社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が
勉強方法や社会科について書いています。
歴史模擬授業も展開中♪

私の理想を書いた「歴史模擬授業」

2018年06月09日 16時04分02秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識
昨日はアクセス数が3000超え!!
3000超えは初めてなので、とんでもなく嬉しいです。ありがとうございます。


閲覧ページが多い、歴史模擬授業。
私にとっては、歴史模擬授業の内容は、私がやりたかった授業の形です。


でも実際に塾で授業すると
「簡単に暗記できるような授業して!ゴロあわせゴロあわせ!」とか
「そんなに詳しく説明しないで!
なんとなく空気の流れだけでいいから!」のクレームが多くて。

最近まで「私は、わからない、疑問に思ったことがあると頭に何も入ってこない。用語一つ一つにカテゴライズして、似た用語は詳しくわけ、歴史人物も可能なかぎり、プロファイリング(心理分析)しないと、理解できないし、理解できないと覚えられなかった。なのに、なんで、多くの人は、なんの疑問ももたず、なんとなく覚えてそれで満足なの?」と不思議でした。


でも今は、
発達障害(私の場合は自閉症スペクトラム)とIQ数値の問題もだったんですね。

疑問があるとたちどまってしまう、こだわり、カテゴライズは自閉症スペクトラムのため、だから、なんとなく、では覚えられない。


そして、IQが高くなるほど論理的思考を好むため、矛盾点が許せなかったんですね。
ただ、私はIQ120程度なので、天才的なひらめきはないため、中途半端な論理的思考でかえって苦しかったのかもしれません。



そりゃ、IQ100×定型発達者が大多数の学校や塾で、私の授業形式は人気出るわけはありません。

でも、一部の生徒さんには
熱狂的に人気があり
私の授業を楽しみに塾に来る子も
いたんですよね。
もしかしたら、IQが私と近い子だったり、ASD、ADHDの子だったのかもしれません。
もちろん、そうじゃない子もいたと思います。


私の授業は、要らない子にはいらない。でも、必要な子には、唯一無二のものだった。
そう思うことにしました。

こちらのブログも、一般的でないから、と落ち込まず、自分の授業形式を必要としてくれる方のためにがんばりたいなぁ、と思います。

「社会は暗記もの」という人は社会は得意?

2014年06月15日 22時23分36秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

 

毎日、たくさんのアクセスをありがとうございます。

先日、再編集してアップした記事が、「日本ブログ村」さんの方でジャンル別でランクインでき、うれしいです。

みなさま、ありがとうございます。

 

先日、たまたま

 

「社会はどうすれば点数とれるんだろう?」

と質問する人に対し、

 

「社会は暗記ものだから、とにかく勉強すればいい」

という言葉を聞く機会があって、

 

 

「ちがう!」と言いたかったのですが、

私が意見を挟む立場でもなかったので、

だまっていた、という事件(?)がありました。

 

 

「社会は暗記もの」ではないです!

 

たしかに「暗記」すべき部分はあります。

用語を覚えることは「暗記」ですから。

 

でも、それって、他の教科でも言えますよね?

 

たとえば、数学でも、「公式」は「暗記」しないといけません。

でも、その際にただ「公式」を「暗記」しては意味がありません。

「どういう状況」で使うのか、「その公式の意味は何なのか?」を理解していないといけません。

 

「社会」の「暗記」だって、同じことなんです!!!

「用語」を「暗記」する際に、

「どういうジャンル・カテゴリーの言葉なのか?(場所なのか、事件なのか、人名なのか?など)」

「その用語の意味はわかっているのか?(たとえば、人名だったら何をやった人なのか?事件ならどういう事件なのか?)」

等を理解していなければならないのです。

 

 

「暗記」は手段の1部であって、「目的」ではありません。

 

「暗記」の下地には、必ず「理解」が必要になります。

 

 

 

また「社会は暗記もの」と言っている方で、実際に、社会を得意とする人は少ないです

 

なぜなら、ただ「丸暗記」をしようとしているから、

そして、点数が取れないときは、

「もっと、効率のよい暗記方法があるかもしれない」とか楽な方法ばかりに目がいったり、

「いや、もっと勉強していれば点数はとれるから!」という自分の現状から目をそらしていることも多いです。

 

もちろん、「暗記物」と言っている人の中でも社会は得意な人もいます。

「暗記物」と思っている社会の先生だっています。

 

しかし、そのような人たちのほとんどは、実際には「理解」したうえで「暗記」しているのです

 

彼らは「理解」しているのに、無意識に「理解」しているから、

それは誰でも出来ていることだと誤解してます。

それで、彼らは、「暗記」をするときだけ努力しているので、

その「暗記」部分を強調してしまうのかな?と思います。

(あくまで、私の推測なので、間違っていたらすみません)

 

 

・・・ということで、「社会は理解した上での暗記物」というのが正しいです♪

 

 

 

 

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霊感がある生徒さんへの対応について

2014年02月21日 23時23分51秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

5年以上前に書き,数年前に削除した記事なんですが,

今回の精神的に不安定になった経験から

この記事をもう1度アップしなおそう,と思いました。

ではでは,過去の記事を再編集します。

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もう5年以上前のことなんですが,徒対応で考えさせらえれたことがあります。

 

