社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について書いています。
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小学校での図工の時間で思い出す苦い思い出

2013年07月21日 23時29分12秒 | 私自身のヒストリー

 

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これからも更新がんばります!

 

前回は,「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」シリーズで

西洋美術史」の出会いと,自分のそれまでの美術とのかかわり,を書いていましたが,

私は,まじめな絵画が好きなんだな,とつくづく思いました。

 

実は私は,水彩画を描くとき,すごく時間がかかるんです

水の乾き具合でどのように色を塗るか変わるし,グラデーションなど,色を塗り重ねていくのも好きです。

小学校のころからそうでした。

 

今でも,1つ,忘れられない出来事があります。

 

小学校のころ,クラスのみんなで1枚の絵を描くことになり,

クラスメイトの一人に,「夏の田んぼって,どう塗ればいいと思う?」と質問されました。 

(水彩画で,という意味で)

 

 

そこで私は,

「まず,黄土色を塗って,そのあとに茶色を塗り,

その上に緑と黄色,黄緑で稲穂を描いて,最後に水色と白色で水を描けばいいじゃない?」と言いました。

 

私の頭の中には,

「水分を多く含んだ黄土色を田んぼ全体にまんべんなく薄く塗る。

そのあとで,稲穂の根っこにあたる部分を少し水分の入った茶色のドット(点)を塗る。

完全に水分が乾いたら,稲の部分を少し水分の入った黄緑で線を描く。

それが乾く直前に,上の太陽が当たる部分に水分の多い黄色で黄緑の部分の上に塗りかさね,

黄緑と黄色の境目に乾いたティッシュで押し,境目を隠す。

 

そのあとで,稲部分に少し輪郭部分および影の部分を乾いた緑で細い筆で描く。

最後に,完全に乾いたあとで,少し水分の入った水色で水の部分を塗り,

稲穂と水の境目に細い筆で乾いた白色で,境目を波打たせる。」

 

という意味で言いました。

田んぼを描くだけで1時間以上かかる形式です。

 

水分の含み,筆の太さも内容によって変えます。

 

しかし,そのクラスメイトは,すべて同じ筆(しかも太め)で,水分量も多めに塗り,

全部,乾く前に塗り・・,と。

そのため,すべての色が混ざり合い,田んぼが田んぼに見えませんでした。

 

 

その子は,「あなたの言った通りにしたのに!」と私を責めました。

 

私は,なぜ,その子がそのように塗ったのか,当時は意味が分かりませんでした。

 

今ならわかります。

 

自分の常識が他人の常識とは違う。

全員が,水彩画についての知識や能力があるわけではないことを・・。

そして,自分の説明の仕方が,いかに,他人が誤解するような言い方だったと・・。

 

でも,当時は,その子に責められたので,自分が悪いと思いました。

 

さらに,

その子は先生が,「これは田んぼに見えない!」と責めた時,

「だって,萬火(←私のこと)ちゃんがそうしろ!って言ったから。」と

私のせいだと先生に言ったようです。

 

そのときの担任は,私の評価がすこぶる低く,私の絵は親が描いたと思い込んでいた人でした。

 

そのため,私はみんなで描く絵の担当から外されました。(みんなで描くと言っても,授業後に有志の子たちで描いたので。)

 

担任から直接でなく,

そのクラスメイトから「もう,明日から萬火ちゃんは来なくいいって!って先生が言ってた。」と伝えられただけだったので,

担任が実際にそのクラスメイトに何と言ったかは不明ですが・・。

 

当時の私としては,「ああ,私の絵が下手だからなんだ・・。」と落ち込みました。

 

今なら,あきらかに私の方があの子よりは絵画の能力は上だった,と思えます。

 

でも,私の絵は他人の評価は,すこぶる低かった。

家の持ち帰りを禁じていた小学校のころは,1つの絵にすごく長時間かける私は,授業時間内に終わらず・・。

先生としては,私が授業内で何をやっているのかわからなかったのでしょうね。

下地だけ塗っているときなんて,常識では考えられない色で塗っていたりしますから。

 

 

だから,小学5~6年のときは絵を描くのが辛かった。

 

左の絵は,小学校でなく,中学校の中3のときに授業で描いたもの。(アルバムの表紙)

これは,家に持ち帰ることができたので,

好きなだけ時間をかけて描けて幸せでした。

グラデーションとか,とっても楽しいです!

 

 

 

 

 

 

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第19回 大学時代4 趣味がみつかった!

2013年07月16日 23時58分58秒 | 私自身のヒストリー

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第19回  大学時代4 

 

前回,一緒にいて幸せな友人に出会えた,というお話をしました。

その同時期に,やっと趣味が見つかりました! 

それが今回のお話です。

 

 

前回お話したように,大学1年の後期で,なんとなくとった「西洋近代美術史」の授業。

これが,私にとって運命の出会いでした。

 

 

当時の私は,歴史というものに興味がありませんでした

大学1年の春から夏にかけて,趣味を探す一環で,歴史関連の本も読んだけれど,

面白いとは思っても,それ以上ハマらなくて・・。

 

美術は,元々は好きでした。とくに絵を描く方。今思うと,上手な方の絵を描く子でした。

 

しかし,小5のいじめの際に,自分の絵についても馬鹿にされました

写実画や静物画,などのリアルな絵は上手な方でした。(抜群にうまいわけではないですが・・)

しかし,大人びた絵を描いていたので,親に描いていると思われていました。

左の絵は,小3のときのもの。好きなぬいぐるみを描こう,というテーマだったかな?

もっと上手な絵があったのですが,もうどこへ行ってしまったのか・・・。

 

 

逆にマンガ絵は,当時はとても下手でした

母がリアルな絵もマンガ絵も上手だったので,

いじめのとき,友人(仮)に「お母さんは絵が上手なのに,セザールちゃんは絵が下手だね。本当にお母さんの子?」と言われ,

だんだんと自分の絵に自信がなくなってしまいました。

 

小5・6のいじめられたときの担任は,私に対する評価がすこぶる低く,小4までは絵画コンクールによく選出してもらっていたのに,

小5からはまったく選出されず,図工の評価も低かった。

 

