下り列車は重連運転で

8600独特の甲高い擦れたような汽笛を鳴らして急勾配に挑む姿は小型機関車なので可愛くて健気な感じがして、C62のような

豪快な動きとは一味違った魅力でしょう!

なお、旅客列車はほとんどがDCですが、朝晩の2往復はSL(8600)が牽引していました。

    *補機区間は荒尾新町ー岩手松尾で8600が連結される。

龍が森がサミットなので、下り列車は岩手松尾寄りに、上り列車は赤坂田寄りに移動して急勾配を煙をあげて喘ぎながら登ってくる勇姿を撮影しますが

主に龍が森駅から赤坂田よりの場所(雪の積もって滑りやすい道路を北側に向かって歩くとトンネルをオーバークロスした付近に着く)から俯瞰気味に

上り貨物の勇姿をカメラに収めたり録音するなどして半日を過ごしました。

 

 本務機8600に貨物を挟んで後補機の8600を従えて上ってくる                墨絵風の山並みを背景に8600が奮闘する

 

8600が喘ぎながら煙を上げて急坂を登る姿は、人間が急坂を心臓が激しく動悸しながら登るのと同じと言われますが文字通り喘ぐと言った表現が当てはまります。

なお、8600形式のSLは大正時代に製造され動輪直径が1m60cmで主に旅客用SLとして広く使用されていたが、現在でも老兵の8600型は九州の肥薩線で

SL人吉号として活躍しています。

     

  プッシュブルで短い貨物を押し上げる                       下りの8600重連の列車が発車する

 

夕方、龍が森駅をDCに乗って好摩経由で盛岡に着き、盛岡20時発の東北本線夜行急行「十和田3号」204レに乗車する。

この列車は自由席6両、指定座席1両、寝台2両、食堂車などを編成しており、小生は自由席の座席に席を確保して長い撮影旅行に

疲れた身体を横たえて夜行列車で一路上野を目指す!

早朝に上野駅に到着すると行き止り駅独特の雰囲気(回送列車は推進運転)を楽しんだ後、大都会の雑踏の中を山手線に乗り換えて

東京から新幹線に乗り継いで夕方には京都に無事帰ってきた。

京都駅に着くと京都はもう春の息吹が感じられて、つい先ほどまでは雪深い北辺の地でSLを追いかけていたなどとは考えられない

相違感を感じながら、身体の中ではいつまでも北の大地のSLの豪快なドラフト音と汽笛の音が残響としてが流れていた!

 

     終わり!

 

 


湖西線(コスモス畑) 

2011年10月05日 | 湖西線

今日も快晴の一日で撮影日和ですが、カメラ店へインクジエット用インクを購入に出かけたついでに、

JR京都駅付近の陸橋で夕焼けの列車を撮影しましたが、10月になって早く日が暮れるので4001レは

真っ暗な中での撮影でした。

今日のフオトは、秋の花と言えばコスモスのピンクや赤や白の可愛い花が咲き乱れています。

最近は休耕地を利用してコスモス園は各地で開催されていますが、線路際にコスモスを植えている

場所は案外少ない感じがします。また昨年コスモスが咲いていたからと言って今年も咲いているとの

保証はありません。

今回は、以前に湖西線の近江今津付近でコスモスが咲いていたので、鉄道との出会いをカメラに納めました。

鉄道と秋色の風景をご覧下さい。(まだ雷鳥が現役の時の写真で懐かしい思い出が蘇ります)

   

       113系各停4連                                       懐かしの485系パノラマ編成の雷鳥号

      

コスモスを前景に懐かしの雷鳥号                  コスモスを前景にサンダーバードが行く


北陸本線(寝台特急日本海) 

2011年10月04日 | 北陸本線

  北陸本線は今年3月で485系雷鳥が廃止になり寂しい限りです。

今後の撮影対象は、寝台特急日本海、トワイライトエクスプレス、電気機関車牽引のコンテナー貨物ぐらいになりました。

今日のフオトは、以前に上り寝台特急日本海を細呂木ー牛ノ谷のSカーブで撮影した写真で現在は、9両編成ですが、

時たま増結で11両編成になることがあります。(10月15、16日 4002レの予定)

