ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

ど根性ガエル第2話

2015年07月19日 08時52分18秒 | 芸能についての感想
一気に見てしまった。途中席を外した場面もあったが、日本テレビの無料動画サイトで補完視聴した。

はっきり言おう。前回の感想では保留していた前田敦子さんの「京子」ですが、「不合格」と言わざるを得ない。
「キレる」場面の演技は及第点である評価は変わらないが、だらしないニートである「ひろし」に対する好感・叱咤激励の思いがまったく表現できていない。今の「ひろし」に対しては消えてしまった思いだろうが、心の奥底にまだあるはずのそれらが全く見えてこないのだ。
確かに、「ゴリラパン」のバンを勝手に借用して福島に行ったひろしを、ピョン吉と共に追いかけていく行動において、ひろしをなんとかしたいという思いは映像表現されており、そこそこ演技ができているが、ひろしとの会話では、ひたすら不愉快で不細工なやさぐれ女でしか映らない。

こんな態度の女性を今でも愛している、ひろしやゴリライモの心境まで理解できなくなり、松山氏が懸命に真剣にしている演技までが信じられなくなってしまうのだ。
もっときついことを言うならば、前田敦子さんは、第2話で時折ごく稀にかわいらしい表情を見せるけれども、演技は怒る場面以外はやはり大根丸出しで、芸達者な役者の中で本人だけが浮いてしまうだけでなく、他の役者による演技も若干白けさせてしまう悪影響がある。実はそこそこ演技のカタチになっているからタチが悪い。下手でなく大根なのである。「神は細部に宿る」と言った人がいるが、実体験で鍛えられそこそこ様になっている部分(怒る、キレる、笑みを浮かべるところ等)と、その他の部分に落差があり過ぎて、「京子」を十分に演じているように見えないのである。

ルックスや声質については整形しても限界がありどうしようもないので、本当は言いたいのだが、その面の非難は避ける。彼女にはヒロインを演じさせるべきでないし、演じるべきでない。彼女のヒロイン役はAKBを卒業した時に完全に終わったのだ。さしてとりえもない少女が、「国民的アイドルグループ」のセンターを仲間達と苦闘しながら立派につとめて(本当にそうだったかの真偽はさておいて)、ファンに祝福されながら卒業していく物語は。

彼女は嫌味な女を、特に主役やヒロインの敵役、キレて相手を困らせる役柄のほうが合うのではないか。かわいい役やかっこいい役の素敵な仕事をしたいはずだろうが、そこにAKB48に思いいれの無い視聴者の需要は無い。そのほうが彼女の評価が上がり、彼女が芸能界に入りたて(アキハバラ48と呼んでいた時期)のときに本来もっていたはずの"かわいらしさ"をどこかで表現できると思う。

それとも、今回のドラマでは「京子」はヒロインでないから構わないのかもしれない。それにしても、かつてのクラスのマドンナにして、今でもひろしやゴリライモに愛される女性を演じるには無理があったと言えよう。視聴者、特に漫画もアニメも知っている世代には評判が悪くて当然である。
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