ある同僚の先生と話していて、目からうろこが落ちろうようなお話をお聞きしました。

 

その先生の受け持ちの子に,自称霊感生徒がいるそうです。

その子は、こういう霊体験をした!と言ってみんなの注目をあつめたいタイプではなく、

よほど心を許した相手にしか霊体験の話題はしないそうです。

 

その先生に、その子はすごく懐いてて、担当をして何年もたったときに、そういうお話をしたそうです。

 

そのとき先生は、「霊なんていない!」と完全否定もせず

かと言って、「霊がいる」という過剰反応もせず

淡々とその子の話を聞いてたそうです

 

それがかえって、その子によかったらしく、霊関係で嫌なことがあると、その先生に話していたそうです。

その先生がその話をされているときに、私に言ったことに、私は驚きました。

 

 

霊がいるかいないかなんて、関係ないのよ。

その子が、霊がいる・・と言った行為が大切なの。

結局、霊が見えて落ち着かない、ということをその子は言いたいわけよ。

よく「霊がみえて・・」という方に集中する人が多いみたいだけれど、

「落ち着かない」という意見が実は大切なのよ

 

霊が見えるか見えないかは、本人に霊感がなければ見えないし、

本当にいるかは永遠にわからないから、それを論じても教育的にはむなしいもの。

 

でもその子が落ち着かない!という状況は真実なのよ。

だから、その子の言っていることをちゃんと聞いて、

落ち着かないのなら、どのように解決するかを考えるべきじゃない?」

 

と・・。

 

 

その話を聞いてそうだな~と私は感動しました。

本当に、彼が霊が見えているのなら人に聞いてもらえるだけで心が安らぐし、

霊ではない別の何かで落ち着かないのなら、

先生と話した解決方法(たとえば,霊が見えても,あまり気にしないようにする,など)で解決することだってあるのです。

(また、霊がいるとウソを言って注目を集めたいような子だったら、

別のやり方で注目を集めることに先生は協力してやればいいんだから。

学力向上とか、見た目の良さを向上させるとか、するとよいのでは?と言われました。)

 

それに、何と言っても

先生に自分の言ったことを認めてもらえた

というのが生徒にはすごくうれしいはずです

 

 

その先生は、その子の存在を認めたということなのです

 

 

先生という職業の人ははどうしても、

自分がつくった枠組みに収まる生徒だけを認め、

それ以外の生徒は「悪」「落ちこぼれ」とみなしがちです。

 

しかし、その先生はどんな子でも認めてくれるのです。

しかも、そのときに社会の一員としてどうしていけばいいかもアドバイスしてくれます。

 

かくゆう、私もその先生に存在を認めてもらって成長できた生徒の1人でした。

 

社会の枠組みに入ることは大切ですが、

ともかく他人と同じであることを1番として自分がどういうものかよくわからないまま社会の枠組みの中で生きることと、

他人とは違う能力を認めつつ社会の構造も理解した上で社会の枠組みに入って生きる、ことでは

大人になってからの成長の具合が変わってくると思います。

いろいろ考えさせられるお話でした。

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 以上が,過去に書いた記事です。

なぜ,私がこの記事を再アップしたかというと,

私は霊感はないけれど,先日まで,とにかく「電池の液漏れ」が怖かったことが関係しています。

他人からしたら,「電池の液漏れ」なんて気にするほどのことがないバカバカしいことでしょう。

なので,「気にするな!」とか,電池の液漏れの事実,などをよく説教されました。

私だって,論理的には分かっているんです,そんなに気にしなくていいことは。

 

でも,どうしても怖かったんです。

 

「とりあえず,電池の液漏れが怖い」ことを認めてもらえ,

なぜ,そうなったか?そしてその解決方法を一緒に考えてもらえたことで,やっと落ち着きました。

(詳しいことは,「自分の考えを肯定してもらうことで・・」の記事で)

 

今回は,私は助けてもらった方です。

 

でも,いつか,助ける側になりたいです。

 

人によって,「霊がみえる」「普通は怖くないものがとても怖くなった」など色々な状態があると思いますが,

その子が,なぜそうなったか?なぜ私にそれを告白したのか?などを考え,その子の気持ちを肯定してあげたいと思います。

 

 

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「塾講師になって覆った価値観」シリーズ 第2回「生徒をやる気にさせる方法は?」

2014年01月12日 22時22分25秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

更新が止まっていたシリーズ

「塾講師や家庭教師になったあとで自分の価値観が絶対じゃないんだ!と痛感したこと」

をまたシリーズ再開したいと思います

 

自分の価値観や生き方以外を認めない講師(教師)もいます。

時にはそのような塾講師(教師)が生徒からはかっこよく見えることもあるのですが,

それはその生徒の価値観とその塾講師(教師)の価値観が似ているときだけで,

それでないと,その塾講師に生徒は押しつぶされることもあります。

 

私も大学生のときの塾講師バイトとときや,塾講師(正社員)1年目は,

自分の価値観を押し付けてしまって,それにより生徒さんと溝ができてしまったことがありました。

 

生徒さんには,いろんな家庭事情・価値観があります。

それを理解したうえで,授業・生徒対応をするのが大切だと思います。

 

 

第2回は,「自分がどのようにしてやる気になったか?」です。

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「塾講師になって覆った価値観」シリーズ

第2回 「生徒をやる気にさせるには?」

 

 「生徒に勉強にやる気を持たせ,成績をあげ,志望校に合格させる」

ーこれが,塾講師の仕事の中で最重要な使命の1つだと思います。

 

どれだけわかりやすく講師が教えても,生徒さんがやる気がなければ,成績はあがりません。

 

では,生徒さんに「やる気」を出させるにはどうすればいいか?

