社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が
勉強方法や社会科について書いています。
歴史模擬授業も展開中♪

問題作り

2009年11月30日 17時32分50秒 | 近況報告
今週はお仕事が多いですし、実家に行ったりしたりもして忙しいですが、精神的にはつらい仕事内容ではないので、ケータイからにはなりますが、更新をできる限りしたいなぁと思います。

今日は、久々に英語の問題を作成しました。
担当の生徒さんが高校の教科書を使うようになりましたが、高校の教科書は、中学のように教科書に沿った形の市販の問題集がないので(教科書ガイドのみ)、自分で簡単な形ではありますが、問題をつくることになります。


私は問題を自分でつくることや研究することが好きです。

ちゃんとポイントを押さえて、わかりやすく点数がとれるような良質な問題をつくれるようにがんばっていきたいです。

歴史の授業

2009年11月30日 10時43分28秒 | 先生としての姿勢・やり方・豆知識
最近、気がついたんですが、私は歴史の授業をしているときに、知らず知らずのうちに、声のトーンや早さを変えたり、出てくる登場人物に合わせて口調や雰囲気を変えたりしていたのです。

時間が空いたときに、「先生!ナルシーやって!」と言われ、気がつきました。(ナルシーとは、藤原道長のことで、生徒がつけました)


つまり、どういうことかというと、大切な内容を話すときは、ゆっくり低く話ながら、重要単語を言う直前にちょっとした間を空けたりしたり、手でパフォーマンスをします。
また歴史人物の考えをセリフをつけて、性格づけして話したり。たとえば、聖武天皇だったら、弱く優しそうな雰囲気で「私は仏教というのはすばらしいと思うんだ。」と言ったり、徳川家康だったら、若いころは弱々と、晩年は怖い雰囲気のある狸おやじ風に、演じたりと。
ちょっとわかりやすくするためにイメージに脚色が入っていたりはするので(史実はかえていません)、それを気にする方はいられるとは思います。

「子供に勝手なイメージをつけてはいかん。史実を淡々と話し、子供たちの想像力にまかせるんだ」という方もいらっしゃいます。

その方はそれで良いとは思います。

しかし、私は、私のイメージですべて固定される程度の想像力しかないのなら、それでも良いと思います。何もイメージできない方が問題です。

イメージは上書き保存できます。だから、極端ではない程度のイメージをつけることは許していただきたいのです。

私も、昔は蘇我氏は天皇をないがしろにし、独裁をしたひどい人、というイメージを持っていましたが、古事記の調べものをするうちに、そうではないことに気がつきました。今では、彼らは時代の最先端を行きすぎた敗者、というイメージです。
また、イメージがわかなかったためにあまり関心のなかった奈良時代。しかしマンガなどを読むことでイメージがつき、教科書を読み直して、史実と照らし合わせたために、用語を忘れなくなりました。

なので、私はイメージ大切派なので、やりすぎないようにだけ気をつけて、私なりにがんばって教えたいなぁと思います。

10年間の愛知県教育現場の変化

2009年11月29日 12時28分52秒 | 入試全般について
今週はなかなか更新できず申し訳ありません

今は仕事で移動中ですのでケータイから更新させて頂きます。


先日、愛知県尾張地区の教育事情が10年前と変わった点についてのメモをプライベートで書いてみたのですが、思った以上に変わった点があってびっくりしました。

全部知っていることではありましたが、文書に書いてみたら、1~2ページのつもりが6ページに。

完全週休2日制になるわ、ゆとり教育が本格的始まって今はそれとは逆の風潮にかわりつつあるわ、男子校や女子校の多くが共学になったり、高校や私立中学のレベルの変動があったり(上がった学校・下がった学校)、愛知県内の公立中学の内申点の評価が相対評価から絶対評価にかわったり、私立中受験希望者が増加したり、新しい中学ができたり、高校からの募集がなくなった私立中学が増えたり、ゆとり教育の波紋があったり、モンスターペアレントという言葉が確立したりと、いろいろここ約10年あたりで変わりましたね。

学校教師や塾講師、家庭教師になる人は自分が小学~中学時代をすごして7年以上経っている人たちです。

自分たちが過ごした時代と教育現場が違うことを知らずに行動してしまうと、思わぬ失敗を招くこともあります。
生徒たちは、「今の教育現場」で生きているので、その状況を知らないで指導してしまうと、生徒との大きな隔たりができてしまうことも。

