社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
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ドラマ「ER」と世界史が心のオアシス!

2014年05月30日 00時24分38秒 | アメリカドラマを観て

昨日もたくさんのアクセスをありがとうございます!

 

やっぱり、勉強のこと、「自由」「平等」「正義」のこと考えると、

強迫性障害の影響で出てくるような不安な内容が消えます。

 

やはり、好きなことをする、というのは本当に生きる上で大切なんだ、と実感しています。

 

今まで、色々とテレビ番組を録画しすぎてHDDの容量が・・・、と旦那が毎回言うので、

録画している番組を優先するようにしていたのですが、

他人の言うこと(他人の気持ち)を優先して、自分の気持ちをないがしろにした結果、

ストレスがたまり、色々あって強迫性障害に・・となってしまったから、

自分の気持ちを優先しても良いところは優先しよう、と思いました。

 

他人を尊重するのは大切だけれど、

自分を最も守れるのは自分、だということは自覚していかないといけないな、と。

 

きつい言い方かもしれませんが、他人はあくまで他人です。

 

その他人が自分を助けてくれるのは、自分がその他人にとって有益な人物、愛せる人物だと感じられる人物のときだけ。

他人に不快な思いをさせ続けたら、他人は自己防衛に走り、

自分を助けるより自分から逃げることを選ぶことだってあります。(もちろん、全員ではないですが・・)

 

強迫性障害になって痛感しました。

 

なので、他人と仲良くなるには、自分が自分を守ってやらないと!と。

 

 

・・ということで、

やっぱり、

心のバイブルアメリカドラマ「ER~緊急救命室~」のDVD鑑賞をしながら、

世界史のお勉強!をすることに。

 

世界史の勉強、と言っても、漫画家になるべく努力中の身なので、

その努力もしていないとまた自己嫌悪→自分に自信がなくなる→強迫性障害に陥っちゃうから、

「世界の服飾史」のお勉強を。

 

将来、世界史の勉強内容を漫画で描きたい!という夢があるので、

服飾の歴史は私にとって必須な勉強の内容で、去年からちょこちょこ勉強していましたが、

やっと、一気に勉強が加速した感じです。

 

今日は、古代バビロニア王国の服飾を勉強しました!

メソポタミア文明って、国の興亡を理解するのが難しくて大変なんですが、

なんとなくロマンを感じて好きです!

 

「ER」も半年ぶりに観たら、やっぱり勇気がもらえるし、

なぜかドラマを見た後、すっごく行動が早くなる!

 

「ER」を見ていると、

毎回悩んで失敗し、それでも、自分の仕事に誇りを持って、ふんばっている!という生き方でいいんだ、

と自分の人生を肯定できるので、本当に素晴らしいんです。

 

他人からしたら、

小学校のころにいじめにあって友人を一気に失い、

中学でも友人がいない時期があり、

2回も流産したり、やっと生まれた子も母乳が大嫌いなうえ、なかなか歩いてくれなく、

私に懐くのにすっごく時間があかり、

3回目の流産もし、強迫性障害にもなり、

現在無職で、家も買う精神的余裕もなく・・・

とだと、「恥ずかしい」人生だと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、

そのことを踏まえて、これから自分はどう生きるか、どう踏ん張るのか?そして何を捨て、何を得ようとするのか?

ということに重点を置いて、生きていきたい、と「ER」を見て、思いました。

本当に「ER」は私の恩師です!!

 

 

やっぱり、1週間に1回は「ER」は観ないと、

そして、世界史の世界にも毎日浸かっていないと

私はストレスを感じ、精神的にまいってしまうようです。

あと、「LAW&ORDER」「クリミナルマインド」「ホワイトカラー」も一か月に1回は観ないと落ち着かなかったりも(笑)。

「LAW&ORDER」は「自由」「平等」民主主義!にあふれているし、

「クリミナルマインド」は精神障害・発達障害のことを本当にわかって描いてくれているし、

「ホワイトカラー」の美術の世界は、見ていてとっても落ち着きます!

 

「クリミナルマインド」では、私の陥った強迫性障害のこともよく描かれているし、

昔、自分にあった能力である超感覚(文字や数字が色で見える、など)など、詳しく描いてくれます。

「クリミナルマインド」を見ていると、自分に「サイコパス」の傾向がなくて本当に良かった・・と痛感します。

 

 

 

ではでは、また「ER」やほかのアメリカドラマを見ながら、ブログの更新もがんばりたいと思います!

