ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

専門家か。。。

2020年02月29日 07時45分11秒 | 日常生活
なんとか週末の休みになだれ込むことができた。
体調不良が続いていることと緊急招集(フロントラインでなく四列目以降のサポートであるが)に備えるため外出は食料品買い等以外最小限にしている。
以下、日常生活で思ったこと

1.専門家
未知の病因物質と直面、対峙するとき、真の専門家というものはまだ存在していない。相手の正体、素性がわからないからだ。なのでウイルス学、微生物学、疫学やその関連学、まあ生物学、免疫学でもある程度理解力を有する者は、調査・研究、実際の処置等を経て「専門家」にクラスチェンジ、レベルアップすることはいくらでも可能だろう。経済活動、人や物の動きを研究する者と相互に連動して、より良い政策、指導を採っていけばよかろう。

最悪なのは政治家だが、対策会議は短時間で後援者や親しい者との会食たっぷり時間をとってというのでは、その地位に就いている価値は無かろう。
「地位、権力のアクセサリィ化」と随分前から私はそう称しているのだが。
既得権益というものを否定する立場では無いが、あまりに無益、却って害になるなら、せめて権力や権限を移譲、いや、地位も剥奪すべきだろう。
既得権益者はそれなりの活躍とか仕事をしてもらいたい。

2.天皇
私は天皇崇拝者でなく天皇尊重者と告げたことはあるが、それは天皇(制)というものがそれが本当に善きものか悪いものがまだ判定できないが、日本国が歴史と知恵をもって築いた敬愛・尊重対象だからである。
私の妄想を語らせてもらうなら、もっと容姿も神々しく、超能力もふんだんに披露して、今回の新型コロナウイルスもあっさり退治してくれて、天からも「麒麟」を授けられるような存在なら、すぐに「崇拝者」に転向して入信しちゃうよ。できれば、ジャニーズ事務所や民主党残党など不届きな組織や中国共産党も解体、南北朝鮮も片付けて欲しい。まあ、ここまでは妄想でも望まないけど。
冷静な話に戻るが、かつての権力者の末裔にすぎず、艱難辛苦を経て人格を磨いた訳でも無い存在にどうして敬意を持たなくてはならないのか、それに皇族でも人格や行動に問題があり、卑しき者に翻弄、世俗への興味に揺らいでいる者も居て、そんな者達を尊重する意味が不明という考えも私は持っていて悩んでもいる(所詮、他人事だからそんなに真剣に悩んでいる訳でもないが。ふふふ。風呂場や便所で思考することはある)
血縁・地縁でなく、キリスト教カトリック協会のように、広く人材を募り、コンクラーベ等で選抜される教皇(法王)のほうが立派で尊重すべき根拠が強いと思うこともある。そんな奴が居るかどうか知らないが、政治的業績や人生の教訓となるべき逸話を数多く残して、人生の酸いも甘いも噛み分けてきた人物のほうが尊敬すべきだ、とか、科学や芸能などの分野で名声をなした者のほうが余程偉いと思ったこともある。

ナポレオンなんかは言うことも憎く「(ナポレオン・)ボナパルト王朝の起源は」と聞かれて「ナポレオン王朝について語る。それほど簡単なことはない。それはパリの街頭から起こった」というのはかっこいいね。

最も有名な名言は「我輩の辞書に不可能という文字はない。(The word impossible is not in my dictionary.)」だが、以下の言葉も大好きだ。
◯人間は、その想像力によって支配される。(The humanrace is governed by its imagination.)
◯敵が間違いを犯している時は、邪魔するな。(Never interrupt your enemy when he is making a mistake.)
◯敵意のある四つの新聞は、千の銃剣よりも恐ろしい。
◯兵法に複雑な策略などはいらない。最も単純なものが最良なのだ。偉大な将軍達が間違いを犯してしまうのは、難しい戦略を立て、賢く振る舞おうとするからだ。

人によっては、宗教に入信せず、過去の英雄について簡単な歴史と名言、「徒然草」(吉田兼好)などの古典の名言を拾い読みして人生に生かしていくほうがよほど有意義と思える。
「幸福の科学」がコロナウイルスの霊査(霊言でなく)なる奇妙な著作を出していると聞いたが、ウイルスを死滅、又は無毒化共存させる方法、それらの時期を発してくれないと、地球の歴史上全ての霊を召喚できる釈迦の転生体の名声が泣こうというものだ。それはわからないのだろうか。

3.指導者(リーダー)
上記でナポレオンのところで触れたが、最も必要な資質は広い視野と現実把握能力、それらに確実に立脚した想像力だと思う。
状況・情勢説明、知識、選択肢は側近や官僚が用意してくれるなら、ある程度の知能があれば、決断力と胆力があれば良いのではないか。
昔流行ったウルトラクイズみたいに、指導者候補者が実際に権力につくまで、政治決断が求められるケースで「◯」「✕」に分かれて最も正解率(良好な結果)を出した者をリーダーにしたほうが良いのではないか、と極論を言いたくもなる。

「有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀にせよ。無能な怠け者は、連絡将校か下級兵士にすべし。無能な働き者は、すぐに銃殺刑に処せ」
このフレーズは「軍事組織論」を端緒に改変されて作られた金言だが、組織に無理な圧力や脅迫的命令など負担をかけず、かつ、合理的で無駄のない命令を下すことができるから、有能な怠け者は司令官にすべきだと私は理解している。だけど、日本の場合は組織優先、特にその和を保つことが優先だから、そのような人物を司令官、リーダーにできるのか、というと大いに疑問である。

そして、司令官、つまりリーダーになる楽しみ、何も経済的利益だけでなく地位に就く精神的恩恵も無いと有能な人ほど望まないだろう。
1億くれても週6日12時間必死に働くのと、1000万しかもらえないけど週4日9時間働くのとどちら選ぶかと言われたらどうしますか。

4.(専門家、有識者、代表者、担当者)会議
私は高学歴者ではないので専門家会議に呼ばれたことはないが、それ以外の会議なら代理出席も含めて出たことがある。
もう結論や問題点がわかっているはずなのに出る場合、前もって「本気で討論する気があるのか、それとも芝居をしてほしいのか」と尋ねることもある。
(※参考 故・D.マードック(プロレスラー)「マエダ!お前はプロレスがしたいのか、それとも喧嘩したいのか、はっきりしろ!」)
例えば、国や地方の議会でも答弁のシナリオは決まっていることもありますが、それは公の場でこのような質問と回答がなされ記録に残すという理由もあります。それはそれで意義あることですが、そういう納得を得る為の業務が多すぎて、多くのリソースを無駄に消耗させている。こういう弊害もできるだけ少なくすべき。
「本気で討論する」という回答を得たとき、「なら、一丁、本気出したるか。」と会議に臨んだら、他の出席者が何度も質問して出番があまりなかったこともありました。その会議も時間オーバーでなかなか紛糾したし、若い人達が積極的に質問(詰問も)したので、まあ、譲ったるか、と引きました。
でも、その結果、あんまり改善まで至らなくても、なんらかの行動が起こされたとは聞かないんですね。それなら最初から聞くんじゃねぇ、とも言いたくなります。
あと、代理出席するとき、「何の権限も権力も無いのに、私も出席してもしょうがない。ここ率直に欠席すべき。」でしょうと不満もぶつけたこともあります。開催者は王様に来てほしいのに、王様の権限をある程度の移譲や委任もなく王様役、つまり芝居すらできませんよ。
ポロ神輿ばかりの形骸化国家、日本、ここにありですね。

(続きは少しずつ足していく)
(誤字訂正 3/14)
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