中学生の1~2年のときは,先生が美術でなく音楽の先生が美術を担当し,

「ダダイズム」のなんたるかを知らないのに,「ダダイズム」以外の美術を認めない,

つまり,私のような写実的なまじめな絵画を描く人を評価しない先生でした。

そのころは勉強ができるようになり,そちらの方が楽しいので,

美術に対して,「もうどうでもいいや。先生は,私が私でいるかぎり,私のことは認めないから。」とあきらめていました。

幸い,中3のときは,美術の専門の美術の先生が美術の担当になり,

私の絵を評価してくれたので,

なんとか美術の内申点が「5」になって助かりましたが・・。

でも,もうそのころには,

まったく美術への興味が薄れ

内申「5」をもらっても,

「やった!もう1つ上のランクの高校を受けれる!」という

受験に関する気持ちだけしかなく,

「美術」で「5」をもらえたこと自体は,もうどうでもよかったようです。

どの科目でもいいから「5」をもらえればよかっただけでした。

 (上の絵は,中3の夏休みの課題で描いた「夏の静物」。)

 

 

高校では友人との時間が大切で,「美術」の授業を選択したものの,

「大学受験は,内申関係ないから適当でいいや。」と思い,本当に「適当」に授業を受けていました。

左の絵は,高校2年のときに描いた作品。テーマは「自分の好きなもの」。

当時は古典が好きだと思い込んでいたので・・。

でも,絵と和歌の内容がマッチしたいない気がする・・。 

 

 

 

大学1年の時点で,

私にとって「美術」は苦い思い出しか思い出せないものになっていました。

「どうせ,私の絵は評価されない!」とやさぐれていました。 

 

そんなとき,「西洋美術史」を受けました。

 

最初の授業のとき,先生が,

美術と政治・当時の権力者は大きく関係していて,

 ときには美術はプロパガンダとして使われていた!」とおっしゃいました。

 

衝撃が走りました。

 

それまでは,

「美術というのは心のキレイなものの結晶」

「美術を観賞するときは,この作品は良い物,という前提で見るもの」

と私は思いこんでいました。

 

それが違うとは!!

 

絵画という視覚的アピールしやすいツールを使うことで,当時の人々に,意図した印象を与えやすいのだ。」と。

 

私は,小5のとき,ある人物が意図的に流したうわさというツールで,

私に対して悪い印象をインプリンディングさせられた友人(旧)たちにより,いじめられました。

 

なので,「意図的に相手に自分の思い描く印象を与える」ことに対し恐怖を覚えていました。

それまでは,それに対して逃げの姿勢でいました。

 

しかし,もし,自分が,そちらほう(意図的に相手に印象を与える)をすれば?

 

いじめのように,他人に対し「悪い印象」を与えるのではなく,自分に対し「良い印象」を与えられるのではないか

他人に対し,自分を「良い人・できる人」という印象を与えるにはどうすればいいのだろう

その方法を,「西洋近代絵画」は教えてくれるかもしれない!と。

(※こちらは先生がおっしゃったのでなく,私だけが考えたことです。)

 

先生の授業で,

「絵画を上手にプロパガンダとして使った代表的な人にナポレオン・ボナパルトがいます。

 彼は,自分の戦争に従軍画家を連れていき,自分の軍人としての素晴らしさを国民に伝えようとしました。

 さらに,当時,著名な画家であったダヴィッドという画家に,自分を描かせることで,国民に

 自分はアレキサンドロス大王やハンニバルに並ぶ『英雄(エロイカ)』であると印象つけるような絵画を描かせた。」と。

 

その『英雄』であると印象づけた絵画は,私たちがよく見る,ナポレオンが馬にまたがっている絵画です。

 

高校時代に私も,ダヴィッドが描いたナポレオンの絵画を見て,「ナポレオンってすごい人そう。」という印象を持っていました。

 

「ナポレオンとダヴィッドにやられたり!やるなナポレオン!すごいぜダヴィッド!師匠!」と感動しました。

 

 

 

1回目の「西洋近代美術史」の講義のあと,

私はナポレオンやダヴィッドの本を買いあさり,たくさん読みました。

ダヴィッドの本は日本に少なく,いろんな本屋を探し歩きました。(笑)

 

実際の絵画も観たいと思い,美術展にもいろいろ行きました。

 

そうすると,次第に,「歴史」そのものと,「美術」そのものに興味が出てきました。

 

小5~中2までで失われた美術への情熱も再燃しました。

 

「あのときの先生たちは,私のまじめな絵画を気にいらなかった。でも,私は,そのまじめな絵画を追求しよう!」と。

 

私の興味を持ったダヴィッドとは新古典主義の代表的な画家で,新古典主義はまじめな絵画です。

 

「まじめな絵画しか描けない」で侮辱され続けた私。

でも,「まじめな絵画」が根底になければ,新しい芸術は生まれなかったのだ。

 

それで,久しぶりに,自分で絵を描きました。

そうしたら,ひどい出来に・・。

小4までの絵が描けない。あのときの方が上手だった・・。

 

すごくショックでした。6年以上のブランクはとてつもなく重いものだった・・。

 

でも,

それよりも

「ダヴィッドのような絵を描きたい!」が先立ちました。

左の絵は当時描いた,ダヴィッドの『自画像』の模写です。

 全然,似てないし,つまらない動きになってしまった・・。

 

大学1年の秋での「西洋近代絵画史」の出会いから

「フランス革命とナポレオン時代」

が好きになり,それに派生して,

「ナポレオン」「ダヴィッド」の2人が大好きになり,

フランスそのものが大好きになり,美術史全体が好きになり・・,西洋史全体が好きになり・・と

「西洋史」と「絵画」が私にとって,

10年経った今でも,一番好きなもので,

長く続く趣味になりました。

 

 

 

 

趣味があると,辛いことやイライラすることがあっても,ストレス発散できる。

趣味って素晴らしい!

