みなさま、本日もありがとうございます。

現在、gooブログさんが閉鎖するのに伴い、
Amebaブログさんの方にコツコツと、
残しておきたい記事を移動している状態です。
Amebaさんでは、育児のものと統合し、
サイト名は
「育児書にない!&しゃかりき!」
となっています。
ハンドルネームはそのまま、
セザール=れくす、となっています。

アメブロの方は
育児ブログだったので
見直すと、
愚痴や迷走した内容などが
満載でしたので、
その内容は消したり、
編集し直したりしています。
今から思うと、こちらのブログを
始めたのは、塾講師を始めた頃、
一番ブログを書いていたのは、
フリーの家庭教師になっていた頃で、
そのときは、教育や歴史のことを
知った気になっていたけれど、
今から見直すと、
「無知だなー」
「一つの価値観に凝り固まってるな」
「勘違いしてるなー」
「甘いなー、世界が狭いなぁ」
と思うこともあります。
でも、そのときは
未来への希望ややる気に満ち溢れていた
自分に自信をもっていたな、
とも感じます。
良くないと言えば良くないけど
人生、楽しんでナンボ、とも思うから
先生としては、は別として
生き方としては今よりも正解だったかも?
とは思います。
子供を産んで、育てていくうちに
精神的にまいってしまって
今に至ります。
何が一番辛かったか?というと
「自分の正義が
相手に伝わらないこと」
だったんですよね。
受験勉強や塾講師、家庭教師を
しているときは
自分の人格のまま、
自分の能力を最大限発揮することで
周りの人々、助けたい人々を
確実に助けられる!
という正義がそこにありました。
しかし、育児、
とくに娘が幼稚園児、小学生までは
私の人格も、
それまで血反吐を吐いて手に入れた能力が
「悪」と見なされることが多くありました。
「周りと歩調を合わせず、
ひたすら、1人で能力上げ」は
「子供を育てるときの妨げ」
となったり、
絵や勉強を頑張ると
「お母さんが絵が上手すぎるから
子供の自己肯定感が下がって
やる気を失って子供の人格が歪む」
とか
「勉強に価値観をおく母親は
教育虐待してる!」
とか、言われたり、諭されたり。
目の前の課題をがんばっていたら
「マウント取ってる」とか
「◯◯長になりたいから、
周りにアピールしているんでしょー!」
と言われたり。
目の前にあることをがんばりたいから、
がんばっているだけっていう人格を
否定された気分でした。
第一に、私は絵は上手くないのに、
それを「上手すぎるから」という
存在しない事実で、諭されるのが
理不尽だと思いました。
また、勉強が自分が
好きだからしているわけで
子供にテストの結果とか、
早いうちから成績優秀とか
強要していないのに
「勉強がんばる」=「成績しかこだわらない」
という図式で私を諭してくる人に対して
不信感を持つことになりました。
娘が小さい頃は、
私は「悪の親」という形で、
あらゆる人から責められる。
責められたくない、から、
周りの価値観に合わせよう、
皆と仲良くしよう、
それをし続けたら、強迫性障害になり
塾講師に復帰できない状態になりました。
とてもつらかった。
自分も、過去の頑張りも
常に否定されている状態。
かつて、私をいじめていた人々の方が
まるで正しかったといわんばかりの
意見ばかりを尊重しなければいけない
ような状態。
かなり追いつめられていたのでしょう。
だから、愚痴を書いたり
「自分はこうだ!」と主張しすぎたり
していた自分がいました。
でも、愚痴や主張をするだけなら
良いのですが、相手がいかに悪いか、
みたいに書き始めたとき、
自分がすごく怖かったんです。
相手への一方的な悪口、
そして、相手が加害者、自分は被害者、
そういう書き方を育児ブログで
し始めたとき、
突然、ブログのアクセス数が増えました。
それで、自分の生き方が肯定された気分に
なり、自分が被害を受けた内容(小学生のときに受けたイジメ、中学の美術の先生からの受けた理不尽な仕打ち、親になってからの義実家との問題、幼稚園問題、PTAでの不満、学校の先生の授業運営の不満など)を書けば書くほど、ブログのアクセス数が増えました。
でも、勉強関係、絵の技術の話を書くと
アクセス数が減り。
そういう現象が続き、
数年間は、
悪口ブログみたいな記事を
たくさん書く自分がいて、
それはしたくないのに
でも、それが止められない状態になり、
とても嫌でした。
それが止められたのは、
娘に勉強を教えられるようになったから。
コロナ禍になり、一斉休校になり
家で勉強せざる負えなくなり
そのとき、私の本領発揮が
できたんです。
それでやっと、少しずつ、少しずつ、
不満をつぶやく内容は減りました。
他人への不満を考える時間があるのなら
それよりも歴史を勉強せねば!
