少し前の記事で、金壽卿という北朝鮮の言語学者が、語学の天才であったことを紹介しました(リンク)。
彼は、27歳のときに、朝鮮語、日本語、漢文(古典中国語)、中国語、モンゴル語、満州語、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、デンマーク語、ギリシャ語、ラテン語、サンスクリットができたということです。
「できる」というのがどういうレベルかというと…
1952年に刊行されたロシアの言語学・文芸学の朝鮮語訳の本が、「金日成綜合大学の講義で、金壽卿がロシア語文献を朝鮮語に訳しながら読み上げ、それを弟子が書き取ったテキストをもとに出版」されたといわれていたり、1961年に金日成綜合大学に留学していた中国人が、「金壽卿が講義の際にフランス語や中国語の書籍を手に、ついていけないほどの速さで朝鮮語訳しながら読み上げていたのを、驚嘆しながら受講した」と証言していることから推して知るべしでしょう。
日本語と韓国語は語順が同じですから、同時通訳したり、本を即座に口頭で訳すことはそれほど難しくありません。簡単な文章なら、私でもできます。
しかし、語順が違う欧米語や中国語と朝鮮語の間でそれができるというのは、まさに「驚嘆」に値することです。
ところで、金壽卿ができた言語に、デンマーク語という、比較的マイナーな言語が含まれています。『北に渡った言語学者』によれば、金壽卿はデンマーク語の習得について、小林英夫から手ほどきを受けたと書かれていますが、何の文献を読んだかは記載がありません。
金壽卿が小林英夫と共訳した『言語研究・現代の問題』(1945)は仏独伊語の言語学論文集ですが、ここにもデンマーク語の本はありません。
ソシュールの翻訳者として知られる小林英夫は、当時のヨーロッパの最新の言語学に詳しかったはずですから、当時のプラハ学派やコペンハーゲン学派の論文も読んでいたに違いありません。特にデンマークのイェルムスレウに関しては、『一般文法の原理』(1929)を翻訳しています(刊行は戦後)。おそらく、小林は『一般文法の原理』を翻訳しながら、金壽卿にデンマーク語を教えていたのでしょう。本書にはフランス語訳もあったはずなので、すでに堪能だったフランス語との対訳学習をしたのではないかと思われます。
考古学者でやはり語学の天才だったシュリーマンは、『古代への情熱』の中で、自分の語学学習法を開陳しています。対訳学習は、次々に新しい言語を習得していくときに、シュリーマンが使っていた手法です。彼がロシア語を習得するときは『テレマックの冒険』というフランス語の小説のロシア語訳を入手し、対訳学習したそうです。
ところで、デンマークと言われてすぐに思い浮かぶのは、童話作家のアンデルセン(~1875)です。アンデルセンの童話作品は、19世紀終わりから各国語に盛んに翻訳されました。日本でも、1888年に「裸の王様」が「皇帝の新しい着物」というタイトルで翻訳紹介されたのを皮切りに、主要な作品が次々に翻訳されました。
金壽卿がデンマーク語を学ぶに際し、いきなり難解で知られるイェルムスレウの論文に挑戦したのか、それとも初級読本から始めたのかはわかりません。
でも、京城帝国大学の小林英夫の研究室で、金壽卿がデンマーク語の『裸の王様』を、英語版やフランス語版の翻訳と対照しながら読んでいる姿を想像するのは、とても楽しいです。
彼は、27歳のときに、朝鮮語、日本語、漢文(古典中国語)、中国語、モンゴル語、満州語、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、デンマーク語、ギリシャ語、ラテン語、サンスクリットができたということです。
「できる」というのがどういうレベルかというと…
1952年に刊行されたロシアの言語学・文芸学の朝鮮語訳の本が、「金日成綜合大学の講義で、金壽卿がロシア語文献を朝鮮語に訳しながら読み上げ、それを弟子が書き取ったテキストをもとに出版」されたといわれていたり、1961年に金日成綜合大学に留学していた中国人が、「金壽卿が講義の際にフランス語や中国語の書籍を手に、ついていけないほどの速さで朝鮮語訳しながら読み上げていたのを、驚嘆しながら受講した」と証言していることから推して知るべしでしょう。
日本語と韓国語は語順が同じですから、同時通訳したり、本を即座に口頭で訳すことはそれほど難しくありません。簡単な文章なら、私でもできます。
しかし、語順が違う欧米語や中国語と朝鮮語の間でそれができるというのは、まさに「驚嘆」に値することです。
ところで、金壽卿ができた言語に、デンマーク語という、比較的マイナーな言語が含まれています。『北に渡った言語学者』によれば、金壽卿はデンマーク語の習得について、小林英夫から手ほどきを受けたと書かれていますが、何の文献を読んだかは記載がありません。
金壽卿が小林英夫と共訳した『言語研究・現代の問題』(1945)は仏独伊語の言語学論文集ですが、ここにもデンマーク語の本はありません。
ソシュールの翻訳者として知られる小林英夫は、当時のヨーロッパの最新の言語学に詳しかったはずですから、当時のプラハ学派やコペンハーゲン学派の論文も読んでいたに違いありません。特にデンマークのイェルムスレウに関しては、『一般文法の原理』(1929)を翻訳しています(刊行は戦後)。おそらく、小林は『一般文法の原理』を翻訳しながら、金壽卿にデンマーク語を教えていたのでしょう。本書にはフランス語訳もあったはずなので、すでに堪能だったフランス語との対訳学習をしたのではないかと思われます。
考古学者でやはり語学の天才だったシュリーマンは、『古代への情熱』の中で、自分の語学学習法を開陳しています。対訳学習は、次々に新しい言語を習得していくときに、シュリーマンが使っていた手法です。彼がロシア語を習得するときは『テレマックの冒険』というフランス語の小説のロシア語訳を入手し、対訳学習したそうです。
ところで、デンマークと言われてすぐに思い浮かぶのは、童話作家のアンデルセン(~1875)です。アンデルセンの童話作品は、19世紀終わりから各国語に盛んに翻訳されました。日本でも、1888年に「裸の王様」が「皇帝の新しい着物」というタイトルで翻訳紹介されたのを皮切りに、主要な作品が次々に翻訳されました。
金壽卿がデンマーク語を学ぶに際し、いきなり難解で知られるイェルムスレウの論文に挑戦したのか、それとも初級読本から始めたのかはわかりません。
でも、京城帝国大学の小林英夫の研究室で、金壽卿がデンマーク語の『裸の王様』を、英語版やフランス語版の翻訳と対照しながら読んでいる姿を想像するのは、とても楽しいです。
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