 

 

 

 大学1年のお話はここまでです。

 次回は,これと同時期での部活(能楽部)とマンガに関するお話です。

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第18回 大学時代3 友人との出会い

2013年07月16日 22時27分19秒 | 私自身のヒストリー

しばしば間が空いてしまい失礼いたしました。シリーズ再開です! 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第19回  大学時代3 

 

前々回・前回には,大学に入学したものの,自分の入った日本文化学科には興味が持てず,「自分の趣味がない!」ことが発覚し,

趣味を見つけ出すことに必死になったが,見つからず,また,友人もなかなかできず苦しかった,というお話をしました。

 

今回は2回に分けて,「趣味」と「友人」に出会えたお話をしたいと思います。

 

私の大学は前期と後期に分かれていて,4~7月が前期日程,9~12月と翌年1月 が後期日程になっていました。

 

1年ときだけ「体育」の授業がありました。

前期と後期で,それぞれ1つのスポーツを選ぶ,という形でした。

 

前期のときは,当時,よくお話していた友人たちと同じスポーツを選びました。

団体競技であるスポーツで孤立するほどおそろしいものはないですから・・。

 

後期でも,前期で一緒だった子と同じスポーツをしよう!と思っていました。

しかし,そのスポーツの定員が満杯になってしまって。

それで,先生が,「じゃんけんして,負けた人たちは他の空いているスポーツに移ってくれ」と。

 

・・そして,じゃんけんしたら,他の子は勝ったけど,私は負けた・・

 

「やばい・・,私,一人だ!」と怖くなりました。

 

他のスポーツで人数が空いているのは,サッカーしかありませんでした。

 

サッカーの先生のところにいくと,女の子が1人だけ座っていました

 

「え?一人?」と,びっくり。

一人になるのが怖くて,話が合わない子からも離れたくなくて必死だった私。

 

でも,その子は,平気な顔で一人で座ってる。

 

その子の隣に座ると,その子が笑顔で「よろしくね!」と。

 

「うおー!この子はなんて強い子なんだろう!」と。

 

体育の授業終了後,その子と一緒に更衣室に行き,一緒に更衣室を出ました。

二人とも,このあと,授業がなく,帰るだけでした。(部活もない曜日でした。)

こういう場合って,一緒に帰るのが普通だと思っていました。

 

しかし,その子は,笑顔で「私,本屋寄りたいから,バイバーイ!」と。

 

びっくりしました!

 

「へ?」という言葉しか出ませんでした。

 

でも,このとき,嫌な感情が全然出ませんでした。

今までだったら,「私と一緒にいたくないのかな?」とネガティブな考えをしてしまっていたかもしれません。

 

しかし,あのときは「あの子は,なんて自由奔放なんだ!」と!

あの子のバイバイした笑顔に一瞬にして惚れてしまったのです

 

私は,大学に入学してから,そのときまでは,「友人」という存在をつくることに必死で,話したことがある人に

なりふり構わず「友人」になろうとしていました。

 

でも,私はあの子の笑顔を見た瞬間に,「あの子と友人になりたい!」と思ったのです。

積極的に「友人」になりたい!と

 

でも,あの子にも,もう仲の良い友達がいるだろうから,私はその輪の中に入れるんだろうか?と心配になりました。

 

 

 

 

その数日後のことです。

 

1年の前期では「日本文化学科」の講義を中心にとっていました。

しかし,後期では,卒業単位になる一般科目は,日本文化関係でないものも選ぶことにしました。

前期で,日本文化について,どうしても興味が持てなくて・・。(今は違います。) 

どうせ,専門になったら日本文化関係の講義を嫌でもとらなきゃいけないんだから,

一般科目は,卒業単位になるなら,日本文化じゃないのも選ぼう,と。

 

そこで,とった講義の中の1つに「西洋近代絵画史(正式名は忘れました。)」がありました。

なぜ,その講義をとったのかは,時間割の関係で,その時間にとることができるものがそれしかなかったから。

 

 

しかし,その「西洋近代絵画史」が私にとって運命の出会いだったのです

 

 

その講義のため,教室にいくと,体育で出会ったあの子が座っていました!1人で

 

「あ!あの子だ!・・でも,友人たちが後から来るだろうから,私は別のところに座ろう」と思い,私は一人で別の席に。

 

・・・しかし,授業開始1分前になっても,その子の隣には誰も来ない。

 

「もしかして,同じ講義をとっている友人はいないのかも?」と思い,

意を決してその子のところに。

「隣,座って良い?」と聞いたら,その子は,また笑顔で「いいよー!」と。

「ああ,なんてステキな笑顔なんだ!」とまた惚れ惚れ(笑)。

 

その子とは,大学1年の間,この「西洋美術史」と「体育」の授業で会ってお話するだけで,

一緒にご飯を食べたり,一緒に帰ったりはしませんでした。(後から聞いたら,あの子は,別の子とお弁当食べていたそうです。)

でも,一緒にいる時間が至福のときでした。

「短くても良い。心の底から好きだ!

 と思う子が近くにいるだけで私は幸せだ。」と。

 

大学1年のときは,昼ごはんは一人で食べたり,たまたま一緒に会った子とご飯食べたり,と自分1人でいることが多かったです。

 

でも,前期のような,近くにいても,「友人」という関係かわからない状況よりも,

1人でいることが多くても,会うと心が温まる人物がいる状況の方が幸せでした

 

また,趣味も見つかりました!それが,「西洋近代美術史」の授業での出会い。

 

それについてはまた次回。

 

 

 

 

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今日はフランス革命記念日♪

2013年07月14日 23時09分30秒 | 歴史へのつぶやき&興味

あと30分ほどしかないですが,今日(7月14日)は「フランス革命」の起きた日ですね!

フランス革命で,それまで虐げられてきた,

何の権利も持っていなかった平民たちが,人権を獲得したのです。

 

それまでの価値観が一変したのです。

 

私は「フランス革命」が好きです。もう,語っても語っても終わらないほど(笑)。

 

現在連載中の「私はなぜ社会科塾講師になったのか?」でも,「フランス革命」は大きく関与してくるので,

後日,「フランス革命」については,そのシリーズの中でも語りたいと思います♪

 

イラストは戴冠式のナポレオンさん。

 

 

 

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私は「悪者」として彼女たちに「いじめ」られた

2013年07月14日 23時01分19秒 | いじめについて

以前にも書いたのですが,現在,「LAW&ORDER」というアメリカドラマにハマっています。

「LAW(法)を守るのは警察,ORDER(秩序)を守るのが検察」というテーマで作られた

刑事&裁判,のドラマ。

 

 このドラマで,とくに気に入っているのが,裁判の部分です。

 

どう考えても,あの人が殺人犯だろう,と思っても,

証拠がなければ無罪になることが

このドラマではしばしば描かれています。

 

警察側が提出した証拠も,「法的」に認められる証拠でなければ,明らかに犯人だと示す証拠でさえ,証拠になりません。

 

そういう状況を見ると,「あいつが明らかに犯人なのに,証拠がない,という理由だけで無罪とはおかしい!」と

怒る方もいらっしゃると思います。

 

でも,私はそういう状況を見て,心が救われることがあります。

 

小5のときにいじめられたとき,

私は「悪い奴」というイメージをもたれ,それが「いじめ」に発展しました。

 

私をつぶそうとしたある人物が,私と仲の良い子に,私のあることないことを話し,

次第に,友人(当時)たちは,私に悪い印象を持ち始めました。

「あの子は,裏で,私たちを馬鹿にして悪口を言っているらしい」とか

「あの子は,人によって態度が違う」とか・・。(・・だと推測しています。)

実際に,私は悪口なんて言ってないし,態度だって変わらない。

 

だんだんと,友人たちの中で,私は「悪い奴」になりました。

彼女たちには,目の前にいる私の行動は,表面上のもの,だと思い込んだのです。

目の前の私より,「うわさ」を信じたのです。

 

彼女たちは,「悪いやつを倒す正義の味方」として,私を倒そうとしたのです。

しかし,それは「いじめ」です。

 

 

結局,私は弁解の余地を与えられないまま,「悪いやつ」のまま,残りの小学校生活を過すことになりました。

 

 

私が「悪い奴」と,誰もが思っても,

そこには確たる証拠はなかったですよね?

