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歴史模擬授業(第24回 条約改正と日清・日露戦争)②-1  

2010年12月18日 15時36分38秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第24回 条約改正と日清・日露戦争です。詳細は昨日の記事①をご覧ください。

※今回は、戦争や植民地政策について説明するため、当時の戦争の価値観や戦争のメリットも話します。

しかし決して、戦争や植民地について良いことだとは思っていないので、

そのことを念頭において授業を聞いて頂くようおねがいいたします。

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「さて、では今日は明治時代の三回目。」

「わーいわーい。」

「明治時代の一回目と二回目は国内の内乱や政治の動きをやったね。」

「うん。帝国議院(国会)もできたし、大日本帝国憲法も発布されて、

だんだんとヨーロッパっぽくなってきたんだよね。」

「うん。そういうことだね。そして、なぜヨーロッパのようにならなきゃいけないか、というと

江戸時代に結んだ不平等条約を改正したい、と思ったからだったね。」

「うん。不平等条約って、治外法権を認め、関税自主権がなかったんだよね。」

「うん。それで、何度も条約改正の交渉を日本はするの。でもうまくいかない。

明治の最初に、岩倉使節団を派遣して条約解消をしようとするんだけど、

近代化していない(ヨーロッパのような政治形態になっていない)日本は相手にされなかった。

それで、帰国後、彼らは国内の近代化(民主化)に力を注いでた。」

「この前、習ったところだね。」

「また、岩倉使節団以後の条約改正の努力の一環として、

外務大臣の井上馨(いのうえかおる)が鹿鳴館(ろくめいかん)という

欧風(ヨーロッパ風)の建物を立て、そこで舞踏会を開いたりもしたんだけど、

ヨーロッパのまねごとにすぎない、と言って馬鹿にされておわってしまったりね。」

「なかなか難しいよね。」

「そんななか、1886年に、条約改正に対する国民の声が高まる事件がおきた。

それが、ノルマントン号事件というもの。」

「?」

「イギリス船ノルマントン号が、紀伊半島の沖で沈没してしまったの。

そのとき西洋人のほとんどは救出されたのに、日本人乗客は置き去りにされ全員死亡してしまった。」

「えええええ!」

「ひどい事件!」

「でも、そのときのイギリス人の船長は裁判の結果、軽い罪に問われただけだった。」

「あ・・・、治外法権を認めているから、イギリス人を日本で裁けない。

そうか、だから、国内で条約改正の声が高まったのね。」

「そういうこと。ノルマントン号事件は私立中入試でよく出るので絶対に覚えておいてね!」

「はい。」

「で、さらに条約改正のために日本はヨーロッパと交渉を重ねる。

その交渉をしているうちに、外国との関係で大きな事件が動き出していく。それを次に行うね。」

「はい。」

「国内はある程度、ヨーロッパのような政治形態になった、と話したね。

では次は外交もヨーロッパのようにならないといけない。

・・ということは、ヨーロッパのように植民地を持ち、

植民地をうまく利用して自分の国の利益をあげよう、とも考えたの。

もちろん、今では絶対にやってはいけないことだよ!」

「・・つ、つまり、ついに日本は植民地を獲得するために外にでていく。」

「それって、戦争をする、ということだよね。」

「そうなのよ。だから、日本は条約改正交渉をしつつ、

植民地を獲得するために対立する国と戦争することになっていくの。

それが今日の中心となるお話。」

「うーむ。ついに戦争の時代に突入するのか・・。」

「では、まず日本はまず、どこに勢力を伸ばしたいのか、というと、朝鮮であった。

(悪い言い方で申し訳ありません)」

しかし、清(中国)は、

朝鮮を属国(植民地とは違い、兄弟関係にある国。兄が清、弟が朝鮮という感じ?)だと

考えていたので、日本と清の間で、朝鮮をめぐって、対立がおきたの。」

「そうなんだ。」

「でも、突然攻撃を仕掛けたらいけないでしょ。全世界から総批判だ。

だから、お互いに、おとなしくしていた。そんなとき、あるきっかけがおこる。

それが、朝鮮国内で起きた反乱、甲午農民戦争東学党の乱)。

この反乱を抑えるために、清も日本もどちらも朝鮮に出兵します

そして反乱がおさまったりかけた。

しかし、清と日本との間に衝突がおこり始める。」

「いつ、戦争がおきてもおかしくないのね。」

「うん。でも、それでもまだ日本は一歩を踏み出せない。

なんといっても、大国の清。

1000年以上、日本にとって中国は上のまた上の存在。

当時からしたら、昔から大変お世話になった

怖くて強く頼りがいのある中国に

自分たちが勝てるかわからない、と。

そんなときに、日本を後押ししてくれる出来事がおこる。」

「え?なに?」

「なんと、条約改正交渉が成功した。

イギリスの間で治外法権が撤廃された

そのときの外務大臣は陸奥宗光(むつむねみつ)。」

「おお!そんなときに。」

