社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が
勉強方法や社会科について書いています。
歴史模擬授業も展開中♪

「戦国BASARA」を観て

2010年07月29日 11時14分54秒 | 歴史へのつぶやき&興味

歴女ブームの火付け役の1つとなったゲーム「戦国BASARA」。


この作品の名前は知っていたんですが、最近まで、どういう内容なのか知りませんでした。

それがたまたま、ある日TVをつけていたら、

「戦国BASARA2」のアニメの第一回目が放映されていて、

「なんだ、このアニメ?」と思って見ていたら、

妙にバカでかい秀吉が登場し、大笑い!

「このでかさはおかしいだろ!」

「これじゃあ、馬にのれんだろ!」

「この人なら、将来、病気にならんだろう!」と。

あそこまで、アレンジしすぎると、史実がどうのことうのと考えずに笑えて良いのかもしれませんね。

 

パロディってやりすぎたら、1つの独特の世界観ができるんだな~と感動しました。

 

だから、私も、「こういう風だとお客様に怒られるかも・・。」と思って、いいわけめいた作品でなく、「これはこういう作品!」と堂々として作品作り(ブログ更新)ができたらな~と思いました。


映画「ジュラシックパーク」を再度観て・・

2010年07月26日 15時38分48秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識

この前、映画「ジュラシックパーク」のDVDを借りて、約10年ぶりぐらいに観ました。

最初にこの作品を観た時は、とにかく迫力に押され、ただただエンターテイメントとして楽しんでいましたが、30近くなってからもう一度見直すと、この作品は、1つの重要なメッセージ性を備えていることに気がつきました。

それは、「人間のおごり高ぶりを戒めている」そして「科学では推し量れない生命の神秘」というもの。

新たなる生命を作りだしたり、殺すというのは、神の領域で、人間が手を出してはいけない、というキリスト教的考え方があります。

一度、神の意志でほろんだ恐竜を、人間のテクノロジーを使って行うのは、入ってはいけない領域なのだと。
科学技術の進歩は素晴らしい、でも、それがすべてだと思って、神の領域に入ることは、人間そのものの崩壊を招くのかもしれない。
まさに、神話にある「バベル」です。


事実、「最新の素晴らしい技術」で、「メス」の恐竜だけを作って放牧していたはずが、途中で突然変異して、オスが誕生し、人間の知らぬところで、恐竜たちは繁殖を始めました。
また、電流の流れる檻などで管理していたのに、1人の人間のエゴがきっかけで、その管理体制が崩れ、恐竜たちに人間は襲われ始めるのです。

スピルバーク監督は、エンターテイメントとメッセージ性の同時を成し遂げた、素晴らしく偉大な方です。

私も、授業でエンターテイメント性を備えながらも、メッセージを上手に伝えられるような授業をできるよう、がんばりたいです。



20代と30代の生き方の違い

2010年07月24日 22時12分41秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

昨日は300近いアクセスありがとうございます。

 

あと少しで、私は20代最後の誕生日を迎えます。

出産のこととか考えると、30に近くなるのは怖いんですが、それを抜けば、私は別に30代になることに悪い感情はありません。

どうしてかというと、「ここまで頑張って生き抜いてきた。がんばって自分の道を切り開いてきたな~。」と思うからです。

20代って激動の時代で、さらに迷い・失敗の繰り返しの大変な時期ですよね?

大学に入って、就職し、結婚するかも迷って、出産できる人はして子ども育てて、または仕事で転職したり、役職つきにになるか・・とか、人生の分岐点は20代。(結婚は30代でも40代でもいつでもできるけど)

私がしたかったことは本当にこの仕事なんだろうか・・という悩み、私はこのままの生活をずっと続けていけるんだろうか・・という不安、結婚したいけど私(僕)は今つきあっている男性と結婚しても大丈夫だろうか・・という迷いなど、いろいろありますよね・・。

20代に、多くの選択肢の中から選び、何をどれだけ頑張ったかで

30代の生き方が決まってくると私は思うんです。

 だから、30代になったら、「20代のようにどれをがんばって始めたら良いか、を悩まず、今まで頑張ってきたものを熟成できるように頑張ろう!」と頭の切り替えができるのは、嬉しいことです。

私の場合は、教育についてどのように熟成させていくか、というのが今後の課題です。

体力が衰え、高齢出産の年齢に近づくのに不安がないといえば、うそにはなるけど、30代の楽しみも多いので、30代に近づくのを楽しもうと思います。

あせっても楽しんでも、30代に近づくんなら、楽しんだ方が良いもんね、と。

 


古代ローマのパンを食べてみました

2010年07月06日 11時16分43秒 | 歴史へのつぶやき&興味
昨日、記事に書いた古代ローマのパンを食べてみました。
粉と塩と水だけでつくったパンだそうです。
食べてみたら、ライ麦パンのような味がしました
ピーナッツクリームをつけて食べたら、おいしかったです。

古代の人の生活が垣間見れた(感じられた)良い機会でした。

「国語」についての教育論を語ってみる

2010年07月05日 12時26分25秒 | 教育者としてのつぶやき

今回は、「国語」について自分なりの教育論を語らせて頂きます。

あくまで私の意見なので、ただの参考としてご覧頂けるとうれしいです。

「あんたはおかしい!」と言われても、私にはどうすることができませんので、ご了承のほどお願いいたします。

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私は「国語」というのは

相手(作者)を理解すること」に重きを置いて、深く掘り下げながら、自分なりに行間を考えるもの」

だと思っています。

なのに、「国語は人それぞれの答えがあるから~」と言って、最初っから「自分の価値観」で見ちゃダメ!

