ぶらいやWATTY 探求の泉

人生も残り少なくなってきたので、単なる近況報告となります。

心技体。

2008年12月14日 03時04分21秒 | 芸能についての感想
心技体。
これら全てに優れている人間は当然のごとく賞賛されてべきだ。
技量や才能に満ちあふれ、体も頑丈で技量を支える礎を十分に持ち、できれば容姿も美しく、そして精神的重圧を乗り越える精神力を持ち、これもできれば他者への敬意を忘れない心や優しさを示す。
このような人間がいたら、敬意や賞賛そして応援せざるを得ない。
相手がたとえ嫌がっても、私はそうしたくなるだろう。
しかし、そのような人間はほとんどいない。

スポーツや芸能で素晴らしい成績や技能を示す人達がいる。
トップアスリートにも人格的に軽蔑すべき人がいる。
芸能人では、素晴らしい楽曲を作ったり歌唱やダンスが何回見てもまた見たくなるほど魅力的なのに、言動に関しては酷い情報や噂、実際に目の当たりにすることもある。
至極当然のことだが、技量や容姿が素晴らしいから、人間的に素晴らしいとは限らない。いや、それどころか、ある種のタレントは破滅的・暴力的だからこそ魅力的で、芸能面だけでなくプライベートでも普通の人間ならば許されない奇行とか非常識な行為をしてくれないと心酔(笑)できないというファンもいらっしゃるそうだ。

苦笑するのは「詐欺師」同然の、楽曲演奏や歌唱では、「人間愛」「永遠の愛」「信頼」「男気」「優しさ」を歌い示しておきながら、実際の行為では「略奪愛」
「飽きたらポイ捨て」「些細なミスに対して、無抵抗で弱い人間(主に身内のスタッフ)に理不尽で無慈悲な徹底的な暴力を振るう」輩である。

噂だけでなく経緯も検証して許容範囲を超えていると判断したら、私は彼らの楽曲もライブでもCDでも自発的には(勝手に流れてくるのはどうしようもないが)聴かないし、カラオケでも封印する。そんな奴らに金を渡したくないからである。

まあ、でも、そのような輩に対しては、多少は理解することもある。
その理由は、彼らに同情しているからでなく(そもそも同情するに値しない屑という前提である)、本当は「屑人間」なのに楽曲に表現されているような「素晴らしい人間」に成りたいという"心の叫び"かもしれない可能性があるからだ
それならば、歌で誤魔化してばかりいないで、今までしてきた行為を見つめ直して、自分の心を鍛え直せば済む話なのだが、芸能界は売れている人間には限りなく甘い世界で、不安定な地位に対する重圧が一般社会よりも厳しく刹那的快楽や安逸に走りやすいので、そもそもそのような機会が無いかもしれない。
コメント
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