SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

CARL PERKINS 「introducing...」

2007年07月06日 | Piano/keyboard

昨日カール・パーキンスのことを話に出したので、彼唯一のリーダー作もここでご紹介しようと思う。
カール・パーキンスといっても「BLUE SUEDE SHOES」を生んだロカビリーの王様といわれた人のことではない。50年代中期にウエストコーストに突然現れたジャズピアニストのことである。
彼は1958年に29才で亡くなっているから、第一線で活躍した期間は実に僅かである。しかしながらその存在は多くのジャズファンの胸の奥に刻み込まれているはずだ。それくらい彼は愛すべき人であった。
それにしても、まさか「introducing」がラストアルバムになるとは誰が予想しただろう。これ以上皮肉なこともない。これが人生というものかと思ってしまう。

一曲目から聞くと、これ以上重いベースもないのではないかと思えるようなリロイ・ヴィネガーのバッキングに乗って、パーキンスのピアノが気持ちよくスイングしていく。一聴するとイーストコースのピアニストのように聞こえるのは、彼のリズム感覚が多分にバップの要素を含んでいるからである。
そうしてみると、もし彼が長生きしていたなら、レッド・ガーランドやウィントン・ケリーのようにさぞかし重宝がられたピアニストになっただろうと想像できる。
しかも彼には作曲能力があった。このアルバムでも4曲のオリジナルを書いている。
そのどれもが軽快にスイングするために書かれたような曲であるが、やや変則的なブルースが原型にあって、彼独特のメロディが全体を引き締める役目を果たしている。

とにかく最もジャズらしい雰囲気のあるピアノトリオを聴きたければこのアルバムをお薦めする。これは最もオーソドックスなピアノトリオスタイルだからだ。決して悪い意味ではない。オーソドックスであることが重要なのだ。

ART PEPPER 「the art of pepper」

2007年07月05日 | Alto Saxophone

ひどいジャケットだ。だが中身は極上、長年の愛聴盤である。
この当時(50年代中期)のアート・ペッパーはどの作品でも輝いているが、これはその中でも群を抜いている。
彼の代表作といわれる「モダン・アート」や「ミーツ・ザ・リズム・セクション」よりも、個人的にはこの作品の方が好きだ。
特にここに収録されている「BEGIN THE BEGUINE」や「SUMMER TIME」は、多くのジャズマンの演奏と比べても1,2を争う出来だと思う。嘘だと思ったら聴いてみるといい。決して大袈裟な話ではないのだ。
彼のどこがいいかを言葉で説明するのは難しい。
もう天才的なひらめきの連続であるアドリヴ展開にはまったく隙がない。高いところから低いところへ流れ落ちたかと思うと、時々魚が跳ねるようにジャンプする。この見事なイントネーションが彼一番の持ち味である。
このアルバムではそんな彼のアルトが全編において堪能できる。これを聴かずしてペッパーのことは語れないといっていい。

もう一人忘れてはいけない存在がいる。カール・パーキンスである。
わずか1枚しかリーダー作を残さずに亡くなった彼のベストプレイがここに収録されている。
リズムに乗って飛び跳ねる彼の強靱な指先は、リアルな録音にも助けられて一層たくましさを感じる。
ペッパーを相手に一歩もひけをとらない彼の堂々としたピアノを聴くにつれ、もっともっと聴きたかったという思いが一層強くなってくる。
この2人の天才が私たちにウエストコーストジャズの楽しさ、明るさ、自由さを教えてくれた。
私はこんな彼らに出会えたことをいつまでも幸せに思うだろう。

THOMAS CLAUSEN 「MY FAVORITE THINGS」

2007年07月04日 | Piano/keyboard

ジャケットを見て、何かいけそうな雰囲気を感じた。
いけそうな感じというのは、自分の趣味に合っていそうだとか、長くつきあっていけそうだとか、そういった所謂「直感」である。一目惚れとまではいかないが、なつかしい旧友に出会った時のような感覚だ。
こういう直感は往々にして当たる。なぜかわからない。わからないが、ジャケットとはそういう存在であるべきだ。
このアルバムジャケットを見てなぜそんな風に感じるのかといえば、カメラマンのセンスが私の感性にフィットしているからだろうと思う。もちろんそんなに大袈裟なことではない、但しいいアルバムジャケットの条件は、まず起用されたカメラマンの存在が大きいことに気がつくべきなのだ。
ジャズを撮ったカメラマンで真っ先に思い出すのは、ウィリアム・クラクストンやフランシス・ウルフだ。
彼らはジャズの音を写真で表現した。まるでそのプレイヤーの内面までが見えるようだった。私たちが有名なジャズプレイヤーに抱いている感情の多くは、そうした優秀なカメラマンの目を通して伝わってきていることに気づかねばならない。
このトーマス・クラウセンの表情からも、彼が何を考え何を表現したいのか、何となくではあるが伝わってくるのである。
だから私はジャズマンのこうしたポートレートが好きなのだ。

さて内容はというと、じっくり何度も味わってかみしめるようなタイプのピアノトリオである。
つまりこれ一曲、というような抜きん出た演奏があるわけではなく、どれもこれも一定水準以上の佳曲に仕上がっているのだ。
強いていえば「ジャスミン」や「ディープ・イン・ユア・ハート」といった曲が、彼の本領発揮といったところか。
トーマス・クラウセンもベテランの域に入った人である。その表情にも表現力が増してきて当然なのかもしれない。

ELLIOT STEGER 「MAKING TIME」

2007年07月03日 | Piano/keyboard

まるで少女のようなピアノだ。
この作品はネット上でさわりの部分を試聴して気に入り、あちこち探したあげく見つけて購入したアルバムだ。
ヘタをするとニューエイジのようなジャンルに行きそうな気配もあるが、ギリギリのところで踏みとどまっている。
これくらい軽快でリズミカルな演奏だとジャズ特有の薄汚れた匂いも消えてしまうが、こってりした黒人ジャズを聴いた後にかけると胸の中が浄化されていく感じがして、それなりに重宝する作品なのだ。

エリオット・スティーガーのような地味なピアニストは、強力なリズム隊と組まないとその存在を誇示することはできない。
ここではJOSH DAVISのベースとJON HAZILLAのドラムスが彼をサポートしている。
こちらも今売り出し中の人たちだが、演奏はというととても個性的でいい味を出している。
特にドラムが叩き出すリズムは、このアルバム一番の聴き所だ。可愛らしさのエスプリはエリオット・スティーガーの高音域でのシングルトーンと、このジョン・ハジラのスネアやタムタムに寄るところが大きい。
それと曲想が最初の一歩からして他とは違っている。所謂ジャズらしくないメロディをあえて取り上げ(或いは創り上げ)、メインストリームなジャズに仕立てているのである。但しポピュラーミュージックのヒット曲をジャズ風にアレンジするのとはちょっと違う。あくまでオリジナルなイメージを大切にしたアルバムなのだ。

このアルバムを聴くと、最近のピアノトリオの人気が理解できる。
これならコテコテのジャズが苦手な人でもすんなりと入っていけるだろう。女性を中心に人気が出そうな予感すらする。
ジャズはもはやマニアのための音楽ではなくなったということだ。