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第4回 れくす先生の歴史授業 人類の進化② 猿人・原人・旧人・新人

2024年09月25日 21時50分01秒 | れくす先生の歴史模擬授業

みなさま、本日もありがとうございます。

 

みなさま、本日もありがとうございます。

 

れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。

今回は、前回からの続き第4回 人類の進化その2 です。

 

 

 

※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。

 

 

「人類の進化」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。

(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)

 

 

 

テスト勉強のために用語を覚える、という意味では、

最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。

ただ、今回のシリーズは、

「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを

防いで、落ち着いてテスト勉強し続ける」というのが目的の1つなので

「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」

・・・という形にしています。

 

そのため、前回は人類の進化の導入部分(多くの用語を受け入れる下地部分)のみを扱い、

今回で「テストで出る用語」をメインに話を進めていきます。

 

 

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第4回 人類の進化と、旧石器時代・新石器時代その2

 

前回は、「石器の加工の違いで名称が分かれ、

打製石器を使い始めた時代を旧石器時代、磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言う」

そして

「気候の変動によって、生き残るために環境適応をすることによって人類は進化(変化)をしていった」

という話をしました。

 

今回は、その旧石器時代にどのように人類は進化し、

その後、生き残った人類(新人)が

どのように新石器時代を生きていくことになったか?

の話です。

 

 

 

(1)各人類を見ていく

 

猿人原人旧人新人の順番に、人類の動きを見ていきます。

 

①猿人

 

 

 

 

今の人類の元になったと言われているのが猿人です。

 

最初の人類とも言えます。(※直接の祖先ではありません。)

猿人が誕生した時期には、

アフリカ大陸のみ人類がいたと考えられます。

 

前回(第3回)でお話したように、人類の先祖となる生き物(初期猿人とも言う)は

今の熱帯雨林気候のような気候であった地で暮らしていて、その生活で暮らしやすいような体つきになっていました。

(木登りをしやすい形)

 

しかし、途中で気候変動がおきて、人類(初期猿人)が暮らしていた地が

熱帯雨林気候からサバナ気候(草原が多い気候)になりました。

それで、人類(初期猿人)は、草原を移動しやすい、また、他の動物との生存競争で生き残るために、

二足歩行をする、という身体的変化を遂げました。(→この時期あたりからの人類を「猿人」と呼ぶことが多いです。)

 

その後、長い時間をかけて、猿人は、直立して二足歩行する、という身体的変化をしていきます。

 

 

現在、猿人は存在していません。絶滅しています。

ただ、猿人が絶滅してから、次に習う人類である原人が現れたと勘違いされがちですが、そういうわけではないのです。

猿人の中で枝分かれしていき、その中で、現在の人類と生活形態が近くなり、

また、直接、遺伝子につながった猿人原人と称したと考えた方が理解しやすいです。(旧人・新人も同様)

 

前回、お話した打製石器を覚えていますか?

打製石器とは、石を砕いて作った石器のことです。

そして打製石器を作って、使い始めた時期を旧石器時代と言いました。

 

この打製石器を使い始めたのは猿人か?原人か?は、はっきりしておらず、学者さんによって異なるようです。

(なので旧石器時代が始まった時期もふんわりした言い方になります。)

その理由は、原人が打製石器を使ってたのは確かなのですが、

原人が生きていた時代に猿人系の人類も生きているので、

どちらが先に使ったか?は不明だからでしょう。

(その後、猿人は滅亡し、原人は生き残ったので。・・というか、生き残った猿人を原人と称した。のほうが近いかもしれません。)

 

 

猿人が打製石器を作ったか?は不明ですが、

骨などの推測から現在の人類のように直立二足歩行をしていた人類がいたのは確かです。

直立二足歩行が人類が人類たる証なのかもしれません。

猿人の例としてはアウストラロピテクス・アファレンスなどなど。

 

現在(2024年)の教科書を見る限り、「猿人」という言葉しか出ておらず、

昔(例えば1990年代)は「アウストラロピテクス」という言葉が教科書に出ていました。

そのため、「猿人=アウストラロピテクス」と勘違いする人もいました。

(猿人が日本語で、その外国語に当たるのがアウストラロピテクス

だろうという勘違い)

 

猿人にも色々なタイプがいます。

 

アウストラロピテクス・アファレンス、アウストラロピテクス・アフリカヌス、パラントロプス・エチオピクス、などなど。

アウストラロピテクス・アフリカヌスが初期の人類として最初に発見された人類なので、アウストラロピテクスという用語だけ

昔の教科書には出ていたのかもしれませんね。

 

 

②:原人

 

 

時期的には約260万年前、地球は氷河時代に突入します。

約70万年前には、寒冷な時期(氷期)と比較的暖かな時期(間氷期)を一定の周期で繰り返す時期になりました。

 

このようにお話しすると、次のように勘違いしがちです。

勘違いその1:「氷河時代」を「氷河期」を同じと思ってしまう。

勘違いその2:勘違いその1から、「約1万年前に氷河期が終わって、温暖な気候になる(そして現在はその温暖な気候)」

という記述を見て、「現在の気候は氷河時代でない」と思ってしまう。

 

という2つ。

 

「氷河時代」が始まった、というのは、「常に地球上のどこかに氷河が存在している」という時代のことです。

氷河というのは、一言で言ってしまう、巨大な氷の塊です。

氷は暖かければ、溶けます。

溶けない、ということは、その場所はとても寒いということです。

 

その氷河が多い時期を「氷期」と良い、

「氷期」に比べたら氷河が少ない時期を「間氷期」と言います。

そのため「間氷期」が「温暖な気候」と記述されます。

 

でも、その「温暖な気候」のときの「間氷期」でも氷河が残っています。

 

現在は、「間氷期」に当たります。つまり、原人が誕生するきっかけになった時代の氷河時代は現在もなお、終わっていません。

 

現在がいくら温暖な気候といっても、猿人が生まれたころの世界ほどは暖かくありません。

 

寒くて厳しい世界を生き抜くために人類は進化し、とくに知能が爆発的に発達しました

 

そして約240万年前に人類はついに、を使うようになります。

火をなぜ使うようになったか?というと、狩り・採集で手に入れた食べ物を調理するためではないか?と考えられます。

人間は生肉は食べられないですからね。

(ちなみに、肉を食べると知能が進化しやすい説もあるので、

もしかしたら人類が肉を食べられるようになったことで知能が爆発的に発達したのかもしれませんね。)

 

そして、この時期に、人類は簡単な言葉を使用したと考えられます。

(仲間と意思疎通しないと野生では生き残れないので言語は必須スキルになったのでしょう。)

 

この時期に発達した人類を原人と言います。

原人たちの中にはアフリカ大陸を出て、

ユーラシア大陸(アジアやヨーロッパ)にまで移動しました。

 

その原人の中で代表例として、

中国の北京で発見された北京原人

インドネシアのジャワ島で見つかったジャワ原人

がいます。

 

中国や東南アジアまで原人は移動してきた証拠とも言えます。

 

 

その後も、いろんな人類が生まれていきます。

 

③:旧人新人

 

 

約60万年前に原人より大きな脳&筋肉質の人類が生まれます。そのような人類を旧人と言います。

その旧人から、ネアンデルタール人ホモ・サピエンス(新人)が生まれした。

 

ネアンデルタール人はヨーロッパ周辺に分布し、高い知能、高い身体能力をもっていたとされています。

 

 

 

 

新人ホモ・サピエンスのこと)は約20万年にアフリカ大陸で生まれました。

そしてアフリカ大陸から世界中に広がっていきます。

その中で、ヨーロッパに住み着いた新人をクロマニヨン人と言います。

 

新人は、アフリカ大陸で誕生したが、打製石器をより精巧な作りにして、

狩りや採集を行い、獲物を追いながら、世界中に広がっていきました。

また、時代が進むにつれて、磨製石器を作り、使用するようになりました。

磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言います。

旧石器時代から新石器時代に移行した時期は、新人が誕生した後の時期に当たります。

新人と旧人であるネアンデルタール人は同時期に生きていた人類で、

現在生き残った人類は新人だけですが、この新人の祖先である私たち人類の遺伝子の中には、

ネアンデルタール人の遺伝子もごく少量ですが、含まれているそうです。

ネアンデルタール人の純血種は絶滅しましたが、彼らの遺伝子は新人に受け継がれていったのでしょう。

(人類の中でネアンデルタール人と交流のあった新人のみの話で

すべての新人にネアンデルタール人の遺伝子が入っているワケではありません。)

 

 

(2)テストについて

「人類の進化」は小学校では扱いません。

そのため、一部のの学校をのぞき、私立中学校入試で「人類の進化」を扱うことはしません。

この分野は中学生になって、初めて習う可能性が高い分野です。ただし、旧人については

中学校の教科書では明記されていないことが多いです。

「人類の進化」の分野は、猿人・原人・新人に分けて、

・・・・という図式が頭に入れば大丈夫です。

 

入試については、人類の進化の内容は、「絶対に出る!」という分野ではありません。

入試問題作成は、だいたいはその年の早い段階で完成していることが多いので、

完成後に、新しい発見などがあって、歴史が覆されるようなこともあるのは怖いことです。

なので、新しい発見がおきやすい歴史の内容のものは、極力入試では避けたいところかもしれませんね。

ただ、まったく出ないわけではないので、しっかりと覚えておくことは大切です。

 

 

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今回は以上です。

 

ご覧頂き、ありがとうございました。

 

画像で、もう少し、説明したいものもありますが、コンスタントに更新をしていきたいので

ひとまずアップさせていただきました。

ある程度、まとまったら、「新まとめノート」もアップ予定なので

またそのときに画像追加していきたいと思います。

 