と言う方がいらっしゃいます。でも,それは「すーっごく浅い」見かただと私は思います。

相手を理解することで自分を理解できる。
相手を理解することを放棄したら、自分も永遠にわからない!

 
「相手を理解して、自分の意見がなくなる」という程度の自分の意見なら、

それは、うすっぺらい意見だったってことです。

 
相手を理解して、なお自分の考え持っている」ことが、

前に進み、新たなものを創造する力を育てる」ことになるのです。

だから

 

「相手の言っていることを理解し、

そのうえで、自分の意見を持ち、

それを他人に理解してもらえるように表現する」力を

育てるのが「国語」の役割だと思うんですよ。

これって、「教育」の根本をなす考え方ですよね?

そしてリーダーシップの取り方や他人との共存方法を学べるます。


部下(上司もしくは仲間)を理解しつつ、自分の一貫した意見も持って、それを相手にわかるように伝えるのが、リーダーとしても、仲間(部下)としても大切なんじゃないかな? と。


なのに、「国語」の勉強放棄をしている先生もいらっしゃって、怒りたくなるけど・・、

私も昔そういうときがあったから、「その先生」批判でなく、「そのやり方・姿勢」批判をしたいと思います。


それは自分の反省にもつながるし、これから「楽しよう」とする自分を戒めることもできるので。

今までは、「国語」に対して、暗い気持ちしかありませんでした。

国語系の大学の学部に入って、あまり日本文化が他の方と違い、好きになれなかったことへのコンプレックス、

などから,「国語」そのものを見ていなかったんですよね、私。

それが、そういうしがらみから離され、

「国語」でなく「現代文」という別の人物(?)に出会ったことで、

「現代文」の属している「国語」に対して、嫌な感情が薄れ、

やっとベールがはがされ「国語」そのものに出会えて、初めて、向き合ったのだと思います。
そうしたら、「国語」もとても愛おしいものになりました。

 

トラウマってすぐには取れないんですよね。私は5年かかりました。

でも、これは早い方です。私には、「現代文」と芥川作品というきっかけがあったからです。

 

こういう人生を歩んでいくことで、また他人に対する理解も深まったと思うので、また、これからも教育者として頑張っていきたいです。


塾講師四コマ&芥川龍之介「藪の中」

2010年07月05日 11時49分43秒 | 教育者としてのつぶやき

塾講師四コマです。

この記事で、夫婦2人で勉強している内容は、芥川龍之介さんの「藪の中」についてです。

教科書には載っていないのでが、担当生徒の何人かが学校で習ったらしく、それについてテストに出るということで、勉強をしました。

この作品のポイントは

真実はすべて藪の中で、そこから読者がどう感じ、どれを真実と思うかは、その人まかせ。そして、すべての意見に正解はなく、その結論はその人のそれまでの人生や価値観がわかるもの」というものです。

どういうことかというと・・・

「藪の中」はある殺人事件があるのですが、3人が自分が犯人だというが、すべての証言に食い違いが生じるんです。

そこで、その中で真犯人は誰か?ということがわからないまま終わります。

犯人候補は3人。「多襄丸」という盗人か、夫婦の「真砂」か「武弘」。

「武弘」が死体として見つかったことから物語は始まるのですが、何か鋭利なもので一突きで死んでいるが、凶器は見当たらない。

そこで、盗人の「多襄丸」は決闘して太刀で殺したと、妻の「真砂」は一緒に死のうと思って小刀で刺して殺したと、死んだ本人の「武弘(の霊)」は自殺した、というのです。

事件は、これを高校生に勉強させていいのか?という内容(強姦事件の結果として起こった殺人(自殺)事件)なのですが・・・、まあ、とにかくテストに出るということなので、そこのところは「女性がひどいことされた」という感じで濁して、生徒たちに教えました。

3人とも、それぞれどうして犯人か、と思うかの3パターン考え、生徒たちの意見を聞いて、その子それぞれにあった説明の仕方をしました。

予習の段階で、自分だけで考えると、話がまとまらないので、専門書を読んだり、旦那に聞き、母に聞き、「羅生門」という黒澤明監督の映画も観て、色々な意見を考えました。

そうすると、「かっこいい」ことに価値観をおくなら「多襄丸」、女性の差別の苦しさ・強い意志に共感できる人なら「真砂」、男性(夫)のプライドに共感でき、人生の絶望を味わったことがある(共感できる)人なら「武弘」を犯人に、ということがなんとなく感じられました。(あくまで私の考えです。)

