社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

一気に3つの記事をアップしました

2013年08月25日 00時13分54秒 | 私自身のヒストリー

「私はなぜ社会科塾講師になったのか?」シリーズを一気に3つの記事をアップしました

 

本当は,何日かに分けてアップする予定だったのですが,ボタンの押し間違いで,一気にアップという形に(笑)。

 

ご覧頂けるとうれしいです。

 

大学時代のお話もだんだん終わりに近づいてきました。

塾講師就職まであと少しの時期に入ってきました。

塾講師就職で,このシリーズも終了になります。

 

こちらのシリーズは,

多くの方にご覧いただけているようでうれしいです。

「日本ブログ村」さんの方では,

何度もカテゴリー別ランクインできました!

 

ありがとうございます。

左の絵は,3年ほど前に描いた絵です。

ちょうど夏祭りの時期なので,こちらに掲載しました(笑)。

 

ではでは,あと少しですが,このシリーズをお付き合い頂けるとうれしいです。

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第25回 マンガって素人でも描けるの?!

2013年08月24日 23時56分16秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第25回  大学時代9 

 

今回は大学3年の夏休みのお話

 

大学3年の夏休みも「社会」の教員免許のための授業をとりました。

私の大学は,夏休みには,短期講座という授業もありました。

あまり短期講座はとる人はいないのですが,私の場合,通常の授業では授業をギリギリ限界まで入れていたので,

短期講座まで取らないと,「社会」の教員免許までは取れない状態だったのです

 

 

私は大学3年は所属していた能楽部での部長(主幹)だったし,冬の発表会のための練習が大変だったから,

部活内で,必要以上に休んでおしゃべりしたりはしず,練習ばっかりしていました。(おかげで痩せましたが(笑))

他の子が,おしゃべりしていても,自分は練習をしていました。

部長である自分が遊んでいたら,後輩たちに示しがつかない,と。

 

ずっと前にお話しましたが高校で部長をやっていたときに,練習をしない部員たちを怒りまくったため,

部員たちの心が離れ,部活に来なくなってしまった苦い経験がありました。

その経験から,大学では,他の子がおしゃべりしていても,それを注意するのが怖く,できませんでした・・。

 

でも,まあ,それが舞台の発表という形では決して良い形で出たとは言えませんが,

あまりピリピリした雰囲気にならず,部員同士が仲良くなれた,とは思います。

卒業した今でも,そのときの部員さんたちは,後輩・先輩関係なしに仲が良いので。

 

 

 

それでは,大学3年の夏休みに話を戻します。

 

通常なら,部員同士のおしゃべりには加わらない私

しかし,夏期集中講座に出ていた私は,遅刻する形で部活に。

 

そうしたら,部員たちが,何かのプリント(冊子)を広げてお話しているではありませんか?!

 

いつもなら,練習中なのでその輪には加わらないでしょうが,今回は違います。(無視して練習を黙々とするのは,感じが悪いので)

なので,「何してるの?」と聞いて,そのおしゃべりの輪に加わりました

 

どうやら,他の大学の能楽部の方が,能楽のマンガを描いたそうで,

他大学と交流のある部員が部室に持ってきたようです。

 

そして,ある部員が

「うちらも,部で,能楽のマンガ描かない?」

と言いだしたのです。

 

そのとき,私はびっくりしました

 

「え?マンガって素人が描けるものなの!」と。

 

当時の私は,コミケという存在を知らず,マンガというのは「プロ」を目指す人と「プロ」しか描けない,と思っていました。

普通,考えればそんなことはないはずなのに・・なぜか・・。

 

マンガ絵を描けるのは,●●さんと萬火さんだから・・。」と突然私の名前が挙がりました。

 

私はマンガの描き方がわからないぞ。

 でも,部長の威厳を保つため(?)に,できない,とは言えない。」と心の中で思いました。

 

しかも,他の部員さんたちはそれで盛り上がっているし・・。

 

・・・ということで,部で能楽マンガをつくることに。

 