ですので、プロのピアニストがピアノを毎日弾かないと勘が鈍ってしまいすばらしい音色がでなくなってしまうこと同様、塾講師&家庭教師も毎年生徒と接して教育現場にいないと勘が鈍ってしまうおそれがあったりします。
ですので事前勉強が大切になります。

ただ、私もこれから一定期間、教育現場から離れる時期もありうるので、鈍ったら鈍ったらで、復帰したときに必死で勉強し直してがんばりたいと思います。

やる気がなぜかおきないのは・・

2009年11月20日 14時43分14秒 | 教育について考える
今日は、
 
子供は「なぜやる気がおきなくなるのか?」&子供の接し方
 
についてです。
 
 
 
みなさん、何となくやる気がおきない状態ってありませんか?

燃え尽き症候群かな?のように、 燃え尽きるほど、何かを熱中してやっていたわけでもないのに・・。
 
私は昔、このように、やる気がおきなくなったことがありました。


さらに、とくに何か大きな理由もなく、仕事のことを考えるとイライラしてしまい、
普段だったら怒らないようなことでイラっときたり。
逆に急に落ち込んだりするときもあって、精神不安定な状態が続いたことがありました。冷や汗
 (生徒には八つ当たりはしませんし、生徒に会うとほっとします。)

そのイライラして、やる気がおきない理由は、
「私はあの人(仮にAさんとします)に認めてもらえてない!」
という気持ちが 根本にあったのだと、あるとき気がつきました。

私は、最初のスタートが遅いタイプなので、最初の印象が悪い方です。
しかし、そのあとでペースをつかんだら勢い良く成長していきます。

しかし、第一印象で決めてしまう上司などにあたることが多く、
かなり成長した後でも、全然認めてもらえないことが多々あります。
 
Aさんはその最たる例で、
新人だったころからの私を知っているAさんはそのときの印象で決めていて、
いろいろとキャリアを積んで、実績も重ねてきた私を新人のように扱いました。
見ためがやさしそうに見える私にAさんは時には八つ当たりもしてきました。

それでも、もっと努力して
「Aさんに認めてもらえるように、もっとがんばればいいじゃん!」と思って数年頑張ってきました。
 
ときには、Aさんと話し合ったりもするのですが、
私が強く出ると、「なんで、自分ばかりばっかり責められるの!」という被害者意識をAさんは持って、
私を避けるだけになりました。
 
しかし、私の能力は以前低い評価のままで、
「私だったら、これもできるからやりますよ!」と軽く言っても、ハキハキ言っても、かたくなに拒否されます。
 
結局他の人がその仕事をやるのですが、うまくいかず、私が手伝ったり、陰で中心になってその仕事をしたりもしていることが多々ありました。
 
Aさんは、「自分はすごい!」と思っているようで、自分はいかに大変か、自分は昔こうだった!と過去の栄光を話したりし、決して私を認めはしませんでした。
 
そのようにしていくうちに、あの人が言うようにがんばっても、先が見えなく、「どうせ、がんばったって・・。私が私である限り、あの人は認めないだろうな。」というやさぐれた気持ちが出てきました。

たしかに、Aさんは一生私のことは認めないと思います。

私以外の人も第一印象が悪い人や一回でも失敗した人は、その人の今がどれだけ素晴らしくても、認めません。
 
私からしたら、そのAさんよりも能力的にも素晴らしく実績もある人がいましたが、その人さえもAさんは馬鹿にしますので。

それに、私もAさんを信頼もしていないし、あこがれもしていなく、むしろ軽蔑しているので、その人に好かれようというのも、わがままな気持ちです。
嫌いな相手に好かれたいなんて、ムシが良すぎますもの。

だから私は、Aさんを追いかけること(認めてもらうこと)をやめようと決心しました。

私の能力を認めてくれる人たちはいます。
その人たちに、もっと貢献できて、認めてもらえるようにがんばりたいと考えたのです。


私は、目の前に救いを求めている人・自分を必要としている人につくしたい!と。
 
このように、すぱっと気持ちを切り替えたら、とたんやる気も出てきましたし、それまでモヤがかかって見えなかった1つの道筋がはっきり見えてきました。
 
Aさんに認めてもらいたい!という気持ちが強かったときは、とにかく何でも頑張る!という気持ちでしたが、Aさんへの欲求をきっぱり気持ちの上で切り捨てたら、何をどうのようにどのスパンで頑張るべきかという具体的なことが、めきめきとひらめき、集中して頑張るようになり、精神的にも楽になり、自分なりの誇りも持てるようになりました。