 

 

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ドラマ「LAW&ORDER」のおかげで前に進む勇気をもらった

2014年05月28日 23時57分19秒 | 私自身のヒストリー

先日、3回に分けて、

私はなぜ精神的にまいってしまったのか?」シリーズを連載しましたが、

今回はその後のお話をば。

 

私は、強迫性障害になった自分がすごく嫌でした。

日常生活に支障をきたすから、というのもあるし、

周りの人々を傷つけたり、その人の生活を規制させる部分があったり、と

自分の心の汚さを見てしまって・・。

でも、あるドラマを見るまで、

その自分の汚い心が具体的にどう自分にとって嫌なのかわからず、

どうしたらいいか困ってしまっていました。

 

でも、あるドラマのおかげで、自分の心がハッキリわかったら、

少しだけですが、強迫性障害の症状が和らいだのでした

 

そのドラマとは「LAW&ORDER」というアメリカドラマ。

以前、こちらのブログでもこのドラマについてお話したことはあるんですが、

再度、簡単に説明させていただきますね。

 

「LAW&ORDER」は、1話完結の刑事&法廷ドラマで、

前半に事件が起きて刑事が捜査し犯人逮捕。後半に、その捕まった犯人を検事が送検、そして裁判、という形。

このドラマは全20シーズンあり、アメリカでは「ER」「CSI」などの人気ドラマにも影響を与えた、

と言われるほどの、最高峰ドラマの1つです。

展開が早くて、ついていくのに大変なのですが、このドラマに流れる、

人間の人間らしい感情、と、民主主義に対する情熱、にいつも心を打たれます。

 

その中で、強迫性障害になった自分に衝撃を与えた話があります。

簡単に内容を説明します。(1度見ただけなので、細かいところは異なっていたらすみません)

 

テロを計画している可能性が高い人物が殺されます。

犯人は、独自のルートで、テロが行われることを知り、そのテロを阻止するために殺人を犯します。

 

裁判(陪審員のいる裁判。日本で言う裁判員裁判)で、

殺人犯は

「私が彼を殺さなかったらテロで大勢の人が死んでいた。(自分を罪にしたら、これからテロが横行する可能性があるぞ。)」

と言います。

 

時期は、同時多発テロが起こった後(数年後?)です。

物語の舞台はニューヨーク。陪審員の中にはテロの被害者やその近親者もいるかもしれません。

 

もう二度とテロはおこってほしくない」と誰もが思います。

でも、「殺人は罪」という事実もあります。

陪審員の心は揺れます。

 

そのときに、検事は言います。

「テロは怖いでしょう。

テロの可能性があるものは、すべて摘み取って、はやく心の平安を得たい

それは、当たり前の感情です。

でも、我々の住んでいるこの国は民主国家です。

民主主義では、法の前では誰でも平等に裁かれます。

人を殺したら、それは罪です。どんな理由であろうと罪です。

テロが怖いから、疑わしきものはすべて排除する。

それは民主主義を放棄し、テロに屈したことになります。

みなさま、どうか、いつまたテロが起こるか怖いことだとは思いますが、

どうか、我々が築いてきた、この民主主義を忘れないでください。」と。

まさに民主主義の要の1つである「ORDER(秩序)」を守る役目である検事のお言葉!

 

(意味訳ですので、本編とは異なる部分があります。)

 

 

 

この検事の言葉に、思わず涙を流してしまいました。

 

私の感じていた自分の嫌な感情はここにあったんだ、と

 

電池の液漏れが怖い、だから、電池そのもの、また、電池の交換した場所の近くにあったものや服、はすべて排除したい、と。

つまり、これは、「電池の液漏れ=テロ」で、その「テロ」の可能性があるものは先に「捨て=殺し」、

はやく心の平安を得たい、と。

 

自分は、「心の平安」を優先しようとして、

あらゆるものを排除しようとしていた、

という自分勝手」なわがままな部分

すっごく嫌だったのだと、気が付きました。

(強迫性障害の方が、わがままだという意味ではありません。

この感情は、強迫性障害の人だけでなく誰もが持っている感情です。)