それで,私は初めて,「マンガの描き方」という本を買い,

プロットの作り方,キャラクター設定の方法,コマ割りの作り方,などを知りました。

 

・・結局,キャラクター設定だけで終了してしまい,当時はマンガ作成までは至りませんでしたが,

このことで,自分はマンガの描き方がわかり,卒業後に,趣味でマンガを描くようになったのです

在学中に立ち消えとなった能楽マンガも自分だけで設定を多少変えて,卒業後に描きました。

(「能楽戦隊もの」で5人の能楽レンジャーがそれぞれ1~5番目物をベースとした特殊能力を持って戦うアクションマンガ。

第11話までは描き終わっていますが,それをネット上はで現在発表しておらず,友人に個人的に渡している形です。

その友人は,「はやく続きを」と言ってくれるほど,その作品を好きになってくれてありがたいです。)

 左の絵は,そのマンガの表紙絵の1つです。

 

この大学3年の夏に,「マンガを描くことができる」ことを知らなければ,

現在のこのブログや,他のマンガブログは存在しなかったので,大きい出会いでした

 

今回はここまで。

 

次回は,ついに,大学4年のお話です!

 

それまでは「学校の先生」になることしか頭になかった私が,一転して「塾講師」になろうとしたのか?!という

このテーマの一番大切な核心をつく内容です。

小5のいじめ,友人関係の不信感,「国語」でなく「社会」を愛したこと,能楽部によりマンガを描くことに目覚めたこと,

のすべてが終結する内容になっております。

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第24回 大学3年の過酷スケジュール

2013年08月24日 23時55分57秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第24回  大学時代8 

 

 

前回は,

大学2年で,「国語」でなく「社会」の先生になることを決意し,

そして,私を必要としてくれる友人のために,何度も辞めようとしていた部活(能楽部)を続けることにした,というお話をしました。

 

この決意が,現在の私の形の基礎をつくってくれました

 

 

今日からは,大学3年のお話。今回は,大学3年の私のスケジュールについて。

 

 

 

大学の授業は,

自分の所属の学科である「日本文化学科」の卒業単位に加え,

教員免許のための単位,「国語」だけでなく「社会」の教員免許のための単位,の3つを取る形になり,

平日は朝から晩まで授業三昧でした。

(また,「学芸員」の資格のための授業もとっていました。

資格単位が他の必要な授業と被っているものが多かったので。また,「西洋美術史」が好きなので,博物館で働くことも夢でした。)

 

さらに,授業がない,水曜の午後と土曜の午後は,部活(能楽部)。

しかも,部長(主幹)。

さらに,舞囃子『小袖曾我』の主役(正式にはツレの五郎役),舞囃子『敦盛』の地頭(謡いというコーラスのような役目の長)を

するので,練習量も大変でした。普通は,どちらか1つなんですが,人数の関係でそうなりました。

しかも,『敦盛』は,先輩たちがほとんど発表していないものだったので,参考にできるビデオもなく,

しかもすっごく難しいし・・。

 

さらに,大学2年でバイトを辞めたのですが,大学3年になり,

どうしても「社会を教えたい」という想いがあり,塾講師のバイトを始めました。

 

大学2年までは塾関係のお仕事でしたが,生徒に授業をする仕事ではありませんでした。

大学の同級生たちは家庭教師や塾講師のバイトをしているのがすっごく羨ましかったです。

さらに,「国語でなく社会の先生になりたい」と思ったけれど,実際に「社会」の教員免許がとれるかは不明

すべての単位を一発合格しなければ,「社会」の教員免許はとれないほどのカツカツのスケジュールだったので。

「国語」はおそらくとれるので,もし,「先生」という職業に就く場合,「国語」しか選択肢がなくなってしまうことも・・・。

(教員採用試験で受かるかどうか?という問題もありますが・・。)

だから,学生の間だけでも「社会」を教える,という行為をしたかった

 

 

 