「つまり、それはイギリスが日本に対して、(ある程度)日本はヨーロッパの国々と

同等だと認めたともとれる。」

「つまりそれって、日本国内の状態はイギリスに認められたってことね。

つまり、あとは・・外交。」

「そう。

それに当時、日本国内でも、帝国議会の会議で、

いつおこるかわからない戦争のための軍事費について削るか、

必要とするかどうかで、衆議院と政府(内閣)との間で

ずっと対立していた。

だから、ここまできて戦争をしずに帰ったら、絶対に軍事費は削られると

日本政府は思ったのもあった。

そこで、日本は清に宣戦布告をする。戦争開始だ、と。」

「ついに戦争が始まってしまうのか・・。」

「それが、1894年日清戦争。」

「・・・。」

「そして、日本が勝利します。」

「え?日本が勝ったの!?」

「うん。これには、日本自身もびっくりしたけど、全世界がびっくりしたの。

当時の中国は、「眠れる獅子」と呼ばれて、いざとなったら本気を出すだろう、と思い、

ヨーロッパの国々も警戒していたんだ。

しかし、日清戦争で日本に負けたのを見て、ヨーロッパの国々は清にはもう力がないのかもしれない、

と思い、どんどんヨーロッパの国々が中国に進出してしまうの。(もちろん、よいことではありません。)」

「うわー。」

「この日清戦争の勝利によって、日本はどんどん変わっていき、ついにはヨーロッパの一員になり、

そして最後は悲劇をもたらすことになります。」

「そうなんだ・・。」

「では、話を少し戻して、日清戦争のあとの話。

戦争が終わったら、かならず講和条約を結びます。

戦争責任は、全部負けた国にあり、負けた国が勝った国に賠償金を支払ったり、

領土を一部ゆずることが

あたりまえでした。」

「えー、それっておかしいよ!

戦争が悪いものだってわかってて、戦争をし、終わったら責任は負けた国?!」

「おかしいよね。でも、当時はそれが普通だと思っていたの。だから人間ってこわい。

つまりこれは、戦争をおこし、勝てば大きなものが得られるけど、負けたらすべてが終わり。

だから、勝ち続けなければならないのよ。」

「ほえー。勝たなきゃ終わり・・。こわいなぁ。」

日清戦争のあと、日本は清と、条約を結ぶ。その条約の名は下関条約

条約を結んだときの日本の代表(全権)は伊藤博文陸奥宗光(むつむねみつ)、

清の代表(全権)は李鴻章(りこうしょう)です。」

「あ、また伊藤博文が出てきた。」

「条約の内容を見ましょう。

 まず、朝鮮に対して、清は朝鮮を完全な独立国である、と認める。とした。」

「え?独立国。」

「ほら、さっき、朝鮮は清の属国と清は考えていた、と言ったでしょ。

だから、その関係をなくし、朝鮮と清には何の兄弟(子弟)関係にない、としたの。」

「それって・・つまり、朝鮮はもう清に守ってもらえない、とも取れるんだよね。」

「そうなんだよね。つまり、これは、日本がいつか朝鮮を植民地に、と思っている、ともとれるんだよね。

(その考え方は現代ではいけないものです)」

「うーん。」

「あと、下関条約の内容としては、

日本は清から、

遼東半島(りゃおとんはんとう)、台湾(とそれに付属した島)と、澎湖諸島(ほうこしょとう)を

譲り受けます。

また、賠償金として銀2億テール(当時の日本のお金で約3億1千万円)を清が日本に支払うことを決めます。」

「・・・・」

「これで得た賠償金の一部は、

のちに、北九州に八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)をつくることに使われる。

製鉄所をつくったということは、鉄をつくれるということだから、日本はついに外国から武器を買わず、

自分の国で武器を作ることができる、ということ。・・つまり、これでよけいに日本はだんだんと戦争の世界に

入っていくことになるのです。」

「そうやってつながるのね。」

「で、獲得した領土なのですが、このあと、他の国との関係でいざこざがおこります。

そしてそれによって、日本はもう1つ新たな戦争に乗り出していくのです。」

「そうなの?!」

「うん。ここは、1つ1つの事件がつながっていくから、つながりも一緒に覚えましょう。」

「はい。」

「で、気をつけてほしいのは、

戦争はいけないこと、植民地をつくるのはいけないことは前提に

勉強してね。この時代は、日本が海外に対し、

とても失礼な行動をとり、謝っても謝っても償いきれないことを

していた時代。だけど、この負の歴史を勉強しなければ、未来はつくれない。

二度とこういうことをやらないでおこう、という反省をもって、未来をつくるのだから。」

「はい。わかりました。」

「だから、先生は戦争や植民地政策について説明するけど、

決して、戦争や植民地について良いことだとは

思っていないことを念頭において授業を聞いてね。

そして、君たちも、戦争や植民地政策を良いもだと決して

思わないように。私たちは今、負の歴史を学んでいます。」

「はい!」

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続く

 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

作者は平和主義です。