社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について書いています。
歴史模擬授業も展開中♪

歴史模擬授業(第21回幕末)④-5 身分別幕末の動き

2010年12月12日 14時43分05秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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これが連続資料アップの最後になります。

身分ごとにどう動いていたのか、を示しています。

幕末はややこしい!という方が多く、その人たちは大半が

だれがどう動いたかが分からなくなっているからです。

分けて理解するとすんなりわかりやすく、

少年漫画のバトルモノみたいでおもしろいですよ。

※簡易的に示したものなので、あてはまらないものもあります。例外などもあります。

 

 


歴史模擬授業(第21回幕末)④-4 長州藩と薩摩藩

2010年12月12日 14時33分53秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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長州藩と薩摩藩の幕末の動きの流れです。

長州藩は途中で攘夷論は挫折したものの、倒幕!倒幕!と首尾一貫しています。

(日本史を詳しくみると、途中で変わったりもしているんですが、すぐ戻ったりしているので、小中学校では、首尾一貫していると見てよいでしょう)

薩摩藩はすっごく巧み!そのとき、そのときにあわせて動いている。

イギリスの外交に似ている感じがして、すごいです。(イギリスの外交は世界一上手だと言う人がいます。)

 

私は薩摩も長州もどっちも好きです。

しっかりもののお兄さんの薩摩、かわいい元気な長州!って感じで。

 

 


歴史模擬授業(第21回幕末)④-3 尊攘攘夷運動の流れ

2010年12月12日 14時28分09秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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尊王論攘夷論および尊王攘夷運動の流れです。

1つの説にこだわらず、

現状を見据えて、捨てるべきものは捨て、捨てるべきでないものは捨てない、

として行動する人は未来は切り開けると思います。

何事も、適切な判断、というは大切なんだな~とこの時代を勉強すると思います。


歴史模擬授業(第21回幕末)④-2 大政奉還と王政復古の大号令の違い

2010年12月12日 14時24分45秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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大政奉還王政復古の大号令の違い(流れ)を示した図です。

よく、大政奉還をして幕府はなくなったと思ってしまっている生徒さんが

いらっしゃいますが、王政復古の大号令によって幕府は滅亡しています。

「奉還」というのは、天皇にお借りしていたお返しする、という意味があります。

つまり、鎌倉幕府成立以降、幕府は朝廷から政権を借りていたってことです。

約600年間借りていた治の権利を天皇にお返した(奉還した)から、

大政奉還という言うんですね。

 

 

 


歴史模擬授業(第21回 幕末)④-1 幕府と朝廷の違い

2010年12月12日 14時17分41秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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こちらは、幕府(将軍)と朝廷(天皇)の違いと、公武合体・倒幕の考え方の違いを

示した図です。

幕府も朝廷も人々をまとめる人(役割)ですが、幕府は実質的に、朝廷は精神的にまとめる、

という違いが江戸時代にはあったと思います。

現在の、政府と皇室の役割とちょっと似ていますね。(完全に一緒,という意味ではありません。)

※現在の天皇の「象徴」と,江戸時代の「象徴」はまったく一緒というわけではありません。

  

 

これって世界的にみると、かなり少ない政治形態みたいですね。

こんなに長く続いている王朝(皇室)はほとんどないらしいです。

 

 


歴史模擬授業(第21回 幕末)②-3

2010年12月12日 14時10分18秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回幕末の第三回目です。(詳細は1つ前のの記事③をご覧下さい。)

この時代を好きな方は多くいらっしゃるので、私の話している内容で

不快な思いをされるたら申し訳ありません。1つの説だた思っていただければ幸いです。

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「さて、では、次は幕末の動乱へ。」

「おー、よくドラマや漫画でも描かれる場面だね。」

「日米修好通商条約を結んでから、大きく日本は混乱します。

「日米修好通商条約って不平等条約だったね。」

「治外法権(領事裁判権)を認めたのと、関税自主権がなかったんだよね。」

「そうそうよく覚えているね。

不平等条約を結び・・・そして安政の大獄、桜田門外の変のあたりから、

日本では、これからの日本はどういう政治の形にずべきか、ということを論点に

いろいろな考え方が出てきます。」

「ふむふむ。」

「その考え方の中で、まず2つ紹介します。

1つは、あくまで幕府による政治をこのまま続けていこう(これをAとする)という考え方、

もう1つは、天皇を中心とした政治に戻そう(これをBとする)という考え方。」

「ふむふむ。」

「不平等条約を結ぶあたりから、

Bの天皇中心に政治をしようという考え方をする人たちが

増えてくるの。

それで、Aのような幕府中心の政治をしようとする人たちが、

今までどおり、幕府の言うことを聞け!と言っても、聞かない人たちも多くなる。」

「たしかに・・・。」

「そうそう。

じゃあ、A(幕府中心政治)を続けるにあたって、天皇の力を借りようじゃないか

という風に考える人々が現れる。

実質的に人々をまとめ、政治をやっているのは幕府(将軍)で、

精神的に人々をまとめているのが朝廷(天皇)

という図式が鎌倉幕府成立以降、ずっと続いていたの。

だから、天皇と幕府が手を組むことによって、

天皇の威光(カリスマ?)を借りて幕府が支配する、という形で

幕府の政治体制を維持しようとした。

この考え方を公武合体(こうぶがったい)と言います。

入試ではあまり出ないけど、時々出題されることもあるので、一応説明しました。」

「へー。でも、そうやって天皇の力を借りるの?」

「てっとりばやい方法だと、天皇と将軍が親族になっちゃえばいいんだよね。」

「あ、つまり結婚する!天皇と将軍が!」

「当時の天皇は男性だったので、代々男がついでいる将軍とは結婚できないので、

天皇の妹と、将軍が結婚します。」

「へー。」

「で、これでうまくいくかといったらそうでもない。

(後の話ですが、途中で、公武合体を推し進めた天皇と将軍が亡くなったりしてね。)」

「そうなんだ。」

「幕府が公武合体の政策を推し進めている間に、

B(天皇中心政治)の考え方を持つ人が運動をし始めます。

 ここからがよく入試に出るから、よーく聞いて理解して覚えてね!(丸暗記禁止!!)」

「はい!」

「Bのような天皇中心に政治をしようと考えたものを尊王論(そんのうろん)

