Pa'Lante!(パランテ!)

ジャズじゃ、ロックじゃ、サルサじゃ、ソウルじゃ、ファンクじゃ、歌謡曲じゃ、ジャージャー。

エクトル・ラボーは「サルサの声」と言われてたそうで。

2005-12-12 23:10:05 | Salsa / New York Latin
エクトル・ラボー(Hector Lavoe)
「Comedia」(1978)

エクトル・ラボー(1946-1993)はサルサ界の最高のボーカリスト。
サルサに興味が無い人にも是非とも聴いて頂きたい歌い手。

ジャズ・ボーカルにビリー・ホリデイが居たのなら、それに匹敵する存在がサルサ界のこの人だと、アタシャ、三ベン回ってワンと言ってからでも言えますね。そんくらい、このヒトのボーカルはスゴい。凄まじいと言った方がいいかもしんない。

このヒトに興味を持って貰う為に、音楽と関係ない事も(関係なくもない)書きますが、トンデモナイ悲劇の人生を送った人です。

兄がドラッグで死に、義母は惨殺され、自身も強盗に遭い、自宅は焼け、息子が事故で射殺され、挙げ句に、ホテルで投身自殺を図りました。一命は取り止めましたが。
一人の人間にこれだけの不幸が与えられるって、あり得るのか?
と、思いますね。

しかし、一方でこの人はスターでした。
ウィリー・コローン(Willie Colon)のバンドで看板ボーカリストとして、60年代終わりから70年代初頭にサルサ界のスターとなり、75年にはソロ・デビュー。80年代初頭までの諸作はサルサ界に燦然と輝く、プレアデスの如き正に名盤群。

そのボーカルの魅力は、ギラギラとしてヌメリのある、強烈な色気とグルーヴと説得力。とにかく「歌」が本物なのだと感じさせる力。凄い。本当に凄い。
まずは、鳥肌、軽く30万回。

このアルバム「Comedia」は正に、全盛期の一枚。
コレが突出した代表作って訳ではない(この頃のは全部スゴいから)けど、確実にその説得力にはノックアウトされるでしょう。

代表曲の一つである「El Cantante」(英語でいうとThe Singer)は、10分を越える長尺曲ですが、決して、ドラマチックに構成された楽曲ではなく、ハッキリ言って平坦な変化に乏しい構成なんですが、エクトル・ラボーのボーカルがスゴ過ぎて、耳を離す事ができない。
この曲は「苦しみも喜びも、あろうが無かろうが、歌うのだ、私は歌手だから」という内容。(注:訳詞の要約なのでニュアンス全てブっ飛んでるかもしれません。恐縮。)

ジャケットはチャップリンに扮したエクトル。
コメディアンやピエロは実生活で悲しくても耐えて道化る・・・
というベタなジャケットですが、エクトル・ラボーだから、説得力が出てしまう。

まぁでも、これ以上、悲劇性を強調してもいかんね。
シンガーとしてのエクトル・ラボーは、楽園を歌う事だって得意な訳だからね。
ただし、ニューヨークからは遠い楽園(=故郷のプエルト・リコ)のコトですが。

あぁ、イカン、また悲劇になる。
まあ、どうしても影は付きまといますね。
そこらへんはビリー・ホリデイと共通するかもしれませんね。
いずれにしろ20世紀最高のボーカリストの一人であろうと思いますので、機会をみつけてお聴き下さい。
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中島みゆき「あ・り・が・と・う」

2005-12-12 17:55:58 | 日本のロック・ポップス
温水(ヌクミズ)バトンの時に、このアルバムから「ホームにて」を取り上げましたが、このアルバム、いいアルバムだと思いますので、改めて。

中島みゆき
「あ・り・が・と・う」(1977)

みゆき姐さんの三枚目のアルバムだそうで、世界歌謡祭での「時代」のあと、話題的にも一段落していた時期のアルバムなのではないでしょうか。
詳しい時代状況は、当時、黄色いカバーつきのランドセルを背負っていた私には分かりませんが、「わかれうた」で大ヒット飛ばすのは翌年の事ですね。

で、このアルバムの音ですが、意外にドライ。
明るい、とは言えませんが、湿っぽくない。
もちろん、姐さん得意の恨み節もありますが、全般的にはドライです。

そして、ナニゲにソウル色がある曲が多いです。(若しくはファンキー・フォークとでも言うか)
「店の名はライフ」
「朝焼け」
「サーチライト」
静かにファンキーです。

特に「店の名はライフ」。
これは、もっと知られてもいい曲じゃないですか。
詩も含めて、昭和50年頃のいいトコロが全面開花じゃないですか?
理想的な都市風景。自由と自立とコミュニティ、って感じがあります。
(この歌のなかでも、既に過去の風景として描かれてはいますが。)
サウンドとしても、アコギ、コンガ、ギロ、エレキピアノがメインで、ホーンセクションすら入っている。ドライで、かつ、暖かくて、でも暑苦しくない、居心地の良さ。

そういう曲もあって、かえって活きる、みゆき姐さん本来の味でもある演歌一歩手前の恨み節。鮮やか。

そして、諦念と未練が交錯する「時は流れて」。
これは、名曲・名唱。
ジワジワ、ジワジワと、来る!!!
うぉぉおおお~ぅっ!!!

そんでもって、温水(ヌクミズ)バトンでも取り上げた、A級名曲の「ホームにて」!!!

翌年には「愛していると云ってくれ」という名作も生まれますが、コレもまた名作でねーべかね?
コメント (2)
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iTMS所感

2005-12-12 08:01:54 | 日本のロック・ポップス
今年の音楽の話題でトップ5に確実に入ると思われるiTMSについて。

ダウンロード購入という形が、一気にiTMSで加速したと思いますけど、パッケージ商品の魅力はやはり捨て難い、という気持ちはありますね。
理由を4つ。

1.「物理的に所有していたい」という単純な気持ち。
2. ジャケット自体の魅力。
3. データだけだと、消えてしまうかもしれない、という不安感。
4. ミュージシャンのクレジットなどの情報量の違い。

というコトですが、3.と4.は技術および運用面でクリアできる問題でしょうから、期待したい部分です。
そんで、1.と2.は、もう割り切るしかないかなと思います。

こういうダウンロード購入のメリットとしては、パッケージ商品よりも、かかるコストが低いと思われるため(保管および流通費用がほとんどかからない)、パッケージ商品として流通させるとペイしない作品の復刻が可能になる、また、新作についても同様にリリースが容易になる可能性があるかなと思います。
あと、社会・経済的には、資源の使用を減らす事ができるため、「持続可能な社会」の構築って事を考えると、やはり、パッケージ商品中心より、こういった商品形態を積極的に指示する必要はあるかな、とも思います。

あとは、配信データ形式の統一と、版権(というか商売上の思惑)の問題ですかね。例えば、ソニーは自系列のWEB配信ストアがある為、iTMSへの参入に遅れている、とか。
要するに、moraならソニー系もダウンロード購入できるけど、ATRAC3という良くわからん形式のデータだし(mp3への変換は可能なのかな?)、Macユーザへは門戸開放されてないし、とかそういう問題。

佐野元春氏のように元々はソニー系でありながら、独立レーベルを立ち上げて、「ソニーミュージックは販売チャネルの一つ」、という位置づけに出来るほどの力のある人なら、アーティスト側の意向にそった形でのリリース形態の選択が可能でしょうが、世の趨勢はどうなるんでしょうかね。

画像は昨日、iTMSで購入した佐野元春「星の下 路の上」。
曲自体の感想は近くアップします。
コメント (3)
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