goo blog サービス終了のお知らせ 

社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

このブログの目指したところ

2025年05月23日 21時38分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。

現在、gooブログさんが閉鎖するのに伴い、
Amebaブログさんの方にコツコツと、
残しておきたい記事を移動している状態です。
Amebaさんでは、育児のものと統合し、
サイト名は
「育児書にない!&しゃかりき!」
となっています。
ハンドルネームはそのまま、
セザール=れくす、となっています。






アメブロの方は
育児ブログだったので
見直すと、
愚痴や迷走した内容などが
満載でしたので、
その内容は消したり、
編集し直したりしています。
 

今から思うと、こちらのブログを
始めたのは、塾講師を始めた頃、
一番ブログを書いていたのは、
フリーの家庭教師になっていた頃で、
そのときは、教育や歴史のことを
知った気になっていたけれど、
今から見直すと、
「無知だなー」
「一つの価値観に凝り固まってるな」
「勘違いしてるなー」
「甘いなー、世界が狭いなぁ」
と思うこともあります。
でも、そのときは
未来への希望ややる気に満ち溢れていた
自分に自信をもっていたな、
とも感じます。

良くないと言えば良くないけど
人生、楽しんでナンボ、とも思うから
先生としては、は別として
生き方としては今よりも正解だったかも?
とは思います。



子供を産んで、育てていくうちに
精神的にまいってしまって
今に至ります。

何が一番辛かったか?というと
「自分の正義が
相手に伝わらないこと」
だったんですよね。


受験勉強や塾講師、家庭教師を
しているときは
自分の人格のまま、
自分の能力を最大限発揮することで
周りの人々、助けたい人々を
確実に助けられる!
という正義がそこにありました。


しかし、育児、
とくに娘が幼稚園児、小学生までは
私の人格も、
それまで血反吐を吐いて手に入れた能力が
「悪」と見なされることが多くありました。

「周りと歩調を合わせず、
ひたすら、1人で能力上げ」は
「子供を育てるときの妨げ」
となったり、
絵や勉強を頑張ると
「お母さんが絵が上手すぎるから
子供の自己肯定感が下がって
やる気を失って子供の人格が歪む」
とか
「勉強に価値観をおく母親は
教育虐待してる!」
とか、言われたり、諭されたり。
目の前の課題をがんばっていたら
「マウント取ってる」とか
「◯◯長になりたいから、
周りにアピールしているんでしょー!」
と言われたり。
目の前にあることをがんばりたいから、
がんばっているだけっていう人格を
否定された気分でした。


第一に、私は絵は上手くないのに、
それを「上手すぎるから」という
存在しない事実で、諭されるのが
理不尽だと思いました。
また、勉強が自分が
好きだからしているわけで
子供にテストの結果とか、
早いうちから成績優秀とか
強要していないのに
「勉強がんばる」=「成績しかこだわらない」
という図式で私を諭してくる人に対して
不信感を持つことになりました。


娘が小さい頃は、
私は「悪の親」という形で、
あらゆる人から責められる。
責められたくない、から、
周りの価値観に合わせよう、
皆と仲良くしよう、
それをし続けたら、強迫性障害になり
塾講師に復帰できない状態になりました。

とてもつらかった。

自分も、過去の頑張りも
常に否定されている状態。
かつて、私をいじめていた人々の方が
まるで正しかったといわんばかりの
意見ばかりを尊重しなければいけない
ような状態。
かなり追いつめられていたのでしょう。

だから、愚痴を書いたり
「自分はこうだ!」と主張しすぎたり
していた自分がいました。

でも、愚痴や主張をするだけなら
良いのですが、相手がいかに悪いか、
みたいに書き始めたとき、
自分がすごく怖かったんです。

相手への一方的な悪口、
そして、相手が加害者、自分は被害者、
そういう書き方を育児ブログで
し始めたとき、
突然、ブログのアクセス数が増えました。
それで、自分の生き方が肯定された気分に
なり、自分が被害を受けた内容(小学生のときに受けたイジメ、中学の美術の先生からの受けた理不尽な仕打ち、親になってからの義実家との問題、幼稚園問題、PTAでの不満、学校の先生の授業運営の不満など)を書けば書くほど、ブログのアクセス数が増えました。
でも、勉強関係、絵の技術の話を書くと
アクセス数が減り。

