ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

インハウスデザイナーが想う、日々の機微。

2007年06月20日 | blog
4月から仕事の内容がぐっと変わり、簡単に言うと、管理職に近くなったのです。
めくるめく発見の日々で、考えもまとまっていませんんが、
「経過の備忘録」として、記しておきます。

仕事の面白さがどこにあるかと考えたときに、簡単に言うと、
「あすれば、こうなる」と思って、そのとおりになったとき。だとおもうのです。

そう書いてしまうと、養老センセイの「脳化した社会」そのもので、あまりよろしくないのですが、
もちろんじっさいは、「ああすれば、こうなる」ばかりではなく。

たぶん、茂木健一郎センセイの言うところの「偶有性(ぐうゆうせい)の面白さ」かな、とおもいます。
なかば偶然、なかば必然。
なんでも思ったとおりでは面白くないけれど、適度な偶然性がある状態。
あんまり無法地帯では、それはそれで疲れてしまうわけで。

じぶんで目先の仕事をこなしているときにも、そういう感覚はありますが、
チームを率いてすすめる場合、「必然」も「偶然」も、その振れ幅がきわめておおきい。
ヨロコビもカナシミも、幾年月。

以前「10にんの会社員」で書いたように、カイシャというのは、年を重ねるごとに、
だんだん人が少なくなっていくわけです。

ましてやデザイナーの場合、エラくなること、イコール現場から離れることとされて、
敬遠されているところもあり。

カイシャでエラくなることはどういうことか、というのは、長年考えていたことでもあります。

学生さんはよく、「カイシャに縛られたくない」的なことを言うことがあります。
やりたいことができない と。たしかにそうかもしれない。最初は。

でもー、カイシャや、ひいては世の中を動かすようなおおきなプロジェクトのばあい、
その多くは、デザイン事務所とかではなく、企業のキーマンが動かしている。

そういう「根っこ」の仕事を、ふつうは外注には出さないし、
ネタがでかければでかいほど、その中心にいるのは、
組織の中で上に行った、「室井さん」だったりします。

特にプロダクトデザインのばあい、ひとりではできないし、アシはながいし、ライフも長いし、
その企業に根を張って、過去から未来を見据えた考え方がないと、地に足のついたものは、生み出せない。



まぁ、だから、そういう道も、あるってことです。