と言います。」

「王(天皇)を尊敬する(尊ぶ)、で尊王なのかな?(予想)」

「このころって、外国人が日本にずかずか入ってきている。

当時の日本の価値観や生活と、

西洋人たちのものとはかなり違うものが多いので、日本人からしたら気分が悪い。

(たとえば、靴を履いて、家の中を歩くとは何事じゃ!とかね。)」

「しかも治外法権を認めているから、西洋人が日本人にひどいことしても日本で罰することができないしね。」

「開国してから貿易を始めるでしょ。

それで、日本は生糸(きいと:絹の糸の原料)や、輸出していたんだけど、

国内での生産がおいつかなくて。そうすると、品不足がおこって、

物価が上昇しちゃう。

それで、下級武士とか都市に住んでいる人々の生活が苦しくなってね。」

「関税自主権もないから、よけいに辛いよね。」

「そういう状態だもので、日本人の中には、外国人にうらみを持ち始める人だっている。」

「た・・たしかに。」

「そこで、外国人を日本から追い払おう!という考えが強まった。

そのことを攘夷論(じょういろん)と言います。」

「ほえー。」

「そして攘夷論と、先ほど述べた尊王論とがくっつき、運動がおこるようになった。

そのような運動を尊王攘夷運動と言います。」

「ほえー。」

尊王攘夷運動の中心の1つに長州藩(山口県)があります。」

「あ、長州藩って聞いたことある!」

「たしか、安政の大獄で処罰された吉田松蔭が開いた松下村塾があったとこだったよね。」

「そうそう!よく覚えてるね!」

「そういえば、それを教えてもらったとき、吉田松陰に教えを受けた生徒たちが

後の日本をつくっていく!と先生が言っていたけど、このことだったの?」

「うん!そうそう。松蔭先生の生徒の中で、

高杉晋作と桂小五郎(のちの木戸孝允)がいたんだけど、その人たちが中心となっていくの。」

「あ、聞いたことある!」

高杉晋作(たかすぎしんさく)は入試ではあまり出ないんだけど、

難関中学では出ることあるから、説明しておくね。

彼は、身分に関係なく組織した兵隊をつくり、活躍していきます。

その兵隊を、奇兵隊(きへいたい)をつくります。」

「身分に関係なく、ってことは商人や農民でも参加できたのかな?」

「うん。できた。当時は武士が戦争の担い手だ!という考えがあたりまえのときに、

 身分でなく能力で、という形にしたのはすごいよね。」

「リベラル晋介くん!だね(笑)♪(リベラル:平等)」

「話は少し前後しますが(奇兵隊の話より少し前に戻り)

