ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

今日は体調がよくなってきたのでもう一丁。挫折することや妄想に走ることは悪いことでない。そして魔境での遭難注意。

2020年06月20日 17時51分18秒 | 過大な期待(催眠など)
勿論、負の感情に包まれる挫折とか、他者から「気が狂った。」と非難・嘲笑される妄想は避けなければならない(現実と妄想の区別を自覚すべし)。
「青年よ。大志を抱け。」と誰か高名な人が言ったと伝え聞くが、才能・資質があるかどうかすぐにわからないのだから、大きな夢や希望を持ち人生を歩むことは大事なことだ。でも、自分の分を早い時期から悟り、慎ましやかにささやかな幸せを大切にして生きると言うのならそれも良い。
要は、犯罪とか迷惑でなければ(これもそのときによりけりだが、そんなつもりは無くても迷惑をかけてしまうこともある)、好きなように生きれば良い。

大きな夢を持ち生きても「挫折」するのは「当然」と思っていたほうが良い。なおも挑戦し続けるか、これ以上の執着やこだわりは人生を無駄に毀損してしまうと判断して転進、方向転換するか、その際は、限界(つまり期限)を設定しておくべきだ。

大金持ちになり贅沢な生活をしたいと皆が望んでも、地球のリソースは限られている。科学技術の進歩で多少はリソースを増やすことはできても、環境保全ができない。ある程度の生活基盤を確保したら内面的幸福、空想、幻想、妄想で我慢、納得してもらいたい。金を稼ぐ能力・馬力のある人は実際に豊かな生活をして経済活動を引っ張り、税金もしっかり納めてもらいたい(笑)。

若いうちは競争、努力して物質的・外面的充実を目指すが、いろいろな理由で意欲を失ったり方向転換したり挫折したりするが、最後には内面的充実を希求するのが良いと思う。

ここまでは一般的な話だが、超常能力とか預言者として、まれに特殊な能力が手に入ってしまうことがあるらしい。そもそもそれが壮大な勘違いや思い違いのときが多いが、仮に本当に獲得したとしよう。それが元々自分に内在していた能力なのか、いわゆる"神"とか"精霊"等の援助によるものか、その実在とか区別はしかねるが、とにかく治癒能力でも予言能力でもその手の能力を得たとする。
そう主張する人と会ったとき、私は検証のため、最初は「どうやって身につけたのですか。」「きっかけは何ですか。」と尋ねることにしている。瞑想とか修行と言われれば手順等も聞く。私がそれを盗用するかと言われたら「絶対しない」。理由は、そういう人は更に先を行くかもしれない。超常能力なら常に最先端の学びを教えてもらうほうが良い。自分には才能無いんだから。そして学んでもできないなら常にそういう人を頼ったほうがQOLの面で効率も良い。
勿論、更に検証は怠らず、インチキでないか、予言なら的中率は高いか、治癒能力ならどんな症状でどう改善するか治癒率は高いか、といろいろ見る。

さて、そういう能力があった人が突然能力を失ってしまうことがある(または成功率が急激に低下してくる)。今まで成功していたのに失敗続きになり自信や確信、自分が立てた仮説が崩れ始める。つまり遭難してしまう。成功体験や誇りを払拭できず魔境で遭難してしまう人もいる。作用機序とか方法をきちんと抑えておけば再現できる芽も残るのに、それらが無ければ、偶然の産物(まぐれ)で片付けられるならまだましで、最悪はおかしな奴、詐欺師、狂人扱いだ。
以前、実験室が綺麗過ぎて、へんてこスケッチしか無かった元・理研の小保方晴子さんのSTAP細胞もあるいはその類かな、一瞬だけ思った。結局はデータ改竄が濃厚と確定となりましたが。研究はそんな甘く無いですから。

不思議な現象、幻像等に直面しても必ず科学的検証さもなくば必ず何らかの足跡や手かがりを。それが命綱や登山道の目印(ペンキ塗りの石)。
(6/21文書推敲)

ラーメン屋でも整体師でも、絶対同じレシピ(製法)や施術しているのに、代替わりしたら(親→子)、味や効き目が違うのはどうしてなんだろうね。。
あの美味しかった野菜味噌ラーメンとか効き目抜群だった骨盤矯正。
ほんと不思議だよ。毫釐の差は千里の謬り(ごうりのさはせんりのあやまり)と言うやつかね。

あと「青年よ大志を抱け」はクラーク博士が言ったことは知っていたけどぼかしたのは、真の発言について知っていたから。これは自分で検索して調べて欲しい。
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随分昔のことなんだけど

2020年06月20日 14時16分43秒 | 過大な期待(催眠など)
秋葉原の路上ライブが活発に行われていたとき(近年は警察の取締等も厳しいし、今は新型コロナウイルスのクラスター発生予防のため到底無理だが)、一時は有名雑誌にも掲載されたアイドル視された無名の女性シンガーソングライターが居た。多分2004~2007年だったかな。

彼女の父親も参観していたライブも見に行った。ルックスは可愛いが、声質も特徴が無いし声量不足もあり魅力に乏しいかな、と多少不安視していた。
只、何が売れてもおかしくなかった時代だった。ライブ後の交流会で「地元の政治家に売り込んでもらったら。」という意見がファンから出たが、よほど芸能人が珍しい土地の出身なら政治家側のメリットもあろうが、特定の政治家と結びつくと後々面倒でもある。
いつのまにか、催眠に凝りだして自己暗示をかけていたらしいので、自分も経験があることは言わなかったが(責任が取れないので)「催眠を使って暗示しても効果無いよ。」と助言したが「ううん。絶対に成功する。」と言って聞かなかった。それ以上は何も言えなかったので、そのまま去り二度とライブに行くことは無かったが、今はさすがに引退したようだ。
途中、訳のわからない奇抜なグループを編成したり、覆面してグループ参加したり、それなりに頑張っていたようだが、ますます袋小路に入っていったようだ。

私はこのときも含めて少し悲しくなる経験もあり、歌の下手なアイドル歌手は敬遠したいが、彼女達の希望までは否定したくないのである。

成功するかどうかわからないので思い切った言い方はできないが、もし催眠を使うなら「成功する」とか「人気者になる」とか漠然とした暗示は無意味である。未知の才能が潜んでいるならもしかしたら、ということもあるが、まず間違いなく無理・無謀である。それは下手したら空想・幻想・妄想域への旅立ちのゲートであり、自分だけ一瞬はいい気持ちになるが、やがて現実と直面し挫折感を強くするか、最悪の場合は魔境行きである。
必ず自分自身が行動することを前提として、より具体的な暗示でなくてはならず、それですらかなり精緻な現状分析と計画が練られなくてはならない。
どんな人達が今もてはやされているのか、何が求められているのか、自己満足でなく、人々を喜ばすにはどうしたらよいか必死で分析しなくてはならない。
これも間違っていた(いる)かもしれないが、「自分は人々を勇気づける曲をつくる」「今までにない恋の楽しさを語るようになる」とか、できればもっと一歩一歩進む暗示でなくてはならない。それでも人気を博するのは無理かもしれん。これから時代が進むにつれて、もっと災厄が降り注ぐ激動の時代になるかもしれん。美人芸能人も多い。芸能で成功するのはますます困難になる。

催眠で「全てが思い通り」等万能感ある謳い文句を見ると、釘だけは刺しておきたくなる。嫌な性分である。
※前投稿での、書籍の中身は勿論しっかりと現実的な内容です。素晴らしいと尊敬します。

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