自分を嫌っていたり、自分が自分である限りその能力を認めない相手に
つくすことは疲れてしまいます。
 
 

小学生の中学受験などでも、小学生がこのようなケースによく陥ることがあります。
 
本人としてはがんばっているつもりなのに、
 
親御さんからは、「まだがんばりがたりない!」と言われ、一度も誉められたことがない子。
 
優秀だった姉や兄と比べられ、全体に見たら十分がんばっているのに、姉(兄)ほどの結果を出していないから全然ダメだ、と過小評価をされる子。
 
また、悪い点をとったり成績が下がると、
「こんなんだったら、○○中学は受からないわ!」とか「何のために塾に行っているの!お金の無駄!」と怒られ、
一生懸命がんばって良い点をとったり成績を上げても、
「今、上がっても実際の入試に受からないと意味がない。」とか「満点じゃない!ミスもしてる!気を付けて!」
と言われ、成績があがろうがあがらないが文句しか言われない子。
 
このようなお子さんがいらっしゃいます。
 
そのようなお子さんは「どうせがんばったってさ・・。」という気持ちになり、やる気がおきず、勉強がおろそかになるので成績が下がり、それでさらに親からおこられ、やる気がさらになくなり、成績がさらに下がり・・という悪循環に陥ることがあります。
 
 
中学受験をする子の大半は、「将来のため」と口で言いながらも、僕(私)がお母さん(お父さん)が私立中学に行くことを望んでいるから、その夢をかなえてあげたい!という献身的な気持ちで、受験勉強を始めるのです。
 
本人もそのような気持ちが自分にあるとは気がついていませんが、親を喜ばせたいために頑張るのです。
 
 
小4は、ただ無心にがんばります。また学習内容もそこまで難しくはないので、ある程度は挫折しなく、進んでいきます。
 
しかし、小5になると全然わからないものや、解けるようになる(暗記する)まで時間がかかるものが出てきて、つらくなってきます。
 
そのときに、「がんばったらお母さん(お父さん)はよろこんでくれる!」という気持ちがあれば、がんばれます。
 
保護者の方が、しっかりと公平な物差しで、子供を認めてあげたら、子供も何をがんばればよいのか、とわかり、がんばり方がわかります。
 
公平な物差しとは、点数で見るのではなく、偏差値の変化や、一緒に勉強を見てあげていたら、勉強してできていたところがテストでも解けているか、など。
 
偏差値は、50以上が良いとかそういう数字の問題ではなく、前回よりも上がっているか、同じくらいか、下がっているか、で見るとよいでしょう。
上がっていたら誉めてあげ、同じぐらいだったら、ある程度頑張っているというのは認めてあげてほしいです。
下がっている場合は、ただ怒鳴るだけでなく、一緒に下がった理由を考えてあげるとよいでしょう。下がった理由の主な理由は、あきらかに今までよりも勉強時間が少なかった場合はやる気のなさ、そうでないなら苦手分野だった、そして、もう一つは、親が子供に目が向いていなかった、ということなどがあげられます。
子供に目が行き届かない理由は親が仕事で忙しかったり、人間関係でトラブルがあったり、身内で不幸があったり、誰かが病気で倒れたり・・と様々なケースがあります。これは、しょうがないと思います。
ですので、子供を怒る前に、もしかして「私の気持ちがそぞろだったのではないか?」と疑うことは大切です。でも、親御さんは自分を責める必要はありません。次のテストに向けて、がんばれば良いのです。
 
子供とけんかするのも悪いことではないので、お互いに意見を言い合うとよいでしょう。相手がどう思っているのかがわかるので。ただし、一方的に親の意見を子供に押し付けたり、子供のわがままを完全に聞き入れたりはしないようにしましょう。
 
小5は、「親の、その子への愛」「ちゃんと自分のことを認めてくれる」と子供が感じること次第でがんばりが変わってくる一番大変な時期ではあります。
 
それが小6になってくると、小5で愛を感じ取った子供は心身ともに成長してくるので、「これまでがんばったんだから、受かりたい!」という気持ちに変わってきます。
親がちょっと押すだけで、自ら頑張るようになるので、そのときは、子供に必要以上のプレッシャーは与えず、怠けてたら一喝し、あとは、不安な気持ちを取り除いてあげるようにした方がよいかもしれません。
 
