社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について書いています。
歴史模擬授業も展開中♪

歴史模擬授業(第25回 明治の産業・文化)①  

2010年12月20日 11時02分55秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業です。

予定がどんどん遅くなってしまい、申し訳ありません。

今回は明治時代④産業・文化です。

ここは授業でほとんど説明されないので、こちらではせめて・・と思い、

詳しく説明させて頂きました。(自分よがりな意見も入っているかも知れませんが、申し訳ありません。)

明治時代は内容が濃いので、4つに分けていきたいと思います。

1:戊辰戦争と明治の改革

2: 自由民権運動

3:条約改正と日清・日露戦争

4:文明開化と明治時代の文学・医学

となります。

今回の自由民権運動は、少し独自のまとめ方をしているため、

もしわかりずらかったらもうしわけありません。

文字数の関係で(10000字以上を超えるとPC動作が鈍くなる)

さらに細かくに分けてアップしたいと思います。


ーーーーーーーーーーーー




「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第24回 条約改正と日清・日露戦争)②-2  

2010年12月19日 22時31分42秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第24回 条約改正と日清・日露戦争の続きです。詳細はおとといの記事①をご覧ください。

※今回は、戦争や植民地政策について説明するため、当時の戦争の価値観や戦争のメリットも話します。

しかし決して、戦争や植民地について良いことだとは思っていないので、

そのことを念頭において授業を聞いて頂くようおねがいいたします。

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「さて、では日清戦争・下関条約の続きをば。」

「下関条約では、賠償金や領土を日本が手に入れたんだね。」

「そうそう。その手に入れた領土の1つ、遼東半島(リャオトン半島)に対して、ある国が、

「日本は清から領土を取りすぎじゃないか。だから遼東半島だけでも返すべきだ!」と言いだしたの。」

「え?」

「そのように言ってきたのは、ロシア

ロシアもどんどん南に領土を拡大していこうとしていたの。

記事の一番上の表を見てみてね。

日本が遼東半島を手にしていると、

ロシアの南下に邪魔になるよね・・。」

「うむー。」

「でもロシアだけで、あのように言っても、世間からはロシアのわがままに見えちゃうでしょ。

そこで、ロシアは2つの国を味方につけて、日本に遼東半島の清への返還を求めます

ロシアの味方になったのが、フランスドイツです。

ロシア・フランス・ドイツの三国が、日本の領土獲得について干渉してきたことから、

このことを三国干渉と言います。」

「日本はそれでどうしたの?」

「さすがに、ロシア・フランス・ドイツには勝てないと思い、

彼らの言うとおり、遼東半島を清に返します。」

「日本はそれでロシアに対して怒ったりしなかったの?」

「日本は三国干渉をきっかけに、ロシアに対して敵意を感じるようになった。

それで、いつかロシアとの来るべき戦争にそなえ、軍備の拡張につとめます。」

「次はロシアと対立を始めるんだ。」

「うん。でも、さすがにロシアには勝てないだろうという思いもあったし、

たとえロシアと日本が戦争をしてもヨーロッパの国々はロシアの味方をするんだろうなぁ、と思っていた。」

「そうだよね・・。ロシアもヨーロッパの一員に入るだろうし。

「しかし、このロシアの動きに警戒するヨーロッパの国があり、日本と同盟を組もうとした国が現れる。」

「え?そんな国が?!どの国だろう?」

「それが、ヨーロッパの国々の中でも最も工業化も民主化も進んでる国の1つ、

イギリス

日本と手を組もう!と言ってきたの。」

「え?イギリスが?!」

「そう、それで、1902年日本イギリスは同盟を結びます。

それを日英同盟と言います。」

「ほえー。」

「同盟とは(ほぼ)対等関係の国々が、

共通の目的のために同じ行動をとることを約束した約束のことなの。」

「え?ということは、イギリスは日本をパートナーに選んだってことだよね。」

「つまり、日本がロシアと戦うとなれば、イギリスは日本の敵にはならない、ということかな?」

「うん。簡単にいえば、そういうことになるよね。

(例外もありますが・・、ここでは例外は考えなくて良いです。)」

「ほえー。」

「そして、だんだんと日本とロシアが対立を深め、ついに1904年ロシアと日本で戦争がおきます。

それが、日露戦争。露はロシアを指します。」

「日本は負けたのかな?」

日露戦争の中の1つに、

東郷平八郎という人が活躍した日本海海戦では日本は勝利したりもしたけど、

決定的な戦争が終わらない。日本はだんだんと財政面で苦しくなっていく。」

「なかなか終わらなかったんだ。」

「そんなときに、アメリカが講和会議を開こうと言います。」

「あれ?アメリカがでてきた!」

「アメリカは日本に好意的であったんだよね。

当時のアメリカの大統領は、セオドア=ルーズベルトという人。

アメリカのポーツマスという都市で日本とロシアが条約を結びます。

その条約をポーツマス条約と言います。

そのときの日本の全権は小村寿太郎(こむらじゅたろう)、ロシアの全権はウィッテ。」

「アメリカのポーツマス市で結んだからポーツマス条約というのね。」

「うん、そうだね。

このポーツマス条約で、

ロシアは、日本が韓国(朝鮮)内で政治・軍事・経済上の優越権を持つことを

認めることになりました。」

「優越権?」

「今回の優越権というのは、

ロシアより日本の方が、政治・軍事・経済の点で韓国に対して口出しできるということです。

(このことが良いことではありません)」

「そうなんだ・・。」

「あと、ロシアは南満州鉄道の権利を日本にゆずるとしたの。」

「え?鉄道?」

「鉄道の路線を得るのは大きいのよ。ほら、鉄道って、何を運べる?」

「人。」

「うん、人もそうだよね。あとは、何かな?手では運べないもの・・。」

「重いもの・・・。あ、武器とか?」

「そういうこと。つまり、南満州鉄道というのは大陸にあるでしょ。

そこで日本が武器を運ぶ手段を手に入れた、というのは大きいことでしょう。」

「たしかに・・・。」

「他にも、ロシアは樺太の南半分を日本に与えるなどもした。」

「そうなんだ・・。」

「しかし、日露戦争では日本が圧倒的な勝利ではなかったから、

賠償金がもらえませんでした。」

「え?そうなの?」

「うん。当時は勝てば賠償金がもらえるから、ということを見越してお金を使っていたし、

増税がつらくてもがまんしていた人も多かった。

でも、終わったら賠償金はもらえない、、

ということで、ポーツマス条約の内容を知って、日本国内で暴動がおきたりもしたそうよ。」

 

