社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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明治村に行ってきました

2013年12月17日 22時34分57秒 | おすすめ☆歴史スポット

先日,明治村(愛知県犬山市)に行ってきました!

 

明治村は,主に明治時代の建物を移築し,展示した博物館なのですが,

明治にゆかりのご飯やお菓子を食べることが出来たり,

当時のSLや路面電車が動いていて,それを実際に乗ることができるという

色んな歴史体験ができる施設です。

歴史物のドラマの撮影もよく行われているようで,この前,私たちが行った時も,撮影中(セットを解体していた)でした。

 

歴史,とくに日本史で明治以降の時代が大好きな私としては,とってもステキなスポットで,

何度も行っています!

博物館の中では一番好きな博物館です。

いろんな歴史的な建造物に実際に入ることができるんなんて,なんてすばらしいでしょう!

 

今回は,娘を連れて,の明治村訪問でした。

娘に合わせ遊ぶので,自分の好きなスポット(帝国ホテルなど)に行けなかったりもしたのですが,

明治時代の建物が近くで見えるだけですっごく幸せになりました!

しかも,かなり久々に教会に入ることが出来たので,すっごく元気がもらえました。

 

 

学校や研究室などもあり,その中に,教室に入れる場所があり,そこに行きました。

 

黒板があり,生徒が座る机がありました。

 

私たち以外,誰もいなかったので,授業のマネをしてみました

 

教壇に立ったのは,3年前で最後。

 

久々に,教壇で話す自分が,いつもと違う自分の声や動きだと気が付きびっくりしました

 

教壇に立っている当時は,無意識にしていたので,全然気が付きませんでした。

 

先生としての姿を旦那にも娘にも実際に見せるのは初めてだったので,

旦那は不思議な感触だったようです。

 

いつもは低めのトーンでトロトロ話す声の私なのに,ハキハキして大きな高い声。

動きも,俊敏。顔の表情も豊か!

 

話す内容も,普段は何も考えずに話すのでオチが長かったり,何が言いたいかわからない内容のときがあるのに,

授業だとそうではなかったようです。

 

 

2回流産してから,やっと立ち直って,かわいい娘を授かった私。

娘とずっといたいために,あっさり,教育界から退いた私。

 

もう,2度と教壇に立てなくても後悔しない!と思っていましたが,

やはり教壇に立って,社会の授業をするのはすっごく興奮する,と思いだしました。

やっぱり,授業をするって面白い!わくわくします!

 

 

 

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歴史模擬授業(第29回 第二次世界大戦)②-3 第二次世界大戦のはじまり  

2013年12月17日 22時00分15秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業の続きです。

 

第27回 第二次世界大戦

詳細は12月9日の記事をご覧ください。

※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

「さて、では今日は第二次世界大戦を行います。」

「はい。」

「地図帳を開きながら聞いてね。(ヨーロッパの地図を見て,国の位置を確認しながら聞いてね)

日本が日中戦争を行っている最中、

ファシズムの体制をとった、イタリア・ドイツも次々と、他の国に進出していきます。

ドイツは、近くのオーストリアやチェコスロバキアなどを併合(この場合、ドイツ領にすること)します。」

「え・・・、近くの国を自分のものにしていったの・・。」

「で、ドイツは,ソ連不可侵条約というお互いに相手の国を侵略しないことを約束する条約を結びます。

 そうすれば、ソ連の近くの国までドイツは進出しても、ソ連自身はドイツを攻撃しないともいえます。

 そのため、ドイツポーランドにまで進入します。」

「どんどん侵入していくね・・・。」

「しかし、ポーランドは、イギリス・フランスと同盟を結んでいた。」

「え・・・となると・・・、それって・・・。」

「ドイツのポーランド侵攻により,イギリス・フランスドイツに宣戦布告(戦争をするぞ!と宣言するようなもの)します。」

「う・・・。」

「そして、ついに、1939年第二次世界大戦がはじまります。」

「ついに始まっちゃったんだ・・・。」

 

「これで、また世界中を巻き込んだ戦争が始まる。

 日本は、中国を援助するアメリカ・イギリスと対立した。

 また、ドイツがフランスに勝ち、フランスのパリを占領しました

 日本は、フランスがドイツに敗れると、

 フランスの植民地であった東南アジアの国々(フランス領インドシナ)に軍隊を送ります。」

「もう、ぐっちゃぐちゃだ。」

「あれ?第一次世界大戦で勝っていたフランスが負けてる・・。」

 

「そして、ファシズムのあの3つの国(日本・ドイツ・イタリア)は、同盟を結びます、

その同盟を、日独伊三国軍事同盟(1940年)と言います。独がドイツ、伊はイタリアを指します。」

「日本とドイツ・イタリアが手を完全に結んだんだね。」

「それで、ドイツ・イタリア・日本 VS イギリス・アメリカ という構図がより激化します。」

 