 

でも、ドラマではそういう感情を否定しませんでした

その感情があることを前提として、それでも、その感情を優先させないよう努力していこう!と。

 

だから、私もこういう感情があることは認めようと思いました

電池が怖いのは確かで、何もかも捨てたい、という感情はある。

でも、それでも、それを抑えることで、秩序(ORDER)は守られる、と。

そう思ったら、少し楽になったんです。

 

今でも、時々、強迫性障害による怖い感情(すべてを捨てたくなる、手を必要以上に洗いたくなる感情)は出ます。

でも、それで「自分はダメな人間なんだ」と思わず、

そういう感情は出ても、「実行」しなきゃいいんだ!と。

「思うこと」は自由、でも、「実行」は「秩序を乱す」、だから、

私は「秩序」を守るために、「実行」しない努力をしよう!と。

自分の心を否定したら、もう自分は自分でいられなくなるから・・。

そうしたら、もっと私はおかしくなる。

 

 

「LAW&ORDER」は、人間の心の闇を突いてくることが多く、

それはとても厳しいものなのですが、

本気で前を進もう、と思っているときは、それはとても励みになります。

 

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アクセス解析してみました

2014年05月28日 23時10分43秒 | 近況報告

またまた更新が滞ってしまって、失礼いたしました。

現在、こちらのブログでアクセス解析が無料体験できるので、

こちらのブログの検索ワードを調べると、勉強関係が多いんだな~と実感しました。

 

歴史を勉強していて、

この内容がわからないからブログで確認してみようかな?というお方もいらっしゃるのだと思いました。

私が中学・高校のころはまだインターネットを使う、というか、一家に一台パソコン、という時代ではなかったので、

時代は変わったな~と感じました。

少しでも勉強のお役に立てたら嬉しいです。

 

ではでは、更新がんばりまーす!

 

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「なぜ私は精神的にまいってしまったのか?」第3回

2014年05月12日 00時41分39秒 | 私自身のヒストリー

前回の記事の続きです。今回で最終回です。

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「私はなぜ精神的にまいってしまったのか?」第3回 最終回

 

お正月に「電池」のことばかり心配で、ストレスがたまり、身体的疲れも相まって、

ついに、ストレス性の胃痛で倒れてしまった私。

1週間ほど回復できず・・。

 

これでさすがにいけない、と思い、

自分を見つめなおすことにしました。

自分の症状は、強迫性障害という障害だろう、と思います。(実際に病院には行っていないのでわからないですが)

強迫性障害は出産や育児などを機会に、またはストレスによって引き起こされることがあるそうです。

本人も「おかしい」と思っても、その「おかしい」考えや行為がやめられず苦しむ、という障害です。

(アメリカドラマ「クリミナルマインド」などでも時々、出てくる障害です。)

 

それで、第二回で書いたように、

私がなぜ、異常に電池(の液漏れ)が怖くなったか?という原因が、

自分の考えにまったく自信を持てなくなったら、だとわかりました。

 

今までなら、「目に見えない」なら、「ない」と思いました。

しかし今は

 

「本当にないのか?私が見落としているのかもしれない。

だって、私は最低な人間で、

今まで正解だと思っていたものも間違いだったのだから・・。」と。

 

私は、小学校のときに私をいじめた子、中学でひどい裏切りをした子よりも

何倍も努力して、その子たちがおよそ行けないレベルの大学にストレートで受かった、という自信がありました。

そして、就職した塾で、新人いじめが恒例のようにおこなわれたいた校舎で、

私は新人いじめをしず、さらに新人さんとは仲良くなった、という自分が「いじめ」をしないことに自信がありました。

さらに、完全にはいかないにしても、自分は比較的、「公平」で「平等」で、

人間の心理に対する「洞察力」もあり、また「正義感」も強い、という自負もありました

 

しかし、前回話した事件で、「自分にとってひどい仕打ちをした人を悪く言う自分がいたのにショックで、

それで

今まで、自分が「正しい」と思っていたものはすべて間違っていて、

自分は他人をさげすむような、

とても、差別主義者で、心が汚い人間なんだ、」と思いこんでしまったのです。

 