「たしかに、わかる気はする。(戦争はだめだけど)」

「そして、このポーツマス条約で韓国の支配権を得た日本は、韓国を保護国とした。

そして1910年韓国を日本の領土としてしまいます

そのことを韓国併合と言います。(この行為は現代では許されることではありません。)」

「・・・。」

「そして、その次の年、

1911年に日本はアメリカとの間で、関税自主権を取り戻すことに成功する

そのときの日本の外務大臣は小村寿太郎。」

「あ、さっき、ポーツマス条約のときの日本全権の人だ。」

「つまり、これで、日本は不平等条約が改正されたってことなんだね。」

「そういうことなの。

条約改正を成功し、またその間に2つの戦争を行い、だんだんと世界に進出していく日本。

このあと、日本は世界的な動きに入り込んでいくのです。

そこで日本はだんだんと暴走をしていって、世界から孤立していくのです。」

「ほえー。」

「では、今日はここまで。話の続きは、大正時代で。

戦争は条約とセットで覚え、その条約の内容は良く覚えましょう。

また、

治外法権の撤廃→日清戦争(&下関条約)→三国干渉→日露戦争(&ポーツマス条約)

→韓国併合→関税自主権の回復

という順番を聞かれるもの問題もよく出るから覚えましょう。

年号で覚えても良いけど、時間の流れで考えても良いでしょう。

ちなみに、日清戦争の10年後に日露戦争はおきています。

 

この時代は、習いたては難しいけど、入試での出題パターンは似ているので、

しっかり覚えてしまえば、得点源になるので、がんばって。」

「はい!」

「じゃあ、次回は、明治時代の政治の動きを通し、産業・文化を見ていきましょう。」

「はい。」

「では。これで終わります。起立・礼!」

ーーかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

 

 

 


歴史模擬授業(第24回 条約改正と日清・日露戦争)②-1  

2010年12月18日 15時36分38秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第24回 条約改正と日清・日露戦争です。詳細は昨日の記事①をご覧ください。