・・ということで,大学3~4年の私のスケジュールは

月 朝9時~夕方:大学 → 夜:塾講師のバイト

火 朝9時~夜:大学

水 朝9時~昼:大学(の授業) → 昼~夕方:部活 →夜:塾講師のバイト

木 朝9時~夕方:大学 → 夜:塾講師のバイト

金 朝9時~夕方:大学 → 夜:塾講師のバイト

土 午前中:塾講師のバイト → 昼~夕方:部活

日 フリー

 

という過酷スケジュール

行き帰りのバス・電車では爆睡,休み時間はポーっとして省エネモード,という形。

 

ただ,大学2年までは,時間に余裕はあったけど,月~土は大学,日曜はバイト,と

1日中休みがなかったので,それよりは精神的に楽でした。

 

日曜は,ほぼ寝てました。

 

この過酷スケジュールにより,それまで母と一緒に見ていたアメリカドラマを見ることができなくなりました

(「ER」はシーズン6までは最後まで見ましたが,7・8あたりは見たり見なかったりで,9からは見ない形に。

「Xファイル」もシーズン4くらいまで?)

それにより,アメリカドラマに関する熱もまったくなくなってしまいました。(当時)

 

とりあえず,毎日生きるのに必死でした

ご飯も食べる暇がなくて一食くらい抜いていることも多々あったし,

部活でよく動いたし,授業も毎日大変だったおかげで,大学3年間の1年間で10キロ痩せました。

(今は,その痩せた分10キロを自力で増やしてしまいましたが・・・。あー,あのころの私は痩せていた!まあまあキレイだった・・。)

 

大学3年の前期は,とにかく「社会科」の先生になりたい!の情熱で生きていた気がします

よく倒れなかった,と自分を褒めてやりたいです(笑)。

 

次回は,大学3年の夏休みにおきた,衝撃的(?)な出来事です。

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第23回 仕事より友人をとる!

2013年08月24日 23時54分42秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第23回  大学時代8 

 

前回のお話の続きです。

前回は,大学2年の秋ごろに,自分の専攻科目の「国語」でなく,

自分が心の底から愛していると気づいてしまった「社会」の教員免許を取得したい!と思うようになり,

「社会科」の教員免許を取る授業の時間の関係で,部活(能楽部)を辞めようと決意した,とお話しました。

 

しかし,部活で仲良くなった友人と,退部したことで疎遠になりたくありませんでした。

それで,退部をすると部員の皆さんに伝える前に,その友人にだけ,先にお話しようと思いました

 

これは,かなりの覚悟でした。

 

おそらく,その子に嫌われるな,と思っていました。

なぜなら,時期部長(主幹)に私は決まっていました。

その子が次期副部長(副主幹)に決まっていたので,私が辞めたら,その子が部長(主幹)になります。

 

また,次の学年(大学3年)のときの発表会で

その子と『小袖曽我』という演目(プログラム)での舞囃子で一緒に出演することも決まっていました。

(通常,能楽の舞囃子という舞台形式は,舞う人物は1人。なので,その一人が退部をしてしまったら,その演目自体の発表は

なくなることが多い。しかし,『小袖曽我』は,舞う人物は2人なので,1人欠けたら,代わりの人物を探さなければならない。

もし代わりの人物がいなければ,1人で舞うこともありますが・・。)

 

なので,私が退部したら,その子に多くの迷惑がかかるのがわかりきっていました。

 

部活のある水曜にの前の火曜日は,最後の授業がその子と一緒だったので,

一緒に帰ることができる唯一の機会でした。

 

それで,そのときに,退部することをその子に伝えました

なぜ退部するか?の理由を嘘をつかず真実だけ話し,また,部活を辞めてもずっと友達でいたい,と。

 

そのときは,その子は黙って私の話を聞いていました。

 

「怒っている様子はないけれど・・,やっぱり嫌われたかな?」と思いました。

でも,自分の選んだ道だから,しょうがない・・。

 

 

 

しかし,次の日,その子が「ちょっと2人だけでお話しよう!」と声をかけてきました。

 

私は,「怒られる」と思いました。

 

 しかし,全然違っていたのです! 

