社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について書いています。
歴史模擬授業も展開中♪

同人誌表紙完成しました

2014年09月28日 21時45分46秒 | 近況報告
無事、来週の名古屋コミティアで出す予定の同人誌の表紙が完成しました。
中身は、一応ペン入れまで出来ました。
文字入れや細かいところのペン入れや効果線がまだなので、頑張らなければ!
本当は、パソコンでトーンを貼りたいのですが、日数的に無理そうです……。




上が今回の表紙。

内容は、
マンガは歴史の勉強の仕方第二弾「歴史用語をおぼえるにはどうすればいいの?その1」
イラストに、日本歴史服装一覧表と、古代エジプトの女性など、です。



もしよろしければ、私のブースにきていただけるとうれしいです。


あ、ちなみに、八月のコミックライブで出した同人誌(第一巻)も販売予定です。(前回での2部余りがあるので、それを売ります。)

名古屋コミティアに参加します

2014年09月21日 14時07分18秒 | 近況報告
なかなか更新できなくて申し訳ありません。

今回はお知らせです。

来月の名古屋コミティアに参加できることになりました。コミティアは初参加になるので、ドキドキです。


もし、お時間があれば、来て頂けると嬉しいです。

「名古屋コミティア45」
・日にち
2014年10月5日(日)11時~15時半

・場所
名古屋国際会議場 イベントホール

・私のサークル
サークル名:「そうしゃる・すたでぃーず」
配置スペース:A-53
販売内容:同人誌
同人誌内容:私立中学受験、高校受験、大学受験での歴史の勉強方法についてのマンガ。今回の内容は、「歴史の勉強に際して、イメージをつけると忘れない
!」です。


みなさまにお会いできると嬉しいです。

「歴史模擬授業」の内容を一部訂正しました

2014年09月14日 00時45分49秒 | 歴史☆模擬授業

「歴史模擬授業」で「第18回江戸時代②-1」で訂正が必要な部分がありましたので、

本日訂正させていただきました。

新着記事にしていないのは、時代の順番で更新する形を残した方が、

カテゴリー別でご覧になられるお客様に見やすいかな?と思いまして。

 

「士農工商」と「慶安のお触書」という言葉を削除し、

一部の文章を書きなおしました。

 

「士農工商」「慶安のお触書」に関しては、

昭和時代に習っていた内容と異なる点があるそうです。

 

 

他の記事でも、「士農工商」という言葉は使っている可能性があるので、

順次手直ししていきます。

 

ただ、いかんせん、育児中なので自由な時間がほとんどとれないこと、

現在、強迫性障害がやっと治ってきたので、慎重にして自分を追い詰めないようにしています。

なので、訂正に時間がかかったらすみません。

 

また、入試問題で古い過去問を解いていると、

「士農工商」「慶安のお触書」という言葉が問題で出されていることがあります。

過去問は3~5年前までの分まで良いとは思いますが、

もし古い過去問までがんばって解いた方がいて、

「この言葉は覚えるべきか否か?」と悩まれるかもしれないので、

後日、この2つの言葉については別記事で書きたいと思います。

 

 

あと、

「誰にも指摘されない安全なだけどわかりづらい文章」

より「自分の感じたことは述べるためにクセが強いが、わかりやすい文章」を

目指していきたい、という気持ちはあります。

そうでないと、「別に私が書かなくても良い記事」になってしまうから。

もちろん、間違った歴史、を教えることはいけないので、

それは無いように気を付けます。

ただ、自分が感じた歴史をこれからも伝えていけたらいいな、と思います。

 

 

ではでは、これからもよろしくお願いいたします。

 


訂正に時間がかかる理由

2014年09月10日 02時01分14秒 | 歴史☆模擬授業
先ほどの記事で書かせて頂きましたが、歴史模擬授業での訂正が必要な部分が生じてしまい、申し訳ありません。(江戸時代初期の身分制度の説明の部分です。)

ご指摘はとてもうれしいことです。
本当にありがとうございます。

ただ、すぐに訂正できない事情があり、自分自身がそのことに負い目があるのに、どうしてもすぐに訂正できない状態なので、そちらの理由を述べたほうが良いかな?と思い、書かせて頂きます。