※今回は、戦争や植民地政策について説明するため、当時の戦争の価値観や戦争のメリットも話します。

しかし決して、戦争や植民地について良いことだとは思っていないので、

そのことを念頭において授業を聞いて頂くようおねがいいたします。

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「さて、では今日は明治時代の三回目。」

「わーいわーい。」

「明治時代の一回目と二回目は国内の内乱や政治の動きをやったね。」

「うん。帝国議院(国会)もできたし、大日本帝国憲法も発布されて、

だんだんとヨーロッパっぽくなってきたんだよね。」

「うん。そういうことだね。そして、なぜヨーロッパのようにならなきゃいけないか、というと

江戸時代に結んだ不平等条約を改正したい、と思ったからだったね。」

「うん。不平等条約って、治外法権を認め、関税自主権がなかったんだよね。」

「うん。それで、何度も条約改正の交渉を日本はするの。でもうまくいかない。

明治の最初に、岩倉使節団を派遣して条約解消をしようとするんだけど、

近代化していない(ヨーロッパのような政治形態になっていない)日本は相手にされなかった。

それで、帰国後、彼らは国内の近代化(民主化)に力を注いでた。」

「この前、習ったところだね。」

「また、岩倉使節団以後の条約改正の努力の一環として、

外務大臣の井上馨(いのうえかおる)が鹿鳴館(ろくめいかん)という

欧風(ヨーロッパ風)の建物を立て、そこで舞踏会を開いたりもしたんだけど、

ヨーロッパのまねごとにすぎない、と言って馬鹿にされておわってしまったりね。」

「なかなか難しいよね。」

「そんななか、1886年に、条約改正に対する国民の声が高まる事件がおきた。

それが、ノルマントン号事件というもの。」

「?」

「イギリス船ノルマントン号が、紀伊半島の沖で沈没してしまったの。

そのとき西洋人のほとんどは救出されたのに、日本人乗客は置き去りにされ全員死亡してしまった。」

「えええええ!」

「ひどい事件!」

「でも、そのときのイギリス人の船長は裁判の結果、軽い罪に問われただけだった。」

「あ・・・、治外法権を認めているから、イギリス人を日本で裁けない。

そうか、だから、国内で条約改正の声が高まったのね。」

「そういうこと。ノルマントン号事件は私立中入試でよく出るので絶対に覚えておいてね!」

「はい。」

「で、さらに条約改正のために日本はヨーロッパと交渉を重ねる。

その交渉をしているうちに、外国との関係で大きな事件が動き出していく。それを次に行うね。」

「はい。」

「国内はある程度、ヨーロッパのような政治形態になった、と話したね。

では次は外交もヨーロッパのようにならないといけない。

・・ということは、ヨーロッパのように植民地を持ち、

植民地をうまく利用して自分の国の利益をあげよう、とも考えたの。

もちろん、今では絶対にやってはいけないことだよ!」

「・・つ、つまり、ついに日本は植民地を獲得するために外にでていく。」

「それって、戦争をする、ということだよね。」

「そうなのよ。だから、日本は条約改正交渉をしつつ、

植民地を獲得するために対立する国と戦争することになっていくの。

それが今日の中心となるお話。」

「うーむ。ついに戦争の時代に突入するのか・・。」

「では、まず日本はまず、どこに勢力を伸ばしたいのか、というと、朝鮮であった。

(悪い言い方で申し訳ありません)」

しかし、清(中国)は、

朝鮮を属国(植民地とは違い、兄弟関係にある国。兄が清、弟が朝鮮という感じ?)だと

考えていたので、日本と清の間で、朝鮮をめぐって、対立がおきたの。」

「そうなんだ。」

「でも、突然攻撃を仕掛けたらいけないでしょ。全世界から総批判だ。

だから、お互いに、おとなしくしていた。そんなとき、あるきっかけがおこる。

それが、朝鮮国内で起きた反乱、甲午農民戦争東学党の乱)。

この反乱を抑えるために、清も日本もどちらも朝鮮に出兵します

そして反乱がおさまったりかけた。

しかし、清と日本との間に衝突がおこり始める。」

「いつ、戦争がおきてもおかしくないのね。」

「うん。でも、それでもまだ日本は一歩を踏み出せない。

なんといっても、大国の清。

1000年以上、日本にとって中国は上のまた上の存在。

当時からしたら、昔から大変お世話になった

怖くて強く頼りがいのある中国に

自分たちが勝てるかわからない、と。

そんなときに、日本を後押ししてくれる出来事がおこる。」

「え?なに?」

「なんと、条約改正交渉が成功した。

イギリスの間で治外法権が撤廃された

そのときの外務大臣は陸奥宗光(むつむねみつ)。」

「おお!そんなときに。」

「つまり、それはイギリスが日本に対して、(ある程度)日本はヨーロッパの国々と

同等だと認めたともとれる。」

「つまりそれって、日本国内の状態はイギリスに認められたってことね。

つまり、あとは・・外交。」

「そう。

それに当時、日本国内でも、帝国議会の会議で、

いつおこるかわからない戦争のための軍事費について削るか、

必要とするかどうかで、衆議院と政府(内閣)との間で

ずっと対立していた。

だから、ここまできて戦争をしずに帰ったら、絶対に軍事費は削られると

日本政府は思ったのもあった。

そこで、日本は清に宣戦布告をする。戦争開始だ、と。」

「ついに戦争が始まってしまうのか・・。」

「それが、1894年日清戦争。」

「・・・。」

「そして、日本が勝利します。」

「え?日本が勝ったの!?」

「うん。これには、日本自身もびっくりしたけど、全世界がびっくりしたの。

当時の中国は、「眠れる獅子」と呼ばれて、いざとなったら本気を出すだろう、と思い、

ヨーロッパの国々も警戒していたんだ。

しかし、日清戦争で日本に負けたのを見て、ヨーロッパの国々は清にはもう力がないのかもしれない、

と思い、どんどんヨーロッパの国々が中国に進出してしまうの。(もちろん、よいことではありません。)」

「うわー。」

「この日清戦争の勝利によって、日本はどんどん変わっていき、ついにはヨーロッパの一員になり、

そして最後は悲劇をもたらすことになります。」

「そうなんだ・・。」

「では、話を少し戻して、日清戦争のあとの話。

戦争が終わったら、かならず講和条約を結びます。

戦争責任は、全部負けた国にあり、負けた国が勝った国に賠償金を支払ったり、

領土を一部ゆずることが

あたりまえでした。」

「えー、それっておかしいよ!

戦争が悪いものだってわかってて、戦争をし、終わったら責任は負けた国?!」

「おかしいよね。でも、当時はそれが普通だと思っていたの。だから人間ってこわい。

つまりこれは、戦争をおこし、勝てば大きなものが得られるけど、負けたらすべてが終わり。

だから、勝ち続けなければならないのよ。」

「ほえー。勝たなきゃ終わり・・。こわいなぁ。」

日清戦争のあと、日本は清と、条約を結ぶ。その条約の名は下関条約

条約を結んだときの日本の代表(全権)は伊藤博文陸奥宗光(むつむねみつ)、

清の代表(全権)は李鴻章(りこうしょう)です。」

「あ、また伊藤博文が出てきた。」

「条約の内容を見ましょう。

 まず、朝鮮に対して、清は朝鮮を完全な独立国である、と認める。とした。」

「え?独立国。」

「ほら、さっき、朝鮮は清の属国と清は考えていた、と言ったでしょ。

だから、その関係をなくし、朝鮮と清には何の兄弟(子弟)関係にない、としたの。」

「それって・・つまり、朝鮮はもう清に守ってもらえない、とも取れるんだよね。」

「そうなんだよね。つまり、これは、日本がいつか朝鮮を植民地に、と思っている、ともとれるんだよね。

(その考え方は現代ではいけないものです)」

「うーん。」

「あと、下関条約の内容としては、

日本は清から、

遼東半島(りゃおとんはんとう)、台湾(とそれに付属した島)と、澎湖諸島(ほうこしょとう)を

譲り受けます。

また、賠償金として銀2億テール(当時の日本のお金で約3億1千万円)を清が日本に支払うことを決めます。」

「・・・・」

「これで得た賠償金の一部は、

のちに、北九州に八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)をつくることに使われる。

製鉄所をつくったということは、鉄をつくれるということだから、日本はついに外国から武器を買わず、

自分の国で武器を作ることができる、ということ。・・つまり、これでよけいに日本はだんだんと戦争の世界に

入っていくことになるのです。」

「そうやってつながるのね。」

「で、獲得した領土なのですが、このあと、他の国との関係でいざこざがおこります。

そしてそれによって、日本はもう1つ新たな戦争に乗り出していくのです。」

「そうなの?!」

「うん。ここは、1つ1つの事件がつながっていくから、つながりも一緒に覚えましょう。」

「はい。」

「で、気をつけてほしいのは、

戦争はいけないこと、植民地をつくるのはいけないことは前提に

勉強してね。この時代は、日本が海外に対し、

とても失礼な行動をとり、謝っても謝っても償いきれないことを

していた時代。だけど、この負の歴史を勉強しなければ、未来はつくれない。

二度とこういうことをやらないでおこう、という反省をもって、未来をつくるのだから。」

「はい。わかりました。」

「だから、先生は戦争や植民地政策について説明するけど、

決して、戦争や植民地について良いことだとは

思っていないことを念頭において授業を聞いてね。

そして、君たちも、戦争や植民地政策を良いもだと決して

思わないように。私たちは今、負の歴史を学んでいます。」

「はい!」

ーーーー

続く

 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

作者は平和主義です。

 

 

 

 


歴史模擬授業(第23回 自由民権運動)②-1  

2010年12月17日 23時06分32秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第22回、明治時代②自由民権運動です。詳細は、この前の記事①をご覧ください。

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「では、今日は明治時代の続きを行いましょう。」

「明治初期の改革で、ある程度、ヨーロッパっぽくなっていったんだよね。」

「そうそう。ヨーロッパのような民主主義の国にしようと日本はしていたの。

しかし、まだまだ真の民主主義には程遠かった。

それで、今回は、さらに日本が民主化していく第一歩を行うね。(第二歩目は大正デモクラシーで)」

「はーい。」

「まず、民主主義というものはどういうものか、を簡単に確認していきましょう。」

「うん。よく民主主義という言葉聞くけど、よく考えると何だろう?」

「民主主義とは、簡単に言うと、最終的には国民が中心となって手数決で国の動きを決める、というもの。」

「じゃあ、国民がみんなで集まって、国の動きを決めるの?戦争するかしないか、とか、

   何にお金を使うとか・・話しあったり。」

 