怒ってばかりじゃ、やる気はなくなります。
しかし、必要以上に褒める必要もないです。
 
何をしたら自分はほめられるか、が明確にわかるように接し、その子がその誉められる域に達したら、その子の力は評価してあげてほしいです。
また、良かろうと悪かろうと(ほめられる域に達していようとなかろうと)、その子を愛してるよ、ということも子供に伝わるとよいと思います。
 
私たち教師も、平等な評価をするようにしていますし、誉めるべきところは誉めていますし、子供1人1人を大切にはしています。
しかし、子供たちが一番ほしいのは、親からの愛情、です。
それは私たち教師からは絶対に生徒にあげられないものです。
 
ですので、もし、「子供にやる気が感じられない」という方で困った方がいらっしゃったら、このようなことを実践してみるのも1つの手かもしれません。
 
また、社会人で同じようなケースで困っている方がいらっしゃったら、「あの人にほめられることはあきらめよう。」「あの人に認められなくてもいいや!」という気持ちの切り替えをすると、すっとするかもしれません。

場所によって変える勉強アイテム&勉強方法

2009年11月19日 13時47分46秒 | 勉強方法について

最近は、突然寒くなりましたね。

寒くなったからと言って、バリバリの冬服を着ると、電車内や室内は暑くて、逆に汗を書いてしまうことってあります。

このような微妙な時期だと、脱ぎ着しやすい上着やマフラーや帽子などの小さなアイテムを使って、場所に合わせて温度調整をすると良いですよね♪

少し違うケースになってしまいますが、勉強でも、小さなアイテム(勉強方法)をその場に応じて使い分けることって大切だと思います。

 

たとえば、辞書。

予習をしたりテスト勉強をじっくりするときは、紙のしっかりした辞書を使います。

(その方が、一度にいろいろな情報が見ることができ、成績があがります。)

しかし、公開模試会場の休み時間に突然忘れたことを調べたいとか、塾や学校の授業でちょっと調べたいときに、紙の辞書を持っていくのは重いです。

そのときは電子辞書の方が良いでしょう。しかも電子辞書は英和・和英・現代語・古語などが一気に入っていることが多いので、どんなときにも対応しやすいです。

また、単語を覚える際に市販の単語を記した本を高校生は使うことが多いと思います。これだけは、コンパクトサイズなので、どんなときでもかばんに入れて、移動中に読んで意味を覚え、家で綴りまで書けるか確認すると効率がよかったりも。

社会も、理解するのは机に参考書や教科書などを開いて行って、細かい単語などの暗記はバスや電車内でやるのも、ひとつの手です。

ただし、移動時間が長い場合にしか使えませんが・・。

ずっと、机に向かって一人でたんたんと単語や社会用語を覚えるのは苦痛だったりもするので。(もちろん、机に向かってするのが苦痛じゃなければ、ずっと机で勉強をお勧めします。)

このように、場所によって勉強アイテムや勉強方法を変えるのも、1つの効率の良い勉強方法だと思います。


マニュアル本と実録まんが

2009年11月17日 22時44分39秒 | 教育について考える
未体験のことを初めてやることになり、それを成功させたいけど、不安でたまらないということってあると思います。

たとえば、受験だったり、恋愛(異性とつきあう)だったり結婚や出産だったりと。

マニュアル本などを読むことは良いことだと思いますが、「こうするとうまくいった」という記事を読んで「私はこのケースに当てはまらないからだめかも?」と完全否定したり、「こういう失敗・悲劇もあった」という記事を読んで、「100%うまくいかないから、私はだめかも」などと自信をなくしたりする人がいます。
(ちなみに私もその一人です)

確かに、100%成功ということはないですし、成功例を参考にすることは良いとは思います。失敗例(やむおえずの悲劇の結果の例)は、気をゆるめないためと、参考にする程度で、悲観する必要はありません。


私は、最近はこういうマニュアル本を読んで不安になるときは、実録マンガ系の本を併用するようにしています。

実録まんがは、不安な心を描いていたり、よくある失敗談も描いてあり、現実感をおびているので、「みんな不安だったんだ」とか「こんな失敗しても、なんとかはなるのか!」とか「私だけが不幸じゃなかったんだ」と安心できます。