急いで訂正したいのは本当ですが、現在、強迫性障害の緩和に向けてを第一にしているため、早くやらなきゃ、と焦り、育児でそれが出来ないと、すべてを捨ててしまいたくなり、たぶん、ブログそのものを閉鎖というか記事全部を消去しかねないので、時間をお願いいたします。(パソコンが開けられないのは本当です。)
せっかく、たくさんの方に読んで頂けるブログになり、私自身もこのブログが精神的支えになっています。
まだ閉鎖ということをしでかしそうな自分がいるので、「訂正をすぐしないのは悪い」「病気を理由とするのは、如何なものか?」ということは、わかっているのですが、慎重にいたしたいと思います。

もちろん、間違いの指摘は大歓迎です。指摘していただけるのは助かりますし、嬉しいです。


しかし、強迫性障害というのは厄介で、私の場合、うつの一歩手前までいってしまって、それを必死に好きな歴史とマンガで留めている状態です。
うつになると、他人の方々の善意も自分が責められているかのように感じ、それが自分の間違いだとわかっても、マイナスの感情から抜け出せません。あ、今はご指摘頂いても、そういうマイナス感情はありません。感謝の気持ちでいっぱいです。


私が悪いのはわかってるし、自分の不手際が招いたことだとは認識しています。
ただ、今は無理なんです…。本当にすみません。やっと治ってきたのに、無理して睡眠時間を削ることによって、またあの恐ろしい強迫観念にどっぷりつかった世界には戻るのはこわいです。


あ、誤解を招くといけないので書きますね。
間違いの指摘はいつでも大歓迎です!
本当にそれはありがたいことなのです。
ただ、申し訳ありませんが、訂正にお時間を頂けると助かります。

歴史模擬授業での訂正

2014年09月10日 01時48分25秒 | 歴史☆模擬授業
歴史模擬授業の記事で、一部古い表現方法を用いていたり、適切でない文章が使われていることについて、ご指摘頂きました。

早急に訂正したいところなのですが、ここ一週間ほどパソコンを開けない状態が続きそうなので、記事の訂正は、急いで部分訂正をするより、新しい教科書と照らし合わせながら、どのようにすればわかりやすく説明できるのかを念頭に表現方法を変えたほうが間違いや前後の文章との矛盾が少なくなると思いますので、
申し訳ありませんが、現在、第18回の江戸時代初期の記事は、勉強の参考にされないようお願いいたします。
(訂正が必要な部分は江戸時代の身分制度の内容です。)

9月中には訂正いたしますので、しばしお時間下さると助かります。

訂正いたしましたら、またお知らせいたします。

こちらの不手際で大変申し訳ありません。




自分の好きな歴史とは…

2014年09月08日 15時37分09秒 | 私自身のヒストリー
やっと強迫性障害もおさまりかけ、ブログの方にも向かえる精神的余裕が出てきました。
掃除をしても、不必要なゴミ捨てをしなくなりましたし、ふっと怖い考えが浮かんでも、何か気分転換すれば、そんなに気にすることではない、と思えるようになりました。


やはり、好きなことは毎日やり続けること、信頼できる人がいること、自分に自信を持つこと、は、精神障害には良いことなんだと思います。

よく耳にする「私は私で良いんだ」という言葉。
それを心の底から思えるようになるのは、長い時間と苦しみが必要な気がします。



私は、とにかく、「人に教える歴史」が好きです。
「研究として」「好きな時代や歴史人物に対して」深く掘り下げるのが好きな歴史好きの知り合いは多くいるのですが、「人に伝える」歴史好きはあまりまわりにいません。

私は何かの歴史事件があったとき、それをどういう言葉やイラストを使ったら子供にわかりやすいか?を考えるのが一番好きです。そして資料作りとそれに添えるイラストを描くのが好きです。

今はマンガというツールで歴史の勉強の楽しさを伝えたい!
でも、まだマンガを上手く描けない。だからこそ努力する。その努力と成長が楽しくてしょうがないです。





現在は、秋の同人誌即売会に向けて、歴史の服を着た人物を描いております。その服を描く前に服飾歴史も勉強しているので、いろんなことが知ることができ幸せです。
上のイラストは一例です。

強迫性障害からの立ち直り

2014年09月08日 01時50分24秒 | 私自身のヒストリー

なかなか更新ができなくてすみません。

 