「あれ?ソ連は?」

ソ連は、ドイツとは不可侵条約を結んでいるという話をしたよね。

 実は、日独三国軍事同盟を結んだ翌年の、

1941年4月には日本とソ連も条約を結び、お互いは戦争しないようにしよう、としているの。

それを日ソ中立条約と言います。」

 

「じゃあ、ソ連はずっと何も参加しなかったの?」

「いや、それが、1941年6月にドイツ軍は、ソ連と結んだ不可侵条約を破って、ソ連に侵攻し始めたの。」

「え?!」

「で、それで、アメリカとイギリスが、民主主義をファシズムから守ろう、として、

それまでは対立関係のあった社会主義のソ連へ協力と援助を始めた。」

「ソ連はアメリカ・イギリス側についていったんだ・・。」

「うん。

ただ、まだ日本とソ連は中立条約を結んだ状態だから、ソ連と日本は戦っていない。

これは覚えておいて、あとで重要になってくるから。」

「はい。」

「日本は、東南アジアのインドシナ南部にどんどん攻め込んでいくの。

そうしたら、アメリカイギリス・中国・オランダと協力して、

日本に対して経済制裁(けいざいせいさい)を行います。つまり、経済的に日本に打撃をあたえようとする。

たとえば、日本へ石油の輸出を禁止したりね。」

「日本は石油がほとんど取れないから、それは大変だよ!」

「このようなアメリカ・イギリス・中国・オランダが行った日本への経済制裁を、、

4つの国の頭文字をとって、ABCD包囲陣と言います。(アメリカ:America イギリス:Britain 中国:China オランダ:Dutch)

あまり出ないですが、ときどき難関私立中学入試では出るので、覚えておくにこしたことはないと思います。」

「はい。」

 

「日本は石油が入ってこなくなったから、困った。それで、アメリカと交渉します。でも、交渉がうまくいかない。」

「え・・・え・・・それじゃあ、日本はどうなってしまうんだろう。」

「このあと、日本はついにアメリカを攻撃してしまうのです。」

「え?」

「それが1941年12月8日。日本軍は、ハワイの真珠湾(パールハーバー)を攻撃します。

そして、そのあとで、アメリカ・イギリスに宣戦布告して、アメリカと戦争を始めます。

その戦争を、太平洋戦争と言います。」

「この戦争の名前、聞いたことがある・・。」

 