そういう現象が続き、
数年間は、
悪口ブログみたいな記事を
たくさん書く自分がいて、
それはしたくないのに
でも、それが止められない状態になり、
とても嫌でした。

それが止められたのは、
娘に勉強を教えられるようになったから。

コロナ禍になり、一斉休校になり
家で勉強せざる負えなくなり
そのとき、私の本領発揮が
できたんです。


それでやっと、少しずつ、少しずつ、
不満をつぶやく内容は減りました。


他人への不満を考える時間があるのなら
それよりも歴史を勉強せねば!
もっとわかりやすく教えられるように
色々なことを考えねば!
もっと絵の上達をせねば!と。
そういう前向きになれました。


結局、勉強から離れられないんだ、私。
勉強したいんだ、私、と。


学力や知能が高いわけでもない、
でも、勉強したいし、勉強を教えたい私。

絵が上手くない、
でも、絵を描きたいし、その絵を使って
勉強を教えたい私。

それが私なんだな、と。

周りから「悪」と見なされることが私を
私が認めることで
かなり強迫性障害の症状も緩和したし
他人への不満を口に出すのでなく
その不満や怒りを「勉強するエネルギー」に
変換できるようになりました。


他人が悪いから自分を認めて欲しい、
ではなく、
嫌だったら
私の人格が気に入らない人でも
認めたくなるような成果を
出せばよかろう!と。
どんなことをしても私の人格を
認めない人、私をその人の求める型に
当てはめようと、私の人格を否定して屈服させようとして説教したり、脅したり、
諭す相手に対しては、相手にしないように
しよう、と。



今は、様々な理由から
娘は不登校になりました。
色々と家族で話し合って
二人で中学、高校を頼らず
大学受験を目指すことを決めました。

また、大学は通過点に過ぎず、
大学に仮に行けなかったとしても
娘が1人で独立した個を維持しながら
どう仕事をし、
どうこの世界を生き抜いていくか、
を考えて努力していくことを
第一にしています。

娘が不登校になってからは
私の人格と、塾講師&家庭教師の時代までに手に入れたスキルや能力、
そして、
娘が赤ちゃんから小学生までの間に手に入れた育児や発達障害等の知識と対応スキル、歴史の本をさらに読んだ知識、同人活動やクリエイター活動を通して手に入れた知識や経験やスキル、
これらも加えて、今は、自分が歩んだ人生で手に入れたものを最大限に活かして、

娘の育児と勉強
勉強ブログ作成と同人活動、
というのを貫けるようになっただけ
精神的には楽になってきました。

「子供を不登校にした親の教える
勉強ブログなんて信用にかける」と
思う方々もいらっしゃるのでは?と
思いましたが、たぶん、そういう人は
私のブログの内容は好きじゃないでしょう。

不登校になった小学生、中学生のお子さん、
そのご家族も、
学校に行っている、行っていた人々と
同じ人間であり、優劣はなく、
同等の基本的人権を
持っているんです。

だから、
「学校に行くこと」と
「受験すること」「学力」は
別に考えることができます。


「学校に行くこと」が「学力をつける方法」の中で、一番手っ取り早いだけで、
別に「学校」に行ってなくても「学力」は
つきます。
学力とは、学校力でなく学習力、なので。

まあ、旅行で例えると、
学校ってツアー旅行みたいなものです。
ツアー旅行に行けば、
一通り有名な観光地はまわれるし、
ご当地グルメもお土産も買える。
しかも、バスツアーなら、その間は
寝ることできるし、トイレも探さなくても
トイレ休憩あるし。
学校に行けば、一通り、
必要とされる内容は全部体験できるし、
行っている間は
食事や座るところ、トイレなど
安全な生活も保証されるし。

