社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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私はなぜ社会科塾講師になったのか?番外編 「能楽が好きになったきっかけ」

2013年09月23日 22時42分50秒 | 私自身のヒストリー

更新がしばらく滞ってしまって,失礼いたしました。ちょっと風邪をひいていました・・。

 

なぜ私は社会科塾講師になったかシリーズ」は前回の26回で終了しましたが,

今回は番外編でその後の塾講師生活を支えてくれた内容にあたる部分を書きたいと思います。

 

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

番外編  能楽がやっと好きになった! 

 

 大学4年の春に社会科&英語科」の塾講師に就職することが決まりました。

 

今回は,その時期から大学4年の秋での部活(能楽部)のお話です。

 

以前,このシリーズでお話したように,

私は自分の専門科目である「日本文化」を好きになろう,「友達」をつくろう!という目的のもと

能楽部」に入りましたが,どうしても当時「能楽」のよさがわからず,何度も辞めようとしました。

しかし,大切な友人の存在に気づき,大学3年からは部活は続けることを決意し,がんばりました。

 

・・ただ,大学3年の冬の発表会の申し合わせ(リハーサル)で失敗してしまって,

自分の能楽に対する能力のなさに痛感するともに,どうしても「能楽」を愛せない自分が嫌になりました

 

それで,大学4年になり,部長(主幹)の任務を降りたあとは,就職活動の忙しさもあり,ほとんど部活に顔を出さなくなりました。

 

「でも,まあ,私なんていない方が新入生にもいいかもしれない,」と思って,就職が決まってからも

何か理由をつけて,部活を休んでました。

 

・・しかし,部員から,ある衝撃的な事実を聞きました。

 

「誰も入部してこない!」と。

 

毎年,2~3人は新入生が入っていた我が部活。

こういう状態はここ数年ありませんでした。

 

そのとき「私のせいかも」という罪悪感が・・。

 

「能楽を愛していない私が去年,部長(主幹)をしたために,部活に魅力がなくなったのかも?

 冬の発表会での失敗(←当日は大きな失敗でなかったですが・・)が原因かも?」と。

 

今から考えると,当時高校3年,もしくは浪人生の子が発表会を観ているわけでもないし,

彼らの入学前の部活の状態なんてよほどの事件性がおきないかぎり,誰も知らないのですが・・。

 

ただ,当時の私には,自分の責任だと思っていました。

 

夏休みに突入しても,新入生は入りませんでした。

 

・・それで,せめて,秋学期に1年生に部活の存在をアピールし

もし今年はダメでも,来年,大学2年生から入ってくれても,

という想いで,何かしよう!と思いました。

 

部活のHPをリニューアルしよう

そして秋に部活の存在をアピールする絶好の機会は

秋の「学園祭(学祭)」しかない!と。

 

 

 

そこで,今まで,能楽部は,学祭で,ただ舞台で発表するだけでしたが,

学祭はほとんど能楽を観たことがない方がお客様なので,

能楽初心者にわかりやすい発表の形式に変更しよう!と決心。

 

部員さんたちに,私の考えを話したら,それでやってみよう!ということになり,

夏休みの練習日の練習時間1時間前に毎回話をすることにしました。

 

実は,春の教育実習で,私は「全くダメな人間で,リーダーシップもとれない弱い先生」と酷評されました。

(今,思うと,そんなことはなかったのですが・・,まあ,色々ありまして・・。)

なので,「私はリーダーシップをとれる人間だ」という立証もしたくて,

何か新しいことを実現し,成し遂げたい,という気持ちもありました。

 

 

・・・ということで,部員さんたちと試行錯誤しながら,

それぞれの演目の発表前に解説をし,

能楽初心者向けのパンフレットを作成してお客様や通行者に配る,という形になりました。

 

パンフレット作成は,なかなかみんなの意見が合わず,ケンカをしたり,大変でした。

でも,なんとか最後に1つのパンフレットになり,お渡しした方々にもおおむね好評でした。

 

新入生は,秋学期が始まったら,4人入ってくれました(当初)。

その中で,私がリニューアルしたHPを見て,入部してくれた子もいたので嬉しかったです。

 

 

結果的には学祭により入部した子はいなかったですが,

学祭でのがんばりは,それ以後の私に大きな変化をもたらしてくれたのです

 

 

 

 

実は,解説文やパンフレットを作成するまでは,

能楽やその演目について,ある程度,本を読んで勉強はしていましたが,

とりあえず,発表で困らない程度の勉強,という投げやりな形の勉強方法でした。

 

しかし,能楽を全く知らない人向けに解説をする,解説の文を作成するには,

「どうしたら,わかりやすく,そして能楽の楽しさを伝えられるか?」

という今までは違う視点で勉強することになります。

 