今から考えれば、他人を悪く言うことは良いことではないけれど、

人間だれしも、そういう感情は存在するわけだし、

普段は他人の悪口を滅多に言わない自分が悪口言うんだから、

よっぽど、小中学生のころに受けた仕打ちはまだ癒されていないんだ、と思えます。

 

でも、当時は、とにかく、

「自分は、身も心も汚く」

「自分の考えはすべて間違っていて」

「自分が目で見たものも間違っている、見落としている」

と思い、それが「おかしい」とわかっても、その感情がどうしても消えず。

 

1月に胃痛で倒れてから、必至に治そうとしましたが、

なかなかうまくいかず、

最初は電池の液漏れだけだったのに、次はガラスが割れていないか?の心配、

それが治まってきたら、漂白剤が、それが治まったら、農薬が、防虫剤が・・、という無限悪ループ。

突然、頭にふっとよぎった「これが危ないんじゃないか?」と思ってしまったら最後・・、

それに関するものをすべて捨てたり、掃除しないと怖くてしょうがなくなってしまうのです。

1日中、そのことばかり考え・・。

娘と旦那が遊んで笑っている横で、自分も一緒にいるはずなんだけど、

見えない壁が見える、という孤独感・・。

 

 

もう周りの家族も、うんざり、イライラ・・。

とくに、どうやって私を扱っていいかわからず、

私に対し、どんどん冷たい態度になる人もいました。

 

それで、自分が失ったものに気が付きました。

それは「信頼」です。

 

「俺が何を言っても、どうせ、君は聞かないんだろう!」

とか

私がそういうつもりで言ったわけではないのに、

「どうせ、怖くて触れないんだろう!全部、捨ててやるよ!」と怒鳴られたり。

 

その人がそう言うのも無理はない・・・。

もう、これから私がどう言おうが、この人は私をずっと馬鹿にするんだろう、と。

そして、回復したとしても、この状態に一回でも陥ってしまった自分は、二度と信用してもらえないだろう、と。

 

 

このまま、悪化したら、家族は私を見放すかもしれない、と。

 

 

それに気が付いたころから

強迫行為(確認強迫)をしすぎない努力をしよう!と心に決めました。

でも、だんだんは良くなっているけれど、ときどき、失敗してしまう。

それの繰り返しをしているときになんと妊娠発覚!娘に弟か妹ができるかもしれないのです!

 

 

しかし、妊娠が発覚してから、また、自分の強迫行為がひどくなりました。

そして妊娠発覚後1週間で、流産しました。(それが4月で、そのためにブログの更新ができませんでした)

今回、まだ胎嚢(胎児の入る袋)もできておらず、先生には「着床障害で、これはたまたま。」と言われました。

強迫性障害のせいで流産したわけではないのでしょうが、

妊娠発覚した1週間は、とにかく、心配で心配で、強迫行為がエスカレートするわ、

他にも色々と自己嫌悪に陥ることが多くありました。

 

このまま、妊娠を継続できていたら、私は、もっと強迫性障害がひどくなっていたかもしれない・・。

だから、亡くなった赤ちゃんは、

「私に早く強迫性障害をなくせ。そして、今、生きている長女のために回復しろ!」

というメッセージを残すために私に1週間だけ宿ってくれたのかもしれない、と。

 

まだエコーで姿もできていなかった、私の赤ちゃんの死を無駄にしてはいけない、と本気で思いました。

 

それで、こちらのブログに書いて自分を見つめなおすぞ!と。

 

今思うと、

私は「娘に愛さている」という実感や、「自分が妊娠できて出産できる」安心感がほしかったんですよね。

でも、それって、ルネサンス期に「免罪符」を求める富豪たちと一緒の考えではないか!と。

「天国に行ける」安心感がほしいために、彼らは「免罪符」を買ったのです。

現世で好き勝手しても天国に行けるという安心感・・。

 

 

私は、もう自分の汚い部分や失敗した自分を見たくなかった、

「いじめ」時代のように皆に愛されず嫌われ蔑まれているという経験を二度としたくなかったんです

 

まだ、強迫性障害の状態は完治はしていないです。

でも、1週間で亡くなった子供の死を無駄にしないため、そして、自分や今、この世に存在している家族のために、

何が何でも回復しなければ、という気持ちは日に日に強くなってきます。

家族の、失った「信頼」はもう二度と取り戻せないかもしれない。

でも、第二次世界大戦で失った「信用」を、日本やドイツは戦後50年以上かけて回復させてきたではないか?