個人旅行だと、
すべて計画は自分でたてて、
値段の見積もりもして、
個別に旅館も予約して、
食べるところ、移動手段、トイレ、も
自分で考えて、としなきゃいけないから
とても大変。
でも、その「大変さ」が個人旅行の
楽しいところ。
自宅学習もそれに似ていると思います。


ツアー旅行、個人旅行、
どちらもメリット、デメリットが
あります。どちらを選ぶか?は個人の自由。

だから、学力を得るには
ツアー旅行タイプの勉強か、
個人旅行タイプの勉強か、
どちらが自分にあうか?で
考えれば良いかな?と思うんです。

学校に行く、行かないでなく
「学力をつけること」に
専念したブログにしたい!と
思って、こちらのブログを
再開しました。

でも、その矢先に
ブログサービス終了という
タイミング。

「れくす先生の歴史授業」シリーズは
私なりの、今のところの最大限の
作品にしていきたいです。

ただ、
強迫性障害が完治していないこと、
娘の育児などの私生活で優先しないと
いけないこと、
自分の老化で無理できるほどの体力が
昔ほどないこと、
などがあるので、
更新ができたり、できなかったり、
は多々あります。

それでも、必ず最後まで、
新しいブログ先の
アメブロさんで
書きていきたいと思いますので
よろしくお願いします。




れくす先生の歴史授業17 古代中国の思想4易姓革命、と最終回

2025年05月13日 16時52分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

今回もれくす先生の歴史授業です。  
古代中国で生まれた文化、制度についてです。

今回は易姓革命です。


1 はじめに

実は、ここまで長々とこの内容を
書いたのは、易姓革命について
ある、伝えたいことが
書きたかったからです。


私の場合は、大学に入るまでは
「テストで点数をとること」
「希望する大学に行くこと」を
目的に勉強していて、ほとんどの時間を
それに費やしました。
社会分野の入試における配点は
私立高校や大学入試では
英語や国語の分野の半分になることが
多いです(理科も)。
私が高校受験生のときは、
3教科受験で、理科と社会は
入試科目にさえなかったところも
ありました。(私立高校受験)
入試は、各教科の足切り点はある
かもしれませんが、基本的には
各教科の点数を
合わせた総合点で合否が決まります。

そのため、私が受験生のときの
高校入試なら
国語、数学、英語に、
大学入試なら、
受ける予定の大学の科目で
配点が大きい科目
(だいたいは、文系なら英語、国語)
の方に力を入れてました。

社会は好きではありましたが、
英語や国語ほど勉強の時間を割けなくて
授業で「ん?」と思ったことは
多々ありました。
でも、暗記してテストで点数取れるように
するための、最低限の情報整理さえ
しておけば良い、というスタンスでした。
例えば、「遣隋使は飛鳥時代、遣唐使は奈良時代から平安時代、の内容で出てくる」「白村江の戦いは飛鳥時代で、大化の改新が行われた後の時期」とか、その程度。そのときに、なぜ、遣隋使や遣唐使が行われたのか?そもそも、遣隋使や遣唐使というのは何か?白村江の戦いの戦いのときに、すでに中国は唐だったのに、飛鳥時代で遣唐使の話題はテスト問題で出ないのはなぜか?
などなど、疑問に思うことは出来たのに、それを疑問に思って追求することは
罪であり、生命の危機だと思い込んでいたのでした。


なぜ罪と、生命の危機、思ったか?というと、
私は小学生のときに同級生にいじめられ、
学校の先生からは迫害され、授業で何度も吊し上げにされた経験がありました。
その理由の一つが
「私が勉強ができないから」
「テストで点数が取れないから」でした。
その後、中学にあがってから、
必死に勉強して、
先生からは、
いじめられることはなくなったので、
ホッとしました。

先生さえ、その生徒をいじめなければ、
クラスメイト全員にいじめられる危険性は
ぐんと減るので。

先生は、授業態度が良くて、
テストの点さえよければ 
その生徒は「良い子」と認識する
傾向があるので。(全員ではありません。)