敦賀以北の撮影地としては、南今庄、南条、大聖寺ー加賀温泉、福井付近の九頭竜川橋梁など多くの場所があります。

 

 

 


湖西、北陸路の写真紀行(ソバ畑ほか)

2011年10月03日 | 北陸本線

10月に入ってめっきり涼しくというか寒くなってきました。

湖西線沿線のソバ畑を探していると近江中庄近くに「知内のソバ畑」と言う看板が道端に立てかけてあった。

一面の白いソバの花と上り寝台特急「日本海」4002レを絡めて撮影する。列車は定刻より約35分遅れでやって来たが、

釜は残念ながらトワイライト色の機関車であったのでバック緑の木々に溶け混むので列車が目立ちにくい写真になってしまった。

やはりローズピンク色系であれば目立ってよかったのに残念!

今回は妻が同行したが、その目的は押し花の材料となる草花を探すことであって新疋田カーブ付近にあるとの事なので

久しぶりに新疋田のカーブに向かう。 線路内立ち入り禁止の看板があったので田んぼ横の空地に三脚をセットして

上りトワイライトエクスプエス8002レは撮影する。先の日本海が35分遅れてきたがトワイライトエクスプレスは

ほぼ定刻(11:05頃)に通過して行った。

次の上り貨物はEF510の赤釜であったのでEF81の期待は崩れてしまった。

    

      8002レのEF81113号機                                       EF510 16号機

 

昼時には、塩津浜近くの水の駅で「かもそば」を久しぶりに賞味する。鴨の切り身とエビのかきあげが入っていて

美味しく500円は値打ちがあった!

再び妻の押し花用草花を探すために安曇川河川敷へ降りるが先般の台風の影響で流されて無くなっていた。

その他の草花は道沿いで採取していたので小生は時間を気にすることなく撮影に専念できました。

帰り道に近江舞子付近の下り貨物列車を未だ稲穂が残っている田んぼを前景に比良の山並みを背景に下り貨物列車を撮影するが

これもEF510の赤釜であった。

農家の人が通りかかったので話を聞くと、猪が出没するので田んぼ周辺に電気柵を設置しているとか。

またこの付近は比良降ろしの風が強いので線路の北側には防風板が取り付けられており、今後は北小松の北側も設置の予定のよう

なので山側からの撮影に支障が出そう。

   名残の稲穂を前景に赤釜が走り去る!

 

帰り道は、R161からR367の途中越えを経由して三千院付近を通って帰るましたが、もう少し秋が深まり紅葉の季節になれば

多くの観光客で混み合うことでしょう!


旧北海道の鉄道撮影紀行(12) 夜の函館駅ほか

2011年10月02日 | 函館本線

昭和45年3月!

美唄鉄道の撮影を終えて札幌駅に着き大通り公園を散策の後、再び函館本線に乗って倶知安駅に到着!

常宿のニセコユースホステルを起点にしてC62重連の急行二セコ号を上目名付近で撮影した後に帰路につく。

途中で大沼公園付近で秀麗な駒ヶ岳をバックにD52貨物などを撮影の後に函館には夜に到着する。

夜の函館駅では、函館本線の発車や到着便の賑わい、青函連絡船乗船の人並み、連絡船の貨物出し入れで

9600が頻繁に行き交うなど賑わう駅風景であった。

通常は、青函連絡船の乗船名簿を書いて待合室で連絡船の乗船を待つのが通常ですが、今回は名残惜しいので

北海道最後の撮影としてSL牽引の夜行列車3本が並ぶ壮観をカメラに納めるのことにする。

23:46発の急行スズラン6号(1217レ)はC623号機;23:52発釧路行き普通列車(421レ)がD51;