去年の冬ごろから強迫性障害を患い、今年の1月くらいからだんだんと悪化し、

春の4回目の妊娠をきっかけに症状による行動が加速し、流産後少しは緩和したものの

7月中旬に悪化しました。

この時期は、ご飯も食べられない、寝られない日々が続き、

一日中暗い表情をし、

強迫観念という「論理的にはおかしいとは思うけど止められない行動や考え」が抑えられず、

だんだんと死にたくなって・・・、という状態になっていました。

家にいるとどんどんと怖い考えが浮かび、浮かんだら最後、もうそればかり考えてしまうことが

辛くなり、そのうち家そのものが怖くなり、家に帰れなくなってしまいました。

娘と一緒に外に出かけたら最後、家に帰ろうとすると冷や汗が出て、どうしても足が動かないんです。

家に帰ろう!と決意して3時間くらいしないと家に帰れないんです。

そして、電車からホームに降りると、「電車が来たときにホームに飛び込んだら楽になれるかな?」という

自殺したい衝動にかられ、しかし、一緒にいる娘を見て、なんとか思いとどまる・・、その毎日でした。

さすがに「これはやばい!」と思いました。

「私自身が死ぬのはともかく、残された娘はどうなる?」と。

 

しかし、もう家に帰れない・・。

「お母さん助けて・・。」この言葉が頭に浮かびました。

 

子供が生まれてから、

「自分は母親になったのだから、物理的にも精神的にも親に頼ってはいけない。」

「良い母親になるため、苦手な(というか嫌いな)食事作りも頑張らなければならない。」

「子供を危険にさらさないように、危ないものは除去し、部屋もいつもキレイにしなければならない。」

という気持ちがありました。

だから、とても仲良しで尊敬している実母に無意識に距離を作っていました。

「30も過ぎて、母親に自分の悩みを相談するなんていけない。自分で解決しなきゃ・・。」と。

 

でも、もう限界でした。

「死ぬ前に、母親にだけはちゃんと自分の気持ちを伝えよう。そして娘を託そう。」と。

そこで意を決して、実母に、自分のすべての気持ちを打ち明けました。

 

突き放されるかと思いました。

 

しかし、実母は、私のすべてを受け入れてくれました。

そして、これからどうすればいいか?を話し合いました。

 

「電池の液漏れや化学薬品、虫、そして家そのものが怖い、というのは、

そのものが本当に怖いのではなく、何かに対する不満や不安が根底にあるのだと思う。

だから、その根底にあるものは・・。」

と実母は言ってくれました。

 

私は、「私のことを見捨てない人が1人だけいたんだ。」と嬉しくなりました。

 

そう、私が一番恐れていたのは「孤独になること」でした。

 

「良い母親にならなければ、娘や旦那に見捨てられる」

「娘によって良い母親でなければ、実母に見捨てられる」

「実母の方が順当にいくと、私より早くこの世を去る。そのときに、私は娘と旦那に捨てられ1人ぼっちだ・・。」と。

 

こう思うことには、それぞれのある経験があります。

強迫性障害が発症する前に、

過去のわだかまりでどうしても会いたくない人達に、実母のために会わなきゃいけませんでした。

本当はどうしてもその人達に会いたくなかった・・。でも、そんなワガママ言ったら、実母が困るのはわかる・・。

だから我慢しなきゃ!相手は私に会うのが平気みたいだから、過去のことでウジウジしているのは私だけ・・。

ああ、私はなんて汚く弱い心の持ち主なんだ!と。

 

 

娘に関しては、私と2人きりのときは仲良くしているのに、

旦那や実母がいると、そちらにべったり。

最初は、私に抱っこさせない、から始まり、だんだんとエスカレートし、

私にご飯を作らせない、お風呂の掃除をさせない、食器洗いをさせない・・、と。

私がやろうとすると、大泣き・・。

実家で実母がいなくなって私と2人きりだと、ずっと大泣きで、

私と全然いたがらない・・。

そういう状態でした。

 

そういう状況で、

「私は家事が苦手(とくに炊事)だから、娘は私より旦那にさせたいのでは?」

という疑問から始まり、最後には

「娘は私のことが嫌いなんだ」と思いました。

2人でいるときの娘の笑顔が偽物に見え、娘に不信感をもってしまいました。

 

 