「日本は中国とも戦争し、東南アジアにも軍隊を送り、アメリカとも戦争を始めた。」

「もう、おそろしいかぎりの戦争一色だよね・・。」

「最初は、日本軍は負けてはいなかった。

しかし、1942年6月のミッドウェー海戦で日本はアメリカに敗れてから、

日本はだんだんと負けて、

後退を続けることになる。

そのため、東南アジアからの物資の輸送が難しくなり、生活必需品の国内生産もゆきづまってくる。」

「そうだったんだ・・。」

「それでも日本は勝つことをあきらめずに、戦争を続ける。だんだんと食料も日用品も少なくなっていく。

そのため、日本は、食料や生活用品が配給制(割り当てが決められ、配り与えられること)になります。

また、それまでは大人の男性だけが戦争に行っていたのに、学生までが戦場に送られることになったのです。

そのことを学徒出陣(がくとしゅつじん)と言います。

さらに、そうすると人数がすくなるので、労働力を補うために、兵役についていない15歳から50歳の

男性は軍事工場で働かされ、中学生や女学生は勉強を中止されて、さまざまな職場で働かされることに

なりました。」

「えええええ。」

「みんな辛かったんだろうな・・。嫌々,戦争をやっていたんだろうな。」

「それが、多くの人は、それが正しいことだと思い、喜んで、戦争に行ったり働いたの。」

「え・・・」

「もちろん、全員ではないかったけど、多くの人は今回の戦争は正しいものだと思っていた。

なぜなら、政府は、日本がどんどん戦争に負けていることを報道しず、

「お国のために頑張るのが日本人のあかし」という状態になっていたのです。」

「え・・・。」

「大人なら、まだ判別がつくかもしれない。でも、子どものころに、それが正しいと教えられ続けたら・・・

そう思っても無理がなかった。そのために、多くの人々が、戦争を正しいものだと信じて、

戦争で命を落としていった・・。」

「そんな・・。」

「教育というのは、とてもおそろしいものなの。

使い方次第で、天使にも悪魔にもなる、おそろしいもの。

だから、教育というのは、国にとって宝であり、その宝を平和のために使っていく、というのが

現代のわれわれ教育者の使命だと思う。

この戦争中のような、戦争を良しとする教育は二度としないよう、気をつけないと・・。」

「はい。」

「では,第二次世界大戦の経過の説明に戻るね。

1943年にはイタリアが降伏します。残るはドイツ・日本のみになります。」

「え・・・。」

「1944年7月にはサイパン島がアメリカ・イギリスひきいる連合国に占領されます。

そうすると、サイパンからアメリカ軍の飛行機が飛ぶことができます。

それまでは、燃料の関係で、日本に直に飛行機を飛ばすことができなかったけれど、

サイパンからなら、行きやすくなったのです。」

「え・・ということは・・・。」

「そう、つまり、アメリカの大型爆撃機による、大規模な日本本土への空襲が始まる。」

「そんな・・・。」

「これは、一般市民が多く犠牲になるということなのです。」

「こわい・・・。」

「空襲の多くは、工場などがある都市部で行われるので、少しでも安全だと思われる田舎に、

小学生だけでも集団で避難させます。そのことを、学童疎開(がくどうそかい)と言います。」

「そうなんだ・・・。」

「中学の国語で「夏の葬列」という小説を習う学校が多いと思いますが、これは学童疎開をしていた

先でおこった悲しい出来事をモチーフにしたお話です。主題は、人間のエゴイズムを批判したものですが、

これも戦争というものさえおこらなかったら、おこらなかった事件なので、これを読むことで、

戦争の悲劇を感じます。」

「そうなんだ・・。」

「そして1945年3月には、東京が焼夷弾という爆弾が落ちたあたりをすべて焼きつくすという

おそろしい兵器による無差別爆撃を受け、一般市民を中心にして、一夜にして約10万人が犠牲になりました。」

「・・・・・。」

「また同年5月には、大阪や名古屋などの主要都市も攻撃をされ、ほとんどが焼け野原になっていきます。」

 「え・・、私たちの地元の名古屋も・・。」

「そして、地方の都市にも空襲が広がっていって・・。」

「考えるだけで、すごく怖い・・。」

「もう、人々は空襲におびえ、食料も少なく苦しく、

それでも「日本が勝つ」「お国のため、天皇のため」と信じ、こらえていた。」

「政府が正しい情報を国民に伝えていれば・・と思うと・・。」

 

「そして、同年4月、ついに、アメリカ軍は、沖縄に上陸します。

それは何を意味するか、これはとてもおそろしいことなのです。」

「え・・・。」

「これにより、さらに多くの犠牲者が出てしまうのです。

戦争がどんどん激化してしまっていて・・。

また、たとえ戦死しなくても、

「アメリカはおそろしいことをする国なんだ。だから、つかまったら何をされるかわからない。

また、日本国民として、恥ずかしくないよう、敵につかまるぐらいなら集団自決(集団で死ぬということ)をする。」

ということを正しいと信じ、集団自決をしてしまう沖縄の人々もいました。 」

「え・・・・。」

「そして、実は、太平洋戦争が終わった8月以降である9月まで沖縄では戦争が続いていたの。

このため、多くの沖縄県民が犠牲になるという悲惨な結果になった。」

「・・・・。」

「私は、沖縄に旅行に行ったことがあるんですが、激戦地に行き、沖縄の生の声を聞いたことがあります。

 そのときに、これは本当に生々しく、どんな理由があろうと絶対に戦争を起こしてはならない、と

 思った。戦争の一番の犠牲になるのは、何も罪もない一般市民なんだ、と。」

「そうだよね・・。」

 

 

「沖縄は、1945年4月にアメリカ軍が上陸し6月に占領されます。

もう、日本の負けは連合国から見たら、明らかでした。しかし日本は降伏しない。

その同時期あたりに、5月にドイツは降伏をします。」

「ついに、ドイツまで・・。」

「そのとき、問題がおきた。

ドイツは、ソ連と連合国(アメリカ・イギリス中心)に,はさまれた状態のまま、

降伏をしたため、ドイツを負かしたのは、ソ連か連合国か?という問題が出てきた。

これは、戦後に、どこの国がその敗戦国の主導権を握るか、という大きな利権問題が出てくる。

ここから、ついに、ソ連アメリカの対立が表面に出てきます。」

「そうなんだ・・・。」

「このソ連とアメリカの対立は、日本にさらなる悲劇をもたらします。」

「え・・?」

「これから話すことは1つの説なので、あくまで1つの説だと思って聞いてね。」

「はい。」

「戦争で、あと降伏していないのは日本だけなんです。」

「あ・・・。」

「じゃあ、日本はどの国が日本を降伏させた、かが重要になってくるでしょ。」

「・・・・。」

 

「7月に、ドイツのポツダムという場所で、連合国軍は会議を開き、ポツダム宣言というものを発表します。

この宣言を、日本に受け入れてもらい、日本は無条件降伏するように求めます。」

「そうだったんだ・・。」

「でも、日本はポツダム宣言を受け入れない、降伏もしない。」

「・・・。」

「そうすると戦争が続くよね。戦争が長引くとなると、それだけ,日本も,アメリカなどの連合国の国々のそれぞれの犠牲者も多くなる。」

「うん。」

「そんなときに、アメリカである新しい兵器が生まれていたんです。」 

「え?」

「それが、原子爆弾というもの。

アメリカはそれを8月6日広島に投下します。」

「え・・・。」

「原爆の威力は、予想をはるかにしのぐ、おそろしいものでした。

多くの人が一気に命を落とし、町の建物もほとんど吹き飛んでしまいまいました。」

「・・・・。」

「これでアメリカは、さすがの日本も降伏すると思った。でも日本は降伏しない。」

「え・・・。」

「そんな矢先、日ソ中立条約を破って、ソ連が8月8日に日本に宣戦布告した。」

「あ、、さっき覚えておいてといっていた日ソ中立条約」

「また、アメリカは、2つ目の原子爆弾を8月9日長崎に落とします。」

「え・・・。」

 