そしてD51牽引の荷物列車が並びそれぞれの列車が発車に備えて、SLのキャブ内では投炭作業や圧力調整のバルブ操作

に余念がない。やがて発車間際になると乗客が三々五々集まり暖房に効いた車内でくつろいでいる。

駅アナウンスの案内放送の後には発車のベルが鳴りSLの安全弁から白い蒸気が寒空に吹き上げる中、やがて長い汽笛1声の

後に、ゆっくりと走り始めて構内に出ると白いドレインを切って豪華なドラフト音とともに一路札幌を目指して北の鉄路に向かって去っていった。

 

噴火湾沿いに函館へ向かうD51普通列車                              夜の函館駅で発車を待つSL3台(右からD51、C623、D51)

 

  発車を待つ急行すずらん6号(C623)                                  一路札幌へ向かう急行すすらん6号

 

C623号牽引のすずらん6号の発車を見送った後に、青函連絡船乗り場に向かい連絡船第2便函館港0時30分出港の摩周丸に乗船して一路青森に向かう!

青森到着は4時20分の予定!

以下 次の続く!

 


旧北海道の鉄道撮影紀行(11) 急行狩勝、美唄鉄道

2011年10月01日 | 北海道

昭和45年3月!

釧網線で北浜から釧路へ夜に到着した後、改札を出て釧路の街を散策する。夕食はせっかく釧路に来たのだから駅前の飲食店に入り、

「いくら、さけ、雲丹」の入った豪華な海鮮丼を賞味した後に街路へ出たが未だ3月で寒々としていたので早々に駅に戻り待合室でくつろぐ。

待合室で駅のアナウンスや列車の汽笛、待合客の地元の訛りある話声などを聴きながら北辺の駅の雰囲気を味うのは旅行の醍醐味であろう。

今夜乗車する列車は夜行急行狩勝3号(418レ)で寝台車6両、座席指定3両に郵便車、荷物車各1両の11両編成の豪華編成であり、

時刻表には寝台列車と記載されている。今回はこの頃の小生としては奮発してみどりの窓口で寝台券を指定して優雅な寝台の旅とする。

列車は釧路駅を21時25分に発車するので少し前に改札口に向かい寝台車スハフ17の上段にリユック、三脚を乗せたのちタラップをよじ上り

ベッドに身体を潜り込ませる。

 (昭和43年10月時刻表より転載)

やがて定刻に発車して間もなく車内アナウンスがあり停車駅は、池田、帯広、新得、落合、富良野、芦別、赤平、滝川、砂川、美唄、岩見沢、江別、

終点札幌6時30分到着との紹介があったが、停車駅の印象は、やはり当時は石炭産業が盛んであったので炭坑で栄えた駅に多く停車するといった

感じがした。その後にカレチ氏が車内検札に来て下車駅などの確認が行われた。(小生は美唄下車)

急行狩勝の前進は急行まりもであって当時はC57が小樽ー釧路をロングランして旧狩勝越えには後補機がついていたようだが、昭和43年10月から

今の急行狩勝に名称変更があり、狩勝峠も新線に切り替えられており今日の急行狩勝はDD51が釧路から滝川まで牽引し滝川でED76に交代する。ーーー

翌朝、ベッドで寝ているとカレチ氏がまもなく下車駅「美唄」に到着するので下車準備をするようにと親切に声をかけていただいた。

8:30に美唄駅に到着して早速、美唄鉄道へ乗り換えを行う!

美唄鉄道は三菱美唄炭坑の運炭列車として動輪が5つの4110タンク式機関車が活躍していました。

この4110型は国鉄奥羽本線の板谷峠で活躍していた形式で勾配区間専用として使用されていました。

美唄鉄道では4122の他、自社発注した2、4、5号機などが常盤台(山元)から美唄駅まで約10kmをピストン輸送していた。

美唄鉄道に乗って東明駅で下車して2号機関車が牽引する貨物列車を撮影する。

なお、美唄鉄道は1972年に廃止されたがこの2号機は現在東明駅近くで展示されているようである。

      

      東明駅近くの踏切から撮影                                        蔵の中の4号機

 

     機関区で待機中の2号機関車                                               2号機関車のサイドビユー

 

美唄鉄道に別れを告げて札幌駅に向かう!

 

以下 次の続く!