「神州不滅主義者」とか「念力主義者」が日本に多いのは何故なんだろうね。
因果応報説(良い行いが良い結果、悪い行いが悪い結果を生む)が根付いているのはわかるんだが、その良し悪しはどう判断しているんだろうね。
"自分にとって都合が"良い悪いと勝手に置き換えたりしているのかな。
因果応報というのは結果には原因があるということ"だけ"だと思うんだが。
その原因も結果も複数であったり、ただ、それだけの教え、定義だと思っていたんだが。
良い思いが通じると固く信じていて、一体どうしてそんなに呑気なのか。
良い思いでも行動がおかしかったら悪い結果になるし。おかしい行動を採っても、現世では悪い結果に終わってしまったけど、もしかしたら霊界では魂が磨かれて良い結果になるのかもしれないけどさ。霊界があるのかどうかも知らないけど。。。現世で良くなるために思考と行動しなきゃいけないんじゃない。
それにさ、今までの投稿にも触れているけど、「自分を偽っていない」かい。
本当は利権とか名誉とかに欲深いだけなのに、「自分は世のため。人のため。国のため。天皇陛下のため。」とか言っちゃてさ。
そこまででなくても「会社のため。組織のため。」
個人的欲望や願望が理想追求の際に"汚染水のごとく"流入してしまう。
これがキリスト教予定説だと、人の願望や善悪基準はあえなく棄却されて、神の真意は何かと(私はこれも実は妄想パワーと思っているんだが)苦心惨憺して、普遍的価値を追い求める原動力になる。
はるか昔(聖徳太子の頃)は「神州不滅主義者」でも問題なく結果を得ていたのかな。人間の本質的能力が退化したけど、思想、魂の叫びだけは残ってしまったのかね。
もし、そうなら、能力を突然召し上げられてしまった人間はつらいね。
超常能力とやらは一時的に発揮している人も、いつ神様とやら(もっと低級な存在かもしれないが)に能力を召し上げられるかもしれないからご注意を。
病気を治す能力は安倍晋三首相の相談役とかなべおさみさんの知り合いとかにも居たけど、いつまでどこまでそんな能力があったのか。。