そのため、私にとっては
「テストで点数が取れない
というのは
「先生や同級生に攻撃される」=「生命の危機」という構図になってしまっていたので、
社会科は
テストである程度は点数をとれるし、
内申点的には問題ないし、
入試では、公立高校入試以外は
英数国よりも配点が低いので
わざと疑問点やモヤモヤ点は
かき消していました。



しかし、大学入試直前になり
「情報整理さえすれば点数をとれる」
というわけにはいかなくなり
高3の夏休みになって、
ある塾の講師の先生の短期講習の
出会いで初めて、
「歴史用語に膨らみをもたせても
先生という存在は私を罰したり
しないんだ」
と安心しました。
先生という立場の人から
「考えることは危険ではないよ」
と言われたのは、
かなりの嬉しさがありました。

それから半年間だけは、問題をとかずに
社会(世界史)だけは
ノートまとめをしまくって、
大学入試に出て、第一志望校に合格する、
という暴挙に出た私でしたが、
それが今の私の授業スタイルの始まり
であったりします。

また大学では、疑問に思ったことを
どれだけ調べようが、質問しようが、
それでいじめられたり、迫害されたり
しない、と安心できる空間と認識できたので
やっと、自分に合う勉強方法を開拓
できました。
塾講師や家庭教師の仕事を通しながら
「本来の自分の再生(個人的ルネサンス)」を行えたのです。


世間は「学校に行かないと、集団生活における社会性は身につかない」と言いますが
「社会性とは、その人が、その集団の中で生活しても、心身ともに安全である、と認識しないと産まれないもの」であると、
心理学の本で読みました。
まさにその通りだと思います。
だから、「学校」が「自分にとって危険な空間」と認識してしまったら、社会性は育ちません。育ってしまうのは、異常なほどの、過剰適応か、過剰防衛か、過剰暴力です。
自分の守り方が、自分に嘘をつく形の「適応」「防御」、または、自分の考えを相手に合わせさせようと強要する「暴力」に向かうだけ。


それは、どちらも、
最終的には、破綻します。


私は「過剰適応」という形で出ました。
高校まではそれで自分の「安全」を確保しましたが、親になって、ホルモンバランスを崩した途端、待ち受けていたのは、10年以上におよぶ「強迫性障害」との闘いでした。

だから、仮に「不登校」になったとき、なりかけたとき、
「学校に行くこと以外では、解決方法はない」と自分たちを追い詰めて、
学校に行けたら大丈夫とはならないかもしれません。
最も怖いのは、不登校そのものより、
それに伴う、うつ病、強迫性障害、などの
障害発症だと思います。

「勉強」だけの問題なら、
「自宅学習」や「図書館」、
「塾や家庭教師」「フリースクール」
などで解決という手もあり、
「集団生活での社会性を身につける」問題は、「学校」にこだわらなくても「本人が安全だと思える場所」をみつける方が良いと思います。




話をもとに戻します。

私は易姓革命という
考え方までは知らないまま、
大学合格までいってしまい、

大学に入って、易姓革命を
知りました。
でも、大学なので、それは知っているでしょ?前提だった講義で、
易姓革命をダイレクトに
教えてもらったわけでもなく
今から考えると易姓革命の考えだったなぁ、
と思った程度です。

易姓革命について、
詳しく知ったときは
結婚し、何度も流産し、
精神的にまいったときに
漢方薬の存在を知って
それの一貫で陰陽五行説を
知ったときです。

それから、道教の神話なども
ある程度ですが知ることで

私が小学生から疑問に思っていたことの
答えを知るための重要パーツは、
易姓革命にあったんだ!」
が苦しかったのは、
易姓革命の存在を認識しないで
それを建前でなく真実と思って
歴史を教えられていたことなんだ」と
気がついたのです。


それがどういうことか?を話す前に
本題へ。




2 易姓革命とは?