まだ、すべての国が日本やドイツを「信用」はしていないけど、それでも「信頼」してくれる国も多くなった、と。

だから、完全な「信頼」を取り戻すのは無理だけど、努力することで、少しは良くなると信じ、

長期スパンで頑張ります。

 

今回でこのシリーズは終わります。

 

いつか、完全に完治したよ、という記事を書けるのが夢です。

 

ご覧いただき、ありがとうございました。


「なぜ私は精神的にまいってしまったのか?」第2回

2014年05月11日 00時28分26秒 | 私自身のヒストリー

2前回の記事の続きです。

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「私はなぜ精神的にまいってしまったのか?」第二回

 

2回の流産後から自分に自信がなくなった私

でも、それは「体」に関する自信、のことだけでした。

 

しかし、今度は、自分の「」に関する自信、がなくなる出来事が起きたのです。

 

それにより、私の潔癖症・神経質は加速し、被害妄想が強くなり、

強迫性障害(強迫神経症)のような状態に発展していくのです。

 

 

 

その出来事とは何か?というと、

小中学生のときに、「友人だった人」とその関係者、と会わなきゃいけないことになったときに、

「あの子は××だったよね・・・。」とある人(Aさん)に愚痴ったら、

「さっきからグチグチうるさい!会いたくないなら、そう言え!」と怒られました。

 

 

「会いたいか」「会いたくないか」と言われれば、そりゃ会いたくない。

その子にひどい裏切りを受けたのだから、私。

でも、いろんな人間関係とある大切な人(Aさん)との付き合い、を考えると、

「会う」行為されするば、それですべて丸く収まる、のがわかっていました。

だから、「会う」ことは良いんです。

でも、Aさんに一喝されたとき、「その子のことを悪くも言ってはならないんだ。」とそのとき感じてしまったのです。

 

としては、そういう意味でなく、

「どうせ嫌でも、会うんだったら、もう覚悟を決めろよ!」という意味だったのでしょうが、

そのときの私としては、

「いくら、自分にひどいことをした相手でも、その子の性格や生き方を悪く言うなんて、

私はなんて心が醜い人間なんだろう!最低な人間だ!」と思ってしまったのです。

 

しかも、その子は、簡単に妊娠し、何人も出産できてる。

私は?私は2回流産しているよ、お腹の中で宿った生命を殺したんだよ、私。

2回の流産も、原因は染色体異常で、私が何かしたことで流産したわけではないです。

ただ、現在、なぜ、その染色体異常が起こるのかは不明だそうです。

 

そのため、

「現在解明されていないだけで、もしかしたら、染色体異常になったのは、

私が何かをしたからでは?」

と思ってしまったのです。

1回目の流産のときは、カビ取り洗剤を使って掃除したから?飛行機に乗ったから?部屋が汚かったから?

2回目の流産のときは、寒いときに腹巻をしなかったから?

とか・・。

 

「たぶん、ほかの子は、すっごくキレイな部屋に住み、薬品にも手は出さず、キレイな生活をしているんだ。

妊娠中に危ない、と言われるものは彼女たちはすべて知っているんだ。

でも、私はそうじゃなかったから・・。」という考えが出てきてしまったのです。

ただ、半年前までは、そういう考えが頭によぎっても、

「じゃあ、戦時中とか高度経済成長の大気汚染がひどいときとかでも、みんなふつうに産んでたじゃん。」と思えるんですが、

あの一喝された出来事以来、

自分の考え方がすべて間違っている気がし、

自分の心や体がすべて汚れているような気がしてしょうがなかったのです。

 

さらに、娘も、私に懐いているのですが、

なぜか、当時、外にいるときは、旦那か私の実母以外に抱かれず、私が抱くと、怒り出すことがありました。

ご飯も、旦那や私の実母が作っていると、泣き出して、抱っこしてもらおうとして、

私がいくらあやそうとしても、旦那や実母のところに行こうとします。

しかし、私がご飯を作っていると、旦那や実母とおとなしく遊んでいるのです。

 