 

その子は,

辞めないでほしい。萬火さんがいなくなったら,楽しくないもん!」

と言ったのです。

そして,何度も何度も,「部活を辞めないでほしい」と言ってくれました。

 

 

私は感動しました。

 

この子は,私という存在を必要としてくれるんだ!」と。

 

 

私は,小5のときにいじめにあい,「私」という存在を全く認めてもらえませんでした。

小6や中学でできた友達も,その場かぎりのことが多く,

また,私が少しでも自分の意志を通そうとすると,友人を失うこともありました。

 

だから,私は,「自分の意志を友人に通す」ことをすることが怖く,

自分がしたいことを言うことはしませんでした。

 

「都合の良い子」でさえいれば,嫌われなくて済む,と。

 

しかし,その子は,私が自分の意志を通そうとしても,私を嫌いませんでした

しかも,んなワガママな私をひきとめようとしてくれているんだ!と。

 

こんな素晴らしい人を,私はどうして裏切ることができるだろうか?

 いやできるわけない

  私は,他の子のように日本文化も能楽も愛せない。(当時)

  でも,この子を愛してる(友人という意味)。

  だったら,この愛する友人のために,能楽部にいようではないか!」と。

 

 

実は,いままで話していませんでしたが当時していたバイトは,人間関係で苦労していました

男性に愛想がなかった私は,男性のバイトの同僚から嫌われていました。

ひどい人だと,私の悪口を生徒さんに言ってました。その生徒さんは私の担当クラスの子ではなかったので

直接的な問題はなかったですが・・。でも,それでかなり男性不信に陥り,今の旦那に出会うまで,

「私は絶対結婚しない!」と思っていましたが・・。

上司の方々(正社員の方)も,私のことはあまり期待していなかったようで,冷たい待遇でした。

 

 

この友人の優しい言葉で,私は目が覚めました。

 

就職に有利だという見た目だけで,そこにいるのはむなしいじゃないか!

 誰も私のことを必要としてないのに。

 それよりも,私という唯一無二の生き物を必要としてくれる人がいるところに行こう!」と。

 

 

それで,バイトを辞め,部活は続けることを決意

(バイトは,3月に次年度に続けるかどうか?の話が出るので,そこで辞めることにする形)

 

 

 

・・ということで,大学2年で,「国語」でなく「社会」の先生になることを決意,

そして,何度も辞めようとタイミングを逃していた部活(能楽部)を続けることになりました

 

この決意が,私のその後の運命を大きく変えていきます

それについては次回♪

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第22回 国語ではなく社会の先生になりたい!

2013年08月18日 22時00分50秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第22回  大学時代7 

 

前回まで,大学1~2年(前半)のときの,友人関係と部活,マンガでの関わり方の変化のことをお話しました。

 

今回は,このエッセイの本題である

「なぜ社会科の塾講師になったのか?」の話の核心の部分の1つを

話したいと思います。

 

 

 

大学2年のときに,初めて,自分の将来について真剣に考えました。

 

中学1年のときに,勉強することが面白くなった私は,

この愛してやまない勉強から離れるのは嫌だな~。なので,勉強関係のお仕事に就きたいな。」と

思っていました。

 

 

中3のころに,クラスメイトの子に,「この問題の解き方を教えて」と言われ,教えているうちに,

人に教えるのって面白い!」と感じました。

それで,「将来は先生になりたいな。」という具体的な未来を考えるようになりました。

 

 

大学に入って,何の迷いもなく,

教職の授業(学校の教員になるために必要な資格をとるための授業)をとることにしました。

 

当時の教員免許取得用の授業は大学1・2年のときは1~2個の授業しかなかったので,

「教員免許ぐらい持っておいた方が良い」と言う,教職の授業に関して甘い気持ちを持っている子も多く,

多くの友達も一緒に教職の授業を受けていました。

 

 

しかし,大学3年からは,授業数が多くなり,

しかも,その授業時間が,通常の卒業単位の授業が終わったあとの夕方4時以降が多く,

また通常は休みである土曜日にも授業があったり,大学を休んで受ける実習(計7日)があったり,で

突然大変忙しくなります。

 

