夜の待ち合わせは、乙支路4街(ウルチロサガ)駅。乙支というのは、高句麗の名将乙支文徳(ウルチムンドク)にちなんだもの。そこから、広蔵市場(クァンジャンシジャン)に行こうという計画です。
駐在していた当時、私は来たことがなかったのですが、妻は服地などを買いに、よく来ていたということです。食べ物屋さんも多いのが特徴で、帰任後、出張時に、やはりKさんに案内してもらって、ユッケを食べたことがある。そのときの記録がこちらです(→リンク①、②)。
7時半にKさんと落ち合ったあと、まっすぐ広蔵市場に向かいます。
「やっぱり、ユッケですかね」
「いえ、今日はピンデットクの店にご案内しようと思って」
日曜日の夜、静かで暗い市場を歩いていくと、喧騒の一画が見えてきます。ユッケコルモクです。ピンデットクの店はさらにその奥。10軒ぐらいの店の前に、屋台がたくさん並び、ここだけは人がごった返しています。
「あの店がいちばん有名なんですよ」
スニの家のピンデットク。見ると、10人以上の行列ができています。前日のプゴククの店にしろ、ここにしろ、気の短い韓国人が行列してでも入りたいということは、よっぽどの名店なのでしょう。
ピンデットクは店の外、道に面したところで焼いています。並びながらその様子を観察しました。
(すごい!)
とにかく大量の油を使います。四角い鉄板は、油の海といってもいい。水深(油深?)1センチぐらいの油の中に、ピンデットクの具を投入にし、丸く広げます。ピンデットクは油の中をたゆたうように焼かれて(揚げられて)いきます。不健康にして食欲をそそる光景です。
間口は狭いのに奥行きはあって、行列はどんどん進んでいきます。メニューには「肉の王子」という、肉団子もあるのですが、すでに売り切れ。事実上、ピンデットク一種類。前日のプゴククの店同様、シンプルにして効率的なビジネスモデルを形成しています。
ピンデットクは巨大なので、3人で一枚で充分。それにマッコルリ(韓国の濁り酒)を頼みます。
「今日は雨じゃありませんけどね」
韓国人はよく、雨の日にはピンデットク、と言います。
「日本にも似たようなことがあるんですよ。私の田舎では、祖母は雨が降ると、小麦粉をこねてうどんを作っていました」
とKさんが説明してくれます。雨が降ると農作業ができないし、買物にも行きづらいので、家にあるものでありあわせのものを作るという習慣があって、長い間に雨がふるとうどんが食べたくなるという、人間の生理にまでなってしまったのではないか、と。
30分ほどでマッコルリを一本空け、お勘定をすると7000ウォン! 一人200円ちょっとという安さです。
「やっぱりユッケも食べたいなあ」
引き返してユッケコルモクに向かいます。行ってみると、やはり長蛇の列ができている。けれども列のぜんぜんない店もある。店によってそんなに味の違いがあるとは思えないので、空いている店に入りました。
「ごめんなさいね、品切れなの」
列がないのは、食材が切れたからなのでした。
「そういえば、ピンデットクの店の隣にもありましたよ」
戻ってみると、こっちは列もなく、ちゃんとすべてのメニューが品切れなし。正解でした。
メインはユッケ(生の牛肉を細切りにしてごま油ベースのヤンニョムで和えたもの。生卵入り)。それにカン・チョニョプも頼みました。カンはレバ刺し、チョニョプ(千葉)はセンマイ。牛の何番目かの胃。これも生で、ごま油と塩で食します。新鮮でなければ食べられません。いずれも日本では禁断の食べ物。
「今、日本で牛のレバ刺しは食べられないんだよね」
O157の事件以後、日本の店で出せるレバ刺しは馬だけです。
酒はもちろん焼酎。妻は生肉があまり得意ではないので、もっぱら私とKさんで平らげました。久しぶりにユッケとレバ刺しを堪能しました。
「麻薬キムパプも気になっているんだけど」
「じゃ行きましょう。近いですよ」
前に来たとき、看板を見かけたのですが、食べ損ねていたものです。麻薬のように中毒になるほどおいしい、というのが名前の由来。前は、通りがかりの屋台のメニューでしたが、今回案内されたのは、ちゃんと店舗を構えている店。ユッケやピンデットクの店に比べると、店内は閑散としています。
出てきたキムパプは普通のチェーン店のものに比べると貧弱。細いいし、中の具もバラエティーが少ない。味もまあ、普通ですね。
「うーん、これのどこが麻薬なんだろう」
食べ続けると、くせになるのかもしれません。
「まだ早いし、もう一軒行きましょうか」
サチャ(四次会)は、鍾路5街のポジャンマチャ(布張馬車)に。このところ急速に再開発が進むソウルですが、この一画はまだ昔ながらのポジャンマチャが健在です。
お腹はいっぱいだったので、炒めものとかケーランマリ(卵焼き)なんかを頼んで、焼酎を傾けます。威勢のいいアジュンマがいろいろ話しかけてきましたが、内容はよく覚えていません。
Kさんのおかげで、たいへん充実したディープソウル探検をさせていただきました。カムサハムニダ。
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昔はキム(海苔)そのものが高級品だったということですから、海苔の質がよくて、「名物」と言われていたのかもしれません。
それはそうと忠武キンパプは93年にテレビのコーディネーターの仕事で忠武市(現統営市)に10日ほど滞在した時初めて食しました。もともと漁船員らが船上で取る昼食として食べられたのが始まりのようです。非常にシンプルで素朴な感じの食べ物です。最近では近所のスーパーでも売っていてソウルでも一般的になものになりつつあります。
一度、チャドルパギが満員だったとき、テグタンの店でアラ鍋(内臓湯)を食べ、とてもおいしかった記憶があります。