マニュアル本は正しいことを言っているので、教科書や辞書として、実録マンガ本は現実的なので問題集みたいな気分で活用しています。

受験についての実録マンガがあまりないので、いつか私なりに下手でも描けたらなぁと思ったりもしてます

塾講師四コマ⑥

2009年11月11日 15時06分42秒 | 自家製 塾講師四コママンガ

今日は久々に塾講師四コマです。

たぶん、これは塾講師という職業をしていなくても、経験したことがある人もいるかもしれません(笑)

目をそらしたのは、生徒たちのせいいっぱいの気遣いだったのでしょう(笑)

 


歴史模擬授業(第8回 弥生時代)④

2009年11月06日 16時39分40秒 | 歴史☆模擬授業
歴史模擬授業の弥生時代のまとめノートです。
ご参考にどうぞ♪

今回は書くことが多くなっていまい、大きくなってしまい申し訳ありません。

模擬授業ですが、わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方は申し訳ありません。

歴史模擬授業(第8回 弥生時代)③

2009年11月06日 16時38分42秒 | 歴史☆模擬授業
歴史模擬授業の弥生時代の生活の史料イラストです。
ご参考にどうぞ♪

模擬授業ですが、わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方は申し訳ありません。

歴史模擬授業(第8回 弥生時代)②

2009年11月06日 16時38分08秒 | 歴史☆模擬授業

弥生時代の歴史授業です。 

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キンコーンカンコーン

「こんにちわ。今日は弥生時代をやるわよ!弥生時代は紀元前4世紀ごろから紀元後3世紀までの時期なんだけど・・。」

「うわ、長っ!」

「約600年間の歴史かぁ。」

「長いよね~。そして、この弥生時代こそが、今の日本の転機となる重要な時代なの。」

「そうなんだ。」

「その転機をもたらした重要なものとは、稲作つまり米作りの技術。」

「へ?それがそんなに重要なの?」

「うんそうなの。ちなみに稲作は、中国や朝鮮半島に住んでいた人が日本に来て、伝えたそうよ。いつごろ伝わったかは、いろいろな説があるけれど、有力なのは縄文時代の末期あたりみたい。そのころの時代の水田の跡が発掘されているからね。さて、では突然復習です。縄文時代の人たちはどのようにsて食べモノを得ていたっけ?」

「狩りと採集だったよね。」

「そうそう。じゃあ、狩りは動物を狩ることだけど、動物って動くよね?」

「うん、動く。あ、そっか、動物を追いかけて、そのまま場所を移動することもあるよね。」

「木の実を採集するのでも、季節によって、とれるものが違うから、場所を移るね。」

「そうなんだよね。だから、ある程度は同じ場所に住むけど、食料が得られなくなったら移動することだってあるわけだよ。」

「・・ということは・・弥生時代のころは、稲をつくるようになったということは・・、毎年同じ場所で稲をつくるから、あまり移動しなくなるのね!」

「そういうこと!安定して米などの食べモノが得られるようになったので、みんな同じ場所にずっと住み始める(定住しは始める)ことになるのよ。」

「でも、それが何で、転換期なの?」

「みんな、もしずっと同じ場所に住んでいたらどうなると思う?たとえば、今さ、塾に来て、授業が終わったら帰るみたいな生活だと、自分の座っている机が少しぐらい汚れていたりしても気にしないよね。でも、この塾にずっとみんなと住んでいくとしたら、自分だけの机が汚かったらどう感じる?」

「めっちゃ嫌!とりかえてもらう!」

「だよね。じゃあ、とりかえはできなくて、そこにある机だけで我慢してください、と言われたら。」

「がまんする。」

「あら、良い子だね♪」

「ぼくは許せない。だって、他の子の机はきれいなんだよね!ぼくだったら、他の子と戦って机を奪う!」

「あらあら、過激ね。でも、そういう気持ちになる人もいるよね。弥生時代の人々もそうだったのね。」

「え?弥生時代にも机はあったの?」

「はむクン、たぶん、机はたとえだと思うよ。机は、田畑とか土地とかの自分の住んでいるところの土地のことを表わしているんだよね。つまり、弥生時代に定住生活をし始めたら、少しでも良い土地を得ようとして、みんな戦い始めたってことなのかな?」