易姓革命とは何か?について、
画像を御覧ください。










古代中国でうまれた易姓革命の考え方と、
西洋の「革命(レボルーション)」の
考え方は違います。


どちらも「革命」という用語を使うので
混同する上に、
中国の場合は、「易姓革命」という
用語でなく「王朝交代」や
「◯の王朝は滅び、▲の王朝が開かれた」
と別の言い方が使われます。

確かに、そちらのほうが教科書の書き方としては正しいです。

なぜなら、「易姓革命」の考え方は
「勝者(新しく王朝を開いた方)の都合」とも言えるので、「易姓革命がおきた」と
教科書で書くのは主観的な見方になるので
書けないと思います。



3 私と易姓革命

ただ、教科書でなく、
教える方側だったり、
世の中の風潮(作品など)では
王朝が滅亡するときに
「易姓革命」の考え方で
説明したり、描かれることがあるので
そこに小さい頃の私はひっかかった、
疑問に思ったのです。


例えば、
「フランス革命期の王朝が【民のことを全く考えなくて贅沢三昧だったから】革命がおこった」
とか
「あの歴史人物には、
愛がないから政治に失敗した」とか、
授業で説明されることがあります。
自分も昔は「そういう風に言うことが正しいと言われて、それに疑問に思わないと生きていけないと思って授業をしていた」という悔しさ、申し訳無さ、があります。


実際には、
その王朝で革命がおこったり、
王朝が滅亡したり、
政治に失敗するのは、
様々な要因があって、
必ずしも、そこに「愛」は
必要はないのです。
また、「愛」があれば、
なんでも成功するわけでもない。

私が昔、感じていた違和感は、
「建前」の理由を、まるで本当のことのように語り、「歴史」を「道徳」のように扱う授業そのもの、だった。
その「建前」は「易姓革命」の考え方が
ベースにあったのだろう、と。

易姓革命そのものの考え方が、悪いとは
思いません。
たくさんの民、
とくに、経済的、身分、宗教観や土地柄が
異なる人々をまとめていくためには
「建前」は必ず必要だから。

でも、易姓革命の考え方が「建前」と思って歴史の授業をするのと、
「歴史の真実」と思って歴史の授業をするのでは、生徒さんたちのその後の生き方が変わってくると。


とくに、発達障害の子は、先生や同級生に「悪者」「愚者」にされがちです。
そのため、本来は、自分の生き方を模索する相棒にもなりつつある「歴史」、
発達障害だと思われる歴史人物もたくさんいるため、そこから自分はどう生きるか?を考えることができる「歴史」が、
「自分は悪者だから、歴史も自分を責めていて、怖い」となってしまう恐れがあります。
私がそうでした。

「易姓革命」の考え方を知った今、
「建前をうまく使いこなすことも
リーダーシップを発揮するには
必要」と思えるようになり、
かつては自分を否定するような存在で
あった「易姓革命」が、
今では、
「生きるために知っておくべきものの1つ」
になりました。

そして、西洋の革命は、全く別で
そちらの考え方にも、私は勇気をもらえます。


今回は以上です。

今回は自分語りが多かったですが、
このシリーズを始めたのは
「自分や子供が発達障害であるとわかり、
でも、学校の授業を受けたときの
虚しさ、孤独さ、に押しつぶされないよう
不登校になったときに人生や
この世界に絶望しないように
少しでも自分たちの自我を保てるよう、
過剰適応して強迫性障害が悪化しないに
したい」という気持ちがあったからです。

自分たち以外でも、
学校の授業で自分の存在を否定され
苦しんでいる生徒さんやご家族が
いらっしゃると思いました。

発達障害の有無にかかわらず、
少しでも私の授業で楽になって
いただければ、と。


4 さいごに

今回をもちまして、
こちらのgooブログさんでの
「れくす先生の歴史授業」シリーズ更新は
終了させていただきます。
(お知らせや、このブログ最後の企画記事はまだまだ随時更新予定)

移転先はAmebaブログさんですが、
育児ブログ(「育児症にない!」という題名のもの)と合併する形で
こちらの内容の一部(勉強内容と塾や受験の内容)を編集しながら、秋までに形を整えていきます。



