ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

貴乃花VS日本相撲協会

2018年09月28日 04時57分57秒 | スポーツ-格闘技についての感想
もう「退職」か「引退」か選択できずとも、相撲協会から「退会」の意思を明確にしたのだから、「貴乃花」という存在はなくなり、「花田光司」さんになったとして良いのではないか。

双方の言い分が大きく食い違うが、「貴乃花」は思い込みが激しく「対話」「調整」ができない人間であり、「相撲協会」ひいては「日本伝統社会」というものは、透明性に欠け、それゆえ「公益性」の極めて薄いカルト社会であり、"神をも畏れぬ"不遜な社会と私は認識している。

花田光司さんは、貴乃花親方時代の弟子達を信頼する親方にまとめて引き受けてもらうため「引退」にこだわらなくてはならないので、協会が求める「退職」にするにはいかないということだ。「退職」は自己都合になり、要望が通らないという。それも相撲協会に明確な規定があるのか疑わしい。

日本相撲協会は「公益法人」には程遠い伏魔殿であり、組織内権力・勢力が組織内外に幅を利かせる猛獣のような団体である。外部監査、外部からの人材を受け入れて改革すべしと思う。
なかなか改革は上手くいかないと思う。真剣勝負偽装時代のプロレス界(コアなファンには実情は知られていたが)でも「背広組」と「レスラー」は互いにわかりあえない水と油と言われていた。

貴乃花(引退前のことだから)は、弟子の力士が、貴乃花部屋でない他の部屋の横綱・日馬富士による暴行事件を警察に届けたまでは良かったが、あとはからっきし駄目だった。

何がからっきし駄目だったって??

それは貴乃花。"部屋内"での暴行事件の発覚でによって、自ら内閣府の公益認定等委員会に提出した「告発状」を取り下げたから。それもある。しかし、からっきし駄目だったのは「日本の司法」も。

・障害事件を犯した日馬富士が、罰金刑という軽い刑で収まった
・警察内外の政治的配慮、それは白日の下でなされる判断、裁定でなければならないのに、NHKを含む報道でろくな論点解説もされず、貴乃花の非だけあげつらった。

故・小室直樹博士の「数学を使わない数学の講義」(2005年発行)の一説を春先に投稿したが、そこのP119~がまさしく、日本の刑罰、ひいては司法制度の問題を指摘していて、今尚、それが正される見込みもないことを今回の問題でわかった。「裁判所の権限を警察が奪っている」のである。

またまた陰鬱な気分となる私であった。
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