自分の家にいると旦那に、実家にいると実母に、娘が取られているような気がしました。

 

私と1人きりでいるときは、私にくっつきまくるし、よく笑うし、

寝るときは、私にくっついて寝ます。だから、娘は私を嫌っているわけではないのはわかるんです。

 

また、旦那や実母も、

「お母さん(私のこと)は、いつでもいてくれるから、仕事で長いこといない旦那、実家に帰らないと会えない実母、が

いるときは、そちらとめいいっぱい遊びたいんだろうね。」と言ってくれます。

確かにその通りなんでしょうが、どうも感情が許さない。完全に自分で納得できていない。

 

娘は母乳が嫌いで、私は完全母乳で育てた母親のように、

娘と私だけの絆、というのを赤ちゃん時代に感じ取る経験を出来ませんでした

(娘が母乳が嫌いなのでなく、食べる行為自体が嫌いなだけなのですが・・)

 授乳期は

「この子は、母乳しか飲まないから、私はどこにも出かけれらなくて。」と言う母親がうらやましくてしょうがなかったです。

 

「ミルクを飲ますだけなら、自分でなくてもいいじゃん、私って娘にとって何?」とひがんでしまう。

 

また、1歳前後で1人歩きをするのが平均的なんですが、

娘は1歳8か月まで歩きませんでした。

育児書には、1歳6か月を過ぎても歩かないなら、脳神経外科に、と

書いてあったので、1歳~1歳8か月までは、「もしかして、この子は一生歩けないかもしれない。」と悩みました。

「2回も流産した私が産んだ子だから、もしかして・・。」という考えがよぎって。

どこにもそんな根拠はないのに。何度も流産する人は多くいるのに・・。

 

または、「私の育て方が悪いから、娘は歩かない?」という考えも。

 

時々、「すぐ抱くからだわ。」と、私が実際に娘を抱きすぎている行為を見たわけでもないのに、

私を責めるような言い方をする人もいました。

 

そのため、だんだんと自分の子育てにも自信がなくなりました

 

 

実際には、娘は極度の怖がり&めんどくさがり、なだけだったようで、歩くのに時間がかかっただけでしたが・・・。

 

 

このように

「他人を悪く思う心」のある自分がとても汚らしく、最悪な人間だ、と感じ、

さらに、娘にも好かれていないと感じ、

自分の育児にも自信をなくし・・・、

 

それで自分が正しいと思っていたものがすべて間違っている、

いう気持ちが出てきて

自分の存在そのものに完全に自信をなくしたのでした。

 

そのころに、そろそろ2人目をつくろう、と(娘を産んだ直後に)考えていた時期に突入しました。

 

しかし、2回流産していることでの自信のなさ、

さらに、自分の心や考えに完全に自信をなくしていた私は、

「2人目妊娠のために、自分が身も心もキレイにならなきゃ。危ないものは全部捨てなきゃ、なくさなきゃ。」と

いう気持ちが出てきました。

そんな矢先の電池の液漏れ目撃事件でした。

 

それで、2つがくっついてしまい、

「電池がもしかして、2回の流産の原因だったかも。」と変な考えが出てしまいました。

電池が怖くてしょうがなくなりました。

 

旦那や実母がどんなに「違う」と言っても、

「もしかしたら・・。」と思ってしまい、考えを譲れない。

白い物体を見ただけで、手を洗い、服を変え・・、心配になりPCで調べ、の繰り返し。

 

旦那も実母も、そんな私の状態を見て、呆れたり、怒ったり・・・。

 

私だって、自分がやっていることがおかしいのはわかっているし、自分の行為をやめたいんです。

 

でも、やめられない。

 

1回、「もしかして・・。」と思うと、そればかり考えて、止まらない。

そして、寝られない。

 

 

そんな状態が1か月続きました。

その間、電池の粉がどこかに入っているのかも?と思うとご飯があまり食べられず、

毎日の洗濯も膨大な量、何度も石鹸で手をあらい手が荒れて痛いけどそれでも洗い続けてしまう、

何度もシャワーをあびてしまう、心配事で頭が離れない、そして寝られない。

この間に、娘に好かれたい一心で、娘をいろんなところに連れていき、体力もかなり消耗。

岐阜でも三重でもあらゆるところに連れていきました。

でも、それでも寝られない。

私の体はだんだんと弱っていきました。

 