長州藩は尊王攘夷運動を進めていったんだけど、途中で挫折(ざせつ)します。」

「?」

「とうてい、外国人に勝てない!と絶望するような事件がおきます。

それが、下関事件というもの。

1863年に長州藩は山口県下関海峡を通る外国船を砲撃したんだけど

翌年、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの連合艦隊に攻撃されて、

完全に負けてしまった。」

「ヨーロッパに勝てないケンカを売ってっちゃったのね。」

「そこで、長州藩は攘夷(じょうい)はあきらめよう、と悟ったの。」

「もう、外国人を追い出すことはあきらめたのね。」

長州藩は、尊王運動に絞って行動することに腹をくくった。

尊王論の中でも色々な考え方があるけど、

究極の考え方は、幕府を倒す(倒幕)。

幕府からしたら長州のこのような動きは幕府の体制を危うくさせるので、

色々な理由をつけて、他の藩に協力をさせて、

長州に攻撃をしかけたりしていました。

(理由はまっとうなものもあります)」

「長州は、一人ぼっちなんだね。」

「で、このころとほぼ同時期の薩摩藩(鹿児島)の動きを見ていきましょう。」

「今度は薩摩?」

「薩摩藩は、先ほど述べたAの公武合体を推し進めた藩の1つでした。

幕府を揺るがないものにするには、外国人は邪魔なので、攘夷をできるならしたい、

とは思っています。しかし、薩摩藩でも攘夷をあきらめる事件がおきます。

それが1862年におきた生麦事件をきっかえとした、翌年の薩英戦争での敗北です。

生麦事件をまず説明するね。

薩摩の武士(大名レベル)の行列が歩いているときに、

生麦という場所で、イギリス人たちが馬に乗ったまま行列を通過しようとしたの。」

「ん?なぜそれが事件に。」

「武士の行列は、一般庶民は見てはならないもので、行列が通る際は、

座って下を向いて、そう土下座みたいな形をして、

黙って行列から目をそれさなければいけないの。」

「え?でもイギリス人は、そんなルール知らないよね。」

「うん。だから、イギリス人からしたら、めずらしいものが通っているな~と

興味津々でただただ行列をみていたと思うんだ。でも、日本人からしたら、

何と無礼な!と感じたんでしょう。それで行列の従者が、イギリス人を

殺傷してしまうの。これが生麦事件。」

「まさに武士の特権、切捨御免だね。」

「でも、イギリス人からしたら、怒るよね。ただ見ていただけなのに、攻撃されるんだから。」

「でしょ!だから、報復として、薩摩(鹿児島)はイギリスに攻撃をされるの。

それが、1863年薩英戦争

ちなみに、「英」とは「イギリス」を表わします。」

「イギリス怖っ!」

「尊王攘夷運動を推し進めた長州藩と、公武合体を推し進めていた薩摩藩は、

それぞれの事件を通して攘夷をあきらめ、次第に、同じような考え方を持ち始めます。

あの強い外国に対抗するには軍事力を強化すべきで、それを

成し遂げるには、みんなの心を1つにしなければいけない!と思い始める。」

「え?そうなると・・。」

「そう、つまり、もう幕府はいらない!と思い始めるの。

(薩摩はさまざまな説があるます。

どっちに転んでも大丈夫なように、行動していただけ、とも言われています。)」

「つまり、今まで対立関係にあった2つの藩が、

ともに倒幕を目指した!ってことなのね。」

「そういうこと。

でも、ずっと対立関係にあった2つの藩が簡単には手を結ぶわけにはいかないでしょ。」

「たしかに。」

「薩摩藩は元々幕府寄りだったし、長州藩は幕府の敵だしね。」

「うーむ。」

「そういうときってさ、今の人間関係と同じようにしちゃえばいいんだよね。

たとえば、今まで対立関係にあった2人やまったく知らない相手同士

を結び付けるにはどうすればいいのかな?」

「共通の友人とかがいたらいいのかも!そうしたら、お互い信用できるもん!」

「共通の友人の紹介でつきあうことになったカップルもいるもんね。」

「私、私も、それで今の旦那と知り合ったんだよね~♪」

「そうなんだ!」

「では、長州藩と薩摩藩を結びつける仲介人がいたらいいよね。

そうしたら、どちらにも親交のあった人物がいたわけよ。

それが、坂本龍馬(坂本竜馬)と言う人物!」

「あ!坂本龍馬は知ってる!2010年の大河ドラマの主役だったもんね。」

「そうそう。あのドラマをよく観ていると(創作部分はあるものの)

幕末の雰囲気はわかるので、よかったら見てみてね(DVDなどで)。」

「はーい。」

「ちなみに坂本龍馬土佐(高知)出身です。

幕末から明治にかけては、

誰がどこの藩出身だったかも出やすいので、毎回確認して覚えましょう。

薩摩藩長州藩坂本龍馬の仲介によって、1866年、ついに同盟(連合)を組みます。

その同盟を、薩長同盟(薩長連合)と言います。

このときの薩摩藩の代表の1人が西郷隆盛長州藩の代表が木戸孝允になります。」

「これで、倒幕に向かうんだね。」

「うん、そうそう。でもね、幕府側だって考えます。

薩長同盟は秘密に結ばれたものだから、

表面上は薩摩は倒幕の意志を見せてないんですよね。

でも、幕府も、だいぶわかっているんです。

もう自分たちに力がなくなっていること、

尊王論が高まり倒幕の動きが高まっていることを。

 

そこでだ、なんとしてでも、倒幕派の人々と戦っていくか、という問題が出てくる。」

「勝てるかわからないしね。」

「戦うってことは国内で内乱がおこるってことだよ。」

「そうだね。」

「それって、恐ろしくない?危険なカケだと思わない?」

「へ?なんで?」

「ほら、幕末の授業の一番最初に説明したことを覚えてる?(②-1の記事)

欧米の国々は、植民地にしたいと思っている国々が内乱状態になると、

それに乗じて、軍隊をその国に派遣して、内乱を抑え、その後でその国を

植民地にした、という話を。」

「あ!・・ということは、もしかしたら、幕府VS倒幕派で戦っていたら、下手すれば

外国の植民地にされる?!」

「そういうことだよね。

それって、幕府がどうのこうのよりも、日本という国そのものが

なくなってしまう。」

「それはいけない!」

「でしょ!だったら、日本という国のために、

幕府は自ら、政治の権利(政権)を朝廷に渡す

ことを決断し、倒幕派が反乱を起こす前に実行にうつします。

それを大政奉還と言います。」

「すごい決断だ。

なかなか、先祖代々引き継いできた権利をほかの人に渡すなんてできないよね。」

「そうなの。だから、すごく勇気ある決断だったと私は思います。

ただ、幕府側にも思惑(おもわく:考え)があった。

政治の権利だけ朝廷に返すだけだから、幕府そのものはあるわけよ。

今までは、政治は幕府、象徴の朝廷だったでしょ。

それを今度は、表立って政治は朝廷、裏では幕府が牛耳る(じゅうじる:支配する)!と

策略を練っていたの。でもね・・。」

「?」

「政権をもらった朝廷がすぐに、「天皇中心の政治をします。ということは、

日本に2つの政治機関は要りません。よって幕府を廃します(なくします)。」

と宣言するの。(意訳です。実際にこの言葉をそのまま言ったわけではありません。)

政治の権利(政権)がもうない幕府は文句言えません。

それで、結局、幕府は滅ぶことになる

このように、天皇中心の政治に変えるとした命令を、王政復古の大号令と言います。

大政奉還王政復古の大号令はどちらも1867年と同じ年です。」

「ほえー。朝廷してやったり!だね・・。」

「これで江戸幕府が滅んだ。

江戸幕府が滅んだときの最後の将軍は徳川慶喜(とくがわよしのぶ)です。

幕府そのものがなくなることは反対だったのだから、このあと、幕府寄りの人々は

反乱を起こす。それを戊辰戦争(ぼしんせんそう)と言います。

戊辰戦争は明治時代に起こっているので今度説明します。

では今日はここまで。起立・礼。」

「ありがとうございました。」

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 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第21回 幕末)③

2010年12月12日 14時08分43秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回幕末の三回目です。

幕末はややこしいので、何回かに分けて説明していまして、

今回で幕末は最終回です。

資料も色々つくったので、別記事でアップしたいと思います。

 

ちなみに、左のイラストは私が描いた坂本龍馬です。

似てなくてすみません。

幕末は、さまざまな説があったり、

人気のある人物もたくさんいるので、

私のまとめ方に不快な気持ちになった方が

いらっしゃったら 申し訳ありません。

これも1つの説なんだ~と思っていただければ幸いです。

 

 

文字数の関係で(10000字以上を超えるとPC動作が鈍くなる)

さらに細かくに分けてアップしたいと思います。


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「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第21回 江戸時代幕末)②-2

2010年12月09日 15時08分13秒 | 歴史☆模擬授業

昨日の歴史模擬授業の続きです。(詳細は昨日の記事をご覧ください)

