勿論、負の感情に包まれる挫折とか、他者から「気が狂った。」と非難・嘲笑される妄想は避けなければならない(現実と妄想の区別を自覚すべし)。
「青年よ。大志を抱け。」と誰か高名な人が言ったと伝え聞くが、才能・資質があるかどうかすぐにわからないのだから、大きな夢や希望を持ち人生を歩むことは大事なことだ。でも、自分の分を早い時期から悟り、慎ましやかにささやかな幸せを大切にして生きると言うのならそれも良い。
要は、犯罪とか迷惑でなければ(これもそのときによりけりだが、そんなつもりは無くても迷惑をかけてしまうこともある)、好きなように生きれば良い。
大きな夢を持ち生きても「挫折」するのは「当然」と思っていたほうが良い。なおも挑戦し続けるか、これ以上の執着やこだわりは人生を無駄に毀損してしまうと判断して転進、方向転換するか、その際は、限界(つまり期限)を設定しておくべきだ。
大金持ちになり贅沢な生活をしたいと皆が望んでも、地球のリソースは限られている。科学技術の進歩で多少はリソースを増やすことはできても、環境保全ができない。ある程度の生活基盤を確保したら内面的幸福、空想、幻想、妄想で我慢、納得してもらいたい。金を稼ぐ能力・馬力のある人は実際に豊かな生活をして経済活動を引っ張り、税金もしっかり納めてもらいたい(笑)。
若いうちは競争、努力して物質的・外面的充実を目指すが、いろいろな理由で意欲を失ったり方向転換したり挫折したりするが、最後には内面的充実を希求するのが良いと思う。
ここまでは一般的な話だが、超常能力とか預言者として、まれに特殊な能力が手に入ってしまうことがあるらしい。そもそもそれが壮大な勘違いや思い違いのときが多いが、仮に本当に獲得したとしよう。それが元々自分に内在していた能力なのか、いわゆる"神"とか"精霊"等の援助によるものか、その実在とか区別はしかねるが、とにかく治癒能力でも予言能力でもその手の能力を得たとする。
そう主張する人と会ったとき、私は検証のため、最初は「どうやって身につけたのですか。」「きっかけは何ですか。」と尋ねることにしている。瞑想とか修行と言われれば手順等も聞く。私がそれを盗用するかと言われたら「絶対しない」。理由は、そういう人は更に先を行くかもしれない。超常能力なら常に最先端の学びを教えてもらうほうが良い。自分には才能無いんだから。そして学んでもできないなら常にそういう人を頼ったほうがQOLの面で効率も良い。
勿論、更に検証は怠らず、インチキでないか、予言なら的中率は高いか、治癒能力ならどんな症状でどう改善するか治癒率は高いか、といろいろ見る。
さて、そういう能力があった人が突然能力を失ってしまうことがある(または成功率が急激に低下してくる)。今まで成功していたのに失敗続きになり自信や確信、自分が立てた仮説が崩れ始める。つまり遭難してしまう。成功体験や誇りを払拭できず魔境で遭難してしまう人もいる。作用機序とか方法をきちんと抑えておけば再現できる芽も残るのに、それらが無ければ、偶然の産物(まぐれ)で片付けられるならまだましで、最悪はおかしな奴、詐欺師、狂人扱いだ。
以前、実験室が綺麗過ぎて、へんてこスケッチしか無かった元・理研の小保方晴子さんのSTAP細胞もあるいはその類かな、一瞬だけ思った。結局はデータ改竄が濃厚と確定となりましたが。研究はそんな甘く無いですから。
(6/21文書推敲)
ラーメン屋でも整体師でも、絶対同じレシピ(製法)や施術しているのに、代替わりしたら(親→子)、味や効き目が違うのはどうしてなんだろうね。。
あの美味しかった野菜味噌ラーメンとか効き目抜群だった骨盤矯正。
ほんと不思議だよ。毫釐の差は千里の謬り(ごうりのさはせんりのあやまり)と言うやつかね。
あと「青年よ大志を抱け」はクラーク博士が言ったことは知っていたけどぼかしたのは、真の発言について知っていたから。これは自分で検索して調べて欲しい。