 

これって,すっごく難しいことなんです

 

1年目のとき,これが一番苦労しました。

 

ドラマのように,

「先生のある1つの言葉で感銘を受けて,生徒がかわった!」とか

「先生の熱意が,クラスの雰囲気を変えた!」とか

そんなに頻繁におこるものではないと・・。

 

でも,塾講師になった人の中には,その塾に入ったときに先生の言葉に感銘を受け,

やる気を出し,それで成績があがって・・・という経験のある人も多いと思います。

 

実際に私がそうでした。

 

私の場合,中学に入って母に教えてもらって,成績があがったのですが,

高3の塾での夏期講習で,初めて受けた世界史の先生の授業で

「歴史は地図を見ながら勉強すればすんなり流れが理解できる!」という

1声で,今までの社会の勉強方法を180度変え,一気に世界史の成績があがり,社会の塾講師になり

現在,世界史フリークになり・・,と。

 

だから,塾講師になったとき,あのときのような感動を生徒さんに与えたい!と思い,

「社会とはこういうものだ!」と最初の授業で話したのですが,

多くの生徒さんは「しらー」という態度でした。

「それよりも問題演習をはやくしてよ!」という意見も出されました。(私に直接,ではく,校舎長に,ですが。)

 

1年目は,生徒さんにやる気を出させるにはどうすればいいか?がすごく悩みでした。

 

校舎長に,「生徒に怒れ!」「厳しい態度をしろ!」「たくさん問題をやらせて,成績をあげて,それでやる気にさせろ!」と

毎日のように怒られました。

 

最初は,長年,塾講師を勤めてきた校舎長のことばを信じ,彼の言うとおりの指導もしたのですが,

自分が納得していない指導方法のせいもあり,ことごとく失敗

怒っても,心の底から怒っていない,まねごとの「怒り」だったから,生徒さんに見透かされ,

かえって「怒るしぐさ」をしても,バカにされ・・・。

「くすくす」と笑ったり,生徒同士で目を合わせて私をバカにした目で笑ったり・・・。

小5のときに,私をいじめた同級生と彼らは同じ表情をしていました。

 

それでも,「生徒に怒らない,と,校舎長に怒られる」という恐怖感と,

「怒ることがやる気につながる」という指導方法を信じ,1年間はそれを貫きました。

 

・・・しかし,1年目の入試結果は,今思い返しても,生徒さんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

中3の生徒さんは第一志望校に受かった子が多かったのですが,

入試近くになると私の授業をボイコットする子もいて,

「授業料を払っているのに,それが無駄になってしまう。私の授業が彼らには邪魔だったのね・・。」とショックでした。

 

小6(私立中受験生)は,私の授業をボイコットをする子はいなかったですが,

私の授業をまじめに聞かない子も多く・・。

そういう態度の子のほとんどは,第一志望校に受かりませんでした。

 

私の授業がいたらないばかりに・・,怒ることが上手にできなかったために・・,

と,とても自分を責めました。

 

また,私のことを信じて,授業を聞いてくれた生徒さんの1人A君が,確実に受かるはずであった学校に落ちてしまったこと,

私としてはとてもショックでした。

 

しかし,その生徒さんが志望校に落ちたとき校舎長が言った言葉で,

私は,自分が間違っていたことに気がつきました

 

「今回は,君たち(私と,私と同じ新人の子)が,なさけない指導をしていたから,

多くの子が第一志望校に受からなかった。とくにAには申し訳ない。

これから君たちがすべきことは,次の受験生を第一志望校に受からせること。

それをAも望んでいる!」と校舎長は言いました。

 

私は,「ちがう!」と思いました。

 

「A君は,そんなことは望んじゃいない!A君の望みは,自分が第一志望校に受かることだ。

他人が第一志望校に受かることではない!校舎長が言っているA君の望みは,A君のじゃない,

あなた(校舎長)の(望み)だ。」と。

 

そう思ったら,

「私は,なぜ,校舎長の言うことをすべて正しい,と信じていたんだろう。

彼は,とても自分勝手な考えで,人を見ているではないか?人を見下しているじゃないか!

