犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

森有礼と矢田部良吉

2023-09-15 23:26:03 | 言葉

 朝ドラ「らんまん」は、最近、話の展開が急に早くなった気がします。

 ドラマが9月いっぱいで終わるので、仕方がないのでしょう。

 前半で出てきた田邊教授なんて、なつかしいくらい。

 田邊教授のモデルは、矢田部良吉という植物学者です。

 ドラマにも出てきましたが、矢田部は日本の初代文部大臣、森有礼(もり・ありのり)に随行して米国に行き、コーネル大学で植物学を学んだのですね。

 森有礼は、明治時代の日本語の整備の歴史に必ず登場する人物です。

 「日本の国語を英語にしよう」とした人、ということになっています。

 これについては、以前、当ブログで取り上げました。

帝国の文法 3~日本

 森有礼は、アメリカの言語学者ホイットニー宛の書簡(1972年)や『日本の教育』(1973年)という英文の著書の中で、「英語を日本の公用語にすべきである」と主張しました。「日本語は漢語・漢文の助けがなくては、教育にも近代的コミュニケーションにも用いることができない」、「日本語は英語に比べて劣った貧弱な言語である」、というのが理由です。

 森は江戸時代末期に漢学・英語を学び、薩摩藩から英国に留学。急進的な欧化政策を唱える一方、伊藤博文内閣下の文部大臣として、各種の「学校令」を公布、日本の教育制度の礎を作りました。

 「英語公用化」は保守派の反対にあい頓挫しますが、日本語の表記法として、「漢字廃止」を主張。

 当時、漢字廃止運動には二派があり、ひとつは漢字を廃止してかな(ひらがな・カタカナ)だけで表記することを主張する一派(かなの会)。もう一つは、かなのかわりにローマ字を使おうと主張する一派(羅馬字会)。

 そして、ローマ字化の旗振り役が、植物学者の矢田部良吉だったのです。矢田部は、一植物学者にとどまらず、文教政策にも積極的で、詩作も行っていました。

 米国留学で、言文一致の英語事情を見て、日本語の改革が必要だという思いを強くしたのでしょう。

 当時の日本語は、一般に話される言葉と、書かれる言葉の間に乖離がありました。

 「書き言葉」は漢文、もしくは漢文を訓読した文体か、手紙などで使われる「候文」。「詩」は七五調の和歌または俳句。

 矢田部が英語の作品を翻訳し、それを手本にして創作したのが「新体詩」といわれるものです。

 矢田部は、外山正一、井上哲次郎とともに、『新体詩抄』(1882年、丸屋善七(現丸善)刊)という詩集を刊行。全部で19編の訳詞・創作詩のうち、半数に近い9編を手掛けています。その中には、シェークスピアのハムレットの一節を訳したものもありました。

 その原文は、こちらで読むことができます。

新体詩抄

 詩集の最後には、矢田部の「春夏秋冬」という創作詩が載っています。全体は七五調の文語、かつ、おのおのの詩句の最後の二字(二拍)で、二句ずつ韻を踏むという工夫があります。

春夏秋冬

 此詩ハ句尾ノ二字ヲ以テ二句ヅヽ韻ヲ踏ミタルモノナリ
 例ヘバ「よろこばし」「暖かし」ノ如シ 尚今居士(矢田部の号)

春ハ物事よろこばし 吹く風とても暖かし
庭の桜や桃のはな よに美しく見ゆるかな
野辺の雲雀ハいと高く 雲井はるかに舞ひて鳴く

夏ハ木草の葉も茂り 百日紅も咲きにけり
夕暮かけて飛ぶ虫は 集ま来たる軒のきハ
人ハ我家を立出でゝ なほ涼むらんさよふけて

秋ハ尾花にをみなへし 桔梗の花も開くべし
晴れて雲なき青空に 照らす月影明かに
されど何処も同じこと 寂しく見ゆる家の外

冬ハ雪霜いと深く 冷ゆる手足を暖く
なさん為とて炉火に 近く団居をする時に
風ハ吹き入る戸のあはい 外の方見れバ銀世界
(菊池眞一研究室より)

 植物学者の作らしく、ふんだんに植物の名が出てきますね。

 森有礼は1889年、国粋主義者によって刺殺されました。享年43歳。また、矢田部良吉はその10年後、鎌倉で遊泳中に溺死。享年47歳。どちらも早すぎる死でした。

 現代日本語の書きことばは、明治初期に海外に留学し、帰国後に西欧の思想を紹介したり、その翻訳を行った作家たちによって形成されました。

 矢田部が東大植物学教室を非職(罷免)されたあと、翻訳や詩作に打ち込み、あと数十年生きていたなら、もしかして二葉亭四迷(ロシア語)、森鴎外(ドイツ語)、夏目漱石(英語)などと並ぶ作家・文学者になったかもしれず、現代日本語にも大きな影響を与えたかもしれません。

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2 コメント

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英語の公用語化が避けられた理由。 (skanno)
2023-09-20 09:37:07
自由民権派の馬場辰猪が「英語を公用語化したら英語ら、英語をあやつれる上流階級と教育の機会のない下層階級に日本人が分裂してしまう。」として反対した。」とあります。これは階級分裂の激しいインドのようになる事態を防いだと評価されているようです。丸山真男、加藤周一、岩波新書清赤版580『翻訳と日本の近代』1998年。
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ご教示ありがとうございます (bosintang)
2023-09-23 12:14:45
馬場辰猪は漢文の素養がなく、若くして英国に留学したので、日本語はしゃべれたが書くことはできなかった。そのような馬場が英語公用語化に反対したのはおもしろいです。
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