新旧の鉄道&風景の撮影紀行

鉄道のある風景、京都をはじめ自然のある風景をカメラに納めてます!

船の科学館(青函連絡船 羊蹄丸)

2011年10月11日 | 青函連絡船

永年にわたって東京お台場付近で展示されていた船の科学館が9月末でリニューアル準備のために休止されました。

船の科学館では、今まで青函連絡船の羊蹄丸南極観測船の宗谷が展示されていましたが、羊蹄丸は保存、展示が終了したので、

今後新しい船主?を募集していて転出するようです。一方宗谷は残留して保存されるようです。

羊蹄丸は日立造船桜島工場で建造され、名前は公募により別名蝦夷富士と呼ばれる秀麗な山容の羊蹄山から選ばれ、

昭和40年の就航から昭和63年9月の連絡船廃止までの23年間にわたり津軽海峡の荒波を航行しました。

小生は北海道への渡道の際には青函連絡船には何時も利用していて懐かし思い出が一杯ですが残念ながら昭和63年に

青函トンネルの開通ともに惜しまれながら引退しました。

平成16年に船の科学館を見学してで青函連絡船の羊蹄丸と再会して、乗船中は見学出来なかった船橋(ブリッジ)の

の計器類、コンパス、羅針盤、レーダーなどを見て、かって荒海の津軽海峡を航行した雰囲気を味わうことが出来ました。

また青森駅付近の改札口、列車、DL,出店などの様子も再現されていて懐かしく感じました。

今後は、羊蹄丸の再就職先が決まって、市民にいつまでも親しまれるように願うばかりです

なお、関東地域では羊蹄丸の保存、展示の終了により青函連絡船を見られなくなったが、現在も青森港付近では

青函連絡船メモリアルシップ八甲田として、函館港付近では函館市青函連絡船記念保存館摩周丸として保存、展示されており

今でも見学が出来ます。

        *見出し画面は函館港に入港する羊蹄丸

    

   青森港を出港した羊蹄丸と乗船客の様子                                      青森港を出港して一路函館を目指す3時間50分の船旅

  

宗谷と羊蹄丸の並びも見られなくなる                               羊蹄丸の推進力を発揮する大きなスクリュー(船の科学館)

   

  羊蹄丸の船首(船の科学館)                                羊蹄丸のブリッジ(船の科学館)

   

 ドラを鳴らして出港を告げる(船の科学館)                            羊蹄丸の船内 (船の科学館)

  

 青森駅を再現(船の科学館)                                           青森駅付近の出店風景(船の科学館)


東北と北海道の旅(2) 青函連絡船

2011年09月15日 | 青函連絡船

奥羽本線の陣場ー津軽湯の沢ー碇ヶ関で雪の勾配に挑むC61、D51を堪能した後、各駅停車で弘前まで行き途中下車後再び青森行き普通列車に乗り換える!

                                夜の弘前駅に到着したC6124号機   ホームは静寂が漂う!

 

青森行き普通列車の牽引機はC612号機であり現在は梅小路蒸気機関車館で余生を送っている。弘前あたりから真っ暗な中を一路青森を目指します。

車内はスチーム暖房がよく効いて心地よく 時折汽笛が吹鳴されて旅情を掻き立ててくれます。

やがて終着駅の青森の車内放送があり乗り換え等のアナウンスがあり特に青函連絡船の乗り換え案内を注意深く聞きました。

やがて青森駅にホームに滑り込むとすぐにホームの先端まで行きにC61は照明に照らされて美しい。やがてC61が切り離されて9600が入れ替えのために

連結されていました。

              終着駅青森駅に到着した普通列車牽引したC612号機

                          客車を入れ替え中の19613機

* 青函連絡船の旅

駅の改札付近で青函連絡船に乗るために「乗船名簿」に氏名、住所などを記載します。これは万一の海難事故を考えてのセレモニーでしよう。

(普通列車の場合は普通の乗船名簿であるが、特急乗車の場合は車内で三本線の入った乗船名簿をもらう)

かっての洞爺丸の沈没海難事件を思い起さざるをえません。

改札から連絡船に接続する長い廊下を歩いて乗船乗り場へと向かいます。

青森駅で連絡船に向かう案内(S63年撮影分)

今日の青函連絡船は深夜便であり5,375トンの大雪丸が就航しており明日の早朝に函館に到着する。

           青森港に接岸して出港を待つ大雪丸(5,375トン)

 

連絡船の上部が乗客、下部は貨車を収納しており入替作業は9600形式のSLが貨車を連絡船に出し入れを忙しげに行っていました。

やがて出港時間になると乗船案内によりタラップを渡って乗船しますが、海の塩の香りと吹き付ける風が心地良い!

連絡船に入るとロビー、売店、食堂がありますが深夜のため食堂は閉まっていたので売店で弁当を購入して室内に入って遅い夕食を食べました。

(食堂が開店していれば「海峡ラーメン」を注文する。これはラーメンの中にイカやホタテ、カニの身などが入って美味しかった)

連絡船の座席は椅子席と座敷席があるが、私はもっぱら椅子席を利用して横の席に乗客がいない場合には座席で横になり仮眠する!

やがてドラの鐘の音とともに、「蛍の光」が流れて青森港の灯台を出て津軽海峡に入り一路函館を目指す。連絡船は5000トン以上あり

大型客船であるが、大海に出ると少し揺れるような感じがするが安心して休みにつく。

                    

   連絡船のロビー(応接セットがある)     連絡船の売店  (いずれもS63年に撮影)

 

早朝、津軽海峡を無事渡り終えると、船内には小鳥の鳴き声と音楽が流れて乗客は起きだして身支度を整える。

やがて、港内で待機していたタグボートが連絡船の横に近づき船体を横方向に押して函館港の桟橋に接岸する。

接岸の際は、連絡船からロープが桟橋に投げられて、桟橋のブイに引っ掛けた後は連絡船船首横の操作盤でモーターでロープを引っ張って微調整する。

その際には、後10メータ、5メーター、3メーターと業務アナウンスをしながら無事接岸を終えるわけです。

函館港に着いたとのアナウンスともに、多くの乗客はデッキを渡って函館駅のホームに向かうわけで、内地から北海道へ渡道したと言う実感が湧くわ。

                       

  連絡船に接近するタグボート               船首横の操作盤でロープを巻き取って接岸の微調整をする (いずれもS63年に撮影)     

 

なお、青函連絡船は昭和63年3月に青函トンネルの開通とともに惜しまれながら廃止になり快速「海峡」などの列車にバトンタッチされました。

しかし連絡船の廃止前には、全国から多くの乗船客が当地を訪れて最後の乗船を惜み各船とも満員の盛況で終えました!

私はいつもは連絡船の深夜便を利用していましたが、この時は昼間の連絡船に乗船して船旅を楽しんだり港や高台から航行する連絡船の最後の勇姿をカメラに納めました。

また青函トンネル開通後も8月から9月にかけての間、2往復の連絡船が復活して運行されたので息子と同行して旅行を行いました(夜間は、連絡船内を宿泊所として利用できました)

上りの連絡船に乗船した時はいつものコースを逸れて「仏が浦」の奇岩を観光できるようにサービスをしてくださったこともありました!

また、名物船長の北山船長にサインをお願いして長年の労苦を滲ませたサインをいただきました。

現在は、青森と函館にメモリアルシップでかっての勇姿を見学することが出来ます!

                     青森港に入港する十和田丸(S63年2月撮影)   

         十和田丸の船上デッキから津軽海峡を望む(昭和63年2月撮影) 

 

以下次に続く!