自分の価値観が絶対で,自分を通してしか生徒を見ることができないのではないか?」と。

 

そして,

「私が一番のミスは,この校舎長を『正しい』と信じたことだった!」と。

 

校舎長の言うことが間違っているとは言いません。

でも,校舎長以外の考えが間違っているとも思わないのです。

 

「怒ること」「厳しくすること」は,数ある手段の1つであって,それが絶対ではない。目的でもない

 

目的,「生徒をやる気にさせ,第一志望校に受からせること」

そのためには,「授業をしっかり聞かせること・学習内容を理解させること」。

 

それをさせるための手段は,「怒ること」「たくさんの問題をとにかく解かせること」が絶対ではないのです。

校舎長は,「怒ること」「多くの問題演習」という手段で,

目的である「生徒をやる気にさせ,第一志望校に受からせること」を果たせばいい。

 

でも,私は違う。

 

私は「怒ること」では,真の信頼関係は生まれないと思う。

「先生に怒られないようにするために勉強する」といいうのは,逃げの姿勢での勉強になり,

第一志望校に受かっても,「勉強」は「嫌なもの」という負のイメージが生徒には一生付きまとってしまうから・・。

私は,勉強は「楽しいもの」であり,「人生を豊かにするもの」として生徒に伝えたい。

 

じゃあ,全く怒らないのがいいのか?というとそうではない。

 

「怒ること(しかること)」は,その行為が「悪いこと」だと伝える手段である。

だから,宿題を何度も忘れたり,人をバカにしたような発言,差別的行為をした,などの場合は,怒らなければならない。

ここで怒らなければ,生徒は自分がした好意を「やっても良いこと(大丈夫なこと)」だと思ってしまうから。

それは生徒の人生にとってプラスにならない。

「大人になる」ということは,「善悪の区別がつく」こと重要であるから。

 

じゃあ,私は生徒をやる気にさせるにはどういう手段をとると良いのか?と考えました。

それは,「自分らしさ」を出すことと,自分が「授業をすることを楽しむ」ことだと。

 

私は,とりあえず,「歴史バカ」で「マンガやイラストを描くのが好き」で「天然ボケ」を貫いた授業をしよう。

そして,

本来の性格である「おおらか」で「色気がなくおっさんくさく」,

「よくわからないが,とにかく勢いはある」という姿勢をどんどん見せよう!と。

 

それをしたら,2年目から,完璧にはいかないにしても,

なんとか多くの生徒さんに「やる気」を与えたという実感がありました。

さらに,「先生のおかげで社会が好きになった!」という生徒さんもいて嬉しかったです。

 

生徒さんをやる気にさせることはすごく難しい。

新人時代は,困った時,「手段」に頼ろうとしがちだけど,

その「手段」が自分に合っているものか一度見直した方がいいかもしれません。

大切なのは「目的」。その「目的」を果たすために,自分が一番やりやすい「手段」を考える,

それが成功の近道かもしれません。

 

 

 

 

注意:こちらはあくまで一例です。

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「塾講師になって覆った価値観」シリーズ 第1回「自分の学力的位置は?」

2013年11月21日 23時04分29秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

今回から何回かに分けて,

塾講師や家庭教師になったあとで自分の価値観が絶対じゃないんだ!と痛感したことを話したいと思います。

 

自分の価値観や生き方以外を認めない講師(教師)もいます。

時にはそのような塾講師(教師)が生徒からはかっこよく見えることもあるのですが,

それはその生徒の価値観とその塾講師(教師)の価値観が似ているときだけで,

それでないと,その塾講師に生徒は押しつぶされることもあります。

 

私も大学生のときの塾講師バイトとときや,塾講師(正社員)1年目は,

自分の価値観を押し付けてしまって,それにより生徒さんと溝ができてしまったことがありました。

 

生徒さんには,いろんな家庭事情・価値観があります。

それを理解したうえで,授業・生徒対応をするのが大切だと思います。

 

ではでは,これから何回かに分けてお話します。

 

第一回は,「自分の学力的位置を考えよう」です。

 

「塾講師になって覆った価値観」シリーズ

第1回 「自分の学力的位置は?」

 

 

塾講師になった人の中には,

「自分は勉強が苦手ではないけれど,特別,成績優秀ではない」と思っている人もいると思います。

 

私はそうでした。

 

塾講師の子ではないけれど,大学時代や高校時代の友達と話していると

「いやー,私はそんなに頭がよくない」と本気で言ったり,

「自分よりできる人はもっといる!」と言う子が多かったです。

 

たしかに,自分が一番ではないでしょう。

 

もし,もっとも勉強ができるなら,東大・京大に現役合格し,政治家や医者,検事,弁護士などになっているのだから。(笑)

(もちろん,塾講師でも,東大・京大出身の人もいらっしゃるし,あえて塾講師を選んでいる人もいます。)

 

でも,

自分より勉強ができる人が多くいるからって,自分が勉強ができない人である,というわけではないでしょう!

 

だって,本当に勉強ができないなら,わざわざ塾講師にはならない。

 

 

私は塾講師になった当初は,「自分は勉強ができる方ではない」と思っていたので,

「自分ができる程度のことは,当然,生徒さんはやれる!」

と思って授業をしました。

 

これは「生徒さんの力を信じている」という風にも,とることができますが,

実際に生徒さんに接してみると,

自分と生徒さんのそれぞれの学力的位置を把握していないと,

生徒さんにとっては,私の対応は「苦痛」になるのだと気が付きました

 

 

 

 

 

たとえば

「ここは教科書を読めばわかるから・・。」

と先生に言われれも,わからない生徒さんもいます

 

自分からしたら,教科書の文章を1回読めば,ある程度理解し,

分かりづらい用語とか,教科書に書かれていない隙間の内容(事件と事件をくっつける内容など)を

先生に教えてもらえれば,それで教科書の内容はほとんど理解できていました。

 