それで,本気で教員免許を取るつもりでなかった子は,ほとんど教職の授業を受けることをあきらめました。

 

私はどうだったか?というと,

教職の授業を受けることは決めていました。

 

・・・しかし,問題は,科目です。

 

 

私は,大学名だけで大学受験をしたため,とくに学部・学科については受かればどこでもよかった,というお話を前にしました。

私が入ったのは「日本文化学科」です。

ということは,教員免許で得られる科目は「国語」です。

(学科の通常の卒業単位と,教職の「国語」の単位が同じものが多い。)

 

 

しかし,先述したように私は「日本文化」の良さがどうしても理解できなかった(当時)。

 

日本文学を読んでも,日本の伝統文化に触れても,日本語文法を勉強しても,

他の子より,楽しめない。好きになれない。

嫌いじゃないけど,愛せないんです!!

どれだけ努力しても無理でした。 

 

「このままだと,国語の教師になる道しかない。

でも,このあと一生「国語」の世界で生きるのは,

私には耐えられない!」

と思いました。

国語が好きな方には申し訳ないのですが・・。(国語そのものを批判しているわけではありません。)

 

先述したように大学1年の秋に「西洋美術史」にハマり,その後,「フランス革命~ナポレオン時代」が大好きになった私。

 

「歴史・・・・歴史を教えたい!

そう,社会を教えたい!私は社会の先生になりたい!」という想いが強くなりました。

 

 それで,教職について調べました。

 

そうしたら

「社会科」の教員免許もとれないことはない

ということがわかりました。

 

教員免許は,「教師」関係の単位は,どの科目の先生になろうが共通な単位なので,

あとは,自分の学科での卒業単位になる科目でどの教科になるか?が決まります。

 

私の大学は,同じ学部内だったら,他の学科の学生でも授業を受けられ,

また授業内容次第では自分の学科の卒業単位になる授業もありました。

幸い,私は「人文学部(の中の日本文化学科)」だったので,

同じ人文学科内に「心理学」や「文化人類学」を専門にする学科があったので

「社会科」の授業もとることができることが判明!

 

ただ,自分の「日本文化学科」の卒業単位と,「教職」の授業,さらに「国語」「社会科」の単位,

をすべて大学3~4年の間にとるとなると,

ほぼ朝から晩,土曜日まで毎日授業,という形になります。

 

しかも,当時,日曜にバイトを入れていて,土曜日の午後は部活。

 

休む暇がないじゃない!という状況に。

 

 

 

・・・それで,せめて土曜日の午後だけでも休みたいと思い,部活(能楽部)を辞めようと決意

 

能楽もどうしても愛せなかった。(当時)

能楽部に,そんな自分は異質な存在のように思えていた。(当時)

 

バイトは,人間関係で辛い思いをしていたけれど「就職に有利」だと言われているバイトだったので,辞めたくありませんでした。(本当に有利かどうかは不明ですが・・) 

 

 

 

 

そこで,一つ心配なことが

 

一目ぼれした友人(友人として,と言う意味)と同じ能楽部に入って仲良くなったのに,

部活を辞めたら友人関係が壊れてしまうかもしれない。」と。

 

また,部活を辞めようと決意する数週間前に,

うっかり次期部長(うちの部活では主幹という名前)になることが決まってしまって・・。

(他の子が,部長になると思ったら,その子が他の役職になったので,消去法で私が部長に・・。)

 

部長(主幹)になることが決まった私が部活を辞めたら,副部長(副主幹)が部長(主幹)になります。

 

その副主幹になることがきまってたのが,私が一目ぼれした,あの友人。

 

私が辞めたら,その友人にとても迷惑がかかってしまう。

 

色々悩んだ結果,

 

部活を辞める前に,その子にすべて自分の気持ちを伝える。

 その子に,愛してる(友人として)ことを伝える。」

 

ということにしました。

 

 

「お話した結果,その子に嫌われたら,軽蔑されたら,それは甘んじてその現実を受け入れよう。

だって,私はどうしても「社会科」の先生になりたかったから・・。」と。

 