新しい移転先(ブログ内容の合併先)は
Amebaブログさんです。
ブログ名:「育児書にない&しゃかりき!」
ハンドルネーム:セザール 




定期的にAmebaブログさんのほうで
こちらの「れくす先生の歴史授業」シリーズの新作も更新してきます。
(次回は古代ギリシア、古代ローマ)





まだ、約20年の
このブログでの思い出語りや
最後のあいさつは更新していきますが、
「れくす先生の歴史授業」はこれにて
いったん終了させていただきます。

みなさま、ありがとうございました。


れくす先生の歴史授業17  陰陽五行説

2025年05月11日 07時30分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

今回もれくす先生の歴史授業の続きで
古代中国で生まれた文化、制度です。

今回は陰陽五行思想(陰陽五行説)。


1 はじめに

陰陽五行説の場合、
アニメやマンガ、ゲームなどの
題材にされやすいので、
知っている人も多いと思います。
青龍、朱雀、麒麟、白虎、玄武、
という言葉を聞いたことがある人も
いるでしょう。






私の場合、心療内科で漢方薬を
処方されているので、漢方について
勉強していくと、漢方の根底には
陰陽五行説があるのがわかり、
今でも陰陽五行説にはお世話になっている
んだな、と思います。

また、日本でも陰陽五行説の考えは伝わり、
古代の都づくり(平城京や平安京など)は
陰陽五行説に基づいたものです。

他にも、時刻(丑の刻など)や、方角(丑寅の方向など)、節句行事(端午の節句など)も、陰陽五行説の考えからできています。




陰陽五行説は、いわゆる哲学なのですが、
「この世界の時間の移り変わりなどの法則を考えたもの」という哲学で、
あらゆるカテゴリーを5つのカテゴリーに
分けて考えます。

元となるカテゴリーが、
木火土金水、で
そこに、季節、食べ物、動物、
などをあてはめていく、というもの。

そして、自然な移り変わり(相生)の
順番(バトンタッチする相手)、と、
強い、弱いの関係(相克)があります。

今回の画像では、簡易的なものだけを
ピックアップしていますが、
陰陽五行説は調べるとめちゃくちゃ
面白いので、もし、気になったら、
本などを読むこともオススメです♪




2 陰陽五行説の法則


さて、今回、陰陽五行説については
易姓革命についてから話したいための
導入の形です。




相生、相剋の関係を王朝に当てはめて
考えられたのが、易姓革命です。

下の画像は、
秦王朝と、漢王朝が
それぞれ、自分の王朝を正当化するために
考えられたものです。
(そのため、強引な感じのものもあります。)
※この説はあくまで1つの説です。



陰陽五行説に儒教の考え方を
合わせると、易姓革命の考え方になります。

それについては、
次回でお話したいと思います。







れくす先生の歴史授業16古代中国で生まれた思想3 中華思想

2025年05月10日 07時30分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

今回も、続きで
れくす先生の歴史授業です。
古代中国で生まれた考え方、制度についての続きです。


今回は、中華思想(華夷思想)についてです。


1 はじめに

この思想について、
現在の価値観からして、良いか、悪いか?
を考え、
「悪い」から「学ぶ必要はない」と
思う人がいたら、
それは歴史を学ぶ意義は半減します。

現在の価値観が「絶対的に正しい」か?
と問われて、「絶対的に正しくて、他はすべて愚かなもの、古くて駄目なもの」と
答えるなら、それは、とても怖いと思います。

私も今の「すべての人に基本的人権があり、民族によって文化的に優劣はつけられない」という民主的な考え方が大好きで
それが「正しい」と思っていきています。

でも、「絶対的に」か?は、
実は思ってません。

ただ、そういうと
「差別オッケーなのか?!文化的な優劣があるとおもっているのか?」というわけではなく、もし仮に「絶対的に正しい」はずなら、人類が生まれてから、ずっと、この思想の価値観で動いていくはずなのに、そうではないです。時間的長さで言えば、
中華思想で東アジア諸国の世界の秩序が成り立っていた時間のほうが、日本が民主主義国家になってからの時間のほうより圧倒的に長いです。