旦那は、「真砂は犯人じゃないけど、残り2人のどちらかは・・うーん」

母とわたしは「武弘!それが一番芸術作品らしいし、真砂の心の奥底の内面も、武弘を犯人としてすると、掘り下げれるから」となりました。

また、黒澤監督は「多襄丸」にされていました。

その理由は、私が考えるに、「「決闘」という太刀打ちのシーンを描きたかった」「みんながただの悪人ではない、というのが根底にあった」のだと思います。

ただ、大胆なアレンジ(見事な説)もされていて、この映画は、芥川さんの作品をただ単に映画化したものではなく、芥川さんお作品をもとにした黒澤監督の新しい芸術作品の「藪の中&羅生門」でした。

というのは、芥川には闇が広がっています(性悪説)。しかし、黒澤監督は闇から1筋の光が見えるのです(性善説)。

 

このように、いろいろ考えることで、相手や自分の人生観がわかることが、「文系」の難しさであり、楽しいところだと思います。

 

 

 

 


「ポンペイ展」に行ってきました

2010年07月05日 10時05分41秒 | 歴史へのつぶやき&興味

先日、仕事がひと段落したので、ずっと行きたかった、

名古屋市博物館で開催中の「ポンペイ展~世界遺産 古代ローマ文明の奇跡」に行ってきました。

ポンペイは、2000年ほど前にヴェスヴィオ火山の大噴火によって、火山灰の下に突如埋没した都市です。

突然火山灰によって埋没としたということは、古代ローマの人々の暮らしがほぼ完全な状態の姿で閉じ込められていましたということを意味しています。
そのため、発掘された現在、ポンペイの遺跡は、古代ローマの歴史を知るのに、とても貴重な史料になるわけです。

大概の展覧会は、貴族などの一部の特権階級のものが中心ですし、民間で長い間使われたものは、使い古され原型をとどめていないものが多いです。

でも、今回のポンペイ展は違います。
一般で当時使われていたものがそのままの形で残っているのです。
ほんとにこれ、2000以上前のもの?というぐらい、(2000年以上地上にさらされてきたものよりは)鮮やかな状態で残っているのです。

なので、「ポンペイ展」は他の展覧会と違って、「生活」「当時の人々の息づかい」が感じられる数少ない展覧会なので、私は「ポンペイに関する展覧会」というものが開催されるごとに行っています。(たしか、10年前ほどに愛知県美術館で開催された「ポンペイ展(名称は違うかもしれません)」にも行って、感動した覚えがあります。)


また、2学期に教える世界史は、古代ローマが範囲になりそうなので、その勉強としても行ってきました。

今回は、浴槽なども展示されていて、初めて見るものも多かったです♪

また、ガラス器や銀食器などを観ると、現在のものに見劣りしていない。ということは、それだけ古代ローマがどれだけ高い技術を持っていたのかがわかるんですよね♪

あと、写真は古代ローマのパンを復刻したパンが売っていたので、買ってみたものです。

まだ食べていないので、感想は後日載せてみたいな~と思っています。


塾講師☆四コマまんが10

2010年07月02日 13時17分34秒 | 自家製 塾講師四コママンガ

昨日は、300以上のアクセスをありがとうございます。

 

今日は久々の「塾講師☆四コマまんが」です。しかも、ちゃんと、塾講師(家庭教師)に関する内容です。

中学までは、大学時代からバイトで教えていたので、ある程度、勉強内容も覚えているし、教え方も確立しています。

しかし、高校の内容(とくに文系)は、高校を卒業してから勉強していないので、10年前の記憶を掘り起こしながら勉強しています。

そうすると、本当に勉強の内容のことばかり考えて、日常生活の会話でも、どうもおかしい言動が出てきてました(笑)。

1つのことに集中できる能力があるのは嬉しいことですが、それ以外がおろそかにならないように、気をつけなければ・・・とは思います。


勉強は熟成していくもの

2010年07月01日 11時34分22秒 | 教育について考える
今日で期末対策の授業は終わります。

今日は古典です。「徒然草」です。

高校のころに「徒然草」を読んだときは、「この作者、人の悪口か、理想論ばっか言っている~。」という気持ちで読んでいることが多かったのですが、10年で社会にもまれて生きていたら、だんだんと、「徒然草」で話していることに対して、「うんうん!」と納得できることが多くなりました。

古典は、人生を歩んでいくことで、どんどんと味が出てくるものだな~と改めて思いました。

でも、高校のときに、作品を読まなければ、そのときに感じた疑問も知らないまま生きていたので、この10年間で得るものが、古典を読んだときよりも少なかったでしょう。

勉強してすぐにすべて結果がでるわけではなく、味噌やお酒のように、長い時間をあけて熟成していくものです。
だから、勉強は、そのときに生徒は「?」でも、それでも教え続けていくのも大切だと思いました。


cf イラストは特に本文の内容とは関係ないです。