次回予定:日本の旧石器時代と新石器時代の始まり


歴史の勉強冊子を作ろうと思ったきっかけ

2024年09月24日 20時32分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。

この前、
画像を描くためのペン(パソコンのペンタブレットのペン)が
壊れてしまったので、
急遽購入しに行くなどバタバタしてて、
作成が途中段階になっています。





同人誌で作成するときに
イラストも可能な限り、描きたい、
と思って、作成しているため、
歴史関係のものは、
ノロノロ更新になってしまってます。

ただ、
だいぶ、身体が衰えたな、
あと何年、元気に作成できるか
わからない、という気持ちと

自分の思考が、
視覚による情報整理寄りなことから
画像があればあるほど
自分には理解しやすくなるため

イラストも描き続けたいです。



過去の歴史の
説明記事「歴史模擬授業」シリーズも
ここではアップしてない、
歴史のテスト勉強用の冊子も

元々は、大学の能楽部に入ってて
そこで能楽の説明冊子を作る時に
絵の冊子を入れるために自分たちで
絵を描いた経験が楽しくて、
それから、大学卒業→塾講師、
になって、
「勉強関係の冊子を作りたい!」
ということから始まりました。

私立中入試の生徒さんに
社会の時間をたくさん割くのも
難しいのは確かなんですよね。


先生は自分の担当教科を
教えている形ですが、

生徒さんは、すべての教科を
勉強しなきゃいけないうえに、
学校での生活、
他のお稽古事の生活、
家庭での、ご近所との、親戚との、
友達との、関係などからの行事
もあります。

また、遊ぶ時間や、
しっかり休む時間も
必要です。
 

どの教科も、がっつり勉強しまくれば
論理的(??)には成績あがるし、
志望校に合格するのはわかるけれど

時間や体力、気力には限りはあります。

入試は人生の通過点の
1つにすぎないので
すべてを入試につぎ込むのは
危険ですから。

頑張ることは大切だし、
私も好きだけれど

勉強でも生き方でも、
何でも「適度」と
いうものがないと、
生きるのが辛くなってくるので。

なので、生徒さんの時間を
すべて社会の授業に、
というわけには
いかないんですよね。


なので、冊子を作って、
塾講師、家庭教師の時間は
渡していました。

読んでもらえるか?
それを活用して
勉強のお供にしてもらえるか?は
生徒さん次第、
でしたが、喜んでくれる生徒さんも
多くて、嬉しかったです。

ただ、今から考えると
「浅はかだったな」と思う部分もあるので
反省点も多いですが。




今週中に歴史授業の続きを書けるように
頑張りたいです。



第4回 れくす先生の歴史授業 「人類の進化その1(打製石器・磨製石器など)」

2024年09月21日 20時48分26秒 | れくす先生の歴史模擬授業

 

みなさま、本日もありがとうございます。

 

れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。

今回は、第3回 人類の進化その1 の話です。

 

 

※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。

 

 

「人類の進化」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。

(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)

 

 

 

テスト勉強のために用語を覚える、という意味では、

最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。

ただ、今回のシリーズは、

「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを

防いで、落ち着いてテスト勉強し続ける」というのが目的の1つなので

「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」

・・・という形にしています。

 

そのため、今回は人類の進化の導入部分(多くの用語を受け入れる下地部分)のみを扱い、

次回で「テストで出る用語」をメインに話を進めていきます。

 

 

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第3回 人類の進化と、旧石器時代・新石器時代その1(導入編)

この時代は、世界史の分野です。頭の中で世界地図を思い浮かべて(または地図帳を開いて)

歴史の流れをみていくことをオススメします。

 

:2つの石器時代

 

(1)石器で分ける時代

 

 

現在の人類と他の動物たちの生活では、明らかに生活形態が違っています。

昔は、人類も他の動物たちと同様に、自然の中で暮らし、他の動物の食物連鎖の中で闘い、

自生している植物(果物など)を採って食べていました。

 

しかし今は人類の生活は他の動物たちと違っています。

人類と他の動物たちとその決定的な違いを生み出したのは何だと思いますか?

 

答えは、「道具作ることができたか?」の違いだと私は思います。

そして、道具をつくることができたのは「直立二足歩行」という身体的変化がおこったことが大きいのです。

 

道具を使うことができる動物は人類以外もいますが

道具を作ることができるのは人類だけです。

 

最初に作られたと思われる道具の素材の1つがです。

石なら自然に存在している素材で、砕けば、先のとがったナイフのようになります。

このように石で砕いた道具の種類を石器と言います。

 

先のとがった石器を使って、獲物を狩る凶器につかったり

獲った獲物の肉を切ったり、皮から剥がしたり、していました。

(肉は食べ物として、皮は服として。)

石器を木の太い枝の端っこにつけて、槍として使ったりも。

石の種類はいくつもありますが、その中で、主要な材料として使われた石が、黒曜石(こくようせき)です。

黒曜石はマグマの一部が急速に冷えて、固まった火山岩の1つで、ガラスのような鋭さがあります。

 

 

 

石器の作り方・加工の違いで、打製石器磨製石器に分かれます。

 

 

石器には大きくわけると2種類あり、

 

石を砕いて先をとがらしたものを打製石器

打製石器よりより精巧で研磨され滑らかな持ち味にあったものを磨製石器

と言います。

 

 

そして

打製石器を使い始めた時代を旧石器時代

磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と分けます。

 

 

 

今回(&次回)、勉強する、人類の進化の内容は、ほぼ旧石器時代の歴史で新石器時代に移り変わったところまでの歴史となります。

※ただし、新石器時代になったら、打製石器が磨製石器に全て代わったわけでなく、新石器時代に、磨製石器という新しい道具が作りだされ、打製石器だけでなく磨製石器も使われるようになった、というコトです。

時期的には、現在の人類の祖先にあたる人類(新人)やその同時代の人類(旧人)が打製石器を使い始めていますので、

旧石器時代が現在の私たちの人類としての歴史のスタートと考えても良いでしょう。

 

 

:人類の進化を学ぶにあたって 

 

現在の人類が生まれるまで、地球上では、環境・気候の変動はたくさんおきました。

その気候に対応できるようにな、さまざまな人類が生まれ、進化をし、また新しく生まれ、滅亡する人類が出てきました。

 

 

現在では滅亡した人類たちと現在、唯一残った人類(今の私たちの直接の祖先)が

同じ地球内で共存していきている時期もありました。

そして、時を経て最終的に残ったのが、今の人類です。

 

この時代を勉強するときに、

「あいまいなことが多い」

「地理の気候の分野と高校レベル以上の理科の知識と理解力」

が必要な内容も多いです。

 

「あいまいなコトが多い」のは、まだ不明なこと、専門家の中でも意見が分かれるところがあるからです。

なので、もし、この分野で、本を調べてもわからないコトがあったら、

「不明なため、誰にもわからないもの」なのかもしれませんので、わからなくても焦らなくて大丈夫です。

 

小学生・中学生のうちは、テスト対策という点では、

まずは、「人類」の進化の過程や特徴、旧石器時代・新石器時代について理解する・覚えることで十分です。

 

 

「人類の進化」を理解するに当たって、当時の気候とリンクさせて物事を考えることは大切です。

今でも暑い日と寒い日で服装を変えて生きています。

暑い地域と寒い地域では生えている植物も違います。

 

気候によって地形も変わり、そこで求められる生活形態も身体能力も変わってきます

例えば、現在でも熱帯、温帯、寒帯の人々の暮らしが全然違うことを考えれば、

当時、熱帯雨林気候の暮らしに完全カスタマイズしていた人々が、

気候変動で、雨が多い熱帯雨林気候から雨が少ないサバナ気候に自分の住んでいる地域が変化したら、そ

の環境に適応できなかったら亡くなってしまい、

生活の工夫や身体的変化ができた環境適応できた人のみ、生き残っていきます。

 

これが「結果的に新しい人類が誕生した」という事実として歴史の内容に載ります。

 

環境の変化(気候変動)は、人類が誕生して何度もおきています。

そして人類は「環境」に適応するための工夫をし、

それによって、また「進化」という「新しい人類の誕生」を何度も繰りかえしていった、

と思われます。

このように地理の内容の気候を主軸にして人類の進化を見ていきましょう。

 

 

 

(2)人類の進化

 

1:全体の流れ

①「人類の進化」の流れ

これから人類の進化を具体的に見ていきます。

この時、各々の特徴から人類を大きく4つに分けて見ていきます。(猿人・原人・旧人・新人

それぞれの人類の特徴と、その特徴になった気候を考えて見ていくと、頭を整理しやすいです。

 

 

②人類の誕生

 

地球上に人類が現れたとする時期は、

今から約700万年前です。

そのころの人類は、現在のチンパンジーと同じ祖先から進化した生物でした。

初めての人類は、アフリカで生まれ、気候変動に合わせて身体的進化などを繰り返し長い時間をかけて世界に広がっていきました。

まず(1)では猿人・原人・・・などの名称を使わず、全体的な流れを見ていきます。((2)で名称を使います。)

 

(1)初めての人類(旧石器時代以前)

初めての人類熱帯雨林の生活に適した生物として誕生しました。

彼らは、高い木に登り、そこで木の実をとったり、という、チンパンジーや猿と同じような生活をしていました。

このような地形だと、足腰は曲がっていた方が、木に登ったり、木から木へ移動しやすいです。

 

<人類の第一の変化>

しかし、気候変動で当時の人類が住んでいたアフリカの地は、高い木が少なくなり草原になりました。

今の気候区分でイメージすると多くは熱帯雨林気候であったところがサバナ気候に変化したと考えると良いです。

登れる木も、たくさんあった果実の木も簡単には見つかりません。

そうなると、立って歩かないと命の危険があります。肉食動物たちに襲われてしまいます。

また遠くまで見渡せないと、どこに食べ物があるかわからなくなります。

 

イメージ的に、植物の木の実がたくさんあった熱帯雨林から

植物が少ない野生動物いっぱいのサバンナに放り出された感じでしょうか?