話は7月に戻ります。

私の強迫性障害の症状を受け入れてくれた実母に対しては、

「この人を信じていいんだ!」と思った瞬間、実母に対してのわだかまりは一瞬で消えました。

そして、実母が本気で娘(実母から見たら孫)に対して、

「お母さんに対してだけ、何でも禁止したり、厳しい態度をとるんじゃない!」

「すぐばーちゃんに抱っこはダメ!」

という形に変わってくれたんです。

 

それまでは、娘が私が抱いているのに泣いて「ばーちゃん抱っこ!」と言うと、

「私でないと泣き止まないから・・。」と言って、娘を抱いていたばーちゃん。

でも、私はそれが嫌でした。

でも、そういう状態にさせたのは

「私が良い母親じゃないから」「料理が苦手で掃除も毎日こまめにできないのは良い母親じゃないので・・」

と、自分の努力が足りない、と思ってました。

 

でも、実母にその気持ちを正直に話したら、

実母は、「娘(私のこと)が一歩引いた育児をしている」ことに危機感を感じたようです。

それで、「あなたが一番従うべき人物は母親だ!」と孫に示してくれたのです。

 

実母が本気の態度を示してくれたので、私は目覚めました。

 

「母が、本気で私に娘を託そうとしている!」と。

そうすると、「自分がリーダーなんだ!」というリーダーシップの考えが浮かんできました。

「娘を1人前の人間に育てるのは、この私だ!私なんて・・なんて言っている場合じゃない!」と。

 

そういう状態が1か月ほど続いたら、

いつのまにか、娘と私はとても仲良くなり、

娘が私に辛く当たっても、別に平気になりました。

今までは、「ドラマやマンガで描かれるような母親」になろうとしていたんです。

でも、土台無理なんです。

なぜなら、中学のときに一番苦手だった科目が「体育」と「家庭科」、

高校のときなんて女子全員が受かっていた食物検定4級に私だけ落ちる始末・・。

先生にも、「女子で落ちることはめったにないのに・・。」と言われました。

だから、「体育」と「家庭科」の延長線上にある「食事」「掃除」「公園遊び」は

私は苦手なんです。

もうこれは、どんなに努力しても、一定レベル以上は無理!

内申「3」以上にはなれない。いやペーパーテストがないのだから、技術面だけ見たら「2」か「1」の自分。

 

逆に得意だった科目は「英語」「音楽」「美術」。そして抜群に好きな科目は「社会」

そして全然努力しなくても平気で内申「5」をとれたのは「国語」。

この5つの科目に共通するものは、「他人の価値観を理解する」。

日本語の文法と英語の文法は全然違う。それらをそれぞれ理解することってなかなかできないそうです。

社会も、たとえば歴史人物の当時の社会情勢を理解できない(つまり当時の価値観を理解する必要がある)と、

高得点はとれません。ましてや先生として魅力的な授業をすることはできません。

国語も現代文でテーマが何か?ということで困ったことはあまりありません。

テーマがわかる、ということは、他人を理解することです。

 

つまり、私が得意なことは「他人を理解すること」なんです。

 

しかし、2回の流産と育児の間違った努力による失敗の積み重ね、

さらにある人のダメ出し、他の奥さんを擁護するような言動により、

自分に自信がなくなった私は、

「自分の考えることはすべて間違っている」と勘違いしていました。

「私ほど、洞察力があるやつは少ない!」と気がついたら、

ある人物がとんでもなく育児の才能がないことがわかりました。

「私の方が育児の才能がある。料理とか掃除とか目に見え、すぐ結果が出る育児でなく、

子供の心を理解し、1人の人間として育てる、そういう目に見えなく結果が10年20年後に出る育児、という

意味の育児の才能があるんだ!」と。

 

 

 

 

だんだんと自分に自信が取り戻してきたころ、たまたま本屋で見つけた強迫性障害の本で、

「人間には、自分の身を守るために危険なものを排除する本能が備わっている。

なので、戦争状態のときは、その本能が強い人物が生き残れる。

しかし、平和な世界では、その攻撃性が使われることがなく、

本来危ないものでないものが危ないものだと脳が勘違いして、

危ないものをすべて排除しようと、あらゆるものを捨てたり、必要以上に手洗いしてしまう、

などの強迫行為をしてしまう。」と書いてあるのを発見しました。

 

そのとき、「私はその本能が強いのかも?じゃあ、その本能を逆手にとってみようか?」と。

 

「おそらく、その本能は、生き残るために、何をすべきか?を瞬時に判断し、その生き残るために目的のための

努力を惜しまない本能なんだろう。ということは、「生き残る」目的を、たとえば「何かを成し遂げる」目的に

替えてみたらどうか?」と。

さらに、「よく考えたら、私は本気になったときは必ず成功した。志望校に定めた学校は、

絶対に受かってた。たとえ、模試でE判定が出た学校でもだ!

