犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

三一独立運動

2007-03-01 01:53:57 | 近現代史
 今日はサミルジョル(三一節)、8月15日の光復節と並んで、韓国に住む日本人にとってはやや居心地の悪い祝日です。

 1919年3月1日、ソウルのパゴダ公園に集まった数千人の群衆の見守るなか、「独立宣言書」が朗読されて、独立が宣言されました。集まったのは学生が中心でしたが、これに市民が合流して、夜遅くまで「独立万歳(マンセー)」を叫びながらソウル市内をデモ行進しました。
 ソウルと時を同じくして、宣川、平壌、元山、鎮南浦などでもキリスト教系学校の生徒を中心に決起。これは、燎原の火のごとく全国に広がり、平和的な市民運動から暴力をともなう暴動へと発展していきました。

 まず、韓国の国定教科書ではどう描かれているか。


日帝の3・1運動弾圧
 万歳示威(=デモ)が拡がると日帝は、憲兵警察はもちろん軍人まで緊急出動させ、デモの群集を無差別殺傷した。チョンジュ、サチョン、メンサン、スアン、ナムウォン、ハプチョンなどの地域では、日本軍警の銃撃で数十人の死傷者を出し、華城堤岩里(ファソン・チェアムニ)では全住民を教会に集合させて監禁し、火を放ち、虐殺した。また、デモに参加したという理由で無数の人々が投獄され、日本警察に非人道的な悪刑を加えられ、数多くの人々が命を失った。当時、万歳デモに参加した人員は計200余万人、日本軍警に殺された人は7、500余人、負傷者は1万6000余人、逮捕された人は4万7000余人で、壊され焼かれた民家が720余戸、教会が50個所、学校が2個所だった。〈韓国独立運動之血史〉(2002年、韓国国定高校国史教科書)


 出典とされている『韓国独立運動之血史』(朴殷植)の数字は、1919年4月に上海で結成された大韓民国臨時政府が、国内からの情報を収集して集計したもので、三一運動の犠牲者に関して、よく引用されます。
 正確には、3月1日から5月末日まで集会参加者202万3098人、死亡者7509人、負傷者1万5961人、逮捕者4万6948人

 一方、日本の警察側が集計した「朝鮮騒擾事件道別統計表」によれば、3月1日から4月11日までの騒擾回数768回、騒擾人員49万4900人、死者357人、負傷者802人

 死者数は、朴著が7509人、日本側資料が357人と大きな違いを見せています。

 被害者側と加害者側の数字が異なるのはよくあること。これは、1981年の光州事態で、韓国政府発表が死者191人だったのに対し、学生・市民側は2000人以上を主張していたことを想起させます。

 この違いの原因を推測すると、統計をとった期間が日本側のほうが短かったこと(その後に軍隊を投入した鎮圧が行なわれ、その数字が日本側資料に含まれていないこと)、また朴著の数字は国内からの伝聞情報を積算したもので、重複報告があった可能性を考慮していないと見られることなどです。

 実際の数字は、両者の中間のどこかにあるのでしょう。

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