 

証拠があるからいじめていいわけではない(いじめそのものが絶対ダメ!)けれど・・。

 

「LAW&ORDER」では,証拠がなければ「無罪」です。(もしくは減刑)

 

だったら,

私も,あのとき,「悪い奴」という犯人として友人たちに捕らえられたけど,それは,違法捜査であり,冤罪であったのだと。

 

 

人は,自分が一番心地よい真実や,自分のイライラを解消するためのでっちあげの真実を,「真実」とすることがしばしばあります。

 

小5という,自我の目覚めを始めたころ,というのは,「自分」の嫌な部分が見えてきたり,他の子との差が見えてきたりします。

その嫌な部分や他人との差を受け入れるのは,そうとうな精神力が必要。

なので,小5の時期には,その受け入れがたい自分の嫌な部分を認めたくないために,他人を「悪者」にすることがあるのだと。

他人が「悪者」なら,その「悪者」をこらしめる自分は「正義の味方の良い奴」なんです。

 

私は,当時の彼女たちの格好の餌食だったのでしょう。

 

今でも,彼女たちがやったことは許せません。

 

でも,もう,この「いじめ」の証拠は,私の記憶の中でしか存在しません。

だから,私が彼女たちを罰することもできません。

 

でも,それで良いんです。

 

同じルールの下,私は生きていく。

彼女たちはルールを犯した。でも,その証拠は今はない。

彼女たちを許せないけど私は,「ルールを破らない」よう生きたいです。(無意識に破っていたら,本当に申し訳ないのですが・・)

それが,せめてものプライドです。

 

 

※こちらはあくまで私個人の意見で,特定の人物や事件を非難したものではありません。

 

 

 

 

 

 

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日本脳炎ワクチンを受けられなかったことへの後悔

2013年07月12日 23時32分34秒 | いじめについて

先ほどの記事で,風疹の抗体値が低く,風疹ワクチンを打った,というお話をしました。

その際に,日本脳炎のワクチンを打った,というお話も出てきたんですが,

今回,なぜ今頃,日本脳炎のワクチンを打ったのか

というお話をしたいと思います。

 

 

私が子供のころは,多くの予防注射が,学校での集団接種でした。(今は,BCG以外は,病院での個別接種。)

 

私はとくに,予防注射で大きな副作用(副反応)が起きたことはないのですが,

Ⅰ期の風疹・麻疹ワクチンを接種後,ちょっと元気がなかったそうです。(1歳半ごろ,の話)

なので,問診票にも,それが書いてありました。

 

話を日本脳炎ワクチンの話に戻しますね。

 

Ⅱ期の日本脳炎ワクチン接種の時期は,たしか小5の秋以降か小6のときだったと思います。(当時)

 

他の記事でお話したのでご存じのお方もいらっしゃると思いますが,

私にとって小5は苦しい時期でした。

小5の夏あたりに,私と一番仲の良かった子が中心になり,

クラスメイトの女子の大半からいじめを受けました。

 

そのいじめで,「いじめられる自分が悪い」と思いこんでしまいました。(実際には,いじめる方が悪い!)

いじめられた際に,私は「子供っぽい!」と馬鹿にされました。

 

なので

 

「なんでも自分一人でできる大人にならなければ!」

という焦りが当時ありました。

 

そのころに,日本脳炎の学校での集団接種がありました

 

順番に並んで,予防注射を受けるのですが,

自分の前に予防注射を受けようとした子が,先生が問診票を見る前に

医者に向かって,「私(僕)は,予防接種で○○という副反応が起きたことがあります。(副反応の症状は聞き取れなかった。)」と

言ってました。

 

「何も言わず問診票をお医者さんに見せる,という形を今まで自分はしてきたけど,

それは子供っぽいかも?ちゃんと,問診票を見せる前に自分から積極的にしゃべらなければ大人とは言えないだろう。」

と,当時の私はとっさに思ってしまいました。(今から考えれば,親が書いた問診票を見せるのが正しいのですが・・)

 

そこで,自分の問診票をみました。

 

そうすると,「風疹・麻疹ワクチンで,●●・・。」と書いてあるのを見つけました。(何と書いてあったかは,詳しく覚えていません。)

 

当時の私は「風疹・麻疹」の読み方がわかりませんでした。

 

でも,いじめで「馬鹿」呼ばわりされたので,人にも先生にも読み方を聞けず・・。

「聞いたら馬鹿にされる,でも,ちゃんと問診票を医者が見る前に,言わなきゃ!」という焦りが・・。

 

そこで,「麻疹」は,「ましん」と呼ぶのだろう,と考えました。

(「ましん」でも間違いではないそうですが,通称は「はしか」と読みます。)

 

自分の番がまわってきました。「私は,風疹・麻疹(ふうしん・ましん)で,●●のようなことがおきました。」と言おうとしたのですが,

緊張してうまく離せず「ましん」とだけ言ってしまったのです。

 

そうしたら,医者は問診票も見ず,「はい,次。」とだけ言って,私は注射を打ってもらえませんでした

 

おそらく,医者は「じんましん」と聞こえたのでしょう。

それで,日本脳炎の注射を打つのを中止したのだと・・。

 

(今になって,調べてみたら,どうも,日本脳炎ワクチンの副作用問題が出てきた時期と重なるので,

日本脳炎ワクチンの接種が,その医者は乗り気じゃなかったのかも・・。

今は,当時問題になった日本脳炎ワクチンと違う種類のワクチンに変わったそうですね。

また,問診票を見ずに,子供の言葉だけで

行動するのも,医者としてどうかと・・。)

 

 