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「ではでは、前回の続きを行いましょう。」

「はい!異国船打払令を取り消した後で、日本はどうなったんだろう。どきどき」

「うふふ。1853年、ある国が日本に来航したことで、日本のその後の歴史が大きく変わります。

そして、そこから幕末の動乱に突入します。」

「ほえー。」

「ではいきます。

1853年に来たのはアメリカ合衆国です。

そのとき、アメリカ大統領の国書を持ってきた代表者がペリー。」

「あ、ペリーっていう言葉は聞いたことあるよ!」

「このペリーは4隻(せき:船の個数の単位)の軍艦(ペリーがこのとき来た船を別名黒船という)を

ひきつれて、浦賀に来ます。」

「浦賀ってどこ?」

「神奈川県の港町だよ。」

「え?神奈川?今までは、外国船が来るのはたいがい北海道とか長崎だったよね。」

「良いところに気がついたね。わざわざ浦賀に来たのはアメリカ側の意図があったと言われているわ。

 神奈川って東京に近いよね。東京って、誰がいる?」

「え?東京都民?」

「ま、たしかに、そうなんだけど(笑)。えーと、重要人物で、というか重要な役職?」

「あ、将軍!東京に江戸幕府があるもんね!」

「そうそう。だから、江戸幕府に近い場所に来たの。」

「そういえば、今回のアメリカ船は軍艦ってさっき先生が言っていたよね。

異国船打払令のときに日本が攻撃したアメリカ船は非武装だったのに。」

「うん。これもまた良いところに気がついたね。

つまり、浦賀という江戸幕府にほど近いところに、軍備を備えた船が来るというは、

江戸幕府を脅してでも、日本に通商を求める気満々だったとも考えられるの。(1つの説です)

んで、日本はアメリカ船を攻撃をしようとも、あの大きな船に勝てない。」

 

「ほえー。わざと東京湾じゃないのが、いつでも東京湾まででもいくよ、と言っている感じがする(予想)」

「まあ、大きな船が停められる深さに最適な場所でもあったんだろうけどね。」

そして、アメリカは日本に鎖国をやめて、通商つまり貿易を開始しろという

ちなみに鎖国をやめて外国と交流をし始めることを開国と言います。

開国とはこれからよく使うから忘れずに。」

「はーい。」

「でも、日本はそれでどうしたの?鎖国をかたくなに守ってきたよね。」

「うん、そうだよね。だから、すぐには決められない。」

「でもそうしたらアメリカに威嚇(いかく)の攻撃されるんじゃ・・。」

「そこで、日本は、こういう手段にとります。

「ちょ、ちょっと待って!1年!1年たったらお返事しますので!

今しばらくお待ちを!」と。(当時同じ言葉を使ったわけではありません、)」

「先延ばし作戦だ!」

「そして、ペリーさんも「わかった。楽しみにしてるわ~。」と言って帰っていきます。」

「ほー。これで少しは落ち着いて考えられるね。」

「当時の人々はどう思ったの?」

「今までに見たことがない大きさの船だし、大砲も積んでいて、ものすごい迫力で驚いたそうよ。

それで、このペリーの来航についてうたった狂歌(江戸時代のこっけい風刺の短歌)があるの。

太平の ねむりをさます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで 夜もねられず

意味:太平(平和)だった日本の眠りをさます蒸気船(ペリーの米軍艦) 

上喜撰(お茶)を4杯飲んだ時のように(←コーヒーと同じくカフェイン効果?)、

たった4はい(4隻)の軍艦によって幕府は眠れないんだろうな」

とね。」

「たしかに、幕府はねられないよね。200年以上続けてきた状態を変えることになるんだから。」

「そして1年後に、日本に来たアメリカに対して、日本は開国すると約束し条約を結びます。

その条約を、日米和親条約(にちべいわしんじょうやく(1854年)と言います。」

「ついに、開国したんだ、日本。」

「日米和親条約の細かい内容を覚えておきましょう。

開国して貿易を開始するには、大きな船を船が入れる港が必要でしょ。

そこで、新しく港を設置します。(開港)

開港したのは2つい、下田(静岡)と函館(北海道)です。

 