「この原爆の犠牲者は広島では14万人、長崎で7万人に上り、その後も犠牲者は増え続け、

今でも、この原爆により放射能による障害に苦しんでいる人がたくさんいます。」

「・・・・。」

「もう日本は、もうダメだ、と思い、8月14日ポツダム宣言を受け入れます。」

「日本はもういっぱいいっぱいな状態だったよね・・。」

「うん。しかし、報道捜査により,日本国民は戦争に負けていたことを知らない。ずっと戦争は勝ち続けていたと

信じている、だから、日本は負けました、など簡単に言っても国民は信じないだろうと思った。 

 そこで、全国民が一瞬で信じるようにするにはどうすればいいか、を政府は考えた。」

「え・・全員が信じる・・?」

「当時の日本人に一番の中心は、「天皇」だった。」

「あ・・・。」

「だから、天皇に、戦争が終わったことを発表してもらえれば、国民は信じ、納得するはずだ。

そこで、8月15日、天皇がラジオ放送で日本の降伏を伝え、長きにわたる戦争は終了します。」

「・・・・。」

「8月15日に戦争が終結したことから、現在は、8月15日終戦記念日とします。

(ただ、沖縄は9月まで戦火が続く、と悲劇的な状況が続いていました。)」

「お盆の最後の日(15日)の終戦記念日とは、この日のことだったんだね・・。」

「ええ。そして、ほとんどが焼け野原化した日本がこれから、60年でどのように現代にようになっていったかを

次はみていきましょう。」

「はい。」

「では、ここで終わります。起立、礼。」

 

「ありがとうございました。」

ーーーーーーーーーーーーー

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
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歴史模擬授業(第28回 第二次世界大戦 前)②-1 満州事変から日中戦争  

2013年12月10日 23時32分42秒 | 歴史☆模擬授業

前回の歴史模擬授業(旧)の続きです。

 

歴史模擬授業(旧)第27回その2 

第二次世界大戦 前 満州事変から日中戦争

 

詳細は,12月9日の記事をご覧ください。

※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

ーーーーーーーーーーーーー

「では、今回は続きを行います。

日本ファシズムの道をどのようにたどり、軍部が力を握り、戦争に突入していったかを見ましょう。」

「はい。負の歴史を学んでいくんだね。」

世界恐慌以後、日本では、不景気が続き、大陸(おもに中国やその周辺を指す)に進出して植民地を増やして、

少しでも不景気から抜け出そうという意見が、軍部の中で広まっていきます。

とくに「日本の生命線」と呼ばれていた満州という、中国の東北一帯の地域を侵略して、

不況で苦しんで政治に不満を持っている日本国民たちの目を満州にそらそうとしたのよ。」

「いつでも、はやく不況の対策をしろ!不況なのは政府が悪い!という風潮はあったのね。(もちろん、景気対策は政府の役目です)」

「しかし、景気対策において過激な考え方をする人たちが現れたのね・・。」

「・・・。」

「で、ついに軍部が行動にうつすんです。突然、植民地を得るために攻撃したら、世界から大非難でしょ。

そこで、あきらかに相手が悪いから攻撃をしました、それで植民地にしました、と言えば良い、と考えました。

日本は、1931年に南満州鉄道を爆破し、それを中国のしわざとして、軍事行動に出て、

満州全土を占領してしまいます。そして、1932年には、その地に満州国という国をつくります。

その一連のことを、満州事変と言います。」

「うーん・・。」

「満州国は、中国の最後の王朝のの最後の皇帝、溥儀(ふぎ)と言う人物を満州国の皇帝に立てました。

清の皇帝の民族は、満州と同じ民族だったので、日本はその民族のための独立国をつくった、と言いはります。

しかし独立した国だとは言え、日本政府がその実権を握っていました。(これは悪いことです。)」

「日本にとって、都合の良い国をつくったってことだね・・。」

「しかし、国際連盟が、これっておかしいのでは?と思い、満州に調査に来ました。

その調査団のことをリットン調査団と言います。」

「平和を守る組織、国際連盟が来たんだ。」

「で、調査したら、鉄道を爆破したのは日本軍だろう、ということがわかった。

なので、国際連盟は日本に、満州から軍隊を引き上げるよう、命令をしました。」

「日本のやり方がばれちゃったのね・・。」

「そうしたら、日本はそれに反発して・・・」

「反発して・・・どうしたんだろう・・?」

「なんと国際連盟を脱退してしまうんです!」

「え??!!」

「これで、日本はどんどん世界から孤立化してしまう。」

「そうだよね・・。」

「そして、日本国内でも軍部の力が強くなっていきます。」

「・・・。」

 

