社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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歴史模擬授業(第21回幕末)④-5 身分別幕末の動き

2010年12月12日 14時43分05秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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これが連続資料アップの最後になります。

身分ごとにどう動いていたのか、を示しています。

幕末はややこしい!という方が多く、その人たちは大半が

だれがどう動いたかが分からなくなっているからです。

分けて理解するとすんなりわかりやすく、

少年漫画のバトルモノみたいでおもしろいですよ。

※簡易的に示したものなので、あてはまらないものもあります。例外などもあります。

 

 


歴史模擬授業(第21回幕末)④-4 長州藩と薩摩藩

2010年12月12日 14時33分53秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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長州藩と薩摩藩の幕末の動きの流れです。

長州藩は途中で攘夷論は挫折したものの、倒幕!倒幕!と首尾一貫しています。

(日本史を詳しくみると、途中で変わったりもしているんですが、すぐ戻ったりしているので、小中学校では、首尾一貫していると見てよいでしょう)

薩摩藩はすっごく巧み!そのとき、そのときにあわせて動いている。

イギリスの外交に似ている感じがして、すごいです。(イギリスの外交は世界一上手だと言う人がいます。)

 

私は薩摩も長州もどっちも好きです。

しっかりもののお兄さんの薩摩、かわいい元気な長州!って感じで。

 

 


歴史模擬授業(第21回幕末)④-3 尊攘攘夷運動の流れ

2010年12月12日 14時28分09秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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尊王論攘夷論および尊王攘夷運動の流れです。

1つの説にこだわらず、

現状を見据えて、捨てるべきものは捨て、捨てるべきでないものは捨てない、

として行動する人は未来は切り開けると思います。

何事も、適切な判断、というは大切なんだな~とこの時代を勉強すると思います。


歴史模擬授業(第21回幕末)④-2 大政奉還と王政復古の大号令の違い

2010年12月12日 14時24分45秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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大政奉還王政復古の大号令の違い(流れ)を示した図です。

よく、大政奉還をして幕府はなくなったと思ってしまっている生徒さんが

いらっしゃいますが、王政復古の大号令によって幕府は滅亡しています。

「奉還」というのは、天皇にお借りしていたお返しする、という意味があります。

つまり、鎌倉幕府成立以降、幕府は朝廷から政権を借りていたってことです。

約600年間借りていた治の権利を天皇にお返した(奉還した)から、

大政奉還という言うんですね。

 

 

 


歴史模擬授業(第21回 幕末)④-1 幕府と朝廷の違い

2010年12月12日 14時17分41秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回の幕末についての資料をいくつか作成しておりますので、

こちらで1つずつアップさせていただきます。(画像が大きいため1記事に1画像)

※わかりやすく説明するために作成いたしましたので、詳細は異なる点があります。

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こちらは、幕府(将軍)と朝廷(天皇)の違いと、公武合体・倒幕の考え方の違いを

示した図です。

幕府も朝廷も人々をまとめる人(役割)ですが、幕府は実質的に、朝廷は精神的にまとめる、

という違いが江戸時代にはあったと思います。

現在の、政府と皇室の役割とちょっと似ていますね。(完全に一緒,という意味ではありません。)

※現在の天皇の「象徴」と,江戸時代の「象徴」はまったく一緒というわけではありません。

  

 

これって世界的にみると、かなり少ない政治形態みたいですね。

こんなに長く続いている王朝(皇室)はほとんどないらしいです。

 

 


歴史模擬授業(第21回 幕末)②-3

2010年12月12日 14時10分18秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回幕末の第三回目です。(詳細は1つ前のの記事③をご覧下さい。)