今回はここまでです。

次回は,その友人に自分が部活を辞めることを伝えた後にどうなったか?というお話です。

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第22回 大学時代6 マンガ絵を描く 

2013年08月13日 08時04分15秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第21回  大学時代6 

 

前回は,大学1年のときの能楽部でのお話をしました。

今回は,同じく大学1年の能楽部での「マンガ」に関するお話をしたいと思います。

 

 

能楽部に入ってびっくりした1つに,部員さんの多くが,普通に「マンガを読んでいる」ということでした。 

 

以前お話したように,小5でのいじめで「まだマンガ読んでいるんだ,子供だー。」と馬鹿にされた私は,

それ以降,隠れてマンガを読むようになりました。

 

近所の本屋では決してマンガを買わず,

遠くの本屋でマンガを買う時も,ノートや参考書などでマンガをサンドして購入していました。

 

高校までは,「マンガが好きな高校生は私だけなんだろうな。」と思っていました。

 

しかし,大学での能楽部でのみなさんは,「マンガを読んでいる」ことに関し,

全然恥じることがない。「マンガを読む」ことが,あたりまえかのよう。

しかも,自分が好きな作品について公言する子も。

 

 

「え?マンガ好きって恥ずかしいことでもないし,悪いことでもないの?!」

と私には衝撃的でした。

 

しかし,そのときには,まだイジメのトラウマがあり,

自分がマンガを読まない,という嘘はつかなかったけど,

積極的に自分がマンガ好きだとは言えませんでした

今,思えば,部員のみんなは,そんなこと(私がマンガを読むこと)で馬鹿にするような心の狭い人ではないのにね。

 

 

 

 

そして,さらに衝撃的なことが

 

なんと,部員さんの何人かが,マンガ絵を描き,それを他人にも当たり前かのように,見せているんです

 

私は,小学生のころに自分の絵を馬鹿にされ,とくに,マンガ絵が下手だと蔑まれてきました

 

 

 

 

なので,「自分がマンガ絵を描く」ことは一生ありえない,と思ってました。

 

しかし,部員さんたちのマンガ絵を描いて幸せそうな顔を見ると,自分も描きたくなりました。

 

 

 

たまたま,授業(希望者のみ)でHPの作り方講座を受けたので,

自分で描いたマンガ絵をHPにアップしてみよう!と一大決心をしました。

 

 

 

その決心した同時期に,「西洋美術史」の授業を受け,「西洋史」にハマったので,

西洋史の人物をマンガ絵で描く形に。

 

初めて描いたマンガ絵はこちら。(2000年秋)

 

 

 どの人物かは決めていないんですが,西洋史っぽい人物ってことで描きました。

 

 その後,「ナポレオン」と「ダヴィッド」にハマったので,彼らを中心に描きました。

どちらもナポレオンですね。

 

こちらは画家ダヴィッドですね。

 

 

 

HPでキリ番イラストを始めると,キリ番イラストリクエストをして頂けるお客様も増えました。

 

おかげで,いろんな人物を描けました。

大学2年ごろまでは,主にイラスト中心で描いていました。

 

それが,自分でマンガを描くようになる転機が訪れます

それはまた後日。

 

 

 

次回は,大学2年生の秋のときのお話。

大学2年の秋は,いろんな決断をしなきゃいけなくて,

その決断により,現在の私が形成される第一歩となります。

ようやく本題「なぜ私は社会科塾講師になったか?」の真相(?)がだんだんと明らかになっています。

一応,色々な伏線がはってあるので,お気づきの方もいらっしゃかもしれません。(笑)

 

 

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第21回 大学時代5 能楽部を退部しようと・・

2013年08月11日 21時58分59秒 | 私自身のヒストリー

ひさしぶりの,連載再開です。更新が遅くなってしまい失礼いたしました。

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第20回  大学時代5 

 

前回は,大学1年のとき,友人と趣味と出会ったことをお話しました。

今回は,そのときの同時期での部活での出来事です。

 