 

「しかし、軍部の力が強くなることを良しと思わない人たちもいた。

その一人が、当時の内閣総理大臣の犬養毅(いぬかいつよし)。」

「あ、大正時代に護憲運動をしていた人だったよね。政党政治を目指していた、と言ってた。

昭和で出る、と先生が言っていたのはこのことだったのね。」

「しかし犬養毅の努力はむなしく、1932年5月15日に犬養毅首相は、海軍将校(かいぐんしょうこう)に

暗殺されてしいます。」

「え・・。」

「この犬養毅が暗殺された事件を、事件がおこった日からとって、五・一五事件(ご・いちごじけん)と言います。」

「これじゃあ、軍部に文句つけたり対立するようなことを言ったら、軍部に殺される、ということになるんじゃ・・。」

「そうなの。この五・一五事件によって、民主主義の象徴であった政党政治が終わり、

政治に対しての軍部の圧力が強まったの。」

「こわい・・・。」

 

 

「しかし、まだこの段階では政党はまだ存在していたし、内閣は内閣、軍部は軍部ではあった。

それが、ついに、政党にかわり、軍部が政治を動かすようになるきっかけとなった事件がおこる。

それが二・二六事件というもの。」

「え・・・。」

二・二六事件は、1936年に、陸軍将校(りくぐんりょうこう)が部隊をひきいて、

首相官邸などを襲撃し、内大臣や大蔵大臣(今で言う財務大臣)などの大臣たちを殺害し、

平氏超などの東京の中心地を占拠した事件なの。(総理大臣は奇跡的に殺害されなかった。)

しかし、この事件は失敗にはおわった。」

「すっごくこわい事件なんだね。」

「うん、これは当時の映像も残っていて、以前テレビでこの事件の特集の番組を

見たことがあるんだけど、異様な雰囲気で、さすがに怖かった・・。」

「映像が残っているんだ・・。」

「うん、そのときに雪が降っていたというイメージが私は焼きついたから、

五・一五事件と二・二六事件が逆にはならなくなったよ。ほら2月には雪が降るけど、5月は雪が降らないから。」

「怖いのに、目をそらさずに、まっすぐ映像を見ることは、勉強で忘れないイメージをつけるのにも大切なんだね。

そうだよね、これは私たちが忘れてはならない負の歴史だから、イメージもつけて忘れないようにしなければ・・。」

 

「この二・二六事件のあと、政治権力は軍部が握ります。・・ということは、日本はどのようになっていくと予想できる?」

「戦争を行う?」

「悲しいことだけど、そういうことになるよね・・。それで、事件の一年後の1937年に、日本は戦争を始めます。

戦争の相手国は中国。中国の北京の近く、盧溝橋(ろこうきょう)という場所で日本と中国の両軍が衝突して

戦争がはじまります。その戦争のことを日中戦争と言います。

日本軍は、その戦争をしていくなかで、当時の中国の首都であった南京(なんきん)では、

多数の中国人 を殺害し、世界から非難をあびました。

その南京での事件は、南京事件(南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ))と言い、この事件は、現在まで論争になっている事件です。

なので、非常に難しい問題です。」

「・・・・・・。」

「この日中戦争では、アメリカやイギリスは中国を援助します。そして、双方とも決着がつかず、戦争は長引いていきます。」

「・・・。戦争が長引くということは、それだけ被害も広まるよね・・。」

 

「この日中戦争で日本が戦争を行っている最中、今度はヨーロッパの方で大きな事件がおきます。

それが、ドイツの動きです。それを次回行います。

この時代は、現在まで続く、とってもデリケートな話が多いです。しかし、私たちは平和主義の観点から

二度とこのような悲劇が起きないように、この時代を学びましょう。」

「はい、目をそむけたくなるような内容だけど、きちんと学んで、二度と過ちを繰り返さないようにしたいと思います。」

「一緒にがんばろうね。ではでは今日はここまで。起立、礼。」

  

「ありがとうございました。」

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※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
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歴史模擬授業(第27回 第二次世界大戦 前)②-1 世界恐慌  

2013年12月09日 22時09分54秒 | 歴史☆模擬授業

 

歴史模擬授業(旧) 第27回 第二次世界大戦前 2-1 世界恐慌です。

詳細はこちらの前の記事(ご注意)をご覧ください。

※わかりやすく解説したいので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

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「さて、今日は昭和時代を行いましょう。」

「ついに、昭和時代!」

「平成も一部は行うけど、昭和でほとんど習う歴史は終わるので、あと一息、がんばりましょう!」

「はい!」

「昭和時代は、長いうえに、ある時を境にして180度社会状況がかわっていくので、

大きく3つに分けます。

 

第二次世界大戦(戦前)

第二次世界大戦

第二次世界大戦(戦後)