そうなると、長年、
受け入れられてきたシステムが
ある以上、今の価値観が「絶対的正義」と
結論づけるのは、傲慢だと思います。




私は「自由」と「平等」の価値観が
何よりも大好きです。
それが
それと相反する価値観を嫌って
見ないことをする理由には
なりません。 
中華思想には、一定のコミュニティ内で
その考え方が国に秩序をもたらしたのは
確かです。
私は「自由」と「平等」によって
国家に安全な秩序をもたらすことが好きで
しかし、同時に
「自由」や「平等」の暴走で
秩序が崩れることも知っているので

中華思想を考えることは好きです。

中華思想により、
侵略戦争は確実に少なくなったのでは?
と思うこともあります。

(侵略戦争がまったくなかった、とは
言ってません。)


何を話しても、誤解する人は誤解するので
あまり長々と話すつもりはないのですが、
「今の世界以外の価値観も知ること」
「自分の価値観が絶対的正義ではないこと」の大切さを伝えたかっただけです。


歴史を学ぶとは、
「真似る」ためではなく
「自分の脳内で、あらゆる情報を処理するための、とても有益な情報の1つで、それにより、自分が「独立した個」として、どう生きるか?を自ら作り出すため」だと思います。

そのとき、中華思想や身分制社会による
秩序は、民主主義的な秩序とは違うけれど
その秩序を知ることで、秩序のもららす恩恵も考えることができるのです。







2 中華思想とは、何か?

では、具体的な中華思想について
見ていきます。(画像参照)



この中華思想は、日本にも入ってきて
それを、日本の朝廷を基軸に置き換えて
物事を考えていた時期もありました。

歴史用語で習う
「征夷大将軍」の「夷」は「東夷」を
表していて、朝廷(京都)から見て、
朝廷に従わない民族を「夷」として
朝廷の敵を征討するために朝廷から
派遣された役職が「征夷大将軍」です。
それを源頼朝が「征夷大将軍」に
任命されてからは、しだいに
「征夷大将軍」=「武士をまとめる役職(武士の棟梁)」=「幕府の施政者(政治のトップ)」と
いう形で形骸化しています。


また、南蛮貿易の南蛮も
「日本の南の方の地から来た異民族」
なので「南蛮人」と称されてますが、
当時、そこに来たのは
スペイン人やポルトガル人なので
地理的には、南というより西に
近いのでは?と思いますが、
当時の日本人にとっては、
東南アジア経由で日本に来ている外国人
なので「南蛮」と
なるのでしょう。
(最初に日本に来た西洋人が種子島に
上陸しているので、その位置から、も。)

(南蛮そのものは元は蔑称でしたが、
現在はスペイン人やポルトガル人を
差別したり侮蔑しているわけでは
ないです。)


今回は以上です。
まだ画像があるので、また後日アップいたしますね。

れくす先生の歴史授業16古代中国で生まれた思想と制度2朝貢貿易

2025年05月09日 07時30分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

本日は昨日の続きで、
れくす先生の歴史授業シリーズで、
古代中国の価値観、文化についての
続きです。

今回は朝貢貿易についてです。 


【古代中国で生まれた文化、制度】


1 はじめに

中国を中心とした東アジア文化圏を
知ることによって、歴史の流れが
クリアになることがあります。


古代中国で生まれた価値観で
日本史にも関係してくるものを
4つのカテゴリーに分けました。

それが、儒教の考え等を応用してできた

1:朝貢制度(朝貢貿易)
2 :中華思想(華夷思想)
3:陰陽五行思想(陰陽五行説)
4:易姓革命

です。




今回は朝貢制度(朝貢貿易)について
見ていきます。


2 朝貢制度(朝貢貿易)











朝貢貿易については、
「貿易」という名称がついているので
「使節」と結びつかないことも
あります。

「使節を派遣」=「貿易」、
というわけではありませんが、
「使節」の一側面は、
この朝貢貿易の考えの延長線上に
あるところもあります。
 

また、日本の場合は、
「朝貢貿易」を必ずしも
しているわけでは
ありません。

朝貢貿易は、多くの場合は
国のトップ同士の公的な貿易になります。
民間の人々の個人的な貿易は
朝貢貿易にはなりません。

なので、誰が貿易したか?を
教科書を読むときに、チェックをすると
良いでしょう。(ただし、勘合貿易に関しては、特殊ケースにあたるので注意。)