そのときは,何が何だか分からず,私は茫然としていました。(注射を打ってもらうつもりだったので。)

 

今考えると,「副反応があった」なんて言えば,注射が見送られることなんて想像がつくのに,

あのときは,「問診票を見せる前に,問診票に書いてあることを医者に言わなきゃ!」という間違った自立心の方が強くて・・。

 

あとで,クラスメイトに「おまえは,××か!(××は差別用語なので伏字にさせて頂きます。)」と蔑まれ・・。

先生にも冷たい目で見られ。おそらく,注射を打ちたくなくて嘘をついた,と思われたのでしょう。

 

実母にも,「なぜ,じんましんが出たなんて言っちゃったの!」と怒られ・・。

(「ましん」と読み方を間違えたことを言う方が,当時の自分としては恥ずかしくて,母に「じんましん,と言っちゃった」と伝えたので。)

日本脳炎の注射を個別で日本脳炎の注射を打ちに行きたかったけど,

母にそれを言いだせませんでした。

有料になるだろうし,自分の落ち度で注射を打てなかったのだから,

自分から注射を打ちたいなんて,おこがましく言えない,と。

 

その後,個別で病院に日本脳炎の注射を打ちに行ったかは記憶が定かではありません。

 

それは,それと前後して「いじめ」を受け,その後も,ずっと孤独に過した時期は,

記憶がとぎれとぎれで・・。思いだそうとすると,吐き気がすることもあったり・・。

 

さらに,何度も,日本脳炎の注射を打ちに行く,という夢を見ていたので,

いつのまにか,日本脳炎の注射を後で病院に個別に打ちに行ったのかが,夢か現実かわからなくなってしまいました

 

しかも,書類も残っておらず。母子手帳も,盗まれてしまって。

(母子手帳の入っていたバックを,金銭目的で盗まれた。犯人は,つかまっていません。たぶん,顔見知りでない人の犯行。)

 

 

中学から社会人になるまでは,日本脳炎の注射を打てなかったことに対する後悔の念はありましたが,

そこまで心配はしませんでした。

 

しかし,社会人2年目のときに,白血球の異常増殖で倒れて緊急入院したときに,

「自分は,これ以後,いつ病気になってもおかしくない。」と思いました。

 

それで,自分が日本脳炎のワクチン(Ⅱ期)を打っていないことを思い出しました。

 

それからは,豚が怖くなり,蚊が怖くなり,夏に豚のいるところには行けなくなってしまいました・・。

普通の蚊では日本脳炎にならないし,豚さんも日本脳炎のウイルスを保持してなきゃ,別に大丈夫なんだけどね。

 

「私は,いつか日本脳炎で死ぬんだ。みんなはワクチンを打ってるから死なないけど,私だけ死ぬんだね。」と思うように。

 

さらに,1回目の流産で,自分の身体そのものにまったく自信がなくなりました。

 

「私は日本脳炎で死ぬ運命なんだろうな。」とまで思うように。

 

1回目の流産のときの手術のあと,つきそいで来ていた母に,

ずっと日本脳炎のワクチンを打てなかったことに対して後悔していることを語っていたそうです。

(麻酔の影響で私自信は覚えてないのですが・・)

 

今年,風疹が流行したことから,ニュースで「風疹の抗体検査を受けましょう。」「風疹の予防注射を受けましょう」ということを聞き,

え?抗体があるか調べられるの!?」

「大人になってからも,子供の時に受ける予防注射を受けられるの?」

とびっくりしました。

それまで,知らなかった自分も情けないですが。

(やはり,予防注射に対してのトラウマがあるで,積極的に調べようとすると頭が痛くなってしまってて・・。)

 

 

病院で,風疹の抗体検査をしてもらいに行ったときに,先生に「日本脳炎の抗体検査もできますか?」と聞いたら,

「できるよ~」と即答されました。

 

それで,日本脳炎の抗体検査もしたら,やっぱり抗体はありませんでした。

やっぱり,Ⅱ期は打ってなかったのですね。

 

すぐにワクチンを打ってもらい,

今までの約20年間悩みがやっとなくなりました。

 

有料だから,10万円とか100万円とかかかるかと思っていたのですが,5000円程度で済むとは!

20年の苦しみを5000円でチャラにできるとは!(抗体がちゃんと出来ているか?次第ではありますが・・)

 

「いじめ」を受けると,正常な判断ができなくなります

今,思うと,なぜあのとき,私はあんなことをしてしまったのか?と思います。

 

「いじめ」によって,「全部自分が悪い」と本気で思ってしまう・・。

 

「いじめ」というのは,人の自信を奪い,どんどん苦しい方に自分を追い込んでしまうことがある,おそろしいものです。

 

 

今まで,この日本脳炎ワクチンを受けられなかった事の詳細を,人に話したことは一切ありません。

医療従事者の子に「日本脳炎のワクチンを打ってないけど,大丈夫かな?」と相談したことはありますが。

万が一,「自分のミスで日本脳炎のワクチンを受けられなかったんだ」と話して,私が責められ馬鹿にされたら・・,

と思うと怖くて怖くて。実際にそんなことをする友人はいるハズないんですが・・。

 

もうワクチンを打ったので,当時の話ができるようになりました。

 

もう他人に責められても,「もう,打ってあるから大丈夫だよ。」と本気で思えます。

それまでは,あのときのミスは現在まで続く苦しみの「過去」でしたが,今になったら,あの事件は,私にとって「歴史」になりました。

英語で言う,「現在完了形」が「過去形」になった感じ?

 

 

悩んでいる渦中では,自分に落ち度があると思い込んでいることに対し,他人には話せません。

話せるのは,解決してから。

 

いじめの渦中にあるときに,「自分が悪い」と思いこんでいると,他人には相談できるはずもない。

だって,もしかして相談したら「いじめられるアンタが悪い」と言われたら,と考えるだけでもおそろしい。

いじめで「自分が悪い」と思いこませられているんだから,他人が信じられなくなる。

実際に,相談された相手は何気なく,「こうすればいじめられないんじゃない?」というアドバイスのつもりで言ったとしても

いじめられている渦中にある本人には「こうしなかった自分が悪いんだ。」と,自分を否定してしまいます。

 

 

「いじめ」というのは,とてつもなくおそろしいもので,

被害者を救うことは,とてつもなく難しいものなのです。

表面だけの言葉じゃなく,全身全霊の愛を感じてもらうこと(「どんな状態のあなたでも私はあなたを愛している」),

それが大切なのかもしれません。

 