もっとわかりやすく教えられるように
色々なことを考えねば!
もっと絵の上達をせねば!と。
そういう前向きになれました。
結局、勉強から離れられないんだ、私。
勉強したいんだ、私、と。
学力や知能が高いわけでもない、
でも、勉強したいし、勉強を教えたい私。
絵が上手くない、
でも、絵を描きたいし、その絵を使って
勉強を教えたい私。
それが私なんだな、と。
周りから「悪」と見なされることが私を
私が認めることで
かなり強迫性障害の症状も緩和したし
他人への不満を口に出すのでなく
その不満や怒りを「勉強するエネルギー」に
変換できるようになりました。
他人が悪いから自分を認めて欲しい、
ではなく、
嫌だったら
私の人格が気に入らない人でも
認めたくなるような成果を
出せばよかろう!と。
どんなことをしても私の人格を
認めない人、私をその人の求める型に
当てはめようと、私の人格を否定して屈服させようとして説教したり、脅したり、
諭す相手に対しては、相手にしないように
しよう、と。
今は、様々な理由から
娘は不登校になりました。
色々と家族で話し合って
二人で中学、高校を頼らず
大学受験を目指すことを決めました。
また、大学は通過点に過ぎず、
大学に仮に行けなかったとしても
娘が1人で独立した個を維持しながら
どう仕事をし、
どうこの世界を生き抜いていくか、
を考えて努力していくことを
第一にしています。
娘が不登校になってからは
私の人格と、塾講師&家庭教師の時代までに手に入れたスキルや能力、
そして、
娘が赤ちゃんから小学生までの間に手に入れた育児や発達障害等の知識と対応スキル、歴史の本をさらに読んだ知識、同人活動やクリエイター活動を通して手に入れた知識や経験やスキル、
これらも加えて、今は、自分が歩んだ人生で手に入れたものを最大限に活かして、
娘の育児と勉強
勉強ブログ作成と同人活動、
というのを貫けるようになっただけ
精神的には楽になってきました。
「子供を不登校にした親の教える
勉強ブログなんて信用にかける」と
思う方々もいらっしゃるのでは?と
思いましたが、たぶん、そういう人は
私のブログの内容は好きじゃないでしょう。
不登校になった小学生、中学生のお子さん、
そのご家族も、
学校に行っている、行っていた人々と
同じ人間であり、優劣はなく、
同等の基本的人権を
持っているんです。
だから、
「学校に行くこと」と
「受験すること」「学力」は
別に考えることができます。
「学校に行くこと」が「学力をつける方法」の中で、一番手っ取り早いだけで、
別に「学校」に行ってなくても「学力」は
つきます。
学力とは、学校力でなく学習力、なので。
まあ、旅行で例えると、
学校ってツアー旅行みたいなものです。
ツアー旅行に行けば、
一通り有名な観光地はまわれるし、
ご当地グルメもお土産も買える。
しかも、バスツアーなら、その間は
寝ることできるし、トイレも探さなくても
トイレ休憩あるし。
学校に行けば、一通り、
必要とされる内容は全部体験できるし、
行っている間は
食事や座るところ、トイレなど
安全な生活も保証されるし。
個人旅行だと、
すべて計画は自分でたてて、
値段の見積もりもして、
個別に旅館も予約して、
食べるところ、移動手段、トイレ、も
自分で考えて、としなきゃいけないから
とても大変。
でも、その「大変さ」が個人旅行の
楽しいところ。
自宅学習もそれに似ていると思います。
ツアー旅行、個人旅行、
どちらもメリット、デメリットが
あります。どちらを選ぶか?は個人の自由。
だから、学力を得るには
ツアー旅行タイプの勉強か、
個人旅行タイプの勉強か、
どちらが自分にあうか?で
考えれば良いかな?と思うんです。
学校に行く、行かないでなく
「学力をつけること」に
専念したブログにしたい!と
思って、こちらのブログを
再開しました。
でも、その矢先に
ブログサービス終了という
タイミング。
「れくす先生の歴史授業」シリーズは
私なりの、今のところの最大限の
作品にしていきたいです。
ただ、
強迫性障害が完治していないこと、
娘の育児などの私生活で優先しないと
いけないこと、
自分の老化で無理できるほどの体力が
昔ほどないこと、
などがあるので、
更新ができたり、できなかったり、
は多々あります。
それでも、必ず最後まで、
新しいブログ先の
アメブロさんで
書きていきたいと思いますので
よろしくお願いします。