 

そして、生き残るために、人類はどう肉体を進化させないと生き残れないか?を考えてみましょう。

 

そこで人類の祖先は、肉食動物がいるサバナ(草原)で生き残るために、

後ろ足でまっすぐ立ち、歩けるよう身体が進化します。いわゆる二足歩行いう歩き方です。

 

二足歩行の歩き方は段階を経て、進化(変化)していきます、

約300万年の時をかけて、人類は直立で歩けるようになりました。

このように、まっすぐ直立に二足で歩くやり方を直立二足歩行と言います。

まっすぐ歩けることから、首の骨に負担がかからなくなり、脳のほうに余裕ができ、脳の容量が増えていきました。

脳の容量が増える、というのは、知能が高くなっていくということです。

「知能が高くなる」というのは「予測することができる」&「0から何かをつくり出す」能力も増えてくる、

ということです。

 

図で、どういうことか?も参照してみてください。

 

 

 

 

(2)人類 第二の変化とその後の変化(旧石器時代の始まり)

脳の容量が増えていったことで最終的に精神的な進化、つまり

言葉を話す、

技術力の向上→道具を作る&使うことを考える、

計画を立てる、

集団行動する、

火を使う

・・・という行動ができるようになる、という結果につながっていきます。

(木の実だけでなく、栄養価の高い肉を食べるようになったことも知能が発達した(進化の)要因の1つと言われています。)

 

 

このような「進化(変化)」をとげたきっかけは、地球の環境に大きな変化があったからです。

地球は、今も続く氷河時代に突入し、氷や雪のある生活に変わり、火を使ったり・・・と環境適応する必要があったのです。

また人類は、親指とそのほかの指が分かれている(筋肉的・骨格的に親指だけ独立している)身体であることも大きく、

物を持つ、持ったまま動かすことができるようになりますので、

これが道具を使うこと&作ることができる身体的な進化にもつながっていくわけです。

 

まとめると、人類は、気候変動による環境の変化に合わせて、長い時間の間に

二足歩行道具を使うようになり、言語も使用し、集団で行動するようになりました。

 

 

<旧石器時代のはじまり>

最初は「道具」を「使う」のみ、つまり、

自分の周りにある木の枝や石などを、食べ物をとる道具や自分を守るために使っていた形でした。

 

それが途中から自分で石を加工して道具を使うようになりました。

その道具が、先ほどでもお話しした「石器」と言われる物です。

石器も時間をかけてバージョンアップしていきます。

 

 

 

3)旧石器時代と新石器時代の違い

 

先述した内容ですが、もう1回復習という意味もあって、もう1度お話しします。

石器の種類は、作り方の方法によって大きく2つに分けられます。

 

まず、先に誕生した石器が打製石器です。

この打製石器を使い始めた時代のことを、旧石器時代と言います。

旧石器時代は石器の出現から農耕の開始の時期をさし、

時期的には約200万年前あたりから旧石器時代は始まります。

※始まりの時期は、人類はアフリカ大陸のみに生息しています。

 

その後、誕生したのが磨製石器です。

磨製石器を使い始めた時期のことを新石器時代と言います。

新石器時代は、地域によって異なりますが、約1万年前の時期前後から、です。

この時期は、今の地球の地形・気候になった時期ぐらいに当たります。

 

 

現在までに発見された人類の骨などから推測した、脳の容量の大きさをもとに、

どのような道具や生活をしていったのか?で

おおまかに4種類の名称に人類を分けられています。

(ただし、人類の歴史は日々新しい発見があるので、日々変わっているので、今回はその1例です。)

 

大きく分けると、猿人原人旧人新人に分けます。

(ただし、中学校では旧人を扱わないことが多いです。)

 

次回は、この猿人・原人・旧人・新人について詳しく見ていきます。

 

今回は、名称としては、石器の名称(打製石器・磨製石器)と、それに伴う時代の名称(旧石器時代・新石器時代)を意識し、

時代の流れを知ること、と、人類の進化(変化)は気候に大きく関係すること、理解することをメインでお話しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

今回は以上です。最初の導入で、自分としては「もう少し、わかりやすくできたのでは?」という

反省点はあります。

ただ、最近、「完璧」を目指すと、すべて放棄してしまう傾向があるので、

これから、定期的に図を追加したり、言葉や構成を変えるつもりではありますが

ひとまずアップさせていただきます。

 

 

ご覧頂きありがとうございました。

 

次回予告:第4回 人類の進化2(猿人・原人・旧人・新人)

 

 


歴史授業のための画像作成中

2024年09月19日 16時45分00秒 | 近況報告
みなさま、本日もありがとうございます。

現在、毎日、
「れくす先生の歴史模擬授業」
の続きを作成中です。

絵も可能な限り、入れていきたいので
色々と絵も作成中です。
下の写真は作成中の絵。


絵も描いたり
図も作っていきたいので
最後の時代まで完成するのが
いつになるのかな?と
思いつつも、
とにかく今は、前を向いて
作り続けたいです。

人類の進化の内容は、来週にはアップできるといいなぁ、と思っています。

れくす先生の歴史模擬授業 第2回 年号・西暦・世紀・時代

2024年09月15日 09時00分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業

みなさま、本日もありがとうございます。

今回も、れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。

今回は、第2回 年号・西暦・世紀・時代 の話です。

 

 

※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。

 

ではでは始めます。

 

れくす先生の歴史授業 第2回「年号・西暦・世紀・時代」

では、第2回の授業を始めます。

 

 

 

 

 

「歴史を学ぼう!勉強しよう!」と突然、言われても、

どうやって勉強したらいいか、わからないですよね。

 

そこで必要な、頼もしい相棒が「数字」と「言語」となります。

 

 

人間が歩んだ歴史を

数値化言語化(単語づけ)をすると情報を整理しやすく、理解しやすくなります

自分独自の数値化・言語化をするのも悪いことではないのですが

共通の数値・言語で考えた方が、あらゆる書物を自分で読み、疑問に思ったことも調べやすくなります。

 

そこで、歴史を学ぶにあたって、

ア:歴史の流れを数値化したもの・・元号西暦など

イ:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代など

 

今回はアの話(歴史の流れを数値化したもの)を見ていきます。

 

1:歴史の数値化(元号・西暦など)

 

歴史を数値化して見るには1年単位で数値化して見ていくことが多いです。

 

私たちが日本で、数値化された歴史を学ぶには、今は2つのタイプがあります。

 

それが、

古代中国式の数値化、と、ヨーロッパ式の数値化のものがあります。

 

ア:古代中国式の数値化のもの:「年号(元号)」

この「年号(元号)」は日本でも独自で制定されています。

 

 

イ:ヨーロッパ式のものが「西暦」

西暦とは、西洋の暦で記されたものです。

ヨーロッパ地域のことを「西洋」と日本では言うので「西洋の暦」で「西暦」と考えて良いでしょう。

 

 

 

もう少し、細かく見ていきましょう。

 

ア:年号(元号)

 

年号(元号)とは、陰陽五行説、王朝交代の易姓革命という考えのある古代中国で生まれた暦(カレンダー)の考え方です。

元号は、君主(皇帝)が代わったとき、や、なにかの事件や大きな変換期があったりするときに、名称を変える暦の考え方です。

日本でも飛鳥時代から古代中国式の暦の考え方を導入しました。今でも、年号(元号)は使っています。

(年号と元号の違いは、違いがあるという説はありますが、今は、ほぼイコールと考えて良いです。

ただし、明治時代からか一世一元の制に変更になり、1人の天皇につき、1つの元号と定められました。

元号のほうが法律用語になります。)

 

年号(元号)の表し方は、たいがいは、「漢字2文字に数字+年」です。

日本の年号(元号)の例としては、大化1年承久2年昭和23年など。

日本史においては、年号(元号)の漢字で歴史的事件などを表すことがあります

大化の改新や承久の乱など。

歴史用語というのは、その歴史事件が起きた後に、つける用語なので、そのような名称をつけることも、よくあります、

 

なぜ「このような歴史用語なの?」と疑問と不安を感じて、

それでパニックをおこして頭が真っ白になるタイプの子は

「この謎の単語は元号(年号)由来の用語なのかも?」と思うことで、パニックを防げるかもしれません。

 

 

そして、よくテスト勉強で「年号を覚える!」と言いますが、

それを文字通りとってしまうと、

「大化の改新は大化1年」と覚えなきゃいけなくなります。

でも、実際には「大化の改新は645年」と覚えますよね?

(※数値は覚えなくてもテストで点数はとれます。それについては、別記事で。)

 

その645年、という数値の表し方は、次、お話する西暦になります。

 

イ:西暦

西暦はヨーロッパで広く信じられているキリスト教に関係する暦(カレンダー)です。

キリスト教はイエス・キリストを救世主として信じる宗教です。

そのイエス・キリストが生まれた年を紀元の年(はじまりの年)とします。

(紀元とは、ある出来事がおこった年をスタートの年として、それから何年経ったか?を事件で計測するものです。)

そのキリストが生まれるを紀元の前なので紀元

キリストが生まれたは紀元の後の年なので紀元、という単位をつけます。

また、アルファベットで紀元前をB.C.、紀元後をA.D.と表記することもあります。

※B.C.は英語の「Before Christ(キリストより前の)」、A.D.は

ラテン語(古代ローマで使われていた言語)の「Anno Domini(主の年に)」の略です。

略を表すのに「.」をおきます。(※Beforeの略でB.)