これは、すっごく入試に出やすい。しかも、場所まで聞かれるから、地図も要チェック!」

「はい!」

「あと、他に、アメリカは日本を開国させるのは

中国と貿易をする際の中継地点として日本が必要でもあったので、

この条約で、薪(まき)や石炭などの燃料をアメリカに日本が補給することも決めました。」

「そうなんだ。」

「他にも、アメリカの領事(領事館:外国において、自国の通商をまとめ、自国の人々の援助および保護する施設。)を日本に置くことを認めさせたりね。」

「ほえー。」

「このような条約を同じように結んだ国に、イギリス・ロシア・オランダがあるわ。」

「アメリカを含め4つの国と開国し、貿易を始めたんだ。(オランダは制限貿易はあったけれど)」

「こうして200年以上続いた鎖国は終わります。」

「うむー。」

「で、ここまでなら、まだ良かった。

それがね・・日米和親条約を結んだ4年後に日本が結んだ条約が

これからの日本をさらに大きく変えていくのです。」

「え?」

「その条約が、日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)(1858年)。

これは、朝廷の許しを得ないで幕府側が勝手にアメリカと結んでしまった条約なのです。

アメリカ総領事のハリスと、大老井伊直弼(いいなおすけ)。」

「大老って、江戸初期で習ったよね。臨時ででてくる役職だったよね。」

「そうそう。そのとき、大老が出てくるよ~と言ったのはこのことだったの。」

「あの・・条約って朝廷の許可が必要だったの?」

「ペリー来航後、幕府は外交を独占する体制を変えて朝廷に報告するようにしていたの。」

「そうなんだ。」

「国の一大事だから朝廷の力を借りようとしていたのかな?(予想)」

「それによって、この時期は、失われていた朝廷の権威が高まってきたときだったから、

幕府は朝廷を無視したから何事だ?!という風になった。」

「たしかに・・。」

「でも、それがみんなが納得できる条約の内容だったら、まだマシだった。」

「問題があったの?」

「うん、あった。日米修好通商条約は、日本にとって不平等な条約だったの。」

「えー!」

「アメリカ側からしたら、民主主義でもない遅れている国と対等な関係を結べない、ということなんだよね。」

「うーむ。このまえ言っていた、欧米の民主主義至上主義かぁ。」

「その不平等な内容は2つ。

領事裁判権(治外法権)を認めた、のと、関税自主権がなかった。」

「??難しい言葉で意味がわからないよう。」

領事裁判権とは、その国にいる外国人がその国で罪を犯した場合に、その国で裁けない、ということ。

つまり、日本に来ているアメリカ人が日本で罪を犯しても、日本はそのアメリカ人の裁判ができなくて、

そのアメリカ人は自国アメリカで裁かれる。」

「えー!今とは違う!」

「だから日本からしたら大きな罪なのに、アメリカからしたら小さい罪で、

その罪をおかしたアメリカ人は無罪とか罰金で済んだりすることだってあったのよ。」

「うわー、あきらかに外国が有利じゃん!」

関税自主権がない、というのは、関税の税率を日本が自分で決められない、ということなの。

つまり、輸入品も輸出品もアメリカが決めるから、

日本への輸入品の税率は高く、日本がアメリカに輸出する輸出品の税率は低くすることだってできる。

そうすれば、アメリカは日本の製品は安く手に入って、自分のつくったものは高い利益があがるよね。」

「それじゃあ、日本は貧乏になっちゃうよ!」

「でしょ!だから、この不平等条約でこれからの日本はすごく苦しめられる

明治時代になってからも、この不平等条約を改正するため(不平等な内容をなくすために)、

新政府は動いていくことになる。」

「ほえー。」

「この内容は、記述でよく出ます。「日米修好通商条約の不平等な内容は何か2つ挙げよ。」とね」

治外法権を認める、と、関税自主権がない、だったね。」

「そうそう。よく、丸暗記している子が、「領事裁判権(治外法権)」「関税自主権」と単語だけ書いて×に

なるので注意ね。領事裁判権がどうなった、まで書かないとね。」

「はーい。」

「あと、日米修好通商条約では、新たに5つの港を開港します。

長崎・神戸(兵庫)・横浜(神奈川)・新潟・函館(日米和親条約で一度開港し、閉鎖し、また開港)。」

「長崎は覚えやすいね。鎖国していたときから、外国の窓口だったもんね。」

「長崎が南の窓口で、函館が北の窓口なんだね。」

「横浜は政治の中心地江戸幕府に近く、

神戸は経済の動きがさかんな大阪や朝廷のある京都の近くだ、と覚えると忘れないかも。」

「あとは、日本海側にあるのが新潟と覚えるといいわね。」

「はーい。」

「この5つの地域は、

今でも、日米修好通商条約で開かれた港で多くの外国人が来たんだな~と思われる場所が多くあるよ。

横浜や神戸は欧米の建物や外国人墓地もある。函館にも、多くの教会が密集している、などね。」

「へー。」

「たとえば神戸は、神戸異人館と言って、見ごたえたっぷりの建物が多い地域があるよ。」

「こんど、行ってみようかな!」

「日米和親条約で開かれた港とともに、

日米修好通条約で開かれた港は地図とともによく出るのでしっかり覚えておいてね。」

「はーい。」

「あと、日米修好通商条約と同様な内容(不平等な内容)を、アメリカ以外の4カ国、

イギリス・フランス・ロシア・オランダとも結びます。」

「え!じゃあ、5つの国に好き勝手されるよう。」

「だよね。だから、これが幕末の動乱をひきおこすんだよね。」

「そこにつながるんだ。」

「あとよく、日米和親条約と同じような内容を結んだ国を、

アオイロ(アメリカ・オランダ・イギリス・ロシア)と、

日米修好通商条約を結んだ国を、

アオイフロ(アメリカ・オランダ・イギリス・フランス・ロシア)と覚えろ、

という暗記法があるけど、私はあまりおすすめしないです。」

「なんで?便利なのに。」

「たいがいさ、これは便利だと思って、覚えた気になっちゃうだけ。

それに、しっかりよく見ると、和親条約ではフランスだけがはいっていないでしょ。

それって、フランスが日本進出に出遅れたんだと気がつかない?

(高校の世界史で習うとわかるけど、ナポレオン三世の政権が誕生したばかりの時期だったので)

だから、そのあと、フランスがやっきになって日本に介入してくるのよ。」

「あと、ドイツとイタリアが入ってないでしょ。

ということは、フランスよりもこの2つは海外進出に出遅れているというのがわかる。

だから、これが第一次世界大戦・第二次世界大戦につながっていくの。」

「えええ!ここからそこまで読み取れるの?」

「うん。ただ世界の歴史を知らないとわからないんだけど、安易な暗記法に逃げているうちは

理解するという能力が育たないから、出来るだけそのまま覚えて、どの国が入っているか

入っていないかを理解してほしい。(理解したあとで暗記術を使うのはかまいませんが)