この時代を好きな方は多くいらっしゃるので、私の話している内容で

不快な思いをされるたら申し訳ありません。1つの説だた思っていただければ幸いです。

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「さて、では、次は幕末の動乱へ。」

「おー、よくドラマや漫画でも描かれる場面だね。」

「日米修好通商条約を結んでから、大きく日本は混乱します。

「日米修好通商条約って不平等条約だったね。」

「治外法権(領事裁判権)を認めたのと、関税自主権がなかったんだよね。」

「そうそうよく覚えているね。

不平等条約を結び・・・そして安政の大獄、桜田門外の変のあたりから、

日本では、これからの日本はどういう政治の形にずべきか、ということを論点に

いろいろな考え方が出てきます。」

「ふむふむ。」

「その考え方の中で、まず2つ紹介します。

1つは、あくまで幕府による政治をこのまま続けていこう(これをAとする)という考え方、

もう1つは、天皇を中心とした政治に戻そう(これをBとする)という考え方。」

「ふむふむ。」

「不平等条約を結ぶあたりから、

Bの天皇中心に政治をしようという考え方をする人たちが

増えてくるの。

それで、Aのような幕府中心の政治をしようとする人たちが、

今までどおり、幕府の言うことを聞け!と言っても、聞かない人たちも多くなる。」

「たしかに・・・。」

「そうそう。

じゃあ、A(幕府中心政治)を続けるにあたって、天皇の力を借りようじゃないか

という風に考える人々が現れる。

実質的に人々をまとめ、政治をやっているのは幕府(将軍)で、

精神的に人々をまとめているのが朝廷(天皇)

という図式が鎌倉幕府成立以降、ずっと続いていたの。

だから、天皇と幕府が手を組むことによって、

天皇の威光(カリスマ?)を借りて幕府が支配する、という形で

幕府の政治体制を維持しようとした。

この考え方を公武合体(こうぶがったい)と言います。

入試ではあまり出ないけど、時々出題されることもあるので、一応説明しました。」

「へー。でも、そうやって天皇の力を借りるの?」

「てっとりばやい方法だと、天皇と将軍が親族になっちゃえばいいんだよね。」

「あ、つまり結婚する!天皇と将軍が!」

「当時の天皇は男性だったので、代々男がついでいる将軍とは結婚できないので、

天皇の妹と、将軍が結婚します。」

「へー。」

「で、これでうまくいくかといったらそうでもない。

(後の話ですが、途中で、公武合体を推し進めた天皇と将軍が亡くなったりしてね。)」

「そうなんだ。」

「幕府が公武合体の政策を推し進めている間に、

B(天皇中心政治)の考え方を持つ人が運動をし始めます。

 ここからがよく入試に出るから、よーく聞いて理解して覚えてね!(丸暗記禁止!!)」

「はい!」

「Bのような天皇中心に政治をしようと考えたものを尊王論(そんのうろん)

と言います。」

「王(天皇)を尊敬する(尊ぶ)、で尊王なのかな?(予想)」

「このころって、外国人が日本にずかずか入ってきている。

当時の日本の価値観や生活と、

西洋人たちのものとはかなり違うものが多いので、日本人からしたら気分が悪い。

(たとえば、靴を履いて、家の中を歩くとは何事じゃ!とかね。)」

「しかも治外法権を認めているから、西洋人が日本人にひどいことしても日本で罰することができないしね。」

「開国してから貿易を始めるでしょ。

それで、日本は生糸(きいと:絹の糸の原料)や、輸出していたんだけど、

国内での生産がおいつかなくて。そうすると、品不足がおこって、

物価が上昇しちゃう。

それで、下級武士とか都市に住んでいる人々の生活が苦しくなってね。」

「関税自主権もないから、よけいに辛いよね。」

「そういう状態だもので、日本人の中には、外国人にうらみを持ち始める人だっている。」

「た・・たしかに。」

「そこで、外国人を日本から追い払おう!という考えが強まった。

そのことを攘夷論(じょういろん)と言います。」

「ほえー。」

「そして攘夷論と、先ほど述べた尊王論とがくっつき、運動がおこるようになった。

そのような運動を尊王攘夷運動と言います。」

「ほえー。」

尊王攘夷運動の中心の1つに長州藩(山口県)があります。」

「あ、長州藩って聞いたことある!」

「たしか、安政の大獄で処罰された吉田松蔭が開いた松下村塾があったとこだったよね。」

「そうそう!よく覚えてるね!」

「そういえば、それを教えてもらったとき、吉田松陰に教えを受けた生徒たちが

後の日本をつくっていく!と先生が言っていたけど、このことだったの?」

「うん!そうそう。松蔭先生の生徒の中で、

高杉晋作と桂小五郎(のちの木戸孝允)がいたんだけど、その人たちが中心となっていくの。」

「あ、聞いたことある!」

高杉晋作(たかすぎしんさく)は入試ではあまり出ないんだけど、

難関中学では出ることあるから、説明しておくね。

彼は、身分に関係なく組織した兵隊をつくり、活躍していきます。

その兵隊を、奇兵隊(きへいたい)をつくります。」

「身分に関係なく、ってことは商人や農民でも参加できたのかな?」

「うん。できた。当時は武士が戦争の担い手だ!という考えがあたりまえのときに、

 身分でなく能力で、という形にしたのはすごいよね。」

「リベラル晋介くん!だね(笑)♪(リベラル:平等)」

「話は少し前後しますが(奇兵隊の話より少し前に戻り)