なので,教科書に書いてあることだけをそのまま説明しても,みんなわかっているから意味がないでしょ,と思い,

「マメ知識」を中心に話してしまったことも・・。

 

・・でも,教科書の内容さえわからないのに,「マメ知識」だけ教えられても,生徒さんには何も面白くありません。

 

さらに,内容を理解してないからテストで点数をとれません。

 

そうすると,「この先生の授業を聞いてもテストで点数とれないから,授業を聞いている意味がない!」と思い,

授業を聞かなくなる生徒もいました。

 

 

 

また,社会科の場合,私は,先生の授業で内容を理解し,問題演習や用語暗記は自分だけで自主的にやって,

それでテストで点数をとっていました。

問題演習をする時間的余裕がないときは,教科書と資料集を読んで「理解」だけしてテストに臨んでも,

ある程度は点数をとれていました。

なので,それが当たり前だと思っていました。

 

 

 

しかし,実際に授業をしていくと,

問題演習も授業内に行って,それについて解説をしてもらわないと覚えられない生徒も多いのだと気が付きました。

 

また,自主勉強をまったくしない子も多い事実に驚きました。内申「4」以上の子でも,そういう子がいます。

 

「このページを,このように解いて,丸つけして,間違えたところはもう1度やり直して,

完全に正解するまでやり続けてね。」と言わないと,やらない子も。

「このページをやってね」だと,本当に,「自分のわかる答えだけ書いた」だけで,そのまま放置の子も・・・。

 

 

 

分があたりまえに「できること」「していたこと」が,生徒さんにはそうではないのだと気がついたあとは

スムーズに授業ができるようになり,生徒さんとも信頼関係を築けるようになりました。授業の評判もよくなりました

 

 

 

生徒さんには,いろんな子がいます。

内申「5」の子でも,自主的には勉強しない子もいます。

 

また,先生よりも早い速度で理解し,おそろしいほどの勉強量をこなす子もいます。

 

「私は勉強ができる!」といい気になって生徒を見下す先生は絶対にダメですが,

そのような先生のようになりたくないと思い,

「いや~,自分なんて・・」と自分の学力的位置をわからず授業するのも危険です。

 

自分と生徒さん,それぞれの「理解度」「勉強姿勢」を把握し

それが「良い」「悪い」ではなく,「ただ,それを真実だと認識する」ことは,

教える役職としては大切な姿勢かな?と思います。

 

 

注意:こちらはあくまで一例です。

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「まんがを読むと馬鹿になる」という言葉に反論

2013年01月13日 23時44分08秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

生徒さん(子供)がよくする、先生(保護者の方)を困らせる質問シリーズの

第4弾です。

 

今回の質問は、

「まんがを読むと馬鹿になるって聞いたよ!

という,マンガは勉強にとって良くない,という考えについて。

今回はその言葉について反論をば・・。

 

 

まんがを読んでいる子で勉強ができない子がいると、

その子が勉強できない理由をまんがのせいにされるときがあります。

 

でもまんがのせいではありません。

 

では,なぜ勉強ができないのでしょう?

 

それは、

「勉強をすべき時間に、まんがを読んでいるから。」

もしくは、

「勉強しているときも,まんがのことばかり考えているから。」

です。

 

 

まんがを読むこと自体は馬鹿になりません。

恋愛のものやアクション物しか読んでいなくても馬鹿になるわけないのです。

 

むしろ、まんがを読むことで知識も増えるし、いろんな考えをもつことができます

 

ただ、もちろん小中学生が年齢指定があるものを読んだりするのはダメですけれど・・。

実際に、学力レベルが高いところでもまんが研究会などのサークルがあることでわかるように、

まんがで馬鹿になるわけではありません。

 

 

「まんがを読むと馬鹿になるの?」と生徒さんが質問してきたら、

 

「読んでも馬鹿になんないよ?ただ、勉強の合間にちょっと読む形ならね。」

と言えばよいのです。そして、付け加えて、

するべき勉強をしたら、自由時間にまんがを読むのはむしろいいこと。知識も増えるしね、笑えばリフレッシュになるし。

ただ、勉強をおそそかにするようなら、マンガは控えた方が良い」

と、あくまで先生の立場上、勉強が第一であることを述べたりも・・。

 

「私は将来漫画家(もしくはアニメーター)になりたいから、

勉強よりマンガを読んでいた方がいいとおもうんだ。」

と言う,お子さんもいます。

そのときは、

「目の前の勉強から目をそむけている姿勢で、みんなを引き付けれるまんが(アニメ)作品が書けるとは思えない。編集部がどれだけあなたに無茶な要求をしても、ちゃんと応えられるような漫画を描く必要があるんだよ。ちゃんと世の中のことを勉強してから、そして困難を乗り越えてから、まんが家になりなさい。」と言います。

それでも言うことは聞かない子はいますが、それは相性の問題なので、それ以上突っ込んでしまうとこじれるので、引き下がった方がいいかもしれません。

まんがは日本がつくった宝だと私は考えているのでちょっと擁護が入っている意見で失礼いたしました。

 

 

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※現在,過去の記事を削除・編集しております。その中の記事の中でいくつかピックアップして

ブログに再度アップしています。この記事はその1つです。

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「なぜ塾や学校でおしゃれな服装は禁止なの?」という質問

2013年01月13日 23時01分23秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

生徒さんがよくされる質問で先生(保護者さん)が返答に困ってしまう言葉第三弾です。

ーーーーーーーーーー

今回は,女性の生徒さんが中心の質問。

 

「どうして,塾におしゃれをして行ってはいけないの?