 

表し方の例としては、紀元前3年、B.C.3年、紀元後4年、A.D.4年、など。

ただし、紀元後(A.D.)は省略することもあるので

もし「4年」とだけ書いてあれば、それは「紀元後4年」のことです。

 

ここで気をつけたいことは、

紀元の元年の年から見ることになるので

紀元前・紀元後は、その元年の年からどれだけ離れているか?で考えます。

そのため、紀元後1年と紀元後2年なら、時間軸としては紀元後1年のほうが古い年ですが

紀元前1年と紀元前2年なら、紀元前2年の方が古い年になります。

 

 

この内容が、定期テストで出ることもあるので、頭の中で数直線を考えて解くようにしましょう。

(わからなくなったら、メモで数直線を書くのもありです。)

 

 

イ-2:世紀

 

さらに、西暦では100年ごとに区切る単位があります。それが世紀というものです。

 

1世紀は1年~100年、2世紀は101年~200年です。

よく2世紀は200年代と思ってしまう人もいますが、2世紀は200年を除いて、ほぼ100年代です。

もし、頭がぐちゃぐちゃになるようなら、教科書やテキストに

「○世紀」という表記のそばに「××年代+□□年」とメモをしておくのも手です。

ノートでも、「○世紀」と「××年代+□□年」と記す形だと

頭がスッキリするかもしれません。

 

 

 

 

次はイ:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代を見ていきます。

 

 

2:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代など

 

人類が歩んだ膨大な時間を、ひたすら順番に学んでいく形にすると、情報過多に感じますので、

ある程度、区分けをすると、頭が整理しやすくなります。

 

社会のしくみや政治の中心地などで変化がおこったごとに区分して、その区分にそれぞれ名称をつけていきます。

その区分の1つを「時代」と言います。その時代の名称と、その順番を覚えていくことも大切です。

 

 

(1)時代区分

よく使う時代区分は、大きく区分したもの、さらにもう少し細かく分けて区分したもの、があります。

 

  • 大きい時代区分(原始・古代~近代・現代)

大きく区分したものは、社会のしくみの特徴ごとに時期を区分しました。

古い時期から順に、原始古代中世近世近代現代、です。

国ごと、地域ごとに、この時代区分の名称は使いますが、時期がズレることがあります。

 

この授業では、私立中学受験をする予定の小学生の受験対策、そして中学生の定期テスト&高校受験対策、を想定して

お話をしているので、日本史の時代区分と西洋史の歴史区分に特化してお話する形になります。

 

  • 時代区分2(「○○時代」)

 

原始・古代~近代・現代よりも、もう少し詳しく分けたのが、「○○時代」という名称と思っても大丈夫です。

この授業では、日本の「時代」の名称のみ扱います。

 

日本の時代区分では、だいたいは政治の中心がどこにあったのか?で区分しています。

ただし、政治の中心がはっきりしない(そもそも中心地がない、もしくは中心地があるが形式的なものだったりするもの)ものは

その時代の文化や、社会の特徴を主軸に区分することもあります。

また、ある時代の一時期のみを、また別の名称で表すことがあります。(南北朝時代や戦国時代など)

※明治時代以降は、「時代区分」というより、年号(元号)の表し方です。

 

 

日本の○○時代を古い区分から書いていくと、

旧石器時代縄文時代弥生時代

古墳時代飛鳥時代奈良時代平安時代

鎌倉時代室町時代安土・桃山時代江戸時代

明治大正昭和平成令和・・・・・となります。

 

世界史的には、旧石器時代の後の時代は新石器時代なのですが、

その新石器時代にあたる部分は日本では縄文時代となります。

 

日本の政治の中心の場所が、ある程度明らかになる時代は、古墳時代あたりです。

飛鳥時代は奈良県の現在の明日香村が政治の中心地、

奈良時代は同じく奈良県が政治の中心地ですが、明日香村でなく現在の奈良市が政治の中心地になります。

※ただし、飛鳥時代、奈良時代の間には、一時的に別の地域(難波、大津、恭仁など)に都をうつすことはありましたが

多くの時期が明日香村、奈良市(最終的にその場所に戻ってくる)が政治のメインなので、

時代区分としては、飛鳥時代・奈良時代として分けていると思われます。

平安時代は、京都府京都市が政治の中心地になります。

 

古墳時代から平安時代の政治の中心は、大王(のちに天皇)を中心とした朝廷になります。

(ただし、大王・天皇の権力の強さや政治の仕組みは時期によって変わってきます。)

 

鎌倉時代から江戸時代は、朝廷は存在していますし、幕府とは密接な関係を持っていますが、

幕府が政治の実権を握っている状態っています。

(その実権の強さは時期によって違います。)(安土・桃山時代は除く。)

 

この時代の多くは、政治の実権は「武士」が握っている時代です。

幕府が、神奈川県鎌倉市にあった鎌倉時代(始まりは、幕府を開く前から)、

    京都府の室町にあった室町時代(途中で幕府そのものは室町から移動している)

    東京都(江戸)にあった江戸時代

・・・という区分けです。

安土・桃山時代は、当時の権力者の居城の場所からの名称です。(居城とは、領主が拠点とする城のこと。)

織田信長の居城が安土城(滋賀県近江八幡市安土町)であった時期を安土時代、

豊臣秀吉の居城の伏見城(京都市伏見区桃山町)であった時期を桃山時代、

と言います。

 

 

ただ、この時代区分は、あくまで「情報整理」しやすいための時代区分なので、

その時代を生きていた人が「今は、○○時代だな~」と考えて生きていたわけではありません。

「後から考えて、○○時代」と名付けられるわけです。

 

そのため、がっちりと「××年から、○○時代」としているものからもあれば、

「この時期あたりから、○○時代」としているものもあります。

さらに、鎌倉時代などは、昔は「1192年」からでしたが、「1185年」とするのが主流です。

1192年は源頼朝が征夷大将軍に就任した年ですが、

1185年の時点で、源頼朝が全国の武士を自分の支配下においた年(守護・地頭をおいた年)となります。

源頼朝が武士のトップにたち、政治をスタートしたのを考えれば1185年から鎌倉時代と見るのか、

その武士のトップとしての官職(朝廷での職業)としてスタートしたのを考えれば1192年から鎌倉時代と

見るのも正しいです。

 

何が言いたいか?というと、テスト勉強においては

「何年から○○時代か?」をこだわる必要はありません。

もし、「何年から○○時代か?」を考えたいなら、かなりの知識量が必要で

これこそ大学に入ってから考える案件だと思います。

 

なので、その時代区分は、情報を整理するためのもの、と考えて、

パニックにならないで勉強し続けていけば良いでしょう。

 

(2)時代区分1と時代区分2をすりあわせる

 

(1)でお話した区分を、すりあわせていきます。

日本の場合は、

 

弥生時代の途中あたりまで原始

弥生時代の途中あたりから平安時代の終わりあたりまで古代

平安時代の終わりあたりから室町時代の終わりあたりまで中世

室町時代の終わりあたりから江戸時代の終わりあたりまで近世

江戸時代の終わりあたりから第二次世界大戦終了時まで近代

それ以降現代

という形になります。

 

画像でまとめてみました。

 

 

どうして、「途中あたり」「終わりあたり」と、ぼやかしいているような書き方か?というと

歴史というのがどういうのか?を考えると予想がつきます。

 

現在でも、何かの制度が新たに導入されたり、トップの変更があっても

その導入された瞬間、変更の瞬間に劇的に変わるわけではないですよね?

徐々に、徐々に変化していって、後から考えれば、あのときが変化のきっかけだったな、

と思うわけです。

歴史で使う用語は、後の世界に決まるものなので。

・・・・ということから、

「変化したのは、この時期あたりだよね?」ということになるので、あいまいになります。

 

歴史を学ぶ際は、はっきりしているようで境界線があいまいなことは多々あります。

「あいまいな表現」であると理解しづらい、不安感を覚える人はいると思います。

私もそうでした。世の中では「歴史はハッキリしている」という風潮で教えられることもあり、

「ハッキリしている」「あいまいである」の、異なる矛盾した事実のダブルバインドが

私の中でおこっていました。

だから、小・中学生のとき、歴史は苦手でした。

、「歴史は、あいまいである」ということで1つに決めてしまえば、

ダブルバインドにならないので、そう思うようになってからは歴史の勉強は楽になりました。

 

「あいまいなところはあいまいなまま」で良いんです。

 

今回は以上です。

とても長々と話す形になりました。

この部分は「最初から、全部覚えてからでないと、具体的な歴史の勉強に進めないの?」と焦らなくて良いです。 

旧石器時代、縄文時代、弥生時代・・・と勉強していくにつれて、何度も見返してくうちに、覚えていくことになりますから。

勉強して「ん?」と思ったことがあれば、その都度、この内容を見直していくと良いと思います。

では次回から、具体的な歴史を見ていきましょう。

 

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今回は以上です。ご覧頂きありがとうございました。

この授業はあくまで、私の個人的意見で書いていますので

もしお気に召さないものがあれば、そっと記事を閉じていただけると助かります。

 

やっと次から具体的な内容に入ることができます。

まだ記事の画像ができていないので、完成次第、アップいたしますね。

 

次回予告:人類の誕生


れくす先生の歴史模擬授業 第1回 はじめに

2024年09月14日 20時23分45秒 | れくす先生の歴史模擬授業

みなさま、本日もありがとうございます。

今日からやっと、歴史模擬授業シリーズの別バージョン「れくす先生の歴史授業」を始めることができます!

「やる!やる!」と言いながら、なかなか始められなくて、失礼いたしました。

可能な限り、毎週更新したいですが、体調と向き合いながら進めて行けたら良いな、と思います。

 

今回は、授業最初のはじめのあいさつです。

次回から勉強内容に入っていく形です。

 

1:このシリーズについて

 

このシリーズは、れくす先生という架空の塾講師の先生が、

1人の生徒(たぬしゅるちゃん)に向けて授業をしている形式です。

 

ただ、たぬしゅるちゃんは、ほとんどしゃべりません。

 

その理由は、

たぬしゅるちゃんという生徒さんは、

学校の授業で、自分の意見を言う、みんなで話し合いの授業がうまく合わなくて、それで

授業をひたすら聞く授業を受けたい、と思って、れくす先生の塾の門をたたいた、という設定だからです。

 

今の学校は、みんなで話し合い、とか、ワークショップ形式、を良しとする傾向があります。

「先生が一方的に話す座学」は「つまらない」「生徒が自ら考える力を奪う悪いもの」と

言う人もいます。

たしかに、自分が塾講師をバリバリやっていたとき、先生が一方的に話す授業だと

「つまらない」から、寝てしまう子や話し出す子はいました。

だから、「じゃあ、これの答えは?」と生徒さんを当てたり、意見を自由に言い合うこともありました。

 

「勉強をしたくない」という気持ちがある子

もしくは

「勉強をしたい!」というやる気がある上に、みんなとワイワイできることが楽しいと感じる子なら

 

当てられる授業、話し合う授業の方が伸びると思います。

 

