ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

久々に催眠の話 その2

2008年04月05日 00時43分32秒 | 過大な期待(催眠など)
昔を振り返るということで、ネットで「催眠」関連のサイトを巡回した。
O先生やH先生には大変お世話になったことを以前書きましたが、M氏やC.P氏にも非常に楽しい体験をさせてもらった。今でも有り難く思っている。
台湾に渡って療法師を目指していたEさんは今でも元気でいるだろうか。

その有用性については個々人で異なり、また、経験を積むことによって様々な事が解ってくるので、幻滅したこともあったが、総じて言えば、有意義な体験だった。

私の結論はとっくの昔に出ている。
●療法としては、それのみでは、大いに不足もしくは無意味
●芸能としても、理解・経験が進めば楽しめなくなる
●自己啓発には使える部分もありそう。但し、催眠(誘導)の被験者、被施術者が持っていない能力は出てこないので、別途、自己研鑽が必要である。
●性的快楽を楽しむには非常に有効である。但し、元々被験者、被施術者が持っていないものは出てこない、又は、消失してしまうことに特に催眠誘導を試みる者は注意すべきである。嫌な者を無理矢理好きにさせることはできない。

これで終わり。

一番精力的に試したのが今から8年前になり、徐々に離れ始めたのはそれから1~2年後だった。
やってみなければわからないこともある。そうとしか言いようがない。

お金と時間を無駄にしたくなければ、まず、信頼できる人の意見を聞くべきである。資金が潤沢ならば、いろいろと試してみてもよかろう。
物事に取り組むにあたっては、目的を明確にすべきである。そして、自分の期待が過大なものかどうかも審査すべき。
信頼できる人の意見を聞いて、「取り組まない」・「関わらない」と判断するのは
所詮、それだけの目的でしかなかったのだから賢明な判断である。

他人の意見をあっさりと聞き入れてしまう人は、逆に正反対の意見を言う別の信頼できる人が現れたら、あっさりと最初の判断を翻してしまう可能性も強く、どうにも頼りない。
そういう人は一度、軽く痛い目にあってみても良いかもしれぬ。
宣伝が誇大というよりも、自分の期待が大きすぎる場合も多々見受けられる。

全く催眠とは関係無いが、自分も昨年度限りで研究どころか検査ともオサラバとなった。水質検査をしていた時に、とある検査依頼者が「おいしい水かどうか知りたい」「この水が安全かどうか知りたい」と熱心に問うのに閉口した経験がある。

「そのようなことはわかりません。」「あくまでも、検査した項目について、定められた基準内に検査結果が収まるか判定するだけなのです。」と懇切丁寧に説明してもダメだった。水質検査とは「おいしい水」「安全」かどうか判定する為に実施するものと勝手に思いこんでしまって、いかなる説明も受け付けないのである。
検査項目数も多くすればするほど、「安全」である確率は高くなるが、とても、一般的な住民が依頼できるような金額でなくなってしまう(51項目で20万前後?)。

「おいしい」「安全」か完全に判定する。そんなことは人間にはできないのである。可能な限り手を尽くすだけである。

こんなこと言ったら、水質検査を受ける人激減するかもね。。。
しかし、何も調べないのは一番危険だよ。
とにかく、自分が過大な期待・妄想を持っていないか、審査してほしい。
まあ、こんなこと書いても、できない人はできないだろうな。。。。。

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