そういうえる(伝える)」視点で「能楽」を見たことは今までありませんでした。

でも,「教える(伝える)」視点で能楽を勉強したら,

なぜか,

スイスイ頭に入ってくるし,すっごく面白く感じるんです

 

しかも,既存の写真は肖像権の関係などもありますし,能楽の自由に使えるイラストも当時は見当たらなかったので

パンフレットでの挿絵はすべて,自分たちで絵を描こう,ということになりました。

私も何点か挿絵を描くことに

 

人様に見せるのだから,とても丁寧に描かなければ!という気合いも入り,

自分もびっくりするほどの出来になりました

たとえば,下の絵(↓)など。

 

絵を描くときは,

その絵の題材や人物のことをよく知り,どんな心理状態なのか知らないと上手に描けません。

 

だから,さらに能楽のことを勉強します。

 

勉強すればするほど,うまく絵が描ける。

だから,もっと勉強する。

絵が描けるから,とっても嬉しい。

 

今まで,「私という存在が描いたと言った絵」はすべて評価されませんでした。

だから,長い間,私は,私なんかの絵を人様に見せたら不快にさせる,と思い込んでました。

・・でも,そうじゃないかも?と感じてきたのです。

 

・・そういう風に,

「人に教える(伝える)」

「人に見せる」

ことを考えて能楽に接する,ということを

初めて行ったら,

私はやっと「能楽」の楽しさがわかり

好きになりました。

 

能楽が好きになると,

発表会の練習も楽しくなり,

最後の発表の際は自分の満足のいく出来でした。

 

 

これでハッキリしたことなのですが,

私は「人に教える(伝える)」ことが好きで,

とくに文章で何かを

教えるような内容を書くのが好きで,

また,

「ずっと,私は人に自分の絵を見せたかった」 

ことに気が付きました。

 

それ以後,

好きになりたい分野は「教える」という視点に立つことにしています

そうするとすんなり勉強でき,好きになれます。

 

 

また,入門書や参考書や問題集をつくり,そこに自分の絵を添えることも好き,ということを自覚したので,

そういう冊子を自分独自で作って生徒に配布するようになりました。

 

自主制作冊子はおおむね好評で,

「先生のつくった冊子が入試勉強ですごく役にたったので,今度受験生になる妹に渡したよ!これは先祖代々(?)伝える文書だ(笑)。」

とまで言ってくれる生徒さんもいて,すっごくうれしかったです。

 

今までに,

 

能楽初心者向け冊子,

歴史用語漢字練習帳,

歴史用語辞典(小中高生向け),

文化史まるわかりブック

歴史模擬授業「しゃかりき!」

 

の5つの冊子を自主作成しました。

(上の写真は,歴史模擬授業「しゃかりき!」)

他にも,地理の工業地帯についての勉強用に,全部手書きで地図を書いてプリントしたり,

歴史用語がどの時代のものか?などのチェック表,一問一答様式の問題集,なども作成して配りました。

 

いつか,自主制作した冊子を,

再編集して,コミケなどで販売できたらいいな,

という夢があります。

さらに,「マンガで歴史を勉強できる」冊子も

つくりたく,現在,プロットを練っています。

 

 

塾講師は大学3年からバイトで始め,

正社員を含め,約10年やりました。

 

娘の出産と担当生徒さんの卒業を機に,

現在は育児に専念することになり,

塾講師の世界から離れてしまった私。

 

でも,勉強冊子という趣味に,大学4年のあのパンフレット作成で気づいたおかげで,

今でも大好きな勉強の世界から離れることにならなくて助かっています。

こちらのブログを書くのも楽しいです。

 

ちなみに,学祭の際にパンフレット作成の際に描いた能楽のイラストを元に,

それ以後,新しいイラストもアップし,自由に能楽イラストが使えるHPを作成しました。

「のうてんきNEO」というHPです。まじめなイラストからポップなイラスト,演目別イラストもあります。

もしよろしければ見て頂けるとうれしいです。

アドレスはこちら。「のうてんきNEO」http://www.geocities.jp/enraku22/

 

 

 

 

以上で,「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」シリーズは終了します。

 

しばらくは,また単発の記事を書きつつ,「新☆歴史模擬授業」の続きを書いていきたい,と思っております。

 

ではでは,長い間,このシリーズをご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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私はなぜ社会科塾講師になったのか?第26回 「学校の先生でなく塾の講師に」

2013年09月10日 22時31分57秒 | 私自身のヒストリー

しばらく更新に間があいてしまい申し訳ありませんでした。

ついに,「塾講師になったのか?」シリーズの本編最終回です。 

 

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第26回  大学時代10 

 

今回は,大学3年後期~4年のお話。ついにクライマックスが近づいてまいりました!