しかし、中には「発言ありきの授業がツライ」という子もいるはずなんです。

もちろん、社会に出て、まったくの「発言」をしないことは難しいし、発言をできるにこしたことはないです。

でも、「授業の内容を理解したい」というとき、「発言する」という機会がある、というだけで

頭の中は不安感でいっぱいになり、外ではわからない脳内の小さなパニックを起こしていて、

理解できるはずのものも理解できない子もいるんです

 

その子は、授業で「理解する」ことに専念しないと頭に入らない、一点集中タイプ。

「発言する」はまた別のタスクになります。

「理解する」「発言する」のダブルタスク(マルチタスク)の授業だと、

ただ授業を受けただけで終わり、のことも。

 

私が実際にそういうタイプで

当てられる授業だと

「こういうことを発言したら、先生に怒られるのでは?クラスメイトに馬鹿にされるのでは?」という

恐怖感や不安感につつまれ、授業が入ってこないんです。

でも、塾(予備校)に通うようになったとき、その塾では

ずっと先生が一方的に話している授業を聞く形でした。それで、やっと「理解できた」んです。

大学の講義も先生が一方的に話す講義、と、しっかり発言しないといけない講義(ゼミ)と分かれていたので

かなり楽でした。

「発言」が苦痛なのでなく、「マルチタスクが苦手」だったんだな、と。

 

なので、今回のシリーズは、「先生がほぼ一方的に話す授業」タイプにしました。

しかも、先生は「丁寧語」でよそよそしい話し方で。

生徒さんと対話するときは、もう少しラフな話し方をしますが、

ずっと話す、ましてや、文字で読むなら、丁寧語の方が読みやすいかな?と。

しかも、細かいことを話したりしてます。自分が小学生・中学生のときに「あれ?」と思ったことが多々あって

でも「そんなことを考えていると、小学校の先生が私を「極悪人」に仕立て上げて私を授業でつるし上げするようなことが

中学でもおこるかもしれない。だから、考えてはダメなんだ!とてもキケン!

と無理矢理、自分の疑問を消していました。

でも、「あのとき、その質問に答えてくれる先生がいたらなぁ・・・」と思うことがあります。

それを実現して、記事を書いていったら、とんでもない文字数になってしまうんですが、

まあ、このブログは「楽に、勉強してテストで点数をとる」というコンセプトではなく

「勉強をしたくても、どうしていいかわからない方のために」のコンセプトなので

長い記事でも大丈夫かな?と。

昔の私のように、暗くて寒い精神世界で勉強というわずかな明かりを求めて、もがきながら生きている生徒さんは

いるはず・・・と。

可能な限り、短くて、わかりやすい言葉選びをしたいと思いますが・・・。

10年ほど前に作った「歴史模擬授業」シリーズは対話形式なので、お好みが分かれるかな?と思います。

どちらも私にとっては大切な記事なので、10年前のものは残しつつ、新しいシリーズも作っていきますね。

 

 

 

・・・ということで、上の画像の通り、

れくす先生が、たぬしゅるちゃんに授業をしている」っという設定で書いていますので

よろしくお願いします。

 

では、今から、れくす先生の授業にうつります。

2:れくす先生の授業第1回 導入~歴史を勉強する意義とは?~

ではでは、今から授業を始めます。

今回は導入だけです。

 

さて「歴史を勉強するのは何のため?」だと思いますか?

 

 

歴史を勉強する」というのは、テストで点数をとるため、と思う人もいます。

そういう一面もありますが、それがすべてではありません。

テストはあくまで、理解したか?を確認するためのツールです。

テストの得点という数字を出すのは、自分の理解度を数値化するためとも言えます。

点数で自分の今のレベルを知ることで、今後、どうすればいいか?の具体的努力がはっきりします

 

ここでは私れくす、なりの、歴史を勉強する理由を話したいと思います。

 

 

歴史の授業において、

「こんなすごい人物がいたんだよ!だから、君もその歴史人物のようになろうよ!」という理想像を提示され、

その人物の人格を模倣をさせたり、

また、

「この人物はすごい悪い人だったから、君はこのような人物になってはいけないよ!」と戒めるのが、

「歴史を教えること」と思う方もいます。

 

もちろん、憧れの歴史人物ができて、その人物のようになりたい!と自主的に思って人生をがんばることは良いことです。

 

歴史人物を反面教師として、自分は「このような人にならないようにしよう」と考えて行動することも、

「歴史に学ぶ」の1つの側面ではあります。

 

 

しかし、ここで注意したいのは、その考えはあくまで「自主的」に思ったとき限定です。

 

でも、このような形の、つまり、憧れの人物を自分の中で設定し、

己を高めるための人物は、歴史人物でなく、マンガやアニメのキャラとか、実在する人間(親とか先輩とか)でも良いわけです。

または、歴史人物を模倣する人物・反面教師としての人物と授業でしたいなら

それは社会科「歴史」でなく「道徳」や「学活」ですべき案件だと私は思っています

 

じゃあ、公教育で歴史を勉強するのはどうしてでしょう

もしすべての人間が不老不死で全員が同じ性格で、

世界は常に変わらない状況なら、歴史を学ぶ、歴史を知る必要はないかもしれません。

 

でも、人間は寿命があります。世界も常に変化します。

失敗1つが命取りのことだってあります。場合によっては、多くの人が一気に亡くなることだってあるのです。

失敗をし、そこから、初めて成功がうまれる」という考えがあります。

れは正しい、でも、その「失敗」は必ずしも「実体験」でなければいけないわけではない、と思います

人間なので、「失敗=死」の可能性もおおいにあります。

それに失敗も1つ、2つでなくたくさんあるので、死の危険がなくても、

すべての失敗をするまでの間に寿命を迎えてしまいますし、性格によって失敗するパターンも違ってきます。

 

 

そのため、「本を読む(教科書を読む)」「授業を受ける」という安全な場で、

様々な性格や環境下におかれた人々がした「失敗」そして「成功」を学ぶことで、

自分が、人類として、どうしていくと良いのか?を考えることができます

また、失敗でなく成功例。発明・発見の話もあります。

でも、A→B→Cという道筋を知っていたら、新たにC→Dという、新しいDを発見できるけれど、

そのA→B→Cまでの道筋をつくるのに、

1人では無理、どんな天才でもA、B、Cのどれか1つを成し遂げるので寿命を迎えてしまいます。

そして、そのAやB、そしてC、Dを発見、成し遂げることができるのは100年に1人現れるか、現れないか?

というレベルのものだったりもします。

 

なので、歴史を勉強するというのは、自分がゴールなのでなく、

未来の誰かに伝えてくためのタイムカプセルみたいな側面もあるのかもしれません。

 

・・・・ということから、私なりの、歴史を勉強する理由は

「自分が生きる上で経験値を増やすことは必須だが、その経験は実体験以外でも必要。

それに歴史は最適だ!」です。

経験値を増やせば増やすほど、「自分はどう生きていくか?」を自分で決められる確立は高くなる、と。

では、これから、一緒に歴史を見ていきましょう。

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今回は以上です。ご覧いただき、ありがとうございました。

次回予告:第2回 歴史を勉強するために先に知る必要がある事項「年号・西暦・世紀・時代」


このブログのコンセプト表明2 勉強と学習のちがい

2024年09月12日 09時00分00秒 | 私自身のヒストリー

みなさま、本日もありがとうございます。

前回、このブログで、新たな歴史模擬授業作成&同人誌作成をするにあたって、

自分がどういう気持ちで作っていくか?の話をしました。

 

今回は、その続きです。

 

今回は、ひとえに勉強」「学習というけど、

そもそも、「勉強」「学習」ってどういうこと?というのを

私なりの視点で話したいと思います。

あくまで、私の視点なので、「ああ、こういう考え方もあるのね」という程度で思っていただければ幸いです。

 

 

歴史を学習する方法はいくつもあります。

 

学校や塾、家庭教師の先生の授業を受けていたら、いつのまにかテストで点数をとれる。

さらに自分だけで調べ物ができ、集団での話し合いでも疲れず、違和感も感じず、

その調べたものが学校の先生に評価され、内申点もつき・・という状態の子のみ

「歴史の勉強」が得意になる要素を持っているわけではありません

 

「歴史の勉強」ができるようになりたいのに、

学校の先生たちの言うことを聞いても、他の歴史の授業が得意な子の真似をしても、結果がでない子は一定数います。

「自分はバカだ。一生、歴史の勉強はできないまま人生を終えるんだ。」と絶望した、小・中学校時代の私もその1人です。

 

でも、途中で、「他人」主導でなく、「自分」主導で、勉強すれば、だんだんとテストの点数はあがってきました。

それには、きちんと、「テスト勉強」と「自習」を分けて考えたことが必要でした。

 

勉強できる権利は、学校に通っている子、集団生活が合う子が持っているものではありません。

すべての人に、「勉強できる権利」があると私は思います。

その権利を行使できる(勉強ができる)場が、現在は、「学校」以外では、なかなか難しい、というの世界が現状です。

少しでも抗って、「勉強できる権利」を使えるようにしたい!

 

小学校のころに先生に「劣等生」呼ばわりされて、自分は一生「勉強できない」と思ってしまった私。

それがどれだけ辛くて、悔しかったか!他人の評価で自分を評価してしまったことが、今でも悔やまれます。

「自分は勉強できない」という縛りを自分で決めて、いざ勉強しようにも、1つでもわからないだけで発狂した、あの日々。

でも、自分だけの世界で、自分だけで勉強するようになってから、

やっと勉強ができるようになったことで、「勉強」の方法が1つではない、ましてや、

学校が独占して良いものではない、と気がつきました。

 

学校を批判するつもりはありません。

でも、自分が学校の勉強方法に合わないのは事実で、学校や学校の先生を否定するつもりもありません。

だからといって、学校に合う勉強方法にシフトするつもりはないです。それは、自分を否定することだから。

 

その折り合いをつけるために、

「学校」とは?「勉強」とは?を考える必要があると思います。

 

 

 

(1)「勉強」と「学習」は違う

 

勉強」も「学習」も、

どちらも「学問を習い、自分の能力として吸収する」という行為そのものは同じなので混同しやすいのですが、

私は「勉強」と「学習」は違うものとして考えた方が理解しやすいです。(あくまで私の考えです。)

 

私がイメージする意味合いになりますが、「勉強」と「学習」の違いを説明したいと思います。

 

例えば、どちらも同じ内容A(例:平安時代)を扱うとします。

  

  • 勉強とは?

