犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

なぜ人を殺してはいけないのか④

2024-10-06 23:59:44 | 朝ドラ

写真:ジャン=ジャック・ルソー

「人は誰でも、人を殺してはいけないという良心を持っている」

 では、人間は最初からそのような「良心」をもっていたのか。

 文明化される前に人間について、哲学者たちはいろいろな想像をしてきました。

 イギリスのホッブズは、「万人の万人に対する闘争」といって、絶えざる戦争状態にあったと考え、それを改善するために、社会ができ、法律ができたと考えた。

 一方、フランスのルソーは、自然状態の人間は穏やかであって、争いや戦いは、社会や文明が発生してから生じると考えた。

 どっちが正しいのかはよくわかりません。

ヒト、この不思議なる動物~殺し合い

 わかっているのは、文明社会になってから、人々は絶えず戦争を繰り返し、大量の人々を殺してきたということ。これが今でも変わっていないのは、ウクライナ、イスラエル、イラン、ミャンマーなどで現在進行中の戦争や内戦を見れば明らかです。

 一方で、平和な地域(たとえば日本)では、みな、「人を殺すのは悪いことだ」という共通認識をもっている。

「人を殺すのは悪い」という良心は国内向けのもので、対外的にはそのような良心は発動しないのか。

 そもそも、国内ではなぜ「人を殺すのは悪いことだ」という認識(良心)ができあがったのか。

 殺人の理由はさまざまです。

 怒り、憎しみ、嫉妬、金銭欲…

 そのような感情にまかせて人を殺すと何が起きるか。殺された人の親族や関係者は「報復」を考えるでしょう。殺した者は報復から逃れなければならないし、自分が属する社会(共同体)にいずらくなるでしょう。また殺人が横行すれば、社会は不安定化し、だれにとっても住みにくくなります。

 そんな事情があるため、人は「誰かを殺したい」という感情をもっても、その後のことを考えて、「やっぱりやめておこう」という自制心が働くようになったのでしょう。

 人は孤立して生きるのではなく、何らかの共同体の中で暮らしています。

 共同体には、村落社会とか、部族社会とか、宗教集団とかいろいろありますが、現代では国家が共同体です。

「人を殺さないほうがよい」という価値観は、共同体の安定を保ち、人々が安心・安全な生活を送るためにできあがったものでしょう。

 それが、「人を殺すのは悪いことだ」という道徳の成立につながり、あたかも生まれた時から持っている「良心」であるかのように、人々の中に定着したのだと思われます。

 一方、共同体が脅かされたとき、人々は共同体を守るために力を合わせます。

 共同体がほかの共同体から攻撃されたときは、反撃する(戦争)。そこで「殺人」が行われても、正当化され、さらには賞賛されさえします。

 また、共同体の転覆を図る者(テロリスト)や、共同体の権威を脅かすもの(たとえば異教徒)に対しては、厳しく対処し、殺人も辞さない。

 共同体の成員は、このような殺人に良心の咎めを感じることはない。

 こうして、共同体内では「人を殺すのは悪いことだ」という良心をもちつつ、共同体の利益が脅かされる場面では、その良心が発動しないという構図が生まれたわけです。

 やがてその良心(道徳)は、「法律」の形をとります。

 以上は、小浜逸郎が『なぜ人を殺してはいけないのか』で展開している論理に沿ったものです。歴史や、これまでの思想史を概観したのちの結論です。

なぜ人を殺してはいけないのか

 一方、池田晶子は、中高生向けの哲学書『14歳からの哲学』で別の理屈を提示します。

なぜ人を殺してはいけないのか②

 池田は、「殺された人がかわいそうだから」、「家族が悲しむから」、「殺される人は暴力を受けて痛そうだから」、「自分が殺されたくないから」など、簡単に思いつくさまざまな理由が、厳密に考察すると成り立たないことをみた後、「人を殺してはいけない」ことに対する絶対的な理由はなさそうだ、と結論します。

「なぜ人を殺すのは悪いことなのか」

 戦争の例でわかるとおり、殺人が善か悪かは、時代や国や状況に応じて変わる。善悪を判断する基準は、外にはなく、自分自身の内にある。

 法律や社会などを基準にするのではなく、自分がよいと判断したことを為し、悪いと判断したことを為さないだけである。

「人は、自分にとってよいと思われることをして、悪いと思われることはしない」

 もし、「死ぬ」ということが自分にとってよいことだと思われるのなら、他人を殺すよりも先に、自分が死んでいるはずだ。人を殺す人が、相手を殺して自分が生きているのであれば、殺人者も「人にとっては生きていることがよいことで、死ぬのは悪いことだ」とやはり思っているはずだ。

「人を殺すのは悪いことだ」と思う理由は、自分がまさに生きている(生きることを選んでいる)というところから出てくる。

「ヒトラーみたいな大悪人を殺すのは悪いことではないかどうか、もしも君がそういう極限的な状況に置かれたとしたなら、あらゆる可能性を考え抜いて、判断するんだ。そして、賭けるんだ。君の善悪、君の全人生を、その一つの行為に賭けるんだ」

 池田氏は、読者にこのように語り掛けます。

 浜田氏と池田氏の論理を比べたとき、私は池田氏のもののほうが納得できました。

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