以前お話したように,私は大学1年の前期(4~7月)に,自分に趣味がないこと,友人ができなかったことから,

部活に入ろう!」と決めました。

せっかく日本文化学科に入ったので,それに関する部活に入った方がいいかな?と思いました。

当時は,「日本文化を好きにならなきゃ!」と思いこんでいたので・・。

 

そこで,入部したのが,「能楽部(部活名は違います。)」です。

 

「能楽は,室町時代に観阿弥・世阿弥が大成した芸術」という知識しかなく,

何もわからない状態で入部しました。

 

当時の能楽部は,四学年合わせて8人(私を含んで)でした。

そのうち,同学年の大学1年生は4人(私を含んで)。つまり,部員のほぼ半数!

 

人数も少なく,ほとんどの部員が女子だったので,気は楽でした。

意地悪な人もいないし,自分の苦手な派手な子もいないし・・。

 

ただ,私は,当時,どうしても「能楽」の良さがわからなかった。

 

他の同級生は,好きな演目(能楽の作品のこと)があったり,舞や謡い(能楽での踊りのようなものとコーラスのようなもの)を

することを楽しんだりしていました。

 

でも,私は,好きな演目もないし,練習も楽しくなかった。

「私はなんで,この部に入ったのだろう?」と。

「自分はこの部にいちゃいけないんじゃないか?」と。

 

それで,夏休みの練習のときに,部活を辞めようと先輩に言おうとしました。

まさに,言おうとした瞬間のことです。

となりにいた同級生の1人が「先輩,私,部活を辞めたいのですが・・。」と。

 

「えー!うそーん!」私は心の中で叫びました。

 

「あの私も・・。」とそのときは言いだせず。

なぜなら,まるでその子と話し合ったかのように見られると,その子にも悪いし,

夏の発表会前に一度に2人も辞めたら,残った部員さんたちが大変だろうし・・。

 

・・ということで,冬の発表会が終わったら,「辞める」と言おうと決心。

ただ,冬の発表会の直後に言うのは,さすがに気が引けました。

先輩たちの発表会をやり遂げた達成感に満ちたときに,「私,部活辞めます」と言ったら,雰囲気ぶちこわしだろ!と。

 

なので,大学2年の最初の練習のときに,退部のことを言おう,と思いました。(冬の発表会のあとは部活は休みだった。)

 

しかし,そこでも,思わぬことが!!!

 

 

前にお話したように,私は大学1年の秋学期の,「体育」「西洋美術史」で仲良くなった友人がいました。

私は,その子に一目ぼれして,もっと仲良くなりたいと思っていたのですが,その子があまりにドライな子なので,

授業以外での交流がなかなか出来ずにいました。

 

大学2年の最初の部活動の日。

その部活前の授業で,その友人もたまたま一緒になりました。

 

授業が終わり,「よし!部活に行って,退部の意向を伝えよう!」といきこんだ私にその友人が話しかけてきました。

 

「ねえ,萬火さん(←私のこと)って能楽部だったよね?私も能楽部に入りたいと思って。

 萬火さんがいるので,入りやすいし。」と。

 

「えええええええー!!!」とまたしても心の中で私は叫びました。

 

 

「部活は辞めたい・・・,

け・・けど,

この子ともっと仲良くなれるチャンスをみすみす逃すのはもったいない!」と。

 

それで,

その子と部活内で仲良くなって,部活を辞めても,その子との仲が続くような状態になったら部活を辞めよう!

と決心。

 

・・ということで,大学2年の春は始まりました♪

このあとも,部活でのエピソードはあるんですが,それはまだ後日。

 

次回は,またしても同時期での部活内でのマンガに関するお話です。

 

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悩んでいるときに相手に言われて嫌だった言葉

2013年08月11日 21時54分20秒 | 近況報告

更新が止まってしまってすみませんでした。

更新が止まっている間に,やっと娘が一人で立つことができました

 

娘は,現在1歳8カ月なので,立つのは,かなり遅いです。

(1歳前後で立つ子が多く,ほとんどの子が1歳6カ月までに,一人で立って歩けるようになります。)