そのAで、習ったことを出来るようにする、使いこなせるようにするのが「勉強」です。

 

例えば、摂関政治を習ったときに、「摂関政治」とはどういうものか?というのと、

「摂政」・「関白」という言葉、その摂関政治の最盛期のころの摂政・関白が「藤原道長」と「藤原頼通」   

という人物である、というのを把握&用語として覚えることが必要な行為です。

 

きちんと理解できたのか?覚えたか?の確認のために行うのが、テストです。

 

  • 学習とは?

そのAで、自分が気に入った内容を掘り下げたり、習った内容の行間や背景を調べたりするのが「学習」です。

例えば、摂関政治を習ったときに、「関白」の語源は?なぜ藤原氏が朝廷内で力をつけることができたのか?の過程、

藤原道長とはどういう人物なのか?その時代の服装(束帯や、いわゆる十二単、など)を調べたりするなど、が「学習」です。

 

 

 

 

 

 

  • 勉強学習の違い

 

勉強

以上のことから「勉強」は強制力があり、「集団」「社会」で生活する上で、必要な知識・スキルを身につけるためのものです。

誰のために「勉強」するか?というと、国力のためという「国家」に必要な側面が「勉強」にはあるのは確かなんです。

ただ、そういうと、「国のため」=「戦争のために疑問を持たず、喜んで自らの命をささげること」と思われる方もいるかもしれません。

そういう意味の、「洗脳的な」国力という意味ではありません。

 

国民が国家をつくります。

国民の1人1人の力が国力になっていき、国の経済力があれば、

それが結果的に国民に余裕ができ、他人や他国に攻撃的になる確率が減ります。

 

また、多くの知識を得ることで、

自分で「戦争はどんな理由があってもしてはならない。」という結論に自ら導き出すことができます。

 

知識を多くなると、他人の言動でいちいち感情を揺さぶられたりしないですし、他人を必要に怖がらなくてすみます。

他人が怖いから、攻撃的になる人もいます。

不安感が減れば、自分の才能を解放できます。それが国力につながります。

 

「知識を得る」場合、好きな物、興味のあるものを覚えることは可能でも、好きでないこと、

興味のないことは自主的に覚えるのはほぼ不可能です。

 

そのため、どうしても「強制力」が必要です。それが「勉強」なのです。

 

自分に本当に必要な知識が、実は好きでないこと、苦手だと思っていた知識内容だったりすることもあります。

また、強制的に知識を得ることで、最初は嫌いと思っていたことが好きな物にかわることもあります。

 

また「苦手」だったのは、高すぎる才能ゆえに・・のパターンの子を何度も見てきました。

そのため、「強制力」が働くことで、「苦手」だと思ったものに真剣に取り組んだ結果、

秘めたる才能を開花させることもあり得るのです。

 

 

「国力」「強制的」という単語だけみると、「悪いこと」のように見えます。

 

でもそこに「国のために自分を犠牲にしてがんばる」のではなく、

個人個人の能力開花のために」それが結果的に「国力」につながる、

と考えれば、個人の幸せを追求できる方法にもなると思います。

 

 

学習

 

強制力が必要な勉強」に対して「学習」は自主性の側面が強いです。

自分で本を読んで調べたり、その学習で得た知識で、新しい発想や発見もできます。

また、裁縫や絵描き、博物館や遺跡、お城などを巡る旅などもの別の分野に、

その学習内容をリンクさせ、趣味として楽しむこともできます。

 

 

(3)教育現場は「勉強」「学習」のどっち?

この「勉強」「学習」は、どちらか一方が、「良い・悪い」「優れている・劣っている」というわけではありません。

問題は、ア:どちらに主軸をおくか??の割合、がポイントになってきます。

 

これから、「勉強」と「学習」の比率配分の違いをいくつかの例を通して、見ていきます。

 

 

  • ケース1 「学習」の比率を大きくしたケース

 

学校で習った内容で気になったものを自分で調べて詳しく読みたいと思ったとします。

でも、その調べる内容、詳しく読む内容は、テストに直接関係ないものだとします。

 

その際は、自主的に調べるものとなるので「学習」となります。

 

 

 

<「学習」が「勉強」に影響するもの1:良い影響

学習」で知った内容によって、「勉強」で習った内容の行間がわかったり、

イメージがしたすくなって「勉強」内容を脳内で画像として再現でき、1度に情報が入ってくるようになります。

結果、「勉強」内容も覚えられ、テストの結果も良くなります。

よって、「学習」することで「勉強」の結果は変わってくる、ということです。

 

<「学習」が「勉強」に影響するもの2:悪い影響(「学習」の暴走)>

「学習」をしたから「勉強」もできるようになった経験を重ねていくと、

「『学習』をしていないと『勉強』できない、『勉強』をしても意味が無い」

という図式が脳内にできあがってしまうことがあります。

 

そうなると、

「興味がないことは勉強できない」

「調べても自分が求める答えがなかったから、勉強内容をこれ以上、前に進めることができない」

という考えになってしまいます。

 

 

そして「勉強できるようにするために、興味を持たなければ!好きにならねば!」と焦ってしまう。

しかし、「好き」「嫌い」の感情というのは、がんばって変えられるものではありません。

もし、変えようとしたら精神に支障をきたします。ストレス過多になります。

 

そのような思考を続けていると、

「好き」「得意な」分野(自分で学習した分野)のみは、

テストで点数をとれても、それ以外の分野では点数をとれなくなっていき、

最終的には勉強そのものに苦手意識を持ち始めます。

 

それにより、同級生にバカにされたり、先生にいじめられたり、劣等生・問題児扱いされることまであれば、

だんだんと「自分はバカなんだ」と思い込み始めて、

せっかく「学習する能力」があるのに、その能力を自分で封印してしまう場合があります

 

また、歴史を好きな気持ちはあっても好きな歴史人物はいない状態でも焦る子もいます。

特定の歴史人物が好きな子は歴史のテストで高得点をとれることが多いことから、

別に歴史人物を好きにならなきゃ点数とれないという図式もできてしまう子がいますが、

別に好きにならなくてもテストで点数とれます。「好き」は感情。テストで大切なのは、情報整理なので。

 

 

 

 

 

  • ケース2「勉強」の比率を大きくしたケース

テストで点数をとること、そのためにノートをまとめ、問題演習を解くことは、

テストを作成した機関に自分を点数化してもらうことになるのだから、

テスト勉強は「勉強」の分野になります。

 

<「勉強」が「学習」に影響するもの:悪い影響>

テストでわかりやすい結果を出す(テストで点数をとる)ために、

勉強」で習うこと以外を完全に拒否してしまい、100%丸暗記になってしまうことがあります。

A(→)Bという内容を習ったとき、テストでは「A」と「B」の用語のみが出るとします。

そのとき、すんなり「A」「B」の用語が頭に入るのなら、それでOKだと思いますが、

そうでなければ「→」の部分を自分で「学習」していく必要があります。

 

また「A」「B」という用語を意味もわからず、覚えようとする人もいます。

その場合、覚えたと思っても、すぐ忘れてしまいます。

そのため、定期テストである程度までの点数はとれますが、

一定以上の点数と順位はどれだけ、本人はがんばったつもりでも、とれなくなることが多いです。

 

すべての内容が出る入試問題だと、丸暗記では点数をとれません。

 

 

<「学習」が「勉強」に必要なもの>

 

「A」と「B」の用語の丸暗記だとすぐ忘れてしまいますが、「A」「B」を画像でイメージできると覚えても忘れないこともあります。

人間というのは、意味不明なものを覚えることができる数は多くなく、

画像や文字としてのイメージを伴ったり、情報を整理すると覚えられることが格段に増え、また忘れません。

「承久の乱」「応仁の乱」を「ジョウキュウノラン」「オウニンノラン」と覚えるのでなく、

「乱」というカテゴリーで考え、「乱」のうち「承久」、「応仁」という名称のついた「乱」である、と考えるだけで、

かなり情報整理がつきます。

 

さらに、資料集でその乱を画像で覚えたり、もしくは、ドラマやマンガなどで画像を明確化しても良いです。

いくつも画像でのイメージを得ていくと、資料集やドラマ・マンガでの画像がない歴史的出来事も、

自分なりのイメージをつくることができます。

 

このように、情報整理したり画像イメージをつけるのは「学習」の分野で行います。

「A」「B」という用語しかテストには出ませんがテストに出ない内容まで知っていることが

結果的に「A」「B」を覚えて、テストで点数とれることにつながります。

 

 

 

(4)「勉強」と「学習」のバランス配分がポイント

 

  • バランス配分と主軸

上記のケースでテストにおいて自分の理想とする結果が出せなくなったのは、

勉強」と「学習」のバランス配分が崩れたこと、主軸がぶれたことが大きな要因です。

この2つのバランス配分は1つではなく、目的によって、いくつかの配分があります。

 

 

 

 <主軸:テストで結果を出すだけのバランス配分>

「テストで結果を出す」という目的なら、勉強学習(高校レベルなら)、主軸は「勉強」にします。

そのらめ、「学習」をしても、「理解」「納得」できないものは、用語をそのまま覚える覚悟も必要です。

 

<主軸:自分の才能を伸ばすときのバランス配分>

「自分の才能を伸ばす(余暇の時間)」なら、配分は、勉強学習で。

どんなことでも興味ある、気になるところを徹底的に調べて楽しむ形。

学習力のおかげで、確実に実録が伸びますので、余暇の時間(自由時間)に「学習」に力を入れると、

いざ、勉強をするときに、その才能が発揮できます。

 

ただし、テストの1週間前~テスト当日だけは、1の「学習」主軸の配分(勉強:学習=7:3)のほうに思考・価値観をシフトさせます。

 