「さすがに、みんながみんな全員で政治をするわけにはいかない。」

「そうだよね。それぞれのお仕事があるわけだから。」

「だから、国民の代表者を選挙で選んで、その人たちに政治をしてもらうんだけど、

その代表者は自分の好き勝手にしていいわけではなくて、

自分を選んでくれた国民のため、国民の意思に

沿った政治をしなければならないの。」

「あ、だから、最終的には国民が中心となった政治だ、ってことね。」

「そういうこと。つまり、代表者を選ぶのが選挙であり、

選ばれた代表者が集まって会議をして国の動きを決めるのを場所(機関)のことを国会と言います。」

「国会ってそういう仕事をする場所だったんだ。」

「さらに、国会と内閣の違いも説明しておくね。」

「内閣も聞いたことある。」

「国会は会議して動きを決めるところで、

その決められた動きに基づいて実際に行動にうつすのが内閣。

その内閣のトップが内閣総理大臣だと思えばいいわよ。

(厳密に言うと、違う点もありますが、ここではこのように説明しました。)」

「はーい。会議→国会、実行→内閣、だと思えばいいんだね。」

「そういうこと。・・ということは、真の民主主義には、国会・内閣というのは欠かせないものだよね。」

「うん。そうだよね。」

「でも、明治初期の民主主義の政治には、国会というものが存在しなかった。」

「ええええ!」

「どういう風に政治をしていたかというと、幕末で活躍した、

長州藩薩摩藩などの一部の藩の出身者が政治家になって、

その人たちで新政府(明治政府)は占められていたの。

このような政治の仕方を藩閥政治(はんばつせいじ)と言います。」

「国民のための政治をしていたとしても、

その政治をできる人は、最初から決まっていたようなものなのね。」

「そういうこと。それだとおかしいでしょ。多くの国民は政治に参加できないんだから。」

「そうだよね。」

「だから、国会を開設しろ!という運動がおこるの。それが、自由民権運動というもの。

で、この自由民権運動をさかんにした1つの原因が、

士族たちの行き場のない状態だったと言われているの。

さて、ではこれからが本番です。

今までは背景を説明したので、

これから時間軸に沿って(一部少し前後するところもありますが・・)説明します。」

「え?士族って、武士のことだよね。」

「うん、そうそう。大名クラスを除く武士たち。

この人たちって、江戸時代までは特権階級だったでしょ。

しかし、四民平等によって、とつぜん職を失った。

農民や商人たちは、もともと身分が低いし、

彼らの仕事そのものは江戸時代とそんなに変わらないけど、

武士は仕事そのものがない。商売を始めようとしても、プライドが邪魔して出来ない。

「ほこり高き我らが商人のまねごとができるか!」という人や、

商売を始めて見ても、おぼっちゃま感覚で行ってしまうので、うまく稼げないとかね。

もちろん、みんながみんなではないけど。

(「三菱」の創始者の岩崎弥太郎さんのように成功している武士たちもいるので)」

「たしかに、士族の人たちにとっては、180度価値観が変わってしまったのでつらいよね。

精神的にも金銭的・生活的にも・・。」

「でしょ。それで、行き場のない士族たちは藩閥政治に対して不満を高め

各地で反乱を次々と起こすようになったの。」

「ふむふむ。」

「ここで、少し視点を変えて、政府内のことを見ていきましょう。

明治政府は、将来の条約改正のために欧米の制度や技術など学ぶことなどを目的に、

使節団を派遣します。

その使節団を、岩倉使節団と言います。

この使節団は、

公家出身の岩倉具視、

長州藩出身の木戸孝允・伊藤博文、薩摩藩の大久保利通などに

よって構成されていました。」

「あ、幕末で活躍した人達がいる。」

「で、この人たちが海外に行っている間に、留守の政府を任せられたのが、

薩摩藩出身の西郷隆盛や、土佐藩出身の板垣退助や、

肥前藩(佐賀)出身の大隈重信(おおくましげのぶ)。

実は西郷たちが、四民平等の実現や徴兵令などを出したの。」

「へー。」

「実は、使節団に行ったか否かが、(結果的&偶然にも)それぞれの未来を変えたの。」

「え?」

「使節団は、西洋のすごさを目の当たりにして、日本はまだまだだ、と感じた。

そして、海外の視察から返ってきた大久保利通たちと、

留守を守っていた西郷隆盛板垣退助との間で意見が対立するの。」

「えええ。」

「何について対立したかというと、当時の朝鮮という国に対して。

当時の日本政府は、朝鮮と国交を開きたいと思い、交渉をしていたんだけど、なかなかうまくいかない。

今までの外交様式とは違っていた日本の開国要求に朝鮮が反発したんだよね。」

「ペリーが来る以前の日本と一緒だよね。」

「そうそう。突然、そう言われても・・と朝鮮も思っちゃうよね。

 なかなか朝鮮とうまく交渉がいかないから、武力を使ってでも朝鮮と国交を結ぼうというする考え方

西郷隆盛板垣退助たちはし始めるの。

そのような武力を用いてでも朝鮮と国交を結ぼう、という考え方

征韓論(せいかんろん)と言います。」

「こわい、考え方だ・・。」

「で、留守の政府をまかされた西郷隆盛板垣退助征韓論を唱えているのに対し、

 外国の視察から返ってきた大久保利通たちが、

「外国との関係より、まずは、日本国内の工業化や、

民主主義の政治や憲法をしっかり作った方が良い。(内治優先論)」と

言って、対立し始める。

そして、結局、征韓論を唱えた西郷隆盛や板垣退助が負けて、彼らは政府を去ります。」

「ほえー。」

「そして、政府を去った板垣退助中心に自由民権運動始まるの。

自由民権運動が始まるきっかけとなったのは、

1874年の民選議院設立建白書(みんせんぎんせつりつけんぱくしょ)を政府に提出したことから。

民選議院とは、国会のことだと思えばいいよ。」

「つまり、国会を設立しろ!と板垣退助が言ったんだね。」

「そういうこと。」

「板垣退助と同じく政府を去った西郷隆盛はどうなったの?」

「では、さっき話した行き場のない士族の話に戻りましょう。」

「戻るんだ。」

「なぜ、このような順番で話したかというと、

ここで西郷と士族が結びつき、大きな事件がおこるからです。」

「え??!!」

「士族は藩閥政治に不満をもって、各地で反乱をしていたよね。

 そんなときに、西郷隆盛が政府を去る。行き場のない士族たちは西郷を頼る。

 西郷だって、今の政府のやり方に不満は持っているわけだし、何よりも、士族たちの気持ちがよくわかる。

 それで、ついに西郷隆盛が中心となって、大規模な士族の反乱がおこるの。

 それが、西南戦争というもの。」

「西郷は武力で政府に訴えたんだね。」

「しかし、西南戦争は政府軍にしずめられます。西郷隆盛は、自決(自害)し、

この西南戦争を最後に士族の反乱はおさまります。」

「幕末には、ともに力を合わせて幕府を倒した人たちの運命が、どんどん変わっていくんだね。」

「そうなのよね。

力を合わせて成功したあとに、だんだんとそれぞれの意見の違いが出てくるのは

どの時代でもあることだけど、それで命を落とす人々が出てくるのはかなしいことだよね・・。」

「そうだよね・・。」

「西南戦争以降、士族たちは武力で反抗しても勝てない、と悟ります。

そこで、言論によって反抗をし、すこしでも自分たちにとって住みやすい世の中にするために、

自由民権運動に加わります。それによって、自由民権運動はどんどん激化します。」

「すべての不満への行き場が自由民権運動に集まったんだね。」

「そういうことだね。

どんどん自由民権運動が激化していったこともあり、

ついに1881年、政府が、10年後に国会を開設することを約束します

(数え年で10年なので、1890年に国会開設)」

「おお!」

「まあ、政府自体も国会はつくるつもりだったんだけど。

ただ、政府自体も国会開設をゆっくりやるか、すぐにやるか、の違いで対立していてね。」

「10年後、ということは、ゆっくりやる、という方で政府の方針が固まったのね。」

「うん。すぐに国会開設を!と言っていた大隈重信が、ゆっくり派の伊藤博文に負けてね。」

「また、対立していたのね・・・。」

「うん。それで大隈重信も政府から去って、民間で動くようになります。」

「へー。」

「政府が、10年後に国会を開くから!と約束したので、

民間では、それに向けて、さまざまな政党を作り始めます。」

「政党って何?」

「同じ政治の考え方を持った人々で集まった団体のことでね。

 一人一人の意見をみんなに示すのって難しいでしょ。

 だから、だれがどの政党に入っているかで、

この人はどういう政治へのビジョンがあるんだろう、ということが

人目でわかるので便利だよね。」

「そうだよね。」

「それに、同じ意見の人たちと一緒に頑張れるのいいよね!