ファッションと勉強は直接関係ないと思うんだけど・・。」

という,塾側がおしゃれを禁止する行為に対しての生徒さんの疑問の質問

 

多くの塾は,

かわいい服装全部を完全に禁止しているわけではないのですが,

 

「あまりにもミニのスカートや,

装飾品をじゃらじゃらつけた服装,

ヒールのある靴などで来ないでください。」

と頼んでいることもあります。(主に小学生の生徒さん対象で)

 

 

塾あるいは学校と,おしゃれに興味のある生徒にとって,それについて疑問に思うことがあるそうです。

 

塾側(学校側)から言わせれば,

「勉強する場所なんだから,おしゃれに興味持ってどうする?」

「おしゃれに頭が奪われたら勉強できないぞ。」

「おしゃれは,受験が終わればいつでもできるし,

別に今でも,休日に外に遊びに行くときは好きな服装をすればいいのだから。」

 

と色々と理由があります。

要は,ここ(塾)には何をしに来ているのか,そしてTPOを考えて行動してほしい

ということです。

 

 

 

逆に,おしゃれをしたい生徒から言わせれば,

「ちゃんと勉強しているんだから,服装のことは個人の自由でしょ!」

「学年上位の○○ちゃんだって,いつもおしゃれをしているんだから,勉強とおしゃれは関係ないじゃん!」

「おしゃれをするのが唯一の楽しみなんだもの。」

「ダサい服を着たら,まわりの子にバカにされる・・。」

など。

たしかに,一理はあるとは思います。

 

ただ,私は,「塾や学校では,華美な服装はやめた方が良い」と思っています。

べつに「おしゃれ」すべてをダメとは言いません

でも,「じゃらじゃらしたものを身につけたり,下着や胸が見えそうな服装は禁止」したいです。

 

どうしてかというと,まず「じゃらじゃらしたもの」は音が出るから,授業中うるさい!

たとえ,気をつけても,すこし動いただけで音が出る」のですから。

 

そして,どう考えても,「下着や胸が見えそうな服装」は,

異性を意識してなければ(もしくは,同性に自分は女らしいとアピールしたい気持ちがなければ)

できない服装なので,禁止です。

他人,とくに異性を意識しているうちは,勉強には力は入らないのは確かです。

全員がそうだとは言い切れませんが,多くの人がそういう場合が多いので,

塾や学校側では,可能性が高いパターンは禁止した方が安全だと。

また,女性の場合,万が一,こういう服装で,夜歩いていたら,危ないです。

だから,自分の身の安全も考えて,こういう服装は控えたらよいかと。

 

(あと,生徒さんによっては「華美な服装」と「おしゃれな服装」の境界線がハッキリしない人もいるので,

そういう人が多いときは,「おしゃれ」そのものを禁止する塾(学校)があるのだとも。

ただ,それはやりすぎなので,いけない服装をしてきた都度に注意する,というのが

好ましいのですが・・・。)

 

 

何も,べつにじゃらじゃらした服装や色っぽい服装じゃなくても,

十分おしゃれはできます。

むしろ,それ以外の清楚なおしゃれまで出来る子の方が,

大人になってから,TPOを考えた服装をしたとてもおしゃれな子になります。

 

ですので,もし塾などで華美な服装を禁止されたときは,

逆に自分のおしゃれの能力を磨く良い機会だと考えた方が良いでしょう。

また,禁止されたときに,ほんとに自分は勉強に力を入れているのか,も考えた方が良いです。

本来なら,勉強を必死でがんばっている子は服装はあまり気にしない子が多いのですから。

 

私の意見が少しでも参考になれば幸いです。

(私の意見はあくまで多くある意見の1つですので,絶対ではありませんので,そのことはご了承のほどお願いいたします。)

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「全然わからない」「全然できない」という言葉の意図

2013年01月12日 22時53分14秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

今回は生徒がよくする、

先生(親)を困らせる質問第二弾です。

今回の内容は

「全然わからない!」「全然できない!」

という質問・・というかつぶやき?

 

この言葉は先生にとってはキツイ一言

なぜなら、自分は少しでも分かりやすくするために日々授業の工夫をしているのに、

「全然わかんない!」といわれるのだから、自分の授業や存在が否定されてしまった気になるから。

 

でも、この言葉にはどんな気持ちが隠されているのか?というと、これは簡単!

わからないから(できない)から、先生助けて!です。

だから頭ごなしで怒ったり説教するのでなく、どのように生徒さんを助けるかを考えるのです。

 

 

しかし、ここで1つ注意!

人によって「できる」「できない」の基準が違うということ

しっかり認識しなければいけません!