の3つ。

よく戦後、という言葉はこれから使うけど、それは、第二次世界大戦後のことを指すので、

覚えておきましょう。」

「はい。」

 

 

「では、今日は、第二次世界大戦前の、戦争がおこる原因・きっかけを見ていきましょう。」

「第一次世界大戦は、植民地の取り合いだったのが戦争がおこる背景にあったけど、

 第二次世界大戦はどうだったんだろう?」

「ではでは、始めます。

第二次世界大戦が、はじまるきっかけとなった1つには、

世界規模の大不況(大不景気)がおこったからと

言われています。

多くの国が、景気対策をしていくんですが、だんだんといきづまっていき、

それが限界に達したと時に戦争がおこってしまいます。

第一次世界大戦同様、その背景には、

植民地の取り合い、世界の覇権争い(はけんあらそい:誰が一番になって、世界をまとめるか、という争い)がありますが・・・。」

 

「世界規模の大不況がおこったんだ・・。」

 

「1929年にアメリカのニューヨークで、数年間上昇していた株価が突然、大暴落してしまいます。

それがきっかけに、アメリカは大不景気になってしまいました。」

「なんか・・・、何年か前のアメリカから始まった不景気と似ている・・。(独り言)」

 

「で、この不景気はアメリカだけの問題だけではなかった。

実は、第一次世界大戦でヨーロッパの国々はお金をたくさん使ってしまった。

イギリスやフランスは、アメリカの資金援助や、

ベルサイユ条約で決められたドイツからの賠償金を頼りに、戦後の復興をしていた。

ドイツは賠償金を出すお金がなかったから、お金をアメリカに借りて、

それでイギリスやフランスに賠償金を払っていた。

また、アメリカは世界各国と貿易をして、日本もアメリカと貿易をしていました。」

 

「つまり、この当時はアメリカに、世界のほとんどの国がおんぶにだっこだったのね・・。」

「そうなると、ほとんどの国を支えていたアメリカが倒れたら、共倒れになっちゃうよね。」

「あ、つまり、アメリカが不況になれば、アメリカと関係のあった国も不況になってしまう?!」

 

「そういうことなの。

アメリカのこの株価大暴落をきっかけに、世界中に広がった大不況を

世界恐慌と言います。」

「日本も不景気になったの?」

「うん、なった。しかも、6年まえに関東大震災がおこっていたから、日本は不景気の状態だった。

それに世界恐慌は日本の不景気に追い打ちをかけた。アメリカへの輸出が衰えてしまってね・・。

都市での失業者が増え、農作物の値段が下がり(不景気の場合は値段が下がる傾向にあります)農民たちも

生活が苦しくなる。」

「生きるか死ぬか、の厳しい状態になったってことだね・・。」

「会社や銀行などもつぶれていく。

そんな中、三井・三菱・住友・安田などの財閥は、(つぶれそうな)会社や銀行を吸収していくの。」

「不景気のときって、生き残りをかけて会社・銀行の吸収合併もするもんね・・。」

財閥はどんどん大きくなる。

そうすると、経済の分野だけの支配だけでなく、政治分野まで

影響力を強めていく。」

「そうだったんだ・・。」

「それが、のちの戦争がおこる一因とも言われています。」

「そうだったのか・・。」

 

「悪い言い方をすれば、

戦争がおこるとお金は動く。

どうしても武器などは売れるから、売れるものを確実に

つくって売ればもうかるでしょ。また、植民地を持てば、そこに輸出してそれでもうけることだってできる。

(良いことではありません。絶対にしてはいけないことです。

また、現在の企業を批判しているわけではありませんので、これはあくまで過去のものとして考えてください。)

 「そんな・・・。」

 

 

 

「では、この世界恐慌による景気対策を列強諸国はどうしていったか

 

やり方は大きく分けて3つあります

 

1つは、貿易の関税率を操作して、自分の国だけで不景気から抜け出す、というやり方です。」

「?」

「これは、経済観念の問題なので、ちょっとむずかしいと思います。

なので、簡単に説明するね。

外国からの輸入品は高い関税をかける。

そうすると、自分の国(本国)や自国(本国)の植民地は、外国からの輸入品を買うのを控えるでしょ。

自国(本校)の植民地は自国(本国)の輸入品を買うようになるから、自国(本国)だけでも利益は出たりね・・。

そして、自国と植民地だけで自給自足をして、自分たちだけでも経済を立て直そうとしたの。

このように、植民地と本国(自国)の経済的結束を固めたような景気対策ブロック経済政策と言います。

(もし、この説明で意味がわからなければ、とにかく関税を利用して植民地と本国で結束を強くして

景気回復をしようとしたのがブロック経済政策なんだ、と思ってもかまいません。)」

「えー、なんか国際的にみんなで不景気から回復しようと、するのでなく、自分たちだけでも!という形なんだ。」

「うん、悪い言い方をするとそうだよね。このブロック経済政策って、植民地を多く持ってないとできない政策だよね。」

「うん。そうだよね・・・。」

「だから、ブロック経済をすることができた国って、たとえば・・。」

「えーと、第一次世界大戦で勝ってないと、植民地は失うから、勝った国で・・もともと植民地が

多かった国というと・・・イギリスフランス?」

「そういうことね。景気回復対策において,イギリスフランスブロック経済政策を行います。」

「そのように、関連付けて覚えるといいのね。」

 