最近は、それはラッキーなだけだったと思ってたが、そうでないかもしれんぞ。

目的達成の努力をする才能が自分にあるんだ。」と。

「強迫性障害は今回でおそらく3回目。1回目は1歳半、2回目は6歳、そして今回は30代。

なぜ、7歳から20代にはそれが出なかった?」と考えたら、

その期間には「勉強」と「絵を描く」という時期だったんですよね。

絵画教室に通っていた小学校時代、勉強三昧だった中学~大学時代、その後の受験指導の塾講師。

「絵」も「勉強」も目標があります。

1つの作品を完成させる「絵」、志望校に合格する・試験に合格する「勉強」。

 

これをやっている間は自分には絶対の自信があって、他人が成功しようが失敗しようが全然気にならない。

1人で孤独でも平気、というかむしろ、そっちの方が集中できるから良かったり。

 

思い出すと、娘が生まれ、仕事を辞め、育児に専念してから、どんどん自分に自信がなくなり、

他人に依存するようになり、孤独が怖くなり・・・、強迫性障害になったのでは?と。

 

 

ということで、「よし!マンガ家を目指そう!」という気持ちが出てきました。

「大学4年に、私のポスターを見た事務の人が「マンガ家にならないの?」と言われて以来、

マンガ家になりたい、という気持ちはあった。でも、当時は塾講師に内定していたし、

社会の先生になれたことが嬉しくてしょうがなかった。それで10年間頑張った。

今までは、投稿して落ちることでマンガそのものを嫌いになるのでは?という心配があった。

でも、強迫性障害で誰にも信じられない苦しさ、娘と2人だけの世界に閉じこもることに比べたら、

批判でもなんでも他人と会える方がよっぽどマシだ!」と。

 

今まで、参加するのをためらっていた「同人即売会」にも参加。

参加をためらっていたのは、「オタクの塾講師は解雇される?迫害される?」「オタクの母親は娘は嫌う?」という心配や

「自分が作ったマンガなんて、お金を払ってもらえる価値はない。」という不安感がありました。

でも、

「オタクの何が悪い!それで迫害や嫌うやつはこっちから願い下げだ!」

「お金を払う価値があるか?はお客さんが決めることで、私が決めることではない。

私がすべきことは、お客さんがお金を払ってよかった!と思うマンガを描くことに対し努力することだ!」と。

 

 

それで、8月中旬に即売会に参加。

大好きな「勉強」「歴史(社会)」「絵を描くこと」「マンガ」を織り交ぜました。

即売会は予想以上に充実した気分を持たせてくれました。

 

2か月に1回程度、様々な即売会があるので、毎回申し込んでいます。

その間、「よりよいマンガを描くこと」「マンガのネタ」ばかり考えるようになったので

強迫観念が出るのが少なくなりました。

もう「死にたい」とも思いません。

 

 

強迫性障害は、私にとってはクセみたいなものだと思います。おそらく一生付き合っていかなければいけないでしょう。

でも、それを良い方向に導いて、楽しく生きていけたらいいな、と。

それには「勉強」と「絵やマンガを描くこと」が私には必須です。

そして、「実母が元気な間は、十分に実母を頼ろう!頼れなくなったら、そのときに考えよう」と。

もし、「マンガ家」になったら、小学校でのいじめのときに私の絵を馬鹿にした同級生たちの呪縛から

完全に離れられるような気がします。

「同級生たちは、関東の有名大学に行ったり、一度も流産することなく2人も産んだり、かなり金を設けたりしてる。

でも、自分の芸術的才能をお金にしている人はいない。それを成し遂げたとき、私はやっと小学校の自分を認めてあげられる気がする。」と。

 

 

 

 

 

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入試問題の解き始めは落ち込むことが多い

2014年09月08日 00時17分26秒 | 入試全般について

最近は更新が滞ってしまってすみません。

 