一人じゃできなくても大勢だったら出来ることだってある!」

「そういうこと。」

「で、つくられた有名な政党が2つ。

 1つは、板垣退助がつくった、フランス流の自由党

 もう1つは、大隈重信がつくったイギリス流の立憲改進党。」

「板垣も大隈もどっちも、政府と対立して政府から去った人だね。」

「そうだよん。そうやって、人の名前を丸暗記するだけでなく、

どういう人か、と分けて覚えるのは良いことだよ。」

「えへへ。」

「そして民間が政党をつくっている間に、政府はどうしたか、を見ましょう。」

「はーい。」

「政府は、伊藤博文をドイツ(プロシア)に留学させます。」

「え?なんでドイツ?イギリスやフランスの方が民主主義が進んでいたんだよね?」

「うん。なぜ、ドイツかというと、日本が今後どのような国にしたいか、

でドイツが一番合っていたから。

日本にはあくまで天皇中心の民主主義国家にしたかったの。

そうしたら、同じようにドイツも皇帝を中心といた政治をしていた。」

「へー。」

「政治の一番の基本は、国のきまり、つまり憲法が大切でしょ。

だから、伊藤博文はドイツの憲法も学び、

それを日本での憲法作りに役立てようと思います。

よく入試の記述問題で、

「なぜ伊藤は、ドイツに留学したのか、理由を説明せよ。」というのが出るんだけど

その場合は、「ドイツの憲法は君主権が強かったから。」と書けばいいよ。」

「はーい。」

 

「そして、ドイツからの帰国後の1885年に、内閣制度がつくられて、

初代内閣総理大伊藤博文が就任します。」

「内閣の方が国会より先に出来たんだ・・。」

「うん。今とは逆だよね・・。(今は、国会が内閣総理大臣を決め、選ばれた内閣総理大臣が内閣をつくる)」

「そうだよね。」

「そして、ついに、憲法もつくられ、発布(世間に公表されること)される。

それが、1889年2月11日。憲法の名前は、大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)。」

「おお!」

「大日本帝国憲法の発布の年月日はよく出るから覚えてね。

この大日本帝国憲法の発布によって、

日本はアジアで初めての立憲君主国(憲法によって政治を行う国のこと)となります。」

「おおお!」

「ただ、この憲法は、主権(国の政治を動かす中心の力)は天皇にあって、

天皇は大きな権限をもっているので、

完全なる民主主義とは言い難かったんだよね・・。」

「んー、でも一歩前進なのはいいことだね。」

「たしかにそうだよね。1つ1つ進んでいけばいいんだもんね。

それに当時の日本には天皇という存在は大きなものだったろうしね。」

「そして、ついに1890年に、みんなが待ち望んでいた国会がついに開設されます。

当時は国会と言わず、帝国議会と言います。

帝国議会は2つに分かれます。貴族院衆議院の2つ。

貴族院は、貴族・華族などから選ばれ、国民が選挙で選べませんでした。

国民が選挙で選べたのは衆議院のみ。

衆議院の選挙権(代表者を選べる選挙を行える権利)は、

直接国税15円以上納める満25歳以上の男子です。

この条件はよく記述問題ででるから、しっかり覚えましょう。」

「直接国税って何?」

「直接国税とは、地租とか所得税(財産によって払う税金)のことで、

直接国税15円というのは当時としてはすっごく高い!

だかた、選挙権を持つことができた国民は、全人口の約1、1%しかいなかった。」

「えー!そんなに少ないの?!」

「結局、身分がなくても、お金がなければ選挙できないじゃん!」

「うん、だから、またこれに反対して、運動がおこるの、それが大正時代です。」

「ほえー。そうつながるのね。」

「女性も選挙権がないんだよね・・。」

「そうなんだよね!だから、このころはいかに女性差別がひどかったか、がわかるよね。

それが、また大正時代につながる。」

「大正時代が楽しみになってきた!」

「ではでは今日はここまで!

今回は、色々とごたごたしてたけど、

政府の動き、政府内の対立で政府に残った人・去った人、民間の動き、と分けて、時間軸を見ながら

覚えると良いよ。上の表も活用してみてね。」

「はーい。」

 

「ではでは終わります。起立・礼!」

ーー

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第23回 自由民権運動)①  

2010年12月17日 23時04分56秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業です。

予定がどんどん遅くなってしまい、申し訳ありません。

今回は明治時代②自由民権運動です。

明治時代は内容が濃いので、4つに分けていきたいと思います。

1:戊辰戦争と明治の改革

2: 自由民権運動

3:条約改正と日清・日露戦争

4:文明開化と明治時代の文学・医学

となります。

今回の自由民権運動は、少し独自のまとめ方をしているため、

もしわかりずらかったらもうしわけありません。

文字数の関係で(10000字以上を超えるとPC動作が鈍くなる)

さらに細かくに分けてアップしたいと思います。


ーーーーーーーーーーーー




「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


天橋立に行ってきました(かなり前の話ですが・・)

2010年12月17日 12時14分50秒 | おすすめ☆歴史スポット

昨日も500以上のアクセスありがとうございます♪

訪問者数では、

 

7433位に入ることができました。7000位代なんて、かなりひさしぶりなのでは♪

そういえば、かなり前のこと(数ヶ月ぐらい前?)のことですが

日本三景の1つ、天橋立(あまのはしだて)に行ってきました!

旦那が一度行ってみたい!というので(私も社会の先生として、一度行ってみたかったんです。)

 

 すっごく楽しかったです。

他では見ない、形、美しさ。

たしかに、この地形が神話になるのはわかる気がしました。

(日本神話で、神によって、この天橋立の地形ができた、

と言われています。)

中を歩くとこんな感じです。↓

夏には海水浴場になるとか。天橋立で海水浴とはぜいたくな!