「あと、アメリカも植民地は持っていたんだけど、イギリスやフランスよりは多くない。

 しかし、アメリカというのは、他の国とは違う状況を持っていた。

それは(近代史としての)歴史がまだ浅く、近代化(工業化)が住んでいない場所が多かった。

それを利用して、景気対策を行おうとした。それが、2つ目。」

「ほえー。」

 

アメリカの景気対策というのはどういうものなのかと言うと、

政府が公共事業を行い、その労働者を雇うことで、失業者を少なくし、

さらに、その公共事業で国全体がさらに

発展させる、というしたもの。

公共事業とは、たとえば、ダムの建設などね。

ダムを作るから,その建設のお仕事をしたい人集まってね~!

そしてそのお仕事をした人にはお給料を払うよ,というもの。

世界恐慌でお仕事を無くした人が多いから,その人たちが

そのダム建設という一時的なお仕事だとしても,その仕事の間は

給料をもらえるから生活できるってこと。

 

このように、積極的に政府が公共事業などを行い、資金援助をして景気を回復させようとした政策

ニューディール政策と言います。このニューディール政策を行ったのはアメリカ

当時のアメリカ大統領は、フランクリン=ルーズベルト。」

「ほえー。現代でも、不景気のときに公共事業をするのは、ここからきているのかな?(予想)」

 

 

 

「しかし、このようなやり方は、まだ工業化などの開発途中の段階にあったアメリカだからできたことです。

もう、工業化しつくしてしまった国や、政府そのものもお金がないところは、このようなことをすることは

できない。」

「たしかに・・・。」

 「だから、イギリス・フランスのようにブロック経済政策ができるほど植民地を持っていない国、

 アメリカよりもすでに工業化などが住んでしまっている国(もしくは政府内にお金があまりない)国は

どうすれば、経済の立て直しができるか?という問題がでてくる。」

「そうだよね。しかもブロック経済政策が行われているため、

自分の国の商品は高い関税がかけられているため外国で売れなかったりするだろうし。」

「・・で、このように追いつめられると、過激な行動に出てしまう、というおそろしいことがおこる。」

「え・・。」

「植民地がなければ、戦争をして奪ってでも手に入れて、少しでも自分たちの国の景気を良くしていこうと、

という考え方が出てきた。」

「う・・・。」

軍事力で政治を動かすようになる。その際に、独裁者が出てくる。

   1人の人(独裁者)にすべてを任せて、国が一丸となって苦しみから逃れようとね・・・。

 しばしば、追いつめられると独裁者を生む傾向があります。(独裁者を良し、とした意見ではありません)」

「そうなんだ・・・。」

「このように、権力で支配する独裁政治ファシズムと言います。

そして、このファシズムは、軍事色をどんどんと強めていきます。」 

「こわいな・・・。」

「ファシズムを行うようになった、国って今までの流れから予想できないかな?

植民地をほとんど奪われ、お金にも困り、追いつめられた国・・・。」

「それって、つまり第一次世界大戦で負けた国だよね・・、そして賠償金も払わなくてはならないから、お金に

困って・・・、あ、もしかしてドイツ?」

「そう、ドイツ

ベルサイユ条約で多額の賠償金を払うことになり、世界恐慌が追い打ちをかけ、

 自分たちの日々の生活さえ苦しいのに、なぜ、外国にまでお金を・・・という気持ちでいっぱいいっぱいのとき 

に、

ある人が「ベルサイユ条約の言うことを聞かないで良い!賠償金なんて払う必要がない!」という

言いだした。

そのときに、精神的にいっぱいいっぱいだった人々には、それが救いになったの。

(その言葉や内容が良い、と言っているわけではありません。)」

「うーん、たしかに、それは当時の人々から救いの言葉になったのかもしれないね・・。(その言葉が良い,と言っているわけではありません。)」

「で、その言葉を言った人を人々は支持し、しだいに、その人の独裁政治になっていった。

ドイツのその独裁者ヒトラー(ヒットラー)と言います。

そのヒトラーが属していた政党をナチス党(ナチ党)と言います。」

「そうだったんだ・・。」

 