 

 

(5)学校や塾に関して、私が違和感を感じる理由

①違和感の正体

ここで「勉強」「学習」の配分ミス、主軸のブレがあるのが児童(小学生)、生徒(中学生・高校生)なら、

勉強をしていくうちに、自分の目的や思考に合うやり方をみつけていけば良いと思います。

 

 

問題なのは、子供(生徒)と「勉強」に関わる役割のある、かつ、強制力のある大人(学校、塾、家庭教師の先生など)が、

勉強」「学習」の配分ミス、主軸のブレがあるケースです。

 

そのお話を今からしていきたいと思いますが、あくまで個人的な考えなので

それをご了承していただけると助かります。

学校批判・塾批判のつもりはなく、

現在、学校や塾に合わない子が「自分がいけないんだ!」と自分を責めることを防ぎたいために

書いた内容です。

 

学習」できるか否かは才能によるものが大きいです。

ただ、そう言うと、「学習できるのは才能なのだから、放置しておけばよかろう」と思われる方もいらっしゃいます。

でもそれは私は違うと思います。

いくか素質・才能があるからといって、何でも最初からスラスラできるわけではありません。

ある程度の過去の人々が作ったものから学んだり、それを真似たり、分析したりして、だんだんと、その才能が開花していくのです。

ピアニストが過去の作曲家に作られたピアノの曲を何度もひくことで、

画家が過去の画家の絵を見たり、摸写をしたりすることで力をつけて、現代の芸術家として活躍していくように・・・。

 

 

芸術分野だけでなく、勉強内容の「学習」の才能も同じです。

 

 

勉強」を教える立場の大人が「勉強」つまり学校内でのテストで点数をとれて、

入試で合格できるようにすれば良いと思って行動すると、例えば、以下のような行動になりがちです、

 

ア:ひたすら100点満点をとれるようになるまで、何度も確認テストをやりつづけるのを強要する。

  そして、場合によっては100点をとれない生徒を努力不足と決めつけ、人格否定することも。

 

イ:「授業と関係ない質問をするな!」と質問する生徒を怒ったり、馬鹿にする。

  (その質問は、知識がある人から見たら、関連性があると思われる内容でも、テストには出ない内容のときもある。)

 

ウ:テストの点数や順位、志望校合格のみしか価値観を見いだせなくなる。

  必要以上に問題演習をさせて、テストで点数をとらないと人生が終わり、親に失望される、のような将来の不安感をあおる。

 

 

・・・・など。

 

 

 

  • 学校と塾の違い

 

<学校>

 

先述のように、「学校」は「勉強すること(勉強させること)」を目的とした機関だと思います。

極端なことを言ってしまうと、税金で成り立つ、公立の小学校・中学校の教育は、国力に関係することに国の税金を使うのだから、

強制力がある程度必要な「勉強」です。

「勉強」は「強要する」ことが要素の1つにあるのだから、「勉強」という用語になるとも考え、ることができます。

集団授業をするメリットは、同調圧力や周りとの差により競争的に「半強制的」に学べること。

「同調圧力」や「競争意識」は悪いことのように思われますが、

ほどよい負荷なら、かえって成長できることができます。

しかし、その「ほどよい負荷」をたもてず、かなりきつい「同調圧力」、例えば皆と同じことをできない子をいじめる、

かなりきつい「競争意識」、例えば1番でなければ生きてて意味が無い、順位が低い子はいじめる、

ということになってしまうこともあります。

 

しかし、「同調圧力」や「競争意識」そのものは、うまく活用すれば、「勉強」できる、良き相棒にも成りえます。

しかし、今の学校は、「みんなで話し合って、気になることを自ら調べよう」という指導方針です。

集団授業という場では、「自主性」を促した時点で、

「強要」となり、「自主性」は失われ、

「自主性」があるからこそ効果のある「学習」は、

ほぼ意味の無い、表面をさらっただけの学びに変化をします。

 

 

なぜなら、どうしても、まじめな生徒さんほど、

学校の先生への「ごきげんうかがい(ゴマすり、だけでなく、怒られないか?の不安感でのごきげんうかがいも含む)」が出てしまうから。

だから、今の学校での「集団での調べ物」の授業は、いつか破綻し、

10年後、20年後に、まだ日本が存在していれば、日本の学校制度は今とは全然価値観が違う教育機関になっているのかもしれません。

※集団の調べ物が悪いわけではないですが、このままの「やっただけ」な感じの授業のままでは破綻するかも?という意味です。

 

 

<塾>

塾は元々、学校とは直接関係のなり、の「学習」「」の場だったと思います。

自学習とは違い、指導者と、その指導者に学ぶ人(生徒)がいて、ある程度の強制力のある「学習」を塾は提供します。

その点では、学校同様、矛盾点がある、という見方もできます。

 

しかし、塾は学校と違い、「こういう人間になってほしい(こういう人材が国家には必要)」という形の教育ではなく、

自分はこういう人間になりたい(こういう知識やスキルを得たい)」という考えを持っている人が、

その目的に応じて、「自主的に行く」ところです。つまり、「学習」の側面が強かったのが塾でした。

江戸時代の「塾」を想像するとわかりやすいかもしれません。

学校の授業とは、必ずしもイコールになっていませんでした。

 

しかし、今はどうでしょう?

 

「学校の定期テストのため」「行きたい学校に合格するため」の、

学校ありきの、つまり「学校の下請け」機関のところになっている側面があります。

 

 

③学校と塾の立ち位置の変化

 

元々は

勉強の割合の方が高い→「学校

学習の割合の方が高い→「

・・・という立ち位置でした。

しかし、学校側が「学習」という名の強制を行うようになったことで、

学校が本来すべきであった「勉強」を塾が担うようになりました。

昔のように、

「学校の授業をきちんとまじめに聞いていたら、テストで点数をとれるし、志望校に受かるよ」という図式は難しくなり、

塾ありきの「勉強」が小学校・中学校の生活が今のスタンダードになってきました。

 

(6)学校と塾という集団指導・家庭教師という個別指導以外の選択肢

 

じゃあ、塾で「勉強」すれば良いじゃない!と思われるかもしれませんが、それで完全解決とは言えません。

学校は人口に応じて、必ず、日本全国にある機関に対して、塾は人口の多い都市部に集中しています。

家庭教師も同様です。また、塾や家庭教師には、学校と違い、全部、自費です。

 

 

また、人によっては、塾だろうが、家庭教師だろうが、他人とのコミュニケーションは必要で、

それだけに精神的体力を使ってしまうと、結果、勉強内容が頭に入らない子もいます。

 

塾や家庭教師の先生が必ずしも自分に合う指導をしてくれるとは限りません。

 

「集団に適応するのが正義」、あいまいな指示を出したのは先生側だけれど、

他の生徒さんが読める空気を読めなかった生徒さんいは、人格否定をする「危険な」先生もいます、

逆に、肯定ばかりする優しいだけで、生徒さんの力を上げてくれるわけではない先生もいます。

 

そのため、学校が合わないから「塾を」「家庭教師を」・・とできるワケではありません。先生探しで疲れてしまいます。

 

(7)本という選択肢とこの本の目指すところ

そこで、もう1人の、しかも、「安全」な先生の授業を受けられるツールがあります。それが「本」です。授業を受けているような感覚で本を読んで「勉強」し、自分で気になるところは、他の本で学習する形。

自分にこの本は合わない、と思えば、すっと本を閉じ、サヨナラすれば良いだけのこと。

作者には、学校や塾、家庭教師の先生と違い、辞めるときに何も言わなくて良いのです。

「学習」の小・中学生向けの本はたくさんあります、「勉強」の問題集もたくさんあります、

でも「勉強」の授業のような本は?・・というと、少ないです。

私なんかより、もっと優秀な人が、「勉強」の授業のような本を作ったほうが良いのでは?という不安がよぎることはあります。

でも、私自身が「小学生・中学生のころに欲しくてしょうがなかった本」を作成することで、

それで1人でも、私のように苦しい学校生活を送る人を、

そして、学校生活のトラウマで強迫性障害に苦しむような人を減らせたらいい、と思って、作成する決心をいたしました。

 

 

まずは、ブログで記事を書きながら、同人誌としての形をつくっていく予定です。

 

ご覧いただき、ありがとうございました。


ブログと同人誌の、新しい歴史模擬授業コンセプト表明

2024年09月11日 09時00分00秒 | はじめての方はこちらへ

 

みなさま、本日もありがとうございます。

今回は、

これから

歴史の勉強関係の同人誌を

本格的に作成するにあたって、

 

自分はどういう視点で、

どういう考え方で

書いているか?」を

はっきりさせたいと思い、

まずは作成前に、

こちらのブログでも書いて

いきたいと思います。

(この後、編集・画像作成・編集して、本にしていきます。)

 

1:⁠私自身のこと

私自身はASD(自閉症スペクトラム)です。

それが判明したのは、子育てやママ友づきあいから

「ナニカオカシイ」と感じた、と、それに伴う強迫性障害になったことです。

ムリに育児書に載っている方法で子育てをしようと努力し

また、ママ友や世間の価値観や子育て方法に合わせようとしたことから

結果的に強迫性障害を発症し、そこからの脱却で今でも苦しんでいます。

 

その育児中の「ナニカオカシイ」は、自分が小学校・中学校でも感じたことです。

もしかして、私と、多数の他の人では、思考回路や価値観が違うのでは?」と

小さいころから思っていました。

その思考回路に優劣はなく、違うだけ。

 

私は、小・中学校で行われる授業だと、わからないことがありました。

それで、自分は「馬鹿」なんだ、と

思い込んで自滅していくことも、何度かありました。

 

その中で生きもがいて、自分なりの勉強方法を確立して

なんとか生き抜いてきましたが、

私と同じように、小・中学校のときに苦しみながら勉強していた人もいるのでは・・・?

