ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

【妄想】縁なき衆生は度し難し 2

2024年06月18日 03時36分57秒 | 社会問題
◯何故、イスラム教国では人権思想は育たなかったか
テロなど暴力的、自由がない、人権を、特に女性に対して認めない。
こういった印象があるだろう。
弱者や旅人にも優しいという美点があるが、元々、すべきことやしてはいけないこと、すべての価値判断が信仰の元である教義に含まれている。 人間にとって一番理解しやすいはずの宗教である。

諸説があるが、私は自身の"妄想"論を唱えてみたい。
イスラム諸国は人権侵害を理由にしばしば批判されてきた。各地域のイスラム法学者達(ウラマー)が、時代状況に合わせ、新しい技術・システムが登場した際には知識と思索を動員しそれぞれに新しい法規定を導き出してきた。それで、その新しい技術・システム自体を生み出すことができないのである。かつてはイスラム(諸)国が中世まで科学技術先進国であったにもかかわらず。そして、政治のために都合よく教義を捻じ曲げてしまうことも多い 。宗教戒律と社会規範、政治形態が一致して人間にわかりやすいはずのイスラム教に何か理由があるのだろうか。

では、キリスト教プロテスタントでは、何故、近代の人権意識を育むことができたのか。それから見てみたほうが良いのではないか。
通説として神を信ずるにより、どんな権力を持ち権勢を誇る人物が居たとしても「唯一の創造神を信ずる」ことにより、彼らも最高峰である神の前では只の人間に過ぎないということが「人権」獲得のきっかけという。
しかしそれならば、キリスト教カトリックやイスラムではそこまでの意識が高まらなかったのであろうか。これも青年期の昔から疑問であった。
(6/20追記)
「神(何度も予めことわっておくがこれは絶対唯一の神である)の前の平等」という考え方が「人権」獲得の第一歩ならば、同じ神を崇拝するはずのキリスト教カトリックやイスラム教もそうならなければ、おかしいのではなかったか。



(続く)
コメント
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