「はーい。」

「さて、では次は不平等条約を結んだあとの国内の動きを見ていきましょう。」

「はい。」

「さきほど話したように、

日米修好通商条約は天皇(朝廷)の許可を得ないまま大老(幕府)が勝手に結んでしまったね。

そこで、それについて非難する人々が現れたの。」

「異国船打払令のときと似てるね。」

「もちろん大老井伊直弼は、幕府を非難した人々を厳しく処罰した

それを安政の大獄(1859年)と言います。」

「おわー。」

「安政の大獄で処罰された人の1人に

長州藩(山口県)の吉田松陰(よしだしょういん)という人がいてね。

実は私はこの人にすっごくあこがれているんだよね。」

「?」

「吉田松陰先生は、長州で松下村塾という塾を開いて、

そこの塾生が、松陰先生の意志をついで後の幕末の動乱から明治で活躍するの。

松下村塾の塾生には、木戸孝允(きどたかよし。桂小五郎とも言う)、伊藤博文高杉晋作などがいるの。

彼らはあとで登場するのでお楽しみに。」

「はーい。」

「ちなみに先生はなぜ松陰に憧れているの?」

「松陰先生は、当時からしたら最先端のことを言っていたわけよ。

そのときはほとんど味方がいないのに、

ちゃんと信念を持って生きていたってことだよ。

さらに塾を開いて、若い子供たちに自分の姿勢と日本の未来を教えたんだよね。

塾の主役はあくまで生徒で、塾の先生は彼らを一人前の自立した人間に育てることにある。

先生の意志を体現する人間だって現れる。だから先生は未来のビジョンを持って生徒に接する必要もある。

だから、それを成し遂げた松陰先生はすばらしいと思うの。」

「ほえー。」

「だから、就職試験で塾の先生に受かったときは、わざわざ山口の松下村塾のある場所まで行って、

 松陰先生に「これから逆風に向かって、がんばって先生業を続けていきます!」とあいさつしてきたりも。」

「え?松下村塾は今でもあるの?」

「うん。もちろん塾として存在しているわけではなくて建物だけど。

松陰神社の境内にあって、当時の雰囲気が感じられるよ。

あと、松陰神社を出て、少し歩くと、伊藤博文の家もあるし、バスか貸し自転車で少しいけば、

高杉晋作や木戸孝允の生家にも行けるわよ。」

「ほえー。すごい!」

「山口県の萩(はぎ)には、昔の建物や有名人ゆかりの場所がたくさんあるので、

一度行ってみるといいわよ。

実際にそのあたりをあるくと、木戸さんはいいところのおぼっちゃんなんだろうなぁとか、

晋作と家が近いから、仲好しだったのかな?と思ったり。」

「へー。」

「いかん、いかん、つい好きな歴史人物が出てきたから、語ってしまった。

ここでは、安政の大獄で処刑された吉田松陰という人物が松下村塾という塾を開いていたとだけ覚えれば良いからね。」

「はーい。」

「そして今度は安政の大獄を行った大老井伊直弼が、

水戸藩の浪士(主君から離れたフリー武士)によって暗殺される事件がおきます。

それを桜田門外の変(1860年)と言います。」

「もう、ぐっちゃぐちゃだね。」

「そうなの。もう、幕府がガタガタになってきているのがわかるよね。」

「うん。」

「そこで、これから、倒幕に向けて動いて日本は動いていくわけですよ。」

「ふんふん。」

「では今日はここまで。次は幕末の動乱をみていきましょう。では終わります。起立・礼!」

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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません

 

 


歴史模擬授業(第21回 江戸時代幕末)②-1

2010年12月08日 12時10分29秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業21回目。江戸時代幕末です。今回はペリー来航以前までです。(詳細はこの前の記事をご覧ください。)

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「さて、今回は幕末を行いましょう。」

「わーいわーい!幕末ってよく大河ドラマでもよく挙げられるから、ぼく好きなんだよね。」

「幕末好きな子にはすんなり入る幕末の内容なんだけど、ここでは、何も知らない人向けに話すね。」

「はーい。」

「まず、幕末はややこしい。時間の流れだけを追っているとぐっちゃぐっちゃになる。

それはなぜか?理由は、色んな身分の人、色んな地域の人たちが

ごっちゃごっちゃになって国を動かしていくから、

そして同じ人物や藩でも途中で意見を変えたりするからです。」

「うわー、それはたしかにわかりずらい。」

「だから、先に図式をつくって考えます。

1つは、幕府の人間(将軍・老中・大老など)と、幕府寄りの藩(大名)。

2つ目は、反幕府(幕府を倒したいと思っている)の藩(大名)。

この2つは、身分では武士の中でもトップクラス。

次に3つ目は、トップクラスではない武士たち。(下級武士だったり、脱藩した浪人武士だったり)

ここまでは、身分は武士。

そして、4つ目は農民・町人たち。」

「武士の中を3つの種類に分けるんだ。」

「その図式を忘れずに、話を進めていきましょう。」

「はーい。」

「では、まずは、1700年代後半あたりからの日本と外国の関係から見ていきましょう。

1700年代にヨーロッパ国内では市民による革命がおこります。

(中学で習う、清教徒・名誉・フランス革命およびアメリカ独立戦争)