 

 

私は,大学3年の秋くらいまでは,中学校の先生になることしか頭にありませんでした

(他の就職活動もする予定で,第一志望は学校の教員,という意味)

 

なぜ,高校でなく中学の先生がいいか?と言うと,

中学時代は,私の人生の中で勉強ができるようになって,

それまで「劣等生」とまわりに評価されていた私が,一気に「優等生」と見られるようになった,

一番,「勉強」に感謝した時代だったからです。

「一人でも,勉強の楽しさを伝えたい。そのためには,中学の勉強が一番だと思う。」と。

 

 

しかし,大学3年の冬から,就職活動を始めると,教育業界というものが存在することに気が付きました

なぜ,それまできがつかなかったのでしょう!?

 

 塾講師という就職先があるということを! 

 

 

しかも,募集要項を見ると,

1科目1教師,という学校のような形態でもないし,

教員免許も取得していなくても良い,と。

 

文系科目では

社会科国語科 の教師」

もしくは

国語科英語科 の教師」

もしくは

社会科英語科 の教師」の3つがありました。

 

(塾によって,募集する科目の組み合わせが違っていました。)

 

「『社会科』の教員免許を取得できるかは現時点(大学3年)ではわからない

だから大学4年の7月の教員採用試験は『国語』を受けざるおえない。もし運よく受かったら,私は一生『国語』の教師。

(でも,99%落ちるだろう。なぜなら,『国語』に対して情熱もないような私が,到底勉強する気持ちにもなれないだろうし,

面接まで進めたとしても,情熱がないのが試験官にばれてしまうから・・。)

 

でも,塾講師だったら,『社会科』の先生になれる!そう『社会科』を教えられるんだよ

しかも,『国語』を教えなくてもいいのかもしれない!

 

運よく「社会科英語科教師」になれたら,私の好きな2つの科目になるじゃないか

 

高校3年までは英文科に進むつもりだった私。

大学入学時点で,『英語』の教師になるのは完全にあきらめてた。

 

・・・でも,もしかしたら,

高校であきらめた夢(英語の先生になる)と,

現在の夢(社会の先生になる)の2つの夢が

同時にかなえられるかもしれない!」と。

 

 

それで,3~5月(大学3年~大学4年)に塾の正社員採用試験をたくさん受けました。

 

そうしたら,2つの塾に合格。

 

1つの塾は「社会科国語科 教師」で中学生の授業担当の塾。

 

もう1つの塾は「社会科英語科 教師」で,小・中学生の授業担当の塾。

 

 

どちらにしようか迷いました。

 

悩み抜いた結果,「社会英語」という2つの夢がかなえられる方を選びました。

 

当時の私は「国語」に嫌悪感を抱いていました。(今は違います。)

就職活動を始める直前の,能楽部の冬の発表会で,自分の能力のなさを痛感し,

「やはり,嫌いなもの(当時)を無理やり頑張っても,結果は得られないな。好きなものなら失敗しても平気だけど,

嫌いもので失敗すると,すっごく辛い!」と。

(発表会そのものはそんなに失敗ではなかったのですが,申し合わせ(リハーサル)で大きな失敗をしてしまったので。)

 

だから,嫌いな「国語」を教えることは大変だ。

 

「好きな社会や英語で失敗してもがんばれる!

 でも,国語で失敗したら,すぐに塾講師を辞めたくなるだろう。」と。

 

 

 

「社会科&英語科の塾講師」として採用して頂けた塾に決めたけれど,

7月の教員採用試験を受けることも可能でした。

 

国語でなく社会の学校の先生になりたいなら,ひとまず塾に就職して,

翌年に,教員採用試験を受けることも手です。

 

 

・・しかし,私は考えました。

 

「学校の先生が,私に何をしてくれた?

 

小学校の先生は,私の絵をまったく評価してくれなかった。私を『馬鹿なおかしい子』とみなし,

私がいじめにあっても,まったく私のことを信じなかった。

 

中学の先生は,私を評価してくれた人もいた。授業もおもしろい人もいた。

・・ただ,私にとっては合わない先生も多くいた。

「教科書さえ読めばわかる」,と言って授業は自分の自慢や独自すぎる授業をし,

入試のことを全く考えないような自分勝手なテストを出した先生,

単純暗記の方法ばかり教え,論理立てて説明すればわかる内容を無視した先生などもいました。

 

(高校の先生はわかりやすくて良い先生が多かったですが。)」

 

学校の先生が悪い,とは言っていません。

 

・・ただ,私自身には,学校の先生には良い思い出は,あまりなかった。

 

 

それでも,生徒の立場のときは,それでも良かった。

なぜなら,好きな先生もいたので,その先生の授業は楽しめたし,

卒業してしまえば,嫌な先生ともお別れできる。

 

しかし,自分が学校の先生になったら?