自分自身と塾講師などでの経験から感じたことです。

 

ただ、これから歴史の授業記事(新しく作り直したものをこちらのブログにアップ→同人誌作成)を

展開していくにあたって、「ASD向けの人の勉強法」と記すつもりはありません

その理由は、ASDのことを恥じているわけで記さないわけではないです。

 

ASDであることも含めて、私は私です。

何も恥じることはないのです。

 

生きるのは大変だし、馬鹿にされることはあるけど

私自身が私自身を恥じる必要はないよね?と。

 

以前、自作のマンガ(勉強関係でなくファンタジーマンガ)を他人に見せたとき、

「いかにもASDの人が描いた漫画!!万人受けしない!」と言われました。

そのとき、「定型発達の人向けにマンガを描かないといけないんだ」と落ち込んで、マンガが描けなくなり、

それが最終的にクリエイター活動や同人活動をやめる、最初のベースになってしまいました。

 

でも、「なんで、人類は定型発達の人も発達障害の人もいる。私はASD、発達障害である事実は変わらない。

なのに、ASDの私は定型発達の人になる努力をして、

定型発達の人に合うやり方で、いろいろがんばらなきゃいけないんだろう?

ASDのまま、力をつけて、表面上だけでも、集団生活で生きることをしてはいけないのだろうか?

私が発達障害のまま、発達障害の人も定型発達の人も、どちらも幸せになる作品をつくることはできないのだろうか?

・・・という怒りの気持ちも出てきました。

 

そこで、私にとって、ずっとがんばってきたのは、「受験勉強」でした。

 

だから、娯楽マンガ、感動マンガ、素敵な絵画は描けない。

 

あの人(先述した人)が言うように「ASDだから、描けないんじゃない!ASDで自分のしたいことを他の人に譲るのはイヤ!

マンガは描きたい!絵も描き続けたい!でも、自分はどんな理由があっても

受験勉強から離れたくないんだ。

だから、勉強以外の他の作品を描くときはウソで固められているから、つまらないのだろう!」と。

 

 

そこで、私は

学校での授業だけだと、勉強ができない人間になってしまう。でも勉強はし続けたいし、テストで点数とりたい!

という、人たちのために、ASDのまま生きる決心をした私ができることをしたい!と思いました。

 

「苦手なら、ムリしてがんばらなくて良いんだよ。君が、ありのままの君らしくいられるように。」みたいに

耳障りの良い言葉で、相手の秘めたる才能をかえって潰すことがある、のを私は、あらゆる経験から実感しています。

 

「苦手でも、なんでも、泣こうが、わめこうが、やり続けたいなら、やれば良いんだ!」と言いたい

 

過去の私が「他人が、私ががんばることを望んでない。だったら、私は努力することを放棄しないと相手に迷惑かける」という思考で

すごく苦しかった。「苦手なのに、がんばることの何が悪い!」という気持ちになったのは、つい最近です。

だから、もう2度と、過去の私のような苦しみを持つ生徒さんがいたら

1人でも、「苦手だろうが、なんだろうが、私はがんばってやる!!」と勇気を出せるような

作品が描きたい!と。

 

その際に、自分が「発達障害(私の場合、ASD)」であることを公表して、作品をつくる覚悟をしました。

そうでないと、「こんな風に考えなくても、私はテストとれるよ!アナタの考えは、みんな(?)がおかしいと言っているよ!」

と指摘されても、自分の書こうと思うことに迷いが生じないようにするためです。

そう、以前、「定型発達の人と同じことしなきゃ!」で強迫性障害になった過去があり、

その地獄の日々にもう2度と戻りたくないです。

馬鹿にされようが、万人受けしないと言われようが

「私は私ができることをする!」としないと、生きることが難しくなるから。

 

「ASDである」と宣言するのは「私は私のまま生きること!」という決意表明なだけです。

 

そのため、このブログ(と同人誌)で、実際の授業関係の話をするとき、

ASDの子向け、定型発達向けではない、とは言いません。

 

その理由は、今まで多くの生徒さんと出会い、私の授業を好んでくれた人は

発達障害だと思われる子も、定型発達だと思われる子も

好んでくれたから。

 

少年マンガを好きな女性がいたり、

少女マンガを好きな男性がいたり、

少年マンガを描く女性のマンガを好む男性・女性がいたり、その逆も、

海外ドラマの方が自分の性格に合っていると感じる人がいたり・・・と

 

描く人と同じカテゴリー(性別・国籍など)に属している人以外でも

その作品を好むことはあるし、その作品で救われることもあります。

 

また、自分は女性なのに、女性向け作品が苦手、など

自分は、その作品の読者ターゲット層なのに、合わないものは合わない。

 

つまり、「ASD」の作者の作品でも、ASD、ASDでない人も好む人は好むし

同じ「ASD」の人でも、私の作品が合わない人はいるでしょう。

 

だから、

 

「私はASD」と堂々と公表はしますが

 

その作品は、

ASDである人・ASDでない人でも、好んでくれる方の心に届けたい!

・・・・と思っています。

 

では、次回から、私の授業ブログを展開するにあたって、自分の「勉強」に関しての考えを述べたいと思います。

 

ご覧いただき、ありがとうございます。

 


自分が欲する授業形式について

2024年09月10日 10時19分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。



昨日まで、
「年号暗記はテスト勉強に必要か?」
の内容のマンガをアップしました。

ご覧いただきありがとうございました。

続きも作成中です。(現在、下書き中)



今でこそ、社会科、歴史についての
ブログを書いている私ですが
昔は、本当に苦手だったんです、歴史。

今でも、昔からの歴史が大好きで
本をたくさん読み重ねている夫や
大学時代の友達と比べて、
才能も知識もとうてい、かないません。

でも、それでも、必死にしがみついて
歴史の勉強中です。
イラストの練習も。


私の場合、「歴史の教養を深める」と
いうよりは
「歴史のテストをどう乗り切るか?」
を考える方が好きなんだな、と
思いました。

でも、そのとき、
「丸暗記」「遊びながら」とか
「問題を解きまくって、テストの点数だけ良くする」
という意味での「テスト乗り切り」は
苦手です。


四六時中、ずっと、
「テスト攻略」の
ことを考えるのが好きです。

そうでないと、
人間関係の不安感が出て
強迫性障害がひどくなる、
というのが最近の生き方です。

常に頭を動かさないと、怖くて怖くて
しょうがなく、私の場合、
どれだけ他人に人格否定されようが
「テスト攻略」が一番落ち着くのは
事実なんです。

その「テスト攻略」を考える一貫で
「教養を可能な限り深める」と
いうのをしているため、
本当に教養の深い、
夫や友達にかないません。

でも、夫は教養は深いけど
歴史に興味のない人や、
テストに対して真剣にやっても
テストで苦戦している人に対して

「テスト勉強の経験を通して
歴史を好きになってもらう」

ということをするのは苦手なようです。


なので、教養がある人からしたら
私の歴史ド素人丸出しの授業は、浅くて
許せないものかもしれませんが、
私も少しでも教養をつけながら

「テスト勉強をがんばる生徒さんや
そのご家庭のテスト勉強のお手伝いを
自分の作品で、できたらいいな!」

というスタンスで行ってます。

過去の私を救いたい、という意味も
あるかもしれません。
でも、自分勝手な行為でも
結果的に他人を救うことができたら
そんな生き方もありじゃん!と。
常に他人の顔色をうかがう人生から
脱却したい。


「自分なんて教養ないし」と
引き下がるのでなく
「今、自分ができることをしよう!」と
しないと、また強迫性障害の重症化や、
うつ病一歩手前になりかける、と
思うので。


ただ、過去に作成した
「新歴史模擬授業」を
もう一度作り直したい!
と思って、今、別の形式で
作っているところです。
(そちらを同人誌化予定)

「新歴史模擬授業」は
こちらのブログの人気シリーズなので
ご覧いただけて、とても嬉しいです。
みなさま、ありがとうございます。

「新歴史模擬授業」は、
先生1人、生徒3人の
会話形式でしたが

作成から10年ほど経過する間に

自分がASDであることが判明したことや
何回も流産を経験し自信を喪失したことを
きっかけに、子育てをしていく過程で自信がなくなるだけでなく、あらゆる、周りとの見えない壁を感じたこと、差別をうけたこと、
から精神的にまいったことから
強迫性障害と、うつ病一歩手前で
苦しんだこと、
同人活動、クリエイター活動を通して、
10年前と考えが変わったことはありました。

そのため、
「無理に学校や塾の集団授業形式(仲良く話し合いながらの授業形式や、生徒に当てながらの授業形式)が、苦痛な子もいて、
そういう子でも勉強する権利はあるし
自閉的傾向と勉強の理解力は、
連動はしない!
先生が一方的に教えてくれる授業の方が
頭に入る子もいると、証明したい!!」
と思って、
今回の新しい挑戦をしてみよう!と
作成しました。


ただ、前の形式と今度から作成する形式、
どちらが合うか?は人によるものだと
思いますので
前のものも残しておきたいと思いますので

これからもよろしくお願いします。


ただ、前の形式のもので
内容が古い、間違っているものは
直していきたいと思います。


明日からは、
私がこれからブログで書く授業展開を
どうしたいか?についてや

自分なりの「勉強」や「学習」なりの
話をしたいとしたいと思います。

(年号暗記は必要か?の、マンガは
完成次第、アップしていきます。)


ご覧いただきありがとうございました。




「年号暗記はテスト勉強に必須?」第2話(並び替え編)その3

2024年09月09日 09時00分00秒 | 歴史勉強アドバイスまんが
みなさま、本日も、ありがとうございます。

今回も前回の続きで
「年号暗記はテスト勉強に必須なの?」第2話(並び替え問題編)の続き(その3)です。

この内容は「年号暗記」を否定するものではなく、固執しなくても大丈夫だよ、という話です。

第2話は今回でおしまいです。
(第3話は完成次第、アップいたします。)













今回は以上です。
ご覧いただきありがとうございました。

年号暗記は、並び替え問題のときに
一番必要なものだと思ったので

あえて、「年号暗記はなして、並び替え問題を解いてみようじゃないか!」
というものに挑戦してみました。

また第3話の原稿が完成したら
アップいたしますね。