長州藩は尊王攘夷運動を進めていったんだけど、途中で挫折(ざせつ)します。」

「?」

「とうてい、外国人に勝てない!と絶望するような事件がおきます。

それが、下関事件というもの。

1863年に長州藩は山口県下関海峡を通る外国船を砲撃したんだけど

翌年、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの連合艦隊に攻撃されて、

完全に負けてしまった。」

「ヨーロッパに勝てないケンカを売ってっちゃったのね。」

「そこで、長州藩は攘夷(じょうい)はあきらめよう、と悟ったの。」

「もう、外国人を追い出すことはあきらめたのね。」

長州藩は、尊王運動に絞って行動することに腹をくくった。

尊王論の中でも色々な考え方があるけど、

究極の考え方は、幕府を倒す(倒幕)。

幕府からしたら長州のこのような動きは幕府の体制を危うくさせるので、

色々な理由をつけて、他の藩に協力をさせて、

長州に攻撃をしかけたりしていました。

(理由はまっとうなものもあります)」

「長州は、一人ぼっちなんだね。」

「で、このころとほぼ同時期の薩摩藩(鹿児島)の動きを見ていきましょう。」

「今度は薩摩?」

「薩摩藩は、先ほど述べたAの公武合体を推し進めた藩の1つでした。

幕府を揺るがないものにするには、外国人は邪魔なので、攘夷をできるならしたい、

とは思っています。しかし、薩摩藩でも攘夷をあきらめる事件がおきます。

それが1862年におきた生麦事件をきっかえとした、翌年の薩英戦争での敗北です。

生麦事件をまず説明するね。

薩摩の武士(大名レベル)の行列が歩いているときに、

生麦という場所で、イギリス人たちが馬に乗ったまま行列を通過しようとしたの。」

「ん?なぜそれが事件に。」

「武士の行列は、一般庶民は見てはならないもので、行列が通る際は、

座って下を向いて、そう土下座みたいな形をして、

黙って行列から目をそれさなければいけないの。」

「え?でもイギリス人は、そんなルール知らないよね。」

「うん。だから、イギリス人からしたら、めずらしいものが通っているな~と

興味津々でただただ行列をみていたと思うんだ。でも、日本人からしたら、

何と無礼な!と感じたんでしょう。それで行列の従者が、イギリス人を

殺傷してしまうの。これが生麦事件。」

「まさに武士の特権、切捨御免だね。」

「でも、イギリス人からしたら、怒るよね。ただ見ていただけなのに、攻撃されるんだから。」

「でしょ!だから、報復として、薩摩(鹿児島)はイギリスに攻撃をされるの。

それが、1863年薩英戦争

ちなみに、「英」とは「イギリス」を表わします。」

「イギリス怖っ!」

「尊王攘夷運動を推し進めた長州藩と、公武合体を推し進めていた薩摩藩は、

それぞれの事件を通して攘夷をあきらめ、次第に、同じような考え方を持ち始めます。

あの強い外国に対抗するには軍事力を強化すべきで、それを

成し遂げるには、みんなの心を1つにしなければいけない!と思い始める。」

「え?そうなると・・。」

「そう、つまり、もう幕府はいらない!と思い始めるの。

(薩摩はさまざまな説があるます。

どっちに転んでも大丈夫なように、行動していただけ、とも言われています。)」

「つまり、今まで対立関係にあった2つの藩が、

ともに倒幕を目指した!ってことなのね。」

「そういうこと。

でも、ずっと対立関係にあった2つの藩が簡単には手を結ぶわけにはいかないでしょ。」

「たしかに。」

「薩摩藩は元々幕府寄りだったし、長州藩は幕府の敵だしね。」

「うーむ。」

「そういうときってさ、今の人間関係と同じようにしちゃえばいいんだよね。

たとえば、今まで対立関係にあった2人やまったく知らない相手同士

を結び付けるにはどうすればいいのかな?」

「共通の友人とかがいたらいいのかも!そうしたら、お互い信用できるもん!」

「共通の友人の紹介でつきあうことになったカップルもいるもんね。」

「私、私も、それで今の旦那と知り合ったんだよね~♪」

「そうなんだ!」

「では、長州藩と薩摩藩を結びつける仲介人がいたらいいよね。

そうしたら、どちらにも親交のあった人物がいたわけよ。

それが、坂本龍馬(坂本竜馬)と言う人物!」

「あ!坂本龍馬は知ってる!2010年の大河ドラマの主役だったもんね。」

「そうそう。あのドラマをよく観ていると(創作部分はあるものの)