ただ、1つだけ良いことは、

「お母さんだけでいろんなところに行けるじゃん」と思った娘が、

だんだんと外でも私に抱かれるようになったのです。

それは嬉しかった。

 

 

そして、年末に名古屋では雪が降るわ、娘は風邪をひくわ、で大忙し。

そして、第1回で話したように、正月に実家で胃炎(?)をおこし倒れたのでした。

 

次回に続きます。


「なぜ私は精神的にまいってしまったのか?」第1回

2014年05月10日 00時28分17秒 | 私自身のヒストリー

前回の記事にも書きましたが、

ここ半年ほど、精神的にまいっていて、自分の心の闇に対面しなきゃいけない状態になっておりました。

でも、さすがに、自分のためにも子供のためにも、そこから脱却しなきゃ、と思いまして

自分を見つめなおすために、こちらのブログに何回かに分けて、ここ半年の私のお話をしていきます。

 

 

「なぜ私は精神的にまいってしまったのか?」シリーズ 第1回

 

 

2014年のお正月、年始のあいさつで自分の実家で寝ている夜のことでした。

その日は、旦那もまじえ、夜に宴会をしました。そして、そのまま泊まって、、

次の日に初詣に行こう、ということになっていました。

 

夜中の2時ごろに、突然、気持ち悪くなって目が覚めました。

胃がゴロゴロするというか、キリキリするというか・・・、奇妙な痛みでした。

そのあと、2時間がんばって寝ようとしましたが、どうしても寝れない。

 

それで胃薬を飲んだら、なんとかおさまり寝ました。

 

しかし、朝、起きたら、もう立つのもできないほど、胃が重い。

 

私の状態を見て、実母は、「今日は休んでなさい!この子(私の娘)は、私たちが面倒見ておくから」と。

 

それで休んだのですが、2日経っても起き上がれない。

その次の日に遊ぶ約束をしていた、友人にも、会うのをキャンセルするメールを送りました。

せっかく、私のために時間を空けてくれていたのに、前日の夜にドタキャンするなんて悪い、という気持ちが残り、

次の日、よけいに胃が悪くなりました。

 

なんとか、4日目に、固形物が食べられるようになりました。一気に1キロ痩せていました。

 

そのあと、1か月ほどは、食事量はかなり少ない状態でした。

 

 

これだけだと、ただの育児疲れ、とか、年末が寒かったので寒さ疲れ、と思われるかもしれませんが、

これは、精神的ストレスがもたらしたものに間違いありません。

 

倒れている間も、私の頭の中では、ずっと、

「電池が・・、電池が・・。」でした。

 

実は、1か月前あたりに、市のゴミ出しで年2回の電池の回収があったので、

今まで放置していたものから、いくつか乾電池を取り出していたところ、

2つの物から、電池の液漏れが起こっていて、白い粉がついていました。

実際に乾電池を外していたのは旦那なのですが、近くで私はその電池の液漏れを実際に見てしまっていました。

 

そうしたら、突然、電池が怖くなったのです

液漏れしたものは、下手すると目が失明するそうで、また、皮膚を溶かす作用もあるそうです。

ただ、水によく溶ける性質なので、すぐに洗い流せば大丈夫な場合もあるそうです。

 

ふつうの精神状態なら、

「目にさえ入らなきゃいいじゃん。」

「手に白い粉がついたら、すぐわかるからそのときに手を洗えば大丈夫」

とか思えるのですが、

 

あのときは、

「気が付かない間に、電池の白い粉がついていて、それを飲んでしまったらどうしよう。」

「娘が、白い粉を見つけ、それを目に入れたらどうしよう。」

などの不安がどんどん出てきてしまいました。

そして、

「この白い粉が、私を不妊症にしたり、もし妊娠できたろき流産や早産を引き起こしたらどうしよう・・、と。」

 

電池を取り出したときに、白い粉は落ちず、ちゃんとゴミ袋に入っているのを見ました。

だから、どこにも白い粉はあるはずないのです

さらに、電池を取り出した際に、使用した棒も、白い粉がついている気がしていて、

さらにさらに、その棒をいったん旦那が置いた机にも白い粉がついている気がしてきました。

 