1つ問題がとけただけで自分はできる!授業をうけてわかった気になっているような子もいれば、

 

1つでも問題がとけないと全然自分はだめだ、少しひっかかることがあったから全然わかんない!と思う子も

いるのです。

 

なので、まずはテストの結果を照らし合わせて、そしてその子の志望校や志望順位成績)を確認しましょう。

 

つまり「生徒自身が理想の自分と現在の自分のはどれぐらいあるのか?」

を考えること。

 そして、まだまだ理想の自分からほど遠いなら、

それに近づくにはどうすればいいか?を具体的に,先生が一緒に生徒と考えるのです。

 

もし、理想と現実が近いなら、ほめてやってそれを認識させてやること。

理想と現実が近いのに全然自分はできていない!と言う子は

自分に自信がなくて、だれかにほめてほしいのです。

 

テストという数字ではっきり表れるデータは、

生徒の指導・相談にもひとつの便利なツールになります。

 

人間の価値を決めようとするテストは悪!と思っている方もいらっしゃるようですが、

テストもその子の数ある個性の1つ!くらいの軽い気持ちで考えてみてはいかがでしょうか?

 

 

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※現在,過去の記事を削除・編集しております。その中の記事の中でいくつかピックアップして

ブログに再度アップしています。この記事はその1つです。

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「勉強して何の意味があるの?」という言葉の意図は・・?

2013年01月12日 22時47分26秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

今回は

<生徒(子供)がよくする、先生(親)を困らせる質問>1

シリーズ第一弾です。

生徒の質問を上手に対応することで、生徒と先生(親子)関係がうまくいくことは多いです

なので、こういうときにどうすればいいかな?という簡単な1例をここで記したいと思います。

ただ、こうすればかならず成功する!という意味ではないので、あくまで参考程度でお願いいたします。

(責任は負いかねます。)

 

まず,最初に。

どんな質問でも、その質問だけに受け答えするのではなくて、

質問した人の本当の意図もしくは本当の気持ち

察して対応することです。

質問した人自身が気づかないようなことも、年上が予想して動くことが必要です。

 

 

 さて今回は質問は、

「こんな勉強をして将来何の役にたつ!

です。

こういうことをいわれたときにあせってはいけません。

その教科の先生は自分の授業が否定されたようでショックかもしれませんが、落ち込む必要はありません。

 

 なぜ生徒さんはこのような質問をしたのでしょう? 

 

本当に将来の役にたつと真剣に思っているから?

そういうわけではありません。

 

そういうことを言うような彼らの心の底には、

「勉強したくない!」

「成績がよくない(他の勉強ができる子がうらやましい)」

「その教科が嫌い」

というものがあるのです。

そのときに、自ら勉強したくない!教科が嫌い!

自分は他人より現在勉強ができませんという

自分の弱さを認めることが彼らにはつらいのです(それを本人が気づいていないことが多いです。)

 

誰しも、自分の理想と現実の理想がちがうと、それをなかなか認めたくないですよね。

そこで、彼らの多くは、

「こんな勉強をして将来何の役にたつ!」という勉強そのもの(教科)を攻撃して

自らの弱さから目をそむけるのです

 

 

 なので、

「勉強すれば、将来いいことがおきるよ」ということだけを説明しても生徒の心には響きません。

彼らは現在のつらさから逃げたいだけなのです。

 そこでどういうことをすればいいか?2ケースに分けて説明します。

 

 

 ケース1:特定の教科について,その言葉を言ってきた場合

(たとえば、社会の歴史は好きなのに、数学が苦手な子が数学を勉強して何の役に立つ!と言ってきた場合)

 

生徒「平方根なんて将来使わない。こんなの勉強する意味がないじゃん。」

先生「ふーん。じゃあ、社会科は?戦国時代のことを知っていて何の役にたつの?

社会科も勉強するのやめたら?」

生徒「え・・!」

先生「嫌なんだろ!社会科は勉強したいんだろ?なんでだ!」

生徒「・・好きだから・・・。」

先生「だろ!じゃあ数学は?」

生徒「嫌い・・。」

先生「嫌いだから、数学を勉強する必要がないと言っているだけなんだ、君は。違うか?」

 この後は、素直な生徒ならすぐ認めます。

天の邪鬼の子やその場だけ勝ちたいタイプの子は言葉の攻撃をしてきます。

そういうときは、手を出さないように気をつけて怒るのも1つの手です

(ただし,追いつめるような怒り方はダメです。)

 

それでもいうことをきかない子は何を言っても無駄です。

自分と相性があわないので、その子と相性がいい先生を探し出し、その先生から上手に導いてもらうことです。

 

ケース2:勉強全体について,その言葉を言ってきた場合

生徒「勉強なんて社会に出てから役に立たない。」

先生「そうなの?じゃあ、君は社会に出るときに役にたつことって何?」

生徒「私はまんが家になりたいから、絵さえ描ければいいと思うの。」

先生「そう・・。どういうまんが家になりたいの?」

生徒「みんなに夢をあたえるようなまんが!例えば、恋愛まんが」

先生「恋愛まんがの主人公ってさ、つらいことや理不尽なことがあってもひたすらがんばるじゃない。

いつもらぶらぶなカップルの恋愛まんがよりも、かなり苦しんだりがんばったりしてようやくカップルになる!

二人で逆境を乗り越える恋愛まんがの方が魅力的だよね。」

生徒「うん!そうだね。(ここで生徒は先生は自分を応援したと思う。)」

先生「じゃあ、君は主人公のように今いやなことがあったときに逃げないでがんばれる?」

生徒「うん!」

先生「じゃあ、嫌いなものをがんばることもできることも大切だね。」

生徒「・・?」

先生「ちなみに勉強は嫌いか?」

生徒「うん・・嫌い。」

先生「今、勉強つまり嫌なことを乗り越えようと努力すれば、もっといいまんが家さんになれるんじゃない?