幕末の雰囲気はわかるので、よかったら見てみてね(DVDなどで)。」

「はーい。」

「ちなみに坂本龍馬土佐(高知)出身です。

幕末から明治にかけては、

誰がどこの藩出身だったかも出やすいので、毎回確認して覚えましょう。

薩摩藩長州藩坂本龍馬の仲介によって、1866年、ついに同盟(連合)を組みます。

その同盟を、薩長同盟(薩長連合)と言います。

このときの薩摩藩の代表の1人が西郷隆盛長州藩の代表が木戸孝允になります。」

「これで、倒幕に向かうんだね。」

「うん、そうそう。でもね、幕府側だって考えます。

薩長同盟は秘密に結ばれたものだから、

表面上は薩摩は倒幕の意志を見せてないんですよね。

でも、幕府も、だいぶわかっているんです。

もう自分たちに力がなくなっていること、

尊王論が高まり倒幕の動きが高まっていることを。

 

そこでだ、なんとしてでも、倒幕派の人々と戦っていくか、という問題が出てくる。」

「勝てるかわからないしね。」

「戦うってことは国内で内乱がおこるってことだよ。」

「そうだね。」

「それって、恐ろしくない?危険なカケだと思わない?」

「へ?なんで?」

「ほら、幕末の授業の一番最初に説明したことを覚えてる?(②-1の記事)

欧米の国々は、植民地にしたいと思っている国々が内乱状態になると、

それに乗じて、軍隊をその国に派遣して、内乱を抑え、その後でその国を

植民地にした、という話を。」

「あ!・・ということは、もしかしたら、幕府VS倒幕派で戦っていたら、下手すれば

外国の植民地にされる?!」

「そういうことだよね。

それって、幕府がどうのこうのよりも、日本という国そのものが

なくなってしまう。」

「それはいけない!」

「でしょ!だったら、日本という国のために、

幕府は自ら、政治の権利(政権)を朝廷に渡す

ことを決断し、倒幕派が反乱を起こす前に実行にうつします。

それを大政奉還と言います。」

「すごい決断だ。

なかなか、先祖代々引き継いできた権利をほかの人に渡すなんてできないよね。」

「そうなの。だから、すごく勇気ある決断だったと私は思います。

ただ、幕府側にも思惑(おもわく:考え)があった。

政治の権利だけ朝廷に返すだけだから、幕府そのものはあるわけよ。

今までは、政治は幕府、象徴の朝廷だったでしょ。

それを今度は、表立って政治は朝廷、裏では幕府が牛耳る(じゅうじる:支配する)!と

策略を練っていたの。でもね・・。」

「?」

「政権をもらった朝廷がすぐに、「天皇中心の政治をします。ということは、

日本に2つの政治機関は要りません。よって幕府を廃します(なくします)。」

と宣言するの。(意訳です。実際にこの言葉をそのまま言ったわけではありません。)

政治の権利(政権)がもうない幕府は文句言えません。

それで、結局、幕府は滅ぶことになる

このように、天皇中心の政治に変えるとした命令を、王政復古の大号令と言います。

大政奉還王政復古の大号令はどちらも1867年と同じ年です。」

「ほえー。朝廷してやったり!だね・・。」

「これで江戸幕府が滅んだ。

江戸幕府が滅んだときの最後の将軍は徳川慶喜(とくがわよしのぶ)です。

幕府そのものがなくなることは反対だったのだから、このあと、幕府寄りの人々は

反乱を起こす。それを戊辰戦争(ぼしんせんそう)と言います。

戊辰戦争は明治時代に起こっているので今度説明します。

では今日はここまで。起立・礼。」

「ありがとうございました。」

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 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第21回 幕末)③

2010年12月12日 14時08分43秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第21回幕末の三回目です。

幕末はややこしいので、何回かに分けて説明していまして、

今回で幕末は最終回です。

資料も色々つくったので、別記事でアップしたいと思います。

 

ちなみに、左のイラストは私が描いた坂本龍馬です。

似てなくてすみません。

幕末は、さまざまな説があったり、

人気のある人物もたくさんいるので、

私のまとめ方に不快な気持ちになった方が

いらっしゃったら 申し訳ありません。

これも1つの説なんだ~と思っていただければ幸いです。

 

 

文字数の関係で(10000字以上を超えるとPC動作が鈍くなる)

さらに細かくに分けてアップしたいと思います。


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「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。