(※「いじめ」についての意見は,あくまで私個人の意見で,特定の相手の方を誹謗中傷しているわけではありません。)

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風疹の抗体がなかった・・

2013年07月12日 22時14分31秒 | 近況報告

更新が滞ってしまって,失礼いたしました。

 

実は,ここ1週間は,体調を崩さないよう,娘が寝たら,すぐ一緒に寝るようにして睡眠時間を確保していました。

 

最近,風疹が流行していますよね。(2013年夏現在)

 

私は,前回の妊娠の際に血液検査をしているので,風疹の抗体について何も先生に言われなかったから大丈夫だろう,と

思っていました。

しかし,その際に,先生は「何にも問題ない」としかおっしゃられなかったので,

風疹に抗体があるか?という具体的な言葉を聞いてないので,心配になりまして。

 

風疹ワクチン不足になるかも?とニュースでやっていたので,

ワクチン不足になる前に,抗体検査をしておこう!と。

 

そうしたら,抗体値が8しかありませんでした。(8未満が抗体がない,ということになる)

 

たぶん,前回の妊娠のときはもう少し抗体値があったのかもしれません。年齢とともに下がったのか?と。

ただ,詳しい理由はわかりませんが,とりあえず,風疹ワクチンを打たないかぎり,安心して次の妊娠には臨めない,と。

 

抗体検査をしたときに,日本脳炎ワクチンを打ったので,

1週間後の今日,風疹ワクチン(正しくは,風疹・麻疹の混合ワクチン)を打つことに。

(ワクチンの種類の関係で,日本脳炎→風疹ワクチンの順番に。風疹ワクチンは生ワクチンなので,風疹ワクチンを打つと,1カ月,他のワクチンが打てないので。日本脳炎ワクチンは,不活化ワクチンなので,1週間後には他のワクチンを打てる。)

(なぜ,日本脳炎のワクチンを今になって打ったか?は別記事でお話しますね。)

 

予防注射の予約をした際に,「風疹のワクチンは,不足気味になっているので・・」,と言われたので,

予定日に熱でも出して,ワクチンを打てず,だと怖い!と思いましたので,

ここ1週間は,ビタミンCを積極的に取り,水分補給を忘れず,無理をせず,睡眠も毎日12時間とるようにしました。

まるで,入試前のときみたい。(入試前だと睡眠は長くても8時間くらいですが・・)

私は睡眠時間が6時間切って,水分不足になると,風邪をひきやすいので・・。

 

 

とりあえず,本日,風疹のワクチンを打つことができました!

2~3週間で抗体ができるそうなので,ちゃんと抗体ができるといいな。

 

 

 

自分は大丈夫,だと思ったら,抗体がなくて,ショックでした。

今回は,妊娠もしていない状況だったし,ワクチンも打てたから,大きな問題にはならなかったですが・・。

 

睡眠時間をいつものように7時間に戻すので,ブログの更新を再開したいと思いますので,よろしくお願いいたします♪

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第17回 大学時代2 友人ができない!

2013年07月08日 07時06分06秒 | 私自身のヒストリー

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第18回  大学時代2 

 

 今回は,前回お話した大学入学の4月~9月までのお話の別視点での会話

前回は趣味らしい趣味がなくて困った,というお話でした。

今回は,友人関係と部活関係のお話。

  

大学って,高校までと授業形態が全然違います

高校までは,クラスという1つの教室で同じ生徒が1年間集まって授業を受けます。

なので,そのクラスの中で毎日顔を合わせるうちにその中で友人関係を築いていきます。

 

しかし,大学が違います。生徒が移動するのです。

生徒ごとに取っている講義が異なるので,毎回,教室で同じ学生が顔を合わせるわけでもありません

もちろん,同じ学科の子だと取る講義が似ているので,よく会う顔ぶれは決まってきますが。

ただ,高校と違い,自由席なので,毎回隣に座る子が一緒なわけでもありません。

 

 

最初のオリエンテーションで仲良くなった子とは,4月では一緒にお昼ご飯を食べたり,

一緒の授業のときは隣同士座っていたのですが,だんだん,その子と話が合わなくなって。

そのときはなぜそうなったのかわからなかったのですが,

今になって考えると,その子は「マンガオタク」で,私がそうでなかった(当時)ので,

どうも,その子は私は怖い(?)存在に見えたようです。

おそらく,高校まで,「マンガオタク」で迫害されていたのかも?と。

 実際には,私もマンガ好きだったので,お互いに「マンガ好き」を告白していれば仲良くなれたかもしれないですが・・。

 

5月ころから,その子とは疎遠になり,一緒にご飯を食べる子がいなくなりました。

教室でも一人ぼっち。

 

「4年間,私は一生1人なのかな・・。」と恐怖心を覚えました。

 

中学時代の私だったら,「4年間ずっと1人」でも平気だったでしょう。

でも,高校で「友人」の素晴らしさを知ってしまったから,もう「一人」でいる苦痛は耐えられなかった。

 

 

4月のとき,部活のフレマン祭(部活の勧誘シーズン)で,各部活の紹介を舞台でやっていたので

それを観に行ったときに,

司会の人が

大学では高校より簡単に友人をつくるのが難しいから,友人をほしかったら部活に入ると良いよ

と言っていたのを思い出しました。

 

前に述べたように高校時代の部活での苦い経験のため,「大学では絶対に部活に入らない!」と決めていました。

 

でも,5月になって友人もできない状況を打破したいと思い,部活に入ることを決意。

 

でも,人数が多い部活には入りたくない。

人数が多いほど,派閥もできるし,いじめもおこりやすくなる。

また,男性が多い部活も嫌。

恋愛関係でごたごたがおこり,それで人間関係が悪化し,自分は直接関係ないのに,

そのごたごたに巻き込まれて苦しい思いもしたから。

また,飲み会が頻繁にある部活も嫌だった。

人見知りだから飲み会でみんなでワイワイするのも苦手だし,騒ぐのも好きじゃない。

 

ということで「人数が少なく」「男性も少なく」「飲み会も少ない」部活を探すことにしました。

 

さらに,「就職試験で有利そうな部活」が良いな?とも。

母が就職で苦労した,と聞いていたので,自分はなんとしてでも就職したい,と思っていました。

 

 

それで選んだ部活(サークル)が,「能楽部」でした。

 

ちょうど,「日本文化学科」に入ったのだから「日本文化」を好きにならなきゃ!というおもいもありまして。

 

しかし,入部したものの,どうも「能楽」の世界が理解できない。

一度,能楽堂に能楽を観に行きましたが,

何を言っているかよくわからないし,動きも静止していることも多いし

途中で眠たくなってしまう。(当時,のことです。今は違います。)

 

部活で同級生の子はいたけれど,授業がかぶらなくて,ほとんど校内で会わず,という状態でした。

 

 

大学1年の前期(4~7月)までは,友人もできないし,趣味も見つからないし,

もう辛くて辛くて。

なんと,ストレスで生理がとまってしまうほど。(再開したのは,夏休みに突入したときでした。)

 

 

友人関係・趣味が見つかったのは,後期のとき。

それについて,次回お話します。

 

 

 

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第16回 大学時代1 趣味がない!