「よく気がついたね!そうなのよ!戦争が始まるんだよね。では、詳しく説明していくね。

定住生活をしていくうちに、安定して食糧を得られるようになったので人口も増えていったのよ。そのうちに、まつりごと(祭事)が上手だった人がみんなをまとめるようになったの。つまり、指導者が現れたってこと。指導者というのは、王さまなどね。このように、指導者とそれに従うものという政治的まとまりができたので、そのまとまりを「むら」と言います。そして、「むら」同士が土地などをめぐって、戦いを始めたの。大きな「むら」のまわりには堀をめぐらして、くいを立てて、敵が入ってこないにしたの。さらに、物見櫓(ものみやぐら)という遠くまで見渡せる高い建物を建てて、まわりを見はっていたそうよ。」

「かなりシビアな時代だったんだ・・弥生時代。」

「何度も戦いを繰り返していくうちに、力のつよい「むら」に弱い「むら」たちが従うようになったの。このように、強い「むら」に弱い「むら」がしたがって、1つの大きな政治的まとまりをもつ「くに」という集合体が誕生したのよ。」

「へえ。「くに」って「国」ってこと?日本国が誕生したってこと?」

「ううん。まだ、今の日本国までの領土は広がっていないみたい。いまの日本国の領土は明治時代にできたんだ。正確に、どこまで従えていたのかは不明だけど、今の県ぐらいから大きくて地方ぐらいの規模だと思えばよいかな?」

「そうなんだ。」

「有名なくにを二つ挙げておくね。1つは、1世紀ごろに北九州あたりに「奴国(なこく)」というくにがあったのがわかっているわ。」

「なんで、「奴国」っていう国があるってわかったの?そんな昔の時代だから、本とかないよね?」

「よく気がついたね。日本にはないんだよ、本は。でも、中国はとても当時発展していて、本がもう存在していて、自分の国のまわりの国の様子なども書いていたの。

当時の中国は漢という王朝だったんだよね。」

「漢!そういえば習ったね。日本の歴史と言っても世界につながっているんだね~。」

「その漢が歴史書「漢書地理志(かんじょちりし)」に、紀元前1世紀ごろに100あまりのくにが日本にあったと書いてあって、さらに「後漢書東夷伝」には、紀元後1世紀ごろに奴国の王が後漢(漢は新という王朝を挟んで、存在しているので、新以前の漢を前漢もしくは単に漢と言い、新のあとの漢を後漢という)にみつぎものを送って、かわりに皇帝からは金印というスタンプをもらった、という記述があったのよ。」

「なんでスタンプ?」

「中国が、「君を王と認めたよ~!その証明印をあげるね。そのかわりに、中国には従ってもらうから、貢物などよろしくね!」という意味で金印を各国の王にプレゼントするの。そして、金印をもらった王は「おれはあの中国皇帝に認められた王だぞ!この金印がその証明だ!だから、私に従いなさい。」ということもできるわけ。(正確には、いろいろな政治的な面があるので、一概には言えません。こちらではわかりやすくするためにこのように説明しています。)」

「へえ~。漢という強大な国が後ろに控えているのだから、強きにでれるものね。」

「そういうこと。ちなみに、その金印には国王の名前(名字という名前でなく、役職名のようなもの)が掘ってあって、その文字は「漢委奴国王(かん の わ の な の こくおう)」です。また、この金印が実際に江戸時代には発掘されたのよ。発掘された場所は、福岡県の志賀島(しかのじま)です。」

「中国の本に書いてあった金印が、実際に見つかったから、信憑性が高いね!」

「そうなんだよね。では、次に3世紀ごろにあったくにについて。有名だから、知っている子もいるかも?」

「私、知っている!邪馬台国?!」

「正解!邪馬台国(やまたいこく)だね。当時争いがたえなかったから、邪馬台国の女王卑弥呼を王にしてやっとおさまったそうよ。邪馬台国の卑弥呼は、いわゆるシャーマンで、まじないなどの力を用いて、30ほどの国々を従えていたと言われています。また、奴国王同様、当時の中国の王朝の1つ魏(ぎ)に使いを送って、金印(や銅鏡100枚)をもらっています。」

「魏(ぎ)って知ってる!ぼく、映画の「レッドクリフ」見たから知っている!」

「良いことだね。映画を見るとイメージわきそうだよね。(レッドクリフは創作も多いけど・・)」

「でも、レッドクリフのころの魏ってすごい進んでいた気が・・。当時、中国ってすごかったんだなぁ。」

「当時は世界の中で、もっとも最先端の国の1つだったのよ、中国は。だから、まわりのくにの国王は、こぞって中国に使いをおくったんだよね。」

「ねえねえ、そういえば、邪馬台国ってどこにあったの?」

「それがなぞなんだよね。邪馬台国について書いてあるのは中国の文書で邪馬台国の位置を考えると、海の中などになっちゃうんだよね。今のところは、有力なのは、北九州もしくは大和(奈良)にあったのではないか?と言われているんだよね。」

