まだ自分の中に消化できない部分で、
途中経過ですが、整理することと、何か情報をもらえるかとBLOGします。
自閉症児・者が発達の中で、気づく範囲が広がっていく、たぶんそんな経験は親や支援者はよく見る。
今まで気にならなかったところが気になりだしたしたり、これまで目の前の視覚的な情報が気になっていたのが、先の見通しが気になりだしたりする。
その広がりの時、つまり気づきはじめ、学びはじめたときに、適切な支援や教育がないと、間違った経験をフォトグラフィックメモリー(見たものをそのまま写真にとったように記憶)の特性でそのまま記憶して、なかなか修正ができない。
だから気づきや学びの支援はやはり、本人の特性と将来像(あるべき姿)を考慮して、どのように経験させるのかが重要なのでは?
例えば、「学びの時」「気づきの時」に声かけにより学ぶ(気づく)と、声かけとワンセットで学んでしまって、声かけ無しでは出来ないと言うことがおこる場合がある。
大きくなってから教えれば良いと抱っをOKにしてしまうと、そこで、そのことを学んでしまって、大きくなってから禁止しても、なかなか修正できずに、抱っこを求めてきたりする。
繰り返すと我々支援者は、本人の特性と将来像を整理して、それにあわせた、学びや気づきを支えなくてはいけないのではないであろうか。
何だか整理されていませんが、推敲途中でBLOGします。
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気をつけながらも、ついついやっている自分がいます。
声かけが、子供にとって、どう学んでしまったか、アセスメントしていませんが、
今後気をつけます。
BOUZANさん、いつも勉強させていただき、
ありがとうございます。