こちらにも羽衣伝説があるようで、ゆかりの松も見ることができました。

 

また、天橋立のちかくに、籠神社(このじんじゃ)という神社があるのですが、

そちらは元伊勢神社です。

元伊勢神社とは、現在の三重県に伊勢神宮が移るまえに、

転々としていた伊勢神宮の前身の神社です。

都だけでなく神宮も何回か昔は移っていたんですね。

いくつか元伊勢神社はあるのですが、

私ははじめて元伊勢系に行ったので、うれしかったです。

籠神社は、浦島太郎伝説ゆかりの場所でもあります。

たしかに、まわりの地形や雰囲気を見ていると、

浦島太郎がいてもおかしくない!って感じでした。

 

天橋立は、交通の便があまり良くないので、なかなか行きづらいですが、

一見の価値あり!の場所なので、社会の勉強としてでなく観光とて、

おすすめしたい場所の1つです。

 


歴史模擬授業(第22回 明治①戊辰戦争と明治の改革)③ 資料  

2010年12月16日 13時55分12秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業の明治時代①資料を作りましたので、アップさせていただきます。

こちらの明治初期の改革は、自分なりに独自にまとめたものです。

 

江戸時代の身分と、四民平等によ新しい身分の見わけ用に作成いたしました。


歴史模擬授業(第22回 明治①戊辰戦争と明治の改革)②-2  

2010年12月15日 16時17分48秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第22回明治時代①の続きです。(詳細は、①の記事をご覧ください)

 

※2014年9月に、一部の単語(「士農工商」)の削除、文章の改訂を行いました。

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「では、先ほどを続きをば。」

「明治時代の改革だね。」

「そうそう。新政府(明治政府)は、

民主主義の政治×強い軍隊×工業の発展×財政の安定

というビジョンを持って行動したと言ったね。」

「はい。それで最初に行ったことが、五箇条の御誓文を発表したことだってね。」

「そうそう♪

では、今日は、民主主義の政治×強い軍隊×工業の発展×財政の安定、にすべく行う

具体的な改革を見ていきます。」

「はい。」

「まずは、長く続いた幕府(将軍)と藩(大名)の関係を崩し、

天皇中心にしていく必要があります。

天皇を中心とした国民、という形にして民主化を行うので。

だから、それまで力を持っていた人々から力を奪わなければならない・・。」

「たしかに・・・。」

「江戸時代までは、将軍は大名をまとめ、大名がそれぞれの領地を持ち、

その領地にすむ住民を支配していたの。今でいう地方自治の完全バージョンなのよね。」

「そうすると、ほとんどの土地と国民(住民)をそれぞれの大名が支配していたんだね。」

「そういうこと。だから、土地と国民(住民)をすべて天皇に集中させたいと考えたの。

それで、もともと奈良時代の墾田永年私財法が出される前までは、

土地と人民はぜんぶ天皇のもの(公地公民)だったでしょ、だから幕府が政権を返したように、

大名も長年借りていた土地と人民を天皇に返しましょう!と言いだすの。」

「すっごい長い借りだったなぁ。」

「そのように、大名にその土地(版)と人民(籍)を天皇に返すようにさせたことを

版籍奉還(はんせきほうかん)と言います。

版(土地)と籍(人民)を返したから、版籍奉還といいます。

奉還とは、天皇に借りていたものをお返ししするときに使われる言葉です。」

「あ、だから大政奉還も奉還を使うのね。大政(政権)を天皇に返したから。」

「戸籍って、一人一人の国民の情報のことを言うから、籍というのが人民を指すんだね。」

「そうそう。

このように言葉そのものを丸暗記するのではなく、言葉の意味を理解すると忘れないから、

意味も考えて覚えましょう。」

「はーい。天皇に返す系の話なら奉還という文字を使うんだ、と予想して解くこともできるもんね。」

「そうそう。では、版籍奉還を行ったあとに、今度は廃藩置県というのを行います。」

「藩を廃して、県を置く?」

「そうそう。漢字の意味を考えるのは良い傾向だね。」

「えへへ。」

「まさにぴよちゃんが言うとおり、その通りなんです。

藩をすべて廃止して(なくして)、新たに全国を府県に分けます。

これは藩から府県に、いう名前がかわっただけでなく、地方の支配の仕方が変わったのです。

今までは、大名がそれぞれの藩を支配していたでしょ、それを、府県では、政府の任命した長官を

全国に置いてそれぞれの府民(県民)を支配するようにさせたの。」

「あ、そっか、それで、天皇を中心とする政府が、間接的に地方(府県)も支配できるんだね。」

「そういうこと!廃藩置県によって、政府の方針に基づく政治ができるようになったのよ。」

「ほえー。」

「1869年の版籍奉還と、1871年の廃藩置県の2つの政策をもって、

日本は、中央集権国家になります。」

「中央集権国家って何か聞いたことがある・・。」

「実は飛鳥時代にも習っているんだよね。たしか大化の改新あたり。」

「あ、思い出した!中央集権国家って天皇を中心とした国家だ。」

「そうそう。」

「つまり、この明治時代の改革って、飛鳥時代の大化の改新に似てるんだね。

どっちも、公地公民の考えを持った中央集権国家にした、という点で。

「そうなんだよね。つまり、この2つの時代って、

どっちも、外国から馬鹿にされていた時代で

「下手すれば外国の支配にさらされるかも・・。」と思う危険性が高かった時代なんだよね。」

「たしかに!飛鳥時代以前ってさ、中国から日本は1つ下に見られてたんだよね。

聖徳太子が、隋の皇帝に「日出づるところの天子・・」という国書を書いたことから、

隋に、「我が国(隋)と同等のつもりでどういうつもりだ!」と怒られたんだもんね。」

「大化の改新をおこして後に天皇になった天智天皇のころ、

白村江(はくすきのえ)の戦いで日本が負けたから、

日本は唐に攻められるかも・・という恐怖におののいてもいたんだしね。

「そうそう。よく細かいことまで覚えているね!えらいぞ!