「200年ほど前に奴国が北九州にあったから、そのまま北九州でくにが大きくなったということなのかな?でもなんで奈良の説が?」

「たぶん、弥生時代の次の古墳時代の大和王朝が奈良にあったからだよね?それに、奈良には古墳(王族・豪族の大きなお墓)がたくさんあって、その中に卑弥呼の古墳かも?と言われているものがあるからなんだよね。銅鏡などが一緒に埋葬されていたりするから。でも、それも決定打ではないみたい。テレビでそういうワイドショーを見た記憶があるんだ。」

「ねこちゃんの言うとおりだね。北九州でもおおきな遺跡が発見されたりと、

今のところどちらとも言えないんだよね。だから、君たちが大人になったときに、わかると良いね♪ちなみに今は四国説もあったりもするけど、教科書では四国説は載っていないから、テストでは北九州か大和(奈良)って書いてね。」

 「はーい」

「そして邪馬台国について記した文書についてですが、「魏志」という歴史書があって、その中の倭人伝に邪馬台国についての記述があるそうよ。ちなみに、略して「魏志倭人伝」とカッコを1くくりにする人がいますが、正式には「魏志」倭人伝となります。」

「ここまでは、大きく歴史の流れをやっていったんだけど、細かいことを言っていないので、前に戻って説明するね。」

「最初に稲作のことについて。稲作は、当時は自動の機械なんてないから、すべて道具を使った手作業になるんだよね。たとえば、稲狩りをするときは、石包丁というものをつかって、ぎこぎこと稲の穂先を切っていったの。そして、脱穀(米と穂を分けること)をして、倉庫に保管するんだ。その保管する倉庫を「高床倉庫」もしくは「高床式倉庫」と言います。」

「むかしは大変だったんだね。」

「脱穀の様子などは、青銅器製の銅鐸(どうたく)の柄にも描かれいるんだ。銅鐸っていうのは、米などが実りますように、という祈りのこめて祭りなどに使用する鈴や鐘みたいなものね。」

「へえ、祭りで銅鐸を鳴らすんだ。たしかに、今でも、お寺の鐘の音を聞くと、荘厳な感じするし、神様(仏様)と交流している感じになるよね。神社の巫女さんの舞でも、鈴を鳴らすし、こちらもいかにも祭りらしいものね。」

「では、話は少しかわるけど、大陸からは稲作の技術以外も伝わってきたんだ。たとえば、さっき言った青銅器や鉄器など。青銅器は、銅鐸とか銅鏡などの神との儀式(まつり)や指導者の地位の高さを表わす道具として使ったそうよ。鉄器は、武器や木のすきやくわを作るときの道具に使われたんだ。」

 「鉄はするどいものね。青銅器よりも進化した金属みたい。・・もしかして、鉄器という殺傷能力が高いものが日本に入ってきたから、戦争をしやすくなったのかも?と感じたよ。こわっ」

「するどい指摘ね。たしかに、戦争のきっかけは領土争いだったけれど、鉄器がそのヒートアップに手をかしたかもしれないね。」

「進化した道具は便利だけど、使い方によっては悲劇をうみやすいのね。」

「そうなんだよね。いくら良い道具があっても、それを使う人間次第では怖いことがおこる。だから、同じような悲劇をくりかえさないためにも、いくらすべて機械できる世の中に生きている私たちは歴史を学んで、理性で戦争という悲劇をうむのを止めなければならないんだよね。」

「うん!歴史を学ぶことは、より良い未来をつくることなんだね。」

「そう!そういってもらえると、とーってもうれしい!みんなで明るい未来をつくっていこうね!」

「はい!」

「それでは最後に、弥生時代の遺跡を2つ。一つは佐賀県の吉野ヶ里遺跡。もう一つは静岡県の登呂遺跡。吉野ヶ里遺跡は、遺跡が復元されていて、大きな公園になっているのでかなり見ごたえがあるそうよ。一度、よかったら行ってみてね!」

「いってみた~い!」

「では、これで弥生時代は終了!みなさま、おつかれさま!今度は古墳時代をやるわね。では起立!」

「ありがとうございました!」

 キンコーンカンコーン

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