昔書いた記事を再編集してアップします。

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今回は、実際に過去問を解き始めたときのことについてのお話です。

 

 

は,受験生にとっては,とても大切な時期です。

 

夏休みにがんばった成果がすぐには出なかったり,

入試問題を解き始め,

全然解けずショックを受けたり・・と,

落ち込むことが激しい時期です。

でも,落ち込んでかまいませんし,入試問題は最初低い点数を取ってもかまいません。

むしろ,低い点数をとって落ち込まない受験生の方が危険です

 

まずは,点数に一喜一憂するよりも

入試問題を解く,という形式に慣れましょう。

慣れてくると,落ちついて解くことが出来ますので,今はとにかく問題を解きまくることです。

 

ではでは,入試までほぼ半年をきっていますので,残りの時間を上手に活用して,がんばっていきましょう!

 

 

 

 

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ついにプレ幼稚園デビュー

2014年09月02日 19時55分15秒 | 近況報告
なかなか更新できずすみません。

娘が来年、幼稚園に入園予定なので、プレ幼稚園に参加したりなど、今まで体験したことない体験をしています。


あるプレ幼稚園の体験で、工作がありました。
先生が見本を見せて、さあ、みんなやってみよう!というスタイルでした。
ある有名キャラクターの色塗りと目と口をクレヨンで描く、というものだったのですが、他のお子さんは、先生が見本で見せた通りの赤色で塗り、黒色で目と口を描いていましたが、うちの子は、好きな色の水色で塗り、青色で目と口を描いてました。

プレに通うまでは、「二歳児あたりまでは好きな色で絵を描くもの」と思っていたので、周りの子が、普通の色で色塗りし、先生の見本通りにコピーしている姿に驚きでした。
「え?なんでみんな好きな色で描かないの?」と。


それで実母にそれを話したら、「たぶん、これはこの色~と言うように親が指導していたり、コピーするのが得意な子が多いんだろうね。」と。
たしかにその通りだと思いました。



私は、色塗りに関してはかなり能力が高いし、数字や文字に色がついている超感覚の持ち主だったので、別に娘が青色で肌を塗ろうが、無意識に肌色に見えるし、「青いとーちゃん描いて」「ピンクのとーちゃんを描いて!」と娘が言っても、別に気にしてませんでした。色んな色のとーちゃんがいて賑やかでいいな、と。

でも、普通は気にするんですね。
そういや、旦那は気にしてたわ。
娘が赤色で雨を描いていたら
「雨は青だろ」と娘に言ってた…。


今は家族と娘、という世界しか娘は知らないから自由に描いても良いのですが、集団生活になると苦労しそうだなと思いました。

たぶん、先生は先生によっては娘の自由さを認めてくれるとは思いますが、全員ではないかもしれませんし、なんといっても同い年の子たちに「えー、なんで青色で塗ってるの!変なの!」と言われる予感がします。
私もそういう経験があったから。
色以外でもって色々と言われ、先生の当たりも悪かったので、それで、「私は変なのだ!いけない人間なんだ!」とどんどん自分を追いつめていき、幼稚園で笑えなくなったから。
それをさらに親の責任とされ。
母は悪くないのに!



だから、娘も同じ苦労をするかもしれません。
ただ、「外での行為、顔」と、心の「自由」は別にして、娘の「自由な発想」は守りたいと。私もそれで幼稚園から高校まではその方法で自分の「自由な発想や能力」を守ってきました。
大学くらいからは、まわりの人々も自分も「他人を認める力」が備わってくるので、そこで能力発揮です!


小さい頃は型からはみ出る個性や能力は潰される可能性大です。
だから、相手が自分の個性を認めない人と即座に判断し、その人々から、自分の個性は隠して守って、家や塾などで自分の力を存分に使うのです。
塾は良くも悪くも、「生徒はお客様」で「点数と合格を中心に見る」ので、性格とか特異な芸術的な能力などには学校ほど介入してこないので、私としては楽です。友達だって作らなくても塾の先生は気にしないし。



脈略もない文章になってしまいすみません。

プレ幼稚園は娘は楽しかったみたいですし、私も自分が通っていた幼稚園とは違い、先生たちも偏見に満ちた教育をしていなく良い先生たちばかりたったので、幼稚園に通わせるのは楽しみです。