つまり、それって、同じような状況下に置かれたら、歴史は繰り返すってことなのよ。」

「ほえー。だから先生がいつも言っているように、歴史を学ぶことで未来に役立つんだよね♪」

「そうそう。今の日本は、平安中期や江戸中期に似ているな~と思うので、

またいつか、源平合戦や幕末などの動乱がおこる可能性もあると思うと、少々怖いわ。

だから、それがいつおこるかわからないから、私たちは歴史を学んで、少しでも明るい未来を

つくっていかなければいけないと思うのね。」

「そうだよね!歴史は未来をつくる究極のマニュアルだね!」

「そうそう。では、話を本題に戻すね。

版籍奉還と廃藩置県により中央集権化に成功した日本。

そのあとは、江戸時代のころの厳しい身分制度を廃して、すべての人間が苗字を名乗ったり、

職業も自由に選べることができるようになった

そのことを四民平等と言います。」

「自由になったんだね!民主主義の第一歩だ!」

「そういうこと。でも、結局、新しい身分が置かれただけとも言われているの。

 公家(貴族)や大名だった人たちは華族、武士を士族、百姓や町人などの人々を平民としたの。」

 

「四民平等によって身分差は残ったものの、一応職業や行動は誰でも自由に選べることになったのよね。

そうすれば、戦争をするという職業を独占していた武士から戦争する権利を奪い、

だれでも戦争する権利を得たとも取れるでしょ。」

「うん。ただ、戦争する権利って良いものかどうか・・。」

「戦争はいけません。

ただ、当時の状況下では、戦争をすること・兵士を常に持っていることが、

強い国になることに必須ものものだったからね。」

「そうだよね。」

「そこで、四民平等によって、武士に軍隊を占領されず、国民全員で軍隊をつくれ!ということになり、

国民全員が軍隊になるという、徴兵令(ちょうへいれい)を政府は出します。

ただし、国民全員が軍隊に、と言っても、一生すべての人が軍人に、というわけではなく、

一定の条件の人々が3年間兵役(兵隊・軍人になる役目)を負うということになります。

兵役の義務の条件は、満20歳以上の男子、です。この条件は良く出るから覚えておきましょう。」

「はーい。」

「ちなみに、あまり出ないんですが、この徴兵令を中心に推し進めていたのは、

長州藩出身の山県有朋(やまがたありとも)です。

また、徴兵令の兵役の義務から逃れてられる人もいた。

たとえば、戸主やあととり(おもに長男)、

一定のお金を納めた者など。

これも、選択問題ででることがあるので、覚えておくと良いんだけど、

一個一個覚えるというよりは、

お金のあるものや当時の家族の中心人物だと思っておけば問題は解けるよ。」

「予想して解くんだね。」

「そういうこと!では次にいくね。

今度はお金のこと。

どんなに人が優秀でも、道具・武器などのアイテムや、そのアイテムをつくるのにお金がいる。

そこで、今までは年貢という年によって量がかわる税システムをから、

お金を税として取るというシステムに変えます。それを地租改正と言います。」 

「年貢(米)だと、不作・豊作によって変わっちゃうんもんね。」

「そうそう。それで政府の収入を安定させるために出した地租改正では、

地価(土地の値段)を決め、その地価の3%を現金で納めるようにさせたの

この地租改正での税の条件はよく入試で記述問題で出るから覚えておきましょう。」

「はーい。」

「租って米の税のことだったよね。(飛鳥時代)

だから、その地の租を改正したから地租改正というのかな(予想)。」

「ではでは、次。モノをつくることも必要だと話したね。

そこで工場で機械を使って物をつくることになりました。」

「うん。そうじゃないと、強い国日本になれないもんね。」

「そうそうそれで、政府は産業を発展させるために、外国から機械を買い、外国人技師を招き、

政府主導の工場をつくります。紡績(ぼうせき:糸をつむぐ)や造船・兵器などの工場を。

政府主導の工場とは簡単にいえば国立の工場ね。そのような工場のことを、官営工場と言います。

官営工場の代表例が群馬県にある富岡製糸場(とみおかせいしじょう)があります。」

「製糸ということは、糸を紡ぐ、つまり紡績の工場ね。」

「そういうこと。富岡製糸場はよく入試に出るので覚えておきましょう。」

「はーい。」

「このように、徴兵令・地租改正・官営工場をつくるなどの政策は、

ある一定のスローガン(目標)によって

行われているので、そのスローガンも覚えましょう。

それが、富国強兵(ふこくひょうへい)と殖産興業(しょくさんこうぎょう)。」

「漢字で見る限り、富国とは国が富むことからお金を得るということで地租改正のことを

主に指しているのかな?強兵は強い兵隊ってことだから、徴兵令?」

「殖産興業は難しいけど・・。」

「殖産とは、生産物を増やし産業をさかんしすること、興業とは、新たに事業をおこすことです。」

「あ、つまり官営工場をつくった方ね。」

「そういうこと。よく、殖産工業と、興を工と書き間違えることがあるから気をつけてね!

あと、言葉だけ覚えて、政策は?と聞かれているのに、

スローガンの殖産興業や富国強兵をこたえる子も

いるので気をつけてね!」

「はーい。」

 「これで、民主主義の政治×強い軍隊×工業の発展×財政の安定 はほぼ成し遂げたのよ。

ただ、まだヨーロッパの見よう見まねで行っただけなので、まだまだ定着はしていないので、

このあと、何段階かかけて、日本の民主主義や工業の発展をしていきます。

それは明治時代の後半から大正時代にかけて習うのでお楽しみにね!」

「政策を始めたからすぐにモノになるわけではないんだね。」

「これは勉強も一緒ね。テスト前に一生懸命勉強したのに結果が良くなかった。

もう勉強なんてやるだけ馬鹿だし、という人がいるけど、

結果が出るには三か月ごろから、成功するには3年以上、

新たなものを作るには5年以上かかると言われているので、

すぐの成功を求めないようにしましょう。」

「だから、受験までに3年間は勉強しないといけなくて、

受験生のときだけ一生懸命勉強してもなかなか成績があがらないのね。」

「もちろん、受験生のときだけでも勉強すればある程度は伸びるから

あきらめずに頑張ってほしいけど、理想的なのは3年間ずっと頑張ることかな?」

「はーい。今回は色々と人生について学んだ気がする。」

「そう思ってもらえうと先生もうれしいよ。

テストに出ることだけ教えてほしいと言われるとかんさいいもので・・。」

「横道ばかりにそれている授業なら、教科書(テキスト)に書いてあることを教えてほしい、

とも思うけど、教科書の内容に即したことだったら、私はうれしいな。」

「ありがとうね!先生もがんばるね!では、今日はここまで。起立・礼。」

「ありがとうございました!」

ーーーーー

 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第22回 明治 明治の改革)②-1  

2010年12月15日 14時26分47秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第22回 明治の改革の第1回です。

詳細はこの前の記事をご覧頂くようお願いいたします。

※こちらで博物館「明治村」さんの話題が出ていますが、「明治村」さんおよびその関係者の方々とは私は一切関係ありません。関係者の方々に不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。

ーーーーーーーーーーーー

「さて、今日からは明治時代だよ。」

「明治って、好き!