2013年07月05日 07時00分40秒 | 私自身のヒストリー

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第17回  大学時代1 

 

 

 さて,今回から大学編突入です!

 

大学時代は,それまでの価値観が一変した時期なので,色々語りたいと思います。

 

第一志望校の大学に受かり,バラ色の大学生活が始まる!と思っていました。

・・しかし,現実は違っていました。

 

私は,大学を,「学部」でなく「大学」で選びました。

 

同じ大学内で3つの学科を受験し,唯一受かった学科「日本文化学科」に進学しました。

 

高校時代は,「古文」の勉強は好きだったし,「現代文」でも楽しんで勉強していました。

だから,当時は,自分は「国語」系が好き!と思っていました。

 

 

しかし,実際に「日本文化学科」に入学してみると,

同級生と自分は違う!

ということに気が付きました。

 

同級生の多くの子は,「古文」の世界そのものを好きだったり,好きな小説家がいたり,好きな日本文化がありました。

たとえば,高校生にして『源氏物語(現代語訳版)』を読破していたり,小さいころから歌舞伎を観に行っていたり・・と。

 

でも,私はあくまで「勉強」としての「古文」「現代文」が好きなだけであり,

その世界観が好きであるわけではない!と。

 

 

そんな自分がすごく子供に感じました。

 

 

 

 

また,そのときあることに気がつきました!

 

 

それは

 

「私には,これといった趣味がない!」

 

と。

 

高校までは「勉強」することが一番大切だった。

「勉強」をする際に「趣味」は邪魔な存在だった。趣味に走って勉強を怠ることが何よりも怖かった。

 

「マンガを読む」とか「アメリカドラマを観る」行為は好きだったが,あくまで受動的。

「アメリカドラマ」は,母が借りてきたビデオを一緒に観る程度。

「マンガ」は自分で選んで買う行為はしていたけれど,別に何か特別に「この作家が好き!」というものはなかった。

とりあえず,人気のマンガを読んだり,「歴史を勉強する」ために歴史マンガを読む程度。

 

 

「自分に趣味がない」ことに気がついた私は,

「趣味をつくろう!」と思いました。

 

それで,

「音楽にハマろう!」と思い,いろんなCDを買って聞いたり,

「小説にハマろう!」と思い,人気の小説を読んだり,

「ショッピングを好きになろう!」と思い,がんばって服などをウインドーショッピングしたり・・と,

よくある趣味のものに挑戦しました

 

しかし,無理でした。どうも長続きしない。

 

また「歴史にハマろう!」と思い,いろんな歴史ものの本を読んだり,テレビを見たりしました。

でも,ハマらない。

 

当時は,「(日本の)戦国時代」「三国志」など歴史ファンが多いもの,

「ハプスブルク家」など華やかな歴史ものなどを好きになろうとしました。

「ハプスブルク家」は「面白い!」とは思いましたが,ハマらなくて・・。

 

入学して4月から,9月から始まる後期の時期まで,趣味を探すのに翻弄しましたが,

なかなか見つからず,苦しかったです。

 

しかし,9月の後期で受けたある講義で,私の今までに続く趣味と出会うことができたのです!

それについてはまた後日。

 

今回はここまでです。

次回は,今回と同時期におきた人間関係および部活に関してのお話です。

 

 

 

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第15回 高校時代9 特殊な大学受験勉強

2013年07月03日 07時20分53秒 | 私自身のヒストリー

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第16回 高校時代9 大学入試4

 

今回は高校編最終回です。高校だけで9回とは・・!大学編はもっと書くことあるので,かなり長期連載になりそうです♪

 

前回までで,第一志望の大学に合格した,というお話をしました。

今回は,塾講師を通し色々な生徒さんの入試のお手伝いをし,

「私って大学入試の勉強,特殊だったろ!」 

と思うところがあったのでそのお話。

 

 

とりあえず,前回までに述べたように,まず志望動機が不純でしたね。

 

私の場合,「現役合格」および「名古屋市内で偏差値が高いと思われる私立大学を1つ」という条件でした。

 

猫ちゃんとずっと一緒にいたかったので地元の大学に行くつもりでしたが,

 

なぜ名古屋市内が良かったのか?

は大学の帰りに,栄や名駅などの繁華街に寄って遊びたかったから。

かなり不純ですね(笑)。

 

繁華街で何をするかというと,本屋に行ったり,文房具見たり・・など,ですが。

でも,実家近くだと,小学生のときに私をいじめた子に会う確率が高いから,

栄などたくさんの人がいるところで,伸び伸びと本屋に入り,自分の好きな本を選びたいんです。

 

学科選びも前回述べたように,大学で受けられる学科を日程で決めたんですよね。

 

 

ただ,そのときに「好きなもの」で選ぶのでなく「嫌いなもの」で考えるようにしたのは,おススメできます。

 

よく,大学受験のとき,「自分は大学でやりたいものがわからないので学部(学科)が選べない」と生徒に相談されることが多々ありました。

その際に,無理に好きなものを見つけようとすると,かえって答えが出てこないのです。

でも,「絶対やりたくないもの」を考えよう!と言うと,消去法で学科が決まることもあります。

 

心の底から嫌なことでなければ,入学してから頑張ることができるから。

 

 

ちなみに私が,「嫌いなもの」は,

 

「数字をコロコロ扱うこと」

「チームを組んで何かを成し遂げること

「実習など,大学内のところに行くことが多いもの」でした。

 

 

「数字をコロコロ扱う」のは,目がチカチカするから。(今までお話したように,私には数字に色が見えるので)

「チームを組む」のが嫌なのは,その中でイジメがおこるのが怖いし,何かを成績を出す関係は自分の努力だけで出したいから。心理学部が他の学部よりいじめが多いわけではないですが。