この革命で、国王は倒され、国民が政治に参加していきます。

つまり、国民中心の民主主義の政治になったということ。

そうすると国民たちは、自分たちが自分たちの国をつくっているんだ!という誇りを持ち始めます。

外国と貿易をしてお金を稼ぐことに必死になる国民も出てきます。

さらに、化学・工業技術も発展して、大きな船や強い武器なども作り始めます。(中学で習う産業革命)」

「国にお金がないと、国民の生活もままならないからね。」

「そうそう。そこで、少しもで利益があげれないかな?とヨーロッパの人々は考える。

外国から輸入するときに、安く購入できて、自分の国でつくって輸出したものを、

めいいっぱい高くして売れば、

利益はあがるでしょ。そうしたい!と思ったわけよ。」

「えー、でもそんなの、貿易する相手はいやがるでしょ!」

「うん。だから、力づくでその国に言うことをきかせるの。ヨーロッパに有利なように。」

「ええええー。」

「たとえば、貿易したいなぁと思う国の中で反乱などがおこったときに、

ヨーロッパの軍隊がその反乱をおさえてあげるのよ。

その国の王様に「手伝いましょうか?」と言ってね。

それで反乱を抑えたあとで、

「あなたは自分の国の反乱を抑えることもできませんでしたね。なので、私たちの言うことききなさい。

きかないのなら、攻撃をさせていただきます。ま、勝てるとは思いませんけどね。」

とヨーロッパは相手国に言い、いうことをきかせるようになったのよ。

他にもいろいろなやり方があるけど、これは一例ね。」

「えー!ひどい!」

「このように、一方的に相手国の言うことを聞き、相手国に占領される場所のことを植民地と言います。

(政治の権利をほ奪われた状態)」

「なんで、そんなことをしてヨーロッパは平気なの?」

「ヨーロッパからしたら、自分たちが革命をおこして得た民主主義精神が一番正しいと思うの。

だから、民主主義の国でない国に、自分たちの素晴らしい精神を教えてあげよう!という意味もあるのよね。」

「えー!自己中じゃん!」

「ええそうね、でも、あなたたちも民主主義が正しい国のあり方だと思っているんでしょ。

独裁者は悪だ、だから独裁者に苦しめられている国を救おうと思う気持ちがあったりしない?」

「う・・・たしかにある。」

「もちろん、私も民主主義が正しいとは思う。

この時期のヨーロッパがしていた植民地政策を良いことだとは思わない。

でも、自分はきれいな心の持ち主でぜったいそんなことしない!とも思わないの。

だから、自分が、このような状態にならないよう、常に気をつけなければ、とね。

政治とか大きな話ではなく、日常生活で。

自分が正しいと思う世界以外で生きている人たちを、

非難しまくったり、力づくで矯正(直す)したりしないようにしなければいけないと。

自分が正義で、あの人が悪いから正してあげよう、という精神がいじめや差別を生むと思うから。

自分は自分の正しい道を進めばいいと思う。でも、相手にはそれを強要しない、とね。」

「たしかに・・・。自分は正しい、と思って、歴史上の人物たちは馬鹿だ、と思ってはいけないんだね。

歴史が犯してしまった失敗は常に現代の私たちにもおこりえることで、

二度と同じ過ちを繰り返さないように努力すべきなのね・・。」

「そうね。それが歴史を学ぶ意義の1つね。

では、入試に出る話に戻ります。」

「はーい。」

 

「このようにヨーロッパは、常に貿易相手を求めてた。

その貿易相手国にあわよくば反乱がおこったりするば、

それに乗じて、占領できる(その国を植民地にできる)とね。

だから、もちろん日本とも貿易したいとヨーロッパの国々は思うわけ。

でも日本は鎖国してるよね。」

「そうだったね。」

「だから、日本には、まず、通商を、つまり貿易を始める(開国をする)ことをお願いしにくるの。」

「そっか。とにかく門が開かなきゃ、攻撃だって出来ないもんね。」

「そこで、まず、日本に通商を求めて来たのがロシア。」

「ロシアは日本に近いもんね。」

「1792年にロシアのラクスマンという人が北海道に来たの。

そうしたら、幕府は、

「うちは鎖国しているから、もし話したいなら、唯一の交流地である長崎に行ってくれ。」と

言います。そして結局、ロシアは日本と貿易を始めることをできずに帰っていきます。」

「日本は鎖国を守る姿勢のままなのね。」

「そのあとでも、ヨーロッパの国々が通商を求めて来るようになったので、

日本は守りを厳しくせねばと思ったの。」

「たしかに・・。」

「そこで、間宮林蔵(まみやりんぞう)に樺太を探検させたり、伊能忠敬によって測量が行われたり。

自国の地形がわかっていないと、守るものも守れないからね。」

「え?伊能忠敬が日本地図をつくったのってそういう意味もあったの。」

「それだけが目的ではないんだけど、そういう一面もあったみたいよ。」

「ほえー。」 

 「このように、日本が外国に警戒心を持ち始めている最中、また事件がおこったの。

今度は長崎で、イギリスの船が入ってきちゃったの。」

「え?イギリスの船がどうして日本に入ってこれるの?」

「これが、たくみでね。当時、オランダはフランスに占領されていたのよ。(ナポレオンにより)

イギリスとフランスは敵同士で、常に対立状態で。

だから、フランスの支配下におかれたオランダも敵(もしくは敵のフランスから救うべき国)になる。

そこで、オランダ船をつかまえるために、日本にも来たの。」

「えー。ヨーロッパではそんなことが・・・。」

「で、日本はオランダがフランスの支配下にはいったことを知らない。

オランダ船はまだかな~と思って、待っていたら、

オランダの国旗を掲げた船が来たから、長崎の港にその船を入れた。

そしたら、それはイギリスの船だった!」

「そりゃ、びっくりだ!」

「イギリスは人質を取って、立てこもりをします。

日本は、食料などを渡しイギリスは、返っていきます。」

「おわー。」

「その事件を、フェートン号事件(1808年)と言うの。」

「ほえー。」

「で、ここまでは実はあまり入試に出ません!」

「えー。」

「ただ、ここらへんを話していないと、後の歴史で意味が分かんなくなるからお話しました。

さて、入試ではここからが重要。」

「はい!」

「実はこのころは、ロシアもイギリスもアメリカなどヨーロッパ(&アメリカ)の国々の船が日本に来る状態。

さらに暴動を働くこともあった。

それでもう日本はフェートン号事件みたいに外国船を日本国内に入れて問題を起こしたくないと思ったの。

そこで、幕府は、とにかく外国船が日本に入ってこようとしたら問答無用で攻撃しちゃおう!という命令を出します。

それが1825年、異国船打払令(外国船打払令)と言います。これはよく入試で出るよ。」

「えー、それって大丈夫なの?突然攻撃された外国船は、日本が悪いことをした、

と言って攻撃してくるんじゃ。」

「そうだよね。ひどい場合は日本が外国に占領されちゃうよ!」

「でしょ、そう思うよね。外国船の中には、釣りや漁などをしていた日本人が波にさらわれて漂流しているのを助けて、親切に日本に届けてあげよう、として日本に来てくれる外国船だっているんだよね。」

「そうだよね。」

「だから、当時の人々もそう思ったの。かえってそれは日本の首を絞める行為だよ!と、

このように外国船打払令を批判したのが、渡辺崋山(わたなべかざん)や高野長英(たかのちょうえい)。」

「この人たちは、状況が分かっていたんだね。」

「彼らは蘭学も勉強していたから、ヨーロッパの国々の恐ろしさもわかっていたんだよね。」

「ほえー。やっぱり勉強していると未来がわかるのね。

「しかし、幕府は、渡辺崋山たちの言動を許さなかった。

幕府のすることに文句をつけるとはなにごとだ!と。」

「まあ、朱子学の大好きな幕府だもんね。」

「そこで、幕府は渡辺崋山高野長英たちを処罰したの。

それを、蛮社の獄(ばんしゃのごく)(1839年)と言います。」

「うーん、いろいろと難しいね。」

 