 

なぜ,娘が,平均よりも,立つのが遅めだったのかは, 身体的な問題ではなく

精神的な問題,でした。

 

記憶力がよく,一回ひどい目にあったことは忘れない。

なので,二度と同じ失敗は繰り返さない努力をする,慎重な子です。

 

それって,良いことだとは思うんですが,悪く言うと,「臆病」なんです。

 

0歳10か月ころに,つかまり立ちをしているときに手を離そうとしてコケそうになったときがありました。

それからは,絶対,手を離そうとしませんでした。私たちが手を離そうとすると,すぐに足をつく。

 

・・ということで,約1年,一人で立つ気配がまったくありませんでした。

 

  

娘と長い時間過しているメンバー(私と旦那,次いでばーちゃん)は,

娘がなぜ立たないか?の理由は,

全員同じ意見で,「慎重な子だから(悪く言うと,臆病な子だから)」でした。

 

 

 

しかし,娘のことをよく知らない人たちの中には,

 

「すぐ抱くからだわ。(抱っこするからだわ)」

と私たちの育児方法を見たこともないのに,

私たちに落ち度があるような言い方をする方が何人もいました。

 

 

その人たちの子供(や孫)は,平均的な時期に子供(孫)が立ったのでしょう。

彼らは,「それが自分たちの育児方法が正しいから,子供は立った」と言いたいのでしょうか?

 

たぶん,そうではないとは思います。

彼らのほとんどは,他意はないでしょう。

おそらく,「抱き癖をつけるといけない」という古い考えがそのまま残っているのでしょう。

 

 

・・でも,本気で悩んでいる私たちには,そう聞こえるんです。

私の被害妄想だと言われればそうなのですが,

親しい友人たちは,決して,そのような言葉を言いませんでした。

 

「成長は人それぞれだからね。」とか「私の知り合いの子も2歳になって歩いた,と聞いたよ」とか,

私が傷つかないような言葉を考えて言ってくれました音譜

 

 

「すぐ抱くからだわ。」と返答した人は,

少なくとも,私の心を考えるほど,私のことを気にかけてくれるわけではなかっただろうし,

すぐに人を責めるタイプの人間なんだ,と。

 

 

「すぐ抱くことで,立たない」

ということが,もし正しいことなら,

お医者さんが言うはずだし,本にも書いてあるはず。

 

 

しかし,

 

1歳6カ月検診で,お医者さんに相談したら,そんなこともおっしゃられず。

育児書にも,そのような事実は見当たらない。

 

 

根拠のない説で,人に説教しないでほしい,と思いました。

 

 

 

 

また,「一緒に歩いたらいいじゃない?」とかアドバイスを言う人もいました。

その人としては善意で言っているのでしょうが,

「私が何も努力してないとでも,この人は言いたいのだろうか?」とも思ってしまう。

 

その人に言われる前から,そういうことはしていました。

しかし,それでも歩かないから,困っているのに!

 

 結果,よく抱っこしていた状態で,時に任せていたら,1歳7か月~8カ月で急にやる気になり,

ある日,突然,前振りもなく立ちました!

 

「よく抱っこしてるから立たない」という説は,合っているわけではないと,証明できました。

 

 

 

 

今回は,育児に関する事でしたが,これって色んなところで言えることです。

 

人が,うまくできないことで落ち込んでいるときに,

「○○だから,××できないのよ。」とその人のことをよくも知らないのに,その人の態度などを責める言い方をしたり,

「●●したら?」というアドバイスは,

相手に失礼にあたる場合があるのです。

 

 

相手が,悩んでいるときは,相手の状況を聞いたうえで,お話すべきだ,と。

 

「勉強ができない」「成績があがらない」「この科目(内容)が苦手」と,

生徒に言われたときに,その子がどういう勉強をしているか聞きもしないで

「努力が足りないからだわ」とか「教科書をよく読んで」など,自分勝手な意見を言ってしまう人がいますが,

私もそういう風な無神経なことはしないように気をつけなければ!と思います。