「実習」が嫌なのは,自分は人見知りだから,毎回,実習先で気を使うのが嫌だから。

 

・・ということで,私が受ける大学の学部(文系)の中で

数字を扱う「経済学部」,

チームを組んだり人と会話する必要のある「心理学科」は,外しました。

心理学自体は大好きなんですが(笑)。心理捜査のアメリカドラマの「クリミナルマインド」とか「LAW&ORDERクリミナルインテンド」は

一回見ただけでハマっちゃうほど。(あくまで,学部・学科の内容は当時のイメージです。)

 

あと,「教育学部」は,あえて外しました。

当時は「先生になりたいな~」とホンワカ考えてはいたんですが,

母に「教育学部でなくても教員免許は取れるから,大学では違うことを学ぶのも楽しいよ。

   もし先生になったら,もうこれから一生教育のこと以外勉強できないってことだから。

   (ただ,小学校の免許取得や校長などに出世したいなら別ですが・・)」

と言われたので,そうだな~と思いました。(教育学部を批判しているのではありません。)

 

 

 

 

 

あと,模試について。

 

普通は「模試で,志望校の判定でAかBを取るようにがんばり,AやBになったら受験する」ものです。

 

塾講師になって受験指導の経験すると,判定Cまでは合格する確率も高いですが,D・Eではまず不合格になります。

 

 

 

では,当時の私はどうだったか?

 

志望校の判定は,高3の春には,Dでした。

 

1学期には,毎週のように日曜に模試があり,毎回,判定はDでした。

 

「模試は大切」という考えがあって,夏までは,模試を受けまくっていました。

 

でも,前回お話したように,「世界史」での「理解しなきゃ!」と思った瞬間,

私の模試に対する考えが変わりました

 

日曜は,「理解」する時間に当てよう。

 

模試のために勉強する時間を,暗記時間に当てよう,と

 

それまでは,

月~金は,学校→その後,塾で勉強

土曜は,塾で勉強

日曜は模試,

という感じだったので,かなり疲れて,電車・バスの移動時間は睡眠に当てていました。

日曜は模試から帰ったらすぐ寝てました。

 

学校での予習もあるし,塾で使ったテキストの復習もあるので,ほとんど自分の自由で勉強する時間がありませんでした。

 

 

それで,高2の2学期からは,

月~金は,学校→その後,塾で勉強

土曜は,塾で勉強

日曜は自学習

 

日曜の時間の使い方を変更しました

 

模試を受けない分,疲れが少なくなったので,電車・バスの移動時間に,英単語・古文単語の暗記時間に当てました。

 行きに,英単語・古文単語を覚え,帰りに,行きに覚えた単語を覚えているか?のチェック,

そこで覚えていなかった単語を,お風呂に入りながらもう1度覚えなおし,という形。

 

書いて覚える,という時間はなかったので,「目」で見て覚えました。

 

土曜は,午前中は塾がなかったので,そこで,平日にやれなかった,学校の予習や塾のテキストの復習に当てました。

もし,平日にやりとげたときは,ご褒美で,睡眠に当てたり,マンガ読んだり,としました。

息抜きがないと,精神的におかしくなってしまうので。

 

それで,日曜は,「世界史」の「理解」の時間に当てました

机に,教科書・資料集・ノートを広げ,まとめていく。

ただし,教科書の内容を最初から順番にやると時間が足りないので,

入試問題でよく出題されている時代のものを優先して行いました。 

 

 

学校の先生や塾のチューターに

「おーい,最近模試を受けていないけど大丈夫か?志望校の合格率判定とか模試を受けないとわからないだろ?」

と心配されました。

 

しかし,

 

「模試で良い結果出しても,実際の入試で落ちたら意味がないですよね?なので,要は,実際に受かれば良いんでしょ!

 模試判定が良くても悪くても受ける大学はただ1つで,それを変えるつもりはないです。」

とぴしゃっと言ってしまいました。

 

12月に,一応心配になったので一回だけ模試を受けましたが,あいかわらず志望校はD判定でした。

 

最終的に,受かったから良いものの,あのとき,先生やチューターには心配かけて申し訳なかったです。

 

入試指導をしていて,いろんな子を見ていると,

模試をないがしろにする子はほとんど志望校に受かっていません。

また合格率判定でDの子は,ほぼ合格できない。

 

私って特殊だな,と。超,短気集中型です。

 

なので,自分の大学受験の模試については,生徒にお話できないです(笑)。

私のマネをするのは,とんでもなく危険です。

 

また,センター試験のときに,それまで過去問でとった点数より,はるかに良い点数をとってしまいびっくりしました。

 

これはいつものことなんですが・・。

高校入試のときも,とうてい受かる可能性がない私立高校が受かったのは,それまでの過去問より点数がよかったからですし,

公立高校でも自己採点すると,それまでの過去問より点数が高く取れたので。

 

「本番にだけ強いやつ」それが私です。

 

 

 

また,志望校の私立大学が合格したあと,学校の先生に合格を報告したら,

「センター試験も受けたよね?センターの結果で,受験予定の国公立大はボーダーを超えてたから,受けるよね?」

と先生に確認されたとき,

「受けません」とキッパリ拒否。

 

「え?でも,国公立に受かったら,そこに行けるわけだから・・。」と先生に言われたのですが,

「眠くて眠くてたまらないので,もう勉強するの無理。

 第一志望校受かったのでそこに行きます。名古屋市内の大学に行きたい!

 国公立の受験勉強する時間を睡眠時間にあてたいです。」と言ってしまいました。

 

先生もびっくりした顔をしていました。

 

普通,「眠い」という理由は言いませんよね。

 

せっかく,国公立で合格する可能性もあるのに・・。

 

とりあえず,眠かった・・。ああ,あのときは眠かったのです。

 

通常8時間睡眠という子供みたいな私が,本気で勉強を始めた高3の夏からは,睡眠は5時間。

休日は睡眠12時間だった私が,休日も睡眠5時間。

 

合格したら,とにかく眠くて眠くてしょうがなくて。

 

ということで,合格発表後からは,学校から帰ったら,ほとんど寝てました。

1カ月ほど,眠りまくっていました。猫よりも寝てました。猫に「いいかげん,起きろ!」と起こされるほど。

 

 

 

 

今思うと,大学受験はとんでもなく特殊でした。

 

 

今回はここまで。今回で高校編は終了です。長文,ご覧頂きありがとうございました。

 

では,次回から大学編。

ここで,今までの価値観が一変し,今の私の基礎をつくっていきます♪

 

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