◯すべて神のおかげと帰す考えに納得できない
おそらく日本人全般や他国人も同感と思うが、イスラム教徒に善行をなした場合(この場合は相手が喜ぶとか何かの助けになる行為)、ほぼ常に「アラーの恩恵が貴方にもありますように」と全て神様のおかげにされて、善行をなした人の思いが無にされたような気持ちになることだ。
これはイスラム教徒の主たる思考なので仕方ない。善行で施しをなす人、される人双方どちらも偉いということはなく、双方アラーの恩恵を受けるために必要なこと、どちらもその機会を得るためのアラーの思し召しと考えるのだから仕方ない。
私の宗教観(というほど大層なものでないけれど)とも相容れない。
善霊が善行をなすために、まあ一応仮定として(私感と多少異なるが)アラーなる神が善霊を通じて現世で善行を施すにしても、同調して受信できる人が居ないとそれは困難である。まず最低条件として善行を厭わず実行できる人間でないといけない。だから、アラーだけでなくその人にも感謝すべきである。
◯現世と来世しか無いキリスト教とイスラム教
正確に言うとキリスト教は現世救済であり、死は一時的な死であり、最後の審判なるもので永遠の死か神の国で生きるのかという選択がある。神の国で復活用の肉体を授かるときが来世として。イスラム教は来世(天国・地獄)で終わりである。さて、生命の源たる「核」については全く説明が無い。我々はどこから来てどこへ行くのかと。
キリスト教信者に聞きたいが、いつイエス・キリストは再誕して神の国を統治してくれるのか。イエスはどのような方法で再誕するのか。