描くジャンルも増えるしさ!一緒にがんばってみない?」

ここで素直な生徒は、がんばる!というでしょう。

また、そのときに勉強の仕方がわからないと悩みを打ち明けた時は、

親身に聞いてみましょう(勉強の仕方についての質問対応はまた次の機会に)。

「じゃあ、まんが家にならない!」とか勉強が嫌いだと認めないでまた勉強批判に走る子、ブスっとする子もいるでしょう。

そういうときは、

「好きなことだけをやれる幅の狭い人間と、好きなことも嫌いなこともやる幅の広い人間、どっちになりたい!」と詰問してもいいでしょう。

そのときに「好きなことだけやる」と言ったら、もうあきらめましょう。

その子は自分と相性があわないので、その子と相性がいい先生を探し出し、その先生から上手に導いてもらうことです。

 

 

以上です。ただ、これはほんの一例です。申し訳ないんですが,責任は負いかねます。

 

ただ、気をつけてほしいのは,

話すときに

「生徒も一人の人間」であることを認め、

自分と価値観が異なる人物がいることを前提に

、彼らが集団生活の中でも生きていける姿勢」

 

をつくることを根本において話すと良いかな?と思います。

 

※ただし,ケースバイケースなので,もしかしたら,勉強の意義も十分わかっていてこのような質問を

する子もいるかもしれません。その場合は,その子の言っていることを聞いて,それに応じて対処すると

良いかな?と思います。

 

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定期テスト対策授業と受験対策授業のちがい

2013年01月11日 23時33分49秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

今回は,定期テスト対策授業と受験対策授業の違いについて

 

定期テスト対策授業と受験対策授業は,大きな違いがあります。

 

定期テスト対策では,「習ったことを徹底させる」ことが大切。

ですので,英語だったら教科書の新出単語や文章,

社会や理科では用語はしっかり暗記させなきゃいけない。

また5教科すべてに言えることは,良く出る出題パターンは押さえて,

確実に点数が取れるような指導をしなければいけないということです。

 

受験対策は,「いかに点数を取るべきところで取るか

ということに力をつけさせることにあります。

 

英語が,定期テストの違いがとくに謙虚です。

長文読解問題を勉強した際に,定期テストのように,知らない単語を覚えさせたり,文章を暗記させる,

ということより,知っている単語を使い,どのように予想して解くか,ということを徹底させます。

 

もちろん,最低限覚えなけえばいけない単語・連語はあるので,それは暗記させますが,

とにかく知らない単語や文法があろうが,予想して自分で考えて文章読んで,答えを導く,という感じです。

 

社会も,定期テストと受験問題では出題のされ方は違います。

定期テストでは用語を聞くものが中心ですし,

1つの分野(歴史なら時代,地理なら場所)からしか出されません。

しかし,受験問題は複合問題になります。

 

地理で習った内容と歴史で習った内容がドッキングしたり,

歴史では,文化史とか人物史などの1つのテーマで出されるので,

歴史のすべての流れがわかっていないといけなかったりするんですね。

 

ですので,

社会の受験対策授業も,

今まで勉強したことからどうくっつけて解き切るか,とか,

知らない言葉とか出てきても,

漢字や前後の内容からある程度予想して解く,というお話をします。

 

私はどちらかというと,受験対策授業の方が好きです。

(定期テスト勉強より受験勉強の方が好きでもあります。)

 

その理由は,

定期テスト対策だと「習っていない!」とか

「○○塾では,対策授業と同じ問題が出題されたのに!」と批判を受けることが少ないからです。

実際には授業で教えているんですが,少し違う角度から出題されると,

「先生に教えてもらてない!点数が取れなかったのは先生のせいだ!」と怒る子がいるのです。

もちろん,こちらは色んな出題方法を研究して教える努力はしています。

しかし,学校の先生独自の考え方で出されたものや,

口では「こういう風に聞かれることもある」と言ってあるけれど,生徒自身がメモを取らないので,

証拠が残っていないことも。なるべく,文書に残る形で問題プリントを作るのですが,

万が一バージョンも作って配布すると,多すぎて,逆に生徒が混乱したりして。

とくに,真面目な子が「え・・こんなのも出るの!」とびっくりして,そういう子にしなくてもよい努力をさせてしまう

ことは嫌です。

なので,多少はクレームがついても,私の自己保身によってまじめでやる気のある子が被害を受けることが

ないよう気をつけています。

もちろん,定期テストで点数がとれるような努力はします!

 

・・ということで,定期テスト対策では,必要以上に気を使うので,辛いことが多いです。

 

 

 

その点,受験勉強はガチでいけるから好きです。

生徒たちも受験近くになると真面目になるし,

先生のせいだ!とクレームをつけられても,「人のせいにしているかぎり,能力は上がらない!」と

本気で怒ることができるから。

もちろん,受験の結果次第ではすっごく辛いことも多く,

その辛さは定期テストのときよりも数倍大変なのですが・・・。

 

 

 

 

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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