嫌な先生とも,一緒の空間で過ごさなきゃいけない。

あの時,私を苦しめたタイプの先生が上司だったら,その人に従わなきゃいけない?ことになる。

 

また,決定打だったのが,教育実習での経験。

詳しいことは言えませんが,自分としてすっごく許せない出来事がありました。

信頼していた人に裏切られた・・というか,失望する出来事があったというか,何というか・・。 

 

 

万が一,教師間でのいじめなどにあって,同一県内で『学校の先生』から別の『学校の先生』に転職するのはほぼ不可能な気がする・・。

(なにせ,1つの県に1つの教育委員会,1つの市に1つの教育委員会なので・・。

私立も数が限られますし・・・。私は私立中出身でもないし。)

 

 

その点,塾は転職しやすい。1つの地区にいくつも塾はある。塾同士のつながりもない。

 

それに,私が『勉強そのものを楽しい!』と思ったのは,塾の授業だった

 

「学校と違って体育とか音楽などの集団でやらざる負えない勉強が塾にはない。

毎日,同じ人間と,しかも地元の人たちとの人間関係を気にしなきゃいけない学校生活は私にはつらかった。

私が通っていた塾はその点,同じ地域の子でなく,同じ学力レベルの子たちと同じクラスになり,

人間関係を学校ほど気にせず,自分がひたすら頑張ればよかった。

他人のレベルや価値観を苦慮して,自分のレベルを隠したりしなくてよく,全力投球できるのがよかった・・。」

 

人によっては,「学校の方が良い」とか「塾はいけない」と言う人もいるけど,

「私にとっては塾が唯一の心のよりどころ」だったときがあったのです

 

塾は「勉強するところ」であり,その勉強が大好きだった私。

 

 

・・ということで,私は,教員採用試験を受けないことを決意しました。

 

 

『社会』を教えたい,

『塾』が好きだった自分がいた,に気がついたのです。

 

 

また,教員採用試験を受けない,と決めたもう1つの理由は,「眠りたい」という気持ちもありました。

 

先述したとおり,

大学での学科は「日本文化学科」なので国語が専門科目になる私が,「社会」を教えたいと思い始め,

大学3年のときに,「国語」だけでなく「社会」の講義を取り,大学の授業は最大限に授業を受けました。

また,部活では部長(主幹)をつとめ,部活の発表会でもメインの役(シテワキと地頭)をし,

さらに塾のバイトもし・・,と。さらに就職活動もして・・。

睡眠時間8時間とらないと体調を崩す私が,大学3~4年のときは,睡眠時間は4時間くらいになることは大半でした。

日曜に18時間寝たりして埋め合わせをしていました。

 

絶対に学校の先生になりたい!という気持ちがあれば,それでもがんばったでしょう。

 

でも,「塾では社会の先生になれる」「自分は学校の先生に対し,とりわけて良い思い出がない!」と気がついた時点で,

教員採用試験の勉強する時間は「睡眠」に当てたい!と思ったのです。

 

とにかく,眠たかった・・。ああ,眠たかった・・。

 

先述した大学受験のときと一緒ですね。(笑)

 

 

母に,「教員試験を受けない」と言ったとき,反対されました

母は「学校の先生になったあとで,塾の先生になってもいいでしょ。」

「また,塾講師になったときに,学校の先生の経験者だと言うと信用する人もいる」と言いました。

 

母が言っていることは正しいと思いました。

 

・・・でも,どうしても私は今すぐ「社会」が教えたかった

そして,眠たかった・・。

 

仮に,学校の先生になる,としたら,

 

これから教員採用試験の勉強,そして,試験後は車の免許をとるために自動車学校と卒業論文の制作,

そして合格できたら学校に勤める・・,となると,

睡眠時間がこれから仕事を辞めるまで確保できないじゃん!と。

(まあ,そんな姿勢では試験に合格できるはずないですが・・)

 

 

母にどんなに怒られても,その姿勢をガンとして変えなかったので,母が折れてくれました

 

・・ということで

『社会』と『塾』『睡眠』への愛により,私は「社会科塾講師」になりました

 

 

小学校でのいじめと絵の評価の低さで苦しみ,

中学校での勉強の楽しさと塾の楽しさを知り,

大学で「社会」を愛するようになったこと,

の人生が,私を「社会科塾講師」の世界に導いたのでしょう。

 

 

 

 

これで,私が「なぜ社会科塾講師になったのか?」シリーズの本編終了です。

長らくご覧頂きありがとうございました!

 

ただ,スピンオフシリーズを少し,書いていこうと思っています。

1つは,大学4年の部活の学祭,のこと。

 

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