「で、このようなごたごたして不安定な状態のときに、日本国内はどうだったかを見るね。」

「はい。」

「江戸時代中期のころから、

たびたび農民の反乱である百姓一揆や町人たちの暴動である打ちこわしがたびたびおこっていたの。」

「そうなんだ。」

「それが、この時期にとくにひどくなるの。

ひどいききん(不作で収穫できなくなく食料がなく、多くの人が餓死(がし)すること)がおこってね。」

「こういう場合、ききんがおこった場所に食料を配布すべきだよね。」

「そうだよね。」

「でも、自分たちもいつ食料がなくなるかわからないから、と言って、役人が米を隠していたの。」

「えー。もう死ぬ寸前の人たちも多くいるのに。」

「そのことに気がついた人物がいた。その人が、ききんで苦しんでいる人を救おうと反乱をおこすの。

大阪奉行所の元役人であった大塩平八郎。」

「役人が?!」

「そう。この乱を、大塩平八郎の乱と言います。(1837年)

よく入試で、「大塩平八郎の乱は人々に衝撃をあたました。それはなぜか、2つ理由を書きなさい、と出るの。」

「え・・・理由?」

「さっき、え?役人が?驚いたでしょ。それが1つの理由。」

「あ、今も昔も人の心は変わらないんだね。」

「あと、もう1つは、どこで起こったか、が問題。場所は大阪なんだけど・・大阪ってどういう場所だったっけ。」

「たしか、天下の台所と呼ばれていた・・。」

「そうつまり、何の中心地だったの?」

「あ、経済の中心地。」

「そう、大阪は経済の中心地だよね。それって、一番豊かな地域なはず。

なのに、そこで反乱がおこった、というのはびっくりなのよ。」

「たしかに。」

「ということで、理由は2つ。

1つは、幕府の元役人が起こしたから

もう1つは、経済の中心地である大阪でおこったから、です。」

「ほえー。」

「この大塩平八郎の乱をきっかけに、各地で百姓一揆や打ちこわしがさらに激化するの。

幕府は、いっぱいいっぱいになるでしょ。そこで、もう1度幕府の勢力を取り戻そうと、改革を起こすの。

これが、江戸中期に話した三大改革の最後の改革です。

改革の名は天保の改革(てんぽうのかいかく)。」

「天保の改革・・。」

天保の改革(1841年)を行ったのは老中水野忠邦(みずのただくに)。

水野忠邦は、とにかく米がとれるようにしてききんをなくさねば、と考え、

江戸(つまり町)に出ていた農民たちを強制的に農村に返します。米をつくってくれ!とね。」

「たしかにね・・。」

「あとは、江戸や大坂周辺などの大切な場所で大名や旗本たちが所有していた土地を

幕府の直轄地にしようとした。」

「幕府主導の完全なる中央政権に戻したかったのかな。(予想)」

「あと、もう1つが一番入試に出やすい。田沼意次のところで習った、同業者組合ってあったでしょ。」

「株仲間だ。」

「そう、その株仲間を水野忠邦は解散させちゃうの

株仲間が自分たちの利益を上げようとして値段を統一して値段を今まで以上にあげちゃうから、

物価を引き下げるためにね。」

「でも、改革の内容をみるかぎり幕府の言うこときかなきゃいかんぞー!

という姿勢だから反発されないのかな?」

「うん。結局、大名たちに反対されて、水野忠邦は2年余りで老中を辞めさせられてしまいます。」

「ありゃりゃ。」

 

「このように、日本国内でも一揆や反乱がおこったりでごたごたした状態だった。

では、(ちょっと時代は前後するけど)またそのころの外交をみていきましょう。」

「はーい。たしか、1825年に異国船打払令が出ていたね。」

「そうそう。その打払令が出ていたときに、ある事件がおきた。

アメリカが、日本の漂流民を日本に戻そうとして日本に来航しようとしたの。

(通商・布教目的も含まれていたが・・)

でも、異国船打払令がだされているでしょ。そうしたら・・・」

「アメリカ船が攻撃される。」

「だよね。で、実際に日本は攻撃をしたわけよ。」

「あわわ・・。」

「そのあとで、調査をしたら、そのアメリカの船は非武装(何も武器をもっていない)状態で、

漂流民のために来たことがわかったの。」

「じゃあ、アメリカがおこって日本に攻撃する可能性だって高いよね。」

「それで、日本はその船がどこの国の船か調べたら、当初はイギリスの船だ、という調査報告がでたの。

「え・・・あのおそろしいフェートン号事件をおこしたイギリスさん?ひー!」と日本は恐怖を感じるの。

さらに、オランダ(この時期にはもうすでにフランスから独立)からの、大国の清がイギリスと戦争して

負けた(中学で習うアヘン戦争のこと)、という情報も入ってきた。

「あの強い清を負かすほどのイギリスに、我らが勝てるはずない!」と」

「たしかに、当時の日本からしたら、中国(清)は世界の中心と思っているんだもんね。」

「それで、この事件および異国船打払令に反対した人物たちを幕府が処罰した蛮社の獄がおこり、

そして結局最終的に、幕府は異国船打払令を取り消します。」

「つまり、もう外国船が日本のまわりをウロウロしてても、問答無用で攻撃しなくなったんだね。」

「そうなの。

このように、手薄になった状態の日本に絶妙なタイミングで来たのが、どの国になるかというと・・」

「なるかというと・・・。」

「では、今日の授業はここまで。」

「えー!続きが気になるよう!」

「ふふふ。ではでは次をお楽しみに。起立・礼。」

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 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

 


歴史模擬授業(第21回 江戸時代幕末)①

2010年12月08日 12時06分35秒 | 歴史☆模擬授業

なかなか更新ができず、予定がどんどん遅くなってしまい、申し訳ありません。

今回は江戸時代の幕末です。

幕末はややこしいので、何回かに分けて説明したいと思います。

 

 

文字数の関係で(10000字以上を超えるとPC動作が鈍くなる)

さらに細かくに分けてアップしたいと思います。


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「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。