犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

韓国による華僑差別(2)

2006-04-22 15:00:25 | 近現代史
 先に紹介したのは1992年発行の本で、内容的には80年代~90年代初頭の状況と思われます。これについて、遅きに失した感がありますが、韓国内に反省の声も聞かれます(90年代後半)。金泳三によって世界化(「国際化」の韓国での用語)が叫ばれてたころですね。


 以下、抄訳(原文http://www.kungree.com/kreye/keye26.htm)

「知ってのとおり、わが国は世界で唯一、華僑が根づけない国、チャイナタウンのない国だ。李承晩、朴正煕政権時代に厳しい華僑弾圧政策をとって以来、今日までさしたる改善努力をしてこなかった(最近、地方選挙参与権を付与したが)。参政権はむろん、財産権、教育、就職にいたるまで、わが国の華僑たちは、在日同胞に劣らない有形無形の差別に苦しんできた。

 大韓民国国民とは認められず、一種の長期居住外国人として扱われる彼ら。華僑の学校も正規の学校ではなく「各種学校」に分類される。携帯電話加入もままならず、公務員になることもできない。財産取得、財産権行使に際しても、ひどい制約、不利益をこうむっている。やっと韓国企業に就職しても昇進は望めない。華僑にたいする一般国民の見方も偏狭きわまる」

(中略)

「昨年、建国大学のヤンピルスン教授を中心に「21世紀型チャイナタウン」を建設しようという動きがあった。ただ、その基本思想は「海外の華僑資本をわが国に誘致する」という次元のものらしい(中国史の専門家ヤンピルスン教授の中国への愛情、差別待遇是正を願う純粋な正義感は高く評価できるが)。「21世紀型」という意味は、華僑資本をわが国に導入し、活発に経済活動をできるようにする、ということなのだろう。IMF体制下、外資導入が至上命題である最近の状況の反映とはいえ、好ましい発想ではある。

 だが、より重要なことは、文化的な多様性、いいかえればわれわれとは違う文化圏の伝統、習俗に対して開かれた姿勢をとることではないだろうか。たとえ「21世紀型チャイナタウン」が建設されたとしても、われわれの心の中にある根深い差別意識が消えないならば、なんの役に立とうか? マスコミや国民は、このほどの金嬉老先生の帰国に際し大きな関心を示したが、もしわが国の華僑の中のだれかが、華僑差別の実態を知らせ、警鐘を鳴らすために、韓国人を人質にして警察と対峙したとしたら、マスコミ、国民はいったいどんな態度をみせるだろうか。大いに興味がある。

 もちろん、歴史的な背景は違う。わが国に初めて華僑が住み着いたのは、欧米列強、日本の朝鮮簒奪に際し、自分たちも分け前にあずかろうとしたり、韓半島への古くからの影響力を維持しようとする清国政府の政治的思惑の結果だった。要は、強者の立場から、弱者であるわが国に経済的に「進出」するつもりだったのだ。これは「絹、商い、王書房」に代表されるわが国の人達の華僑観が形成されるきっかけにもなった。

 いずれにせよ、朴正煕がクーデターのあとで断行した貨幣改革により、華僑たちは決定的な打撃を受けた。現金重視(困難な不動産取得、不安定な社会的地位のせいで華僑たちは現金に頼るしかなかった)の華僑にとっては、青天の霹靂だった」

「一方、台湾の蒋介石政府が、わが国の華僑たちに特別な配慮を見せたというわけでもない。

 知ってのとおり、蒋介石と朴正煕はある種蜜月関係だった。それぞれ「共産匪族」、「金日成傀儡集団」に敵対する立場から、強力な反共独裁を敷いた同志的連帯感があった。うわさでは、日本の陸士出身者が最も尊敬する広義の「同門」先輩が、蒋介石と朴正煕だそうだ。日本軍教育機関が輩出した国家元首だからとのこと(滿洲軍官学校出身、日本関東軍所属高木正雄大尉。朴正煕は「尽忠報国、滅私奉公」という血書をしたため、滿洲軍官学校の入学許可を得たらしいが、その忠誠の対象とはもちろん日本の天皇だ)。

 いずれにせよ蒋介石は、わが国に居住する同胞たちの処遇改善のためには、たいした外交努力もしなかった。にもかかわらず、わが国の華僑たちは、青天白日旗(台湾政府の象徴としてより、孫文の中華民国の象徴としてであろうが)を自分たちの事実上の国旗として堅持しつつ、中共より台湾のほうに親密感を抱いていた(明洞にある中華民国大使館が中華人民共和国大使館に変わり、青天白日旗が引き降ろされ五星紅旗が揚がった日、そこに集まってむせび泣きをした華僑たちの姿が、いまも目に鮮やかだ)。

 結局、ソウル北倉洞一帯(市庁前プラザホテル裏)と仁川一部地域で栄えたチャイナタウンは見る影もなくなり、現在、華僑たちは、ヨンニドン(華僑学校付近)一帯に集まり住んでいるだけで、明洞の中国大使館付近に中国図書専門店、中国専門旅行社、中華料理屋、中国物産売店などが、わずかに命脈を保っているというありさまだ。

 わが国に居住する(していた)華僑たちの相当数が、山東省出身だが、山東省の人々というのは山西地方の人々と並んで、昔から商売上手で有名だった」

(中略)

「今も、仁川に住む華僑の多くは、担ぎ屋貿易に従事している。韓国商品を中国に売るケースが多く、わが国の経済、仁川地域の経済にそれなりの寄与をしているわけだ。にもかかわらず、さまざまな制度的な制約のせいで、彼らはたいへんな苦労をしているのが現状だ。差別意識がそれだけ根深いということだろう。

「東アジア」という言葉を、たんなる地理的概念から、名実ともに一つの文明圏、今日のEUに匹敵する実質的な意味のある概念とするための第一歩は、日本の在日韓国人差別問題と韓国の華僑差別問題を、まずは制度的な面から解決することではなかろうか(「世界化」を叫んだ金泳三政府が、華僑への差別的制度、慣行を改善しなかったのは、その「世界化」の虚構性を見せる一つの実例というべきだ)」

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