どこにも白い粉なんて、見当たらないのに。

 

どこかに白い粉が落ちているような気がして、怖くて怖くて、部屋が汚いような気がして、

生きた心地がしませんでした。

時間さえあれば、PCやスマホで、電池の液漏れのことを調べる日々。

好きなアメリカドラマも見る気になれず、ひたすら、調べる日々。

 

調べても調べても、「失明や皮膚を溶かす」という害以外は見当たりませんでした。

 

 

実は、私は主に何を調べていたかというと、

 

「電池の液漏れの液(白い粉)で不妊症・不育症になったり、妊娠しても胎児に影響があるのではないか?」

いうものです。

 

現在33歳の私。35歳までに2人目の子供を産みたい、という希望があります。

 

2回流産したことから、自分の体に全く自信がなくなり、3回目の妊娠にはとても慎重でした。

3回目に妊娠したときも、かなり神経質に過ごしていました。

出産後も、娘がいつ死んでしまうのか?という考えが出てきて、娘が1歳くらいまでは、不安でした。

娘はとんでもなく元気なのに、2回も流産してしまった自分という存在が産んだことに自信がなく、

どうしてもその気持ちが出てきてしまいました。

育児書で、「危ない」「汚い」とされることに対しては

すごく慎重でした。

 

でも、そのころは、ちょっとした潔癖症、神経質、という程度でした

周りの人も、そういう認識でした。

 

 

 

 

 

しかし、娘が1歳半くらいから徐々に、私はおかしくなっていきました。

極度の潔癖症・神経質、になったのです。

 

 

次回に続きます。

 

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この1年間の私

2014年05月10日 00時21分24秒 | 私自身のヒストリー

4月中はほとんど更新できず、失礼いたしました。

先ほど、過去の記事(中学の定期テストについてい)を再編集してアップしました。

 

塾講師・家庭教師を辞めて3年・・。

もう、教育業界では浦島太郎状態です。

いつか、また教育業界に戻れるのか不安になったりも・・。

 

10年間、この教育業界に身を置けて、すっごく幸せだったのだな、と今になって思います。

教育のことを考えるだけで、自分に自信が持てたし、周りに惑わされなくて済んだから

周りの人が、結婚しようが、お金持ちになろうが、子供ができようが、気にはなっても、

精神的におかしくはならなかったんです

 

でも、実は、1年前くらいから、私は精神的におかしくなってしまったのです

他人のことが気になってしょうがなく、自分に自信が全くなくなった・・・。

 

そして、ちょっとしたことで、必要以上に心配性で潔癖症になり・・。

半年くらい前から、その状態が自分でも異常に感じてきて、3か月前にストレスによる体調不良に陥り、

それで自分の精神状態を治そう、と決意し、何度も失敗して今に至っています。

ただ、少しずつ、自分を見つめなおすことで、治りかけているような気もするようなしないような・・、という状態です。

 

 

今までは「いじめに合おうが、先生に不当な評価を受けても必至に勉強して這い上がってきた自分」を誇りに思っていたし、

なんだかんだ言って、一番好きだった社会を教えられることが、精神的安らぎだったようです。

塾講師時代は、上司との関係が悪く、辛くて、なぜこの業界を選んだんだろう、という迷いもありましたが、

教育業界と社会科は、そんなときでもかなり私の精神を安定させてくれていたのだ・・と。

 

他のことでは、私の精神は一時的に安定はしても、完全には安らぎを与えてくれない。

 

どんなに他人に批判されようが、馬鹿にされようが、

勉強と受験などの教育のこと、社会科のことは、「自分の信念」が揺るがなく、

戦う気力がいつでもある。

失敗しても平気。

努力を惜しまない。

 

・・でも、ほかのことは?

「私なんて・・・」と必要以上に自信喪失。

それでどんどん悪循環に・・。

 

このままではいけないな、と思うので、

これから何回かに分けて、私がどうおかしくなったのか?を振り返る記事を書きたいと思います。

振り返ることで、この精神的な辛さから回復できれば幸い・・と。

自分をだまし続けている、逃げている限り、回復はできない、と感じました。

 

ではでは、何回かに分けて、この1年間の私のお話を記事にしていきたいと思いますので、

よろしくお願いします。