奴国は
金印を授けられているのだから、
こちらは朝貢貿易に当たります。


また、朝貢貿易は古代だけでなく、
明の時代、清の時代もあります。

そうなると、
足利義満の動き、や、
大航海時代のヨーロッパの行動範囲、
江戸時代の薩摩の動き、
アヘン戦争はなぜおこったのか?

なども、その根底に朝貢貿易の考えが
あることがわかります。


今後、れくす先生の歴史で、
朝貢貿易に関連する内容のときは
それについて述べていく予定ですので
今回の記事を参考にしていただけると
幸いです。


今回は以上です。
古代中国で生まれた制度や価値観についての
画像はまだまだあるので、次回、続きをアップします。






れくす先生の歴史授業13 古代中国で生まれた思想1

2025年05月08日 07時30分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございました。

またしても更新頻度が減ってしまい、申し訳ありませんでした。

「れくす先生の歴史授業」を再開します。(こちらのgooブログさんが秋に閉鎖されるので、今回の古代中国の記事までこちらで書いたらら、以降は、Amebaブログさんの方で更新を続けます。Amebaブログさんの方は、今まで使っていた育児&ASD&マンガブログと統合して、更新していく予定なので、現在、編集作業中です。)



【古代中国で生まれた価値観】

1 はじめに

今回に関しては、
実際にはテストに出ない用語、内容です。

しかし、古代中国が作り出した
易姓革命陰陽五行説儒教
などの価値観は、中国だけでなく、
日本を含んだ、東アジア諸国も
同じような価値観になっていきます。


古代の日本(とくに飛鳥時代以降)は
積極的に中国の文化や制度を取り入れて
いきます。

小学生、中学生は日本史メインの授業に
なるので、視点が日本にいきがちですが
日本のあのときの行動は古代中国で
できた価値観由来だった、とわかると
もう少し、理解しやすくなる、と
思って、画像にまとめました。

ただ、画像が思った以上に多くなったので
何回かの記事にわけて、アップします。

2 導入

今回は導入部分です。
(詳しくは画像部分を御覧ください。)





3 歴史書の意義

次は中国の歴史書の話です。










中国の歴史書は、高校の古典で習うと
思います。そうすると、具体的に
よりわかりやすくなるかもしれません。
(高校に行かなくても、書店で
原文と現代語訳つきのものもあるので
そちらで読んだ方が、好きなものを
見つけられる可能性も高くなります。)


今回は以上です。

また続きは後日アップします。




中学理科「光の屈折」について

2025年05月07日 15時59分00秒 | 勉強方法について
なかなか更新できなくて、失礼いたしました。

GW中に資料作成までは終わったのですが
ブログ更新までいけませんでした。


今回は、めずらしく理科の記事です。


私は理科は専門でもないですし
教養が高いわけでもありません。

ただ、塾講師で中学生の生徒さんたちに
理科の光の屈折の内容がを教えていたとき、
問題の解き方はわかるし、
解き方は教えられるけれど、

頭の中にモヤがかかったまま
教えてて、
でも、そのモヤの取り方がわからなくて
困っていた約40年間でしたが、
あるとき、意を決して、
少し調べたら、少しクリアになったので
それを忘れないためにまとめたノートを
ここでアップします。
















あくまで、中学生向きの
入試&テスト対策用
まとめです。

少しでもお役に立てれば幸いです。






近況報告

2025年05月03日 15時45分00秒 | 近況報告
みなさま、本日もありがとうございます。

なかなか更新できなくてすみません。
こちらのgooブログさんが秋にサービス終了となるので、それにあたって、色々と作業をしている合間?に、風邪をひいたり、なんなりで。  

ゴールデンウィーク中に、色々と
こちらのブログ更新もしていけたらいいな、と思います。