私の実家の近くに明治時代の建物がたくさんあるテーマパークがあったりして、

身近に感じるんだ!」

「愛知県の犬山にある「明治村」のことね。

あそこは、明治時代の本物の建物がたくさんあるし、

明治時代の衣装も着れたり、明治時代にゆかりのある食べ物を食べたりもできるから楽しいよね。」

「うん。ぼくも社会見学で行ったことがあって、たのしかった。

旧帝国ホテルはかっこよかったよ!」

「そうね。先生もあそこは好きよ。名古屋からも行きやすいしね。」

「色々と楽しいよね。」

「では、明治時代を始めましょう!」

「はーい。」

「明治を始める前に、この前の復習にいきましょう。」

大政奉還・王政復古の大号令幕府は滅んだだよね。」

「そうそう。そのあと、徳川氏に領地なども全て返すよう新政府は言ってきたの。

天皇を中心としてつくられた新政府に対し、

旧幕府側がそれに反発をして反撃するようになったの。

その反撃(反乱)を総称して戊辰戦争と言ったね。」

「うん。そこまで習ったね。」

「では今日は、この戊辰戦争(ぼしんせんそう)を詳しく見ることから始めます。」

「はーい。」

「戊辰戦争の一番初めは、鳥羽・伏見の戦いです。」

「伏見ってことは名古屋?栄と名古屋駅の近くにある伏見?鳥羽は三重県の?」

「愛知県民(とく名古屋市民)はよく間違えるんだけど、

この戦いでの鳥羽と伏見はどちらも京都だよ。」

「そうなんだ!同じ地名なだけなのね。」

「よく考えればそうだよね。朝廷があるのが京都なんだからね・・。」

「旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いで負けて、元将軍の徳川慶喜は江戸に逃れます。」

「江戸は、江戸幕府の本拠地だからね。」

「そうしたら新政府軍は、慶喜を敵とみなし、江戸の方に向かいます。」

「あわわ。それじゃあ、戦争がおこってしまうじゃないか!」

「だめだよ!なんのために、大政奉還をして内乱を防いだの!ってことになっちゃう。」

「だよね。だから、江戸城に立てこもった徳川慶喜は苦渋の決断をします。

戦わずして江戸城を開城(つまり、それは降伏を意味する)したのです。」

「おおおお!」

「このことを、江戸の無血開城(江戸城無血開城)と言います。」

「開城する際に戦争しなかったら、血がながれなかったから無血なのね。」

「そうそう。この無血開城をする際に、新政府と旧幕府軍は話しあいをし、

それによって無血開城に成功するのです。

新政府の代表は薩摩藩の西郷隆盛、旧幕府軍の代表は勝海舟(かつかいしゅう)という人物です。

勝海舟はあまり入試では出ないんだけど、難関校だと選択問題で出ることがあるから、

覚えておきましょ。」

「はい。」

「徳川慶喜は無血開城をしたが、旧幕府の人々はあきらめない。

それでも、まだ戦う。しかし、負ける。

だんだんと逃げて、最後は北海道の函館まで追い詰められます。」

「北海道まで・・。」

「そして、その函館の、五稜郭(ごりょうかく)の戦い最後に戊辰戦争は終わります。

旧幕府は新政府によって負けたのです。(1868年)」

「ほえー。」

 

 

「戊辰戦争をしながら、そして戊辰戦争が終わってからも、

新政府は続々と改革を行っていきます。

では次は新政府のさまざまな改革を見ていましょう。」

「はい。」

「まず、新政府はどのような日本をつくっていったかのビジョンを考えましょう。

ビジョンにそって改革を見ていると、その改革に関連性があって理解しやすく忘れないから。」

「用語だけ覚えていてもすぐわすれてしょうがないもんね。」

「そうそう。新政府は、不平等条約を撤廃(てっぱい:なくすこと)したい、

そのためにも、ヨーロッパの植民地にならない強い日本をつくっていこう!

というビジョンがあったのです。」

「不平等条約って日米修好通商条約のことだね。治外法権を認め、関税自主権がない、という。」

「そうそう。じゃあ、どうすればいいか?と考え・・・

日本もイギリスやフランスなどのヨーロッパみたいに

なっちゃえばいいんだよ!と日本は思ったの。」

「そういえば、当時のヨーロッパは民主主義至上主義だったよね。」

「そうそう!だから日本も民主主義の政治にしよう!と思ったわけよ。

民主主義というのは、身分によって職業などの生き方が制限されず、

誰でも努力と運さえあればなりたいものになれる、という考え方。

(公民で言うと、国民主権と基本的人権を基本とした政治の在り方のこと)」

「へー。江戸時代とは180度違うね。」

「あと、ヨーロッパは軍隊が強いでしょ。

それはなぜかと言ったら、民主主義の考え方に基づいて身分に関係なく戦う軍隊がいたわけで、

また武器もしっかりしたものだし、

その武器をつくるには安定したお金が必要で・・、とね。」

「ほー。」

「まとめると、

民主主義の政治×強い軍隊×工業の発展×財政の安定

をした日本にしていこうというビジョン

だったわけよ。(注意:作者独自のまとめかたです)」

「うんうん。そうしたらヨーロッパっぽくなって不平等条約も撤廃できるもんね。」

「ではでは、ここからが本題です。

まずは、国民に新しい新政府(明治政府)の方針を示す必要があるよね。」

「そうだよね。国民からしたら、

幕府から突然、天皇を中心とした新政府(明治政府)に変わったんだもんね。

新政府が何を考えているのかわからないとね。」

「1868年に、天皇(明治天皇)が、に誓う形で、新しい政治の方針を示したの。

それを、五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)と言います。」

「天皇が神に誓う形で、というのが日本らしいね。」

「いくらヨーロッパっぽくといったって、日本らしさを抜くことはできないからね。」

「五箇条の御誓文では、政治をする際に会議を開いてみんなの意見を聞いて決めます、

という民主主義の基本原理を書いています。」

「民主主義の国、日本にする気満々だね。」

「そうだよね。でも、一般庶民に対しては、江戸時代と変わらない厳しい制限をします。

榜の掲示(ごぼうのけいじ)と言います。反乱やキリスト教などを禁止するなど。」

「なかなか、簡単にはいかないよね。」

「あと、元号を明治にします。

そして平安時代以降の久々の遷都をします。

江戸に遷都をして、江戸を東京と定めます。」

「そうか、だから東京というのね。東の京(京:天皇のいらっしゃる場所)だから東京なんだ。」

「おそらくね♪

   このように政治や社会の体制を改革したことを明治維新と言います。」

「ほえー。」

「では、次回はさらに色々と細かく改革をみていきましょう。」

「はーい。」

ーーーーーーーーーーー

続く。(文字数の関係でもう1つ記事をつくります。)

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 


歴史模擬授業(第22回 明治①戊辰戦争と明治の改革)①  

2010年12月15日 14時23分17秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業です。

予定がどんどん遅くなってしまい、申し訳ありません。

今回は明治時代です。

明治時代は内容が濃いので、4つに分けていきたいと思います。

1:戊辰戦争と明治の改革

2: 自由民権運動

3:条約改正と日清・日露戦争

4:文明開化と明治時代の文学・医学

となります。

文字数の関係で(10000字以上を超えるとPC動作が鈍くなる)

さらに細かくに分けてアップしたいと思います。


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「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。