「あと、ドイツよりも先にファシズムを行ったのは、イタリアです。

イタリアは第一次世界大戦では途中で同盟国を裏切り、連合国側についたとは前に話したよね。

しかし、戦争がおわってからの連合国の対応は、冷たいものだった。

だから、次第にイタリアも窮地(きゅうち:苦しいところ)においつめられていた。

それで、ファシスト党ムッソリーニが軍事力を強めて、独裁政治をし始めたのです。」

ドイツイタリアの2つがファシズムか・・。」

「いえ、もう一国、われわれにとって最も身近な国がファシズムになりました。」

「え?」

「植民地もイギリスみたいに多くない、第一次世界大戦後にイギリスからの同盟も破棄され、

経済・政治の中心部に大地震がおこり、不景気がさらに苦しくなり、それにさらに世界恐慌に

追い打ちをかけられた国がある・・・。」

「え・・・それって・・・。」

「うん、そう。」

「に・・・日本・・?」

「そう、日本。」

「ええええええ?!」

「今まで、あなたたちはもしかして、ドイツやイタリアは大変だな~と上から目線で見ていなかった?」

「う・・・たしかに・・。」

「細かいところはそれぞれの国では違うけど、日本もほぼ,ドイツやイタリアと同じ状況だったのよ!」

「う・・自分たちのおごり高ぶりがはずかしい・・。」

「歴史を学ぶときは、馬鹿にしたり同情したりする目でみてはならない。

常に同じ状況下に置かれたときには、自分たちだって、同じ行動をとる可能性があるかもしれない、という

恐れを常に抱き、そのような同じ悲劇を繰り返さないように、理性で抑えるようにするのよ。」

「はい!歴史の失敗を学んで、明るい未来をつくるのが、歴史の意義の1つだったよね。つい忘れてた・・。」

「まあ、私もつい、そういう状況におちいることがあるから大きなことがいえないけど、

途中で気がついて、最悪な状況までに陥らなければいいよ。」

「はい!」

「では、ファシズムを行った主な国はドイツ・イタリア・日本

ドイツの独裁者はナチス(ナチ党)のヒトラー

イタリアの独裁者はファシスト党のムッソリーニ

 

 

そして、日本は・・、ですが、ドイツ・イタリアとはすこし異なります。

ヒトラーやムッソリーニのように、民間人の独裁者というのが存在しなく、

軍部という集まりによる独裁になります。

ただし、その軍部が奉ったのが(上にかかげた)のは天皇になります。

軍部は、最終的には「天皇のために」という呪文のような言葉で、国民を動かしていったのです。

(こちらは天皇を批判した意見ではありません。)」

「そうだったんだ・・。」

「では、次回は、日本がどのようにファシズムの道を歩み、戦争に突入していったのかをみましょう。

では終わります!起立,礼!」

 

「ありがとうございました。」

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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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歴史模擬授業をご覧になる方へ

2013年12月09日 22時00分09秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業(旧)です。

下書き保存していたまま放置していた昭和時代を,何回かにわけてアップしていきますね。

 

 

さて,歴史模擬授業は中学受験でよく出る時代の歴史分野の授業です。

 

今回は,昭和時代です。

今回はそのことについての授業をさせて頂きたいと思います。

文字数の関係で授業内容は別記事でのアップになります。

歴史模擬授業 第27回 世界恐慌 

という記事でご覧ください。

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 <歴史模擬授業について>

「歴史模擬授業」という記事を更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。。

読むときに、

 

 →先生、

→生徒その1(ひなちゃん) 

→生徒その2(はむちゃん)

→生徒その3(ねこちゃん)

 

だと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学受験をする小5~6年生の授業(塾)だと思ってください。




今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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旧「歴史模擬授業」シリーズでアップしていない時代が・・

2013年12月09日 21時53分34秒 | メッセージ

長い間更新していなくてすみませんでした。

そろそろ,更新が滞っていた「新☆歴史模擬授業」シリーズを再開しよう,と思い,

電子辞書をとりだし,教科書を・・と思い,本棚を探したら,「教科書がない!」んです。

たぶん,家庭教師の仕事が終わり,完全無職になった2年前,

育児が一番大変な時期だったので,

「もう,歴史関係のものは一度忘れて,育児に専念しよう」と思ったらしく,

すべて押し入れにしまってしまったようです・・。

捨ててはないので,押し入れにはあるはずです。

マンガなどと一緒に収容しているので,すぐに見つけられないかもしれないので,

年末の大掃除の際に,教科書をもう1度とり出したら,「新☆歴史模擬授業」シリーズを再開したいと思います。

「労働問題と労働組合の成立」と「帝国主義」を書かなければ!

なかなか早く更新できず,すみません。

 

 

そして,思いだしたのですが,

HP「しゃかしゃか☆ぶりっじ」の方では,

私立中学受験向けの「歴史模擬授業」は戦後まですべて終わっているのですが,

こちらのブログでは,大正時代で終わっていることに・・

 

この記事を書いていたときは,「歴史模擬授業」を冊子にして生徒さんに渡していたので,

はやく渡さなければ!と思い,ブログに記事は書いて下書き保存し,

それをHPのHTML形式で書き,さらにそれを活用にしてワードにコピーペーストして編集し・・としていたのを・・。

 

 

ブログのお客様で,大正時代以降を必要としている方もいらっしゃるかも?と思いましたので,

手直ししながら,順次,昭和時代をアップしていきますね。

 

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