犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

飛田新地、異次元ワールド

2017-08-07 23:57:50 | 大阪暮らし

 天王寺にある会社の役員と会食しました。午後5時に会い、1時間ほど会議をしたあと、タクシーで先方が予約した店へ向かいます。われわれは3人。私ともう一人は単身赴任、あと一人は東京在住の出張者。

 向かった先は飛田新地にある「鯛よし百番」という料亭。昔の遊廓の建物を料亭に改造した店で、完全予約制です。

 飛田新地に来るのは3回目。2度目に行ったのは5年前で、それときのことはブログに書いています(リンク)。そのとき、鯛よし百番の前を通ったのですが、予約制のために入れなかった。いつか行きたいと思っていましたが、図らずも今回実現することになりました。

 豪華絢爛な装飾の入口をくぐると、出迎えてくれたのは、真っ黒な肌をした男性でした。

 玄関には虎の屏風、廊下も下駄箱もいかにも年代物。中庭の日本庭園が吹き抜けのようになっていて、それを囲むように、一階と二階の大小の部屋が並んでいます。われわれは4人だったので、6畳程度のこぢんまりした部屋。欄間に透かし彫りがあったりします。

「へー、昔の遊廓ってこんなだったんだ」

 私を含め、東京組の3人は感心しきり。

「お飲み物は?」

 部屋を案内してくれた人とは別の、やはり肌の真っ黒な男性が現れました。

「お国はどちらすか」

「スリランカです」


「もう一人も?」


「そうです」


 飛田新地とスリランカ…。異次元の組み合わせです。

 料理はすでに予約してあって、大きな寄せ鍋。魚の切り身、つみれ、豆腐、大量の野菜。

「昔はここに芸妓さんがはべったんでしょうね」

「東京にはこんなところ、残ってないですよ」


 ビールから焼酎に進みます。同僚の一人は最近糖尿病が発覚し、毎日インシュリンを打っています。酒もドクターストップがかかっているので、気の毒です。

「私の知り合いはインシュリン打ってるから大丈夫だと言って、普通に酒飲んでますよ」

「そうですか。でも、ぼくはやめときます。糖尿初心者なので」


「Sさんは、ここよく来るんですか」


「ええ、社員の宴会とかでも使いますよ。女性社員もいっしょに」


「いえ、この店という意味じゃなくて」


「ああ、あっちですね。行ったことはありますけど…」


「なんか、通りごとに特徴があるとか」


「ええ、青春通りとか、妖怪通りとか…。値段も違うようです」


 締めのうどんを平らげて、お勘定に。

 お勘定場にいたのは日本人のおばさん。

「この建物はいつごろ建ったんですか」

「大正時代ですね。今は文化財に指定されています」


 店を出て、飛田新地を社会見学することにしました。

 通りの様子は、5年前に見たときと変わっていません。ただ、東京からの2人は初めてなので、楼に女の子、遣手婆という組み合わせに度肝を抜かれていました。

「こんなの今もあるんですね」

「売春宿なんですか」


「昔の赤線ですね」


 女性は、普段着っぽい人もいれば、セクシーなドレスを来ている人、コスプレのようなのもいます。

「きれいじゃないですか」

「厚化粧とか整形もいるんでしょう」


「ここはいないですね」


「きっとお客がついて、二階で作業中なんでしょう」


「いやあ、珍しいものを見せていただきました」


 一回りしたあと、地下鉄「動物園前」駅へ向かう帰り道、半開きのドアからカラオケが流れてきます。

「もう一軒行きますか」

「このあたりのスナック、昼間からやっているでしょう?」


「ええ、労務者なんかの客が多いです。安いですよ」


 適当に入ったスナックは、カンウンターのみの店で、中年の女性が二人と客二人。女性たちの日本語がややぎこちない。

 お客さんはどちらも60後半に見えます。

「ここ初めてですか」

 すでにご機嫌のおじいさんが話しかけてきました。

「ええ、初めてです」

「東京の人?」


「単身赴任です」


「この店は、中国人で、やや歳がいってるけど、気立てがよくてね。若いのがよければ、あっちにありますよ、女子大生が」

 どうもこの界隈の店を知り尽くしているようです。

 それぞれビールやハイボールを3杯ぐらい飲み、カラオケを2~3曲歌って、一人2000円以下。

「東京のスナックだったら、5000円とられてもおかしくないけどね」

「テーブルチャージをとらないんでしょう」


「今日はこんな異次元空間を案内していただいて、本当にありがとうございました!」


 家に帰ってから、昔読んだ井上理津子『さいごの色街 飛田』(筑摩書房、2011年)を取り出しました。同書によれば飛田新地の歴史は…

 飛田新地は、1912年に焼失した遊廓、難波新地乙部の代替地としてできたそうです。乙部というのは、芸者を置く甲部に対し、主に娼妓のいる遊廓。戦前の最盛期には、貸し座敷240軒に娼妓3200人(1933年)を擁する日本最大の遊廓として栄えたそうです。戦争でさびれたものの、飛田新地は被災を逃れ、楼が187軒に娼妓1628人まで復活。
しかしその繁栄も束の間、19584月の「売春防止法」施行により、飛田は一斉取り締まりを受けて壊滅的な打撃を受ける。しかし、それでもしぶとく生き残り、大阪で万博が開かれた1970年には再び賑わうようになった。その後も景気に左右されながらも、昔の家並み、方式を維持しながら今にいたる。

 2010年時点で、料亭数158軒、女性450人(推定)、遣手婆200人(推定)。

 同書がベストセラーになって6年経ちますが、お店の様子はあまり変わっていないようです。

 鯛よし百番は2000年に国の有形文化財に登録されたそうですが、韓国の同様の「飾り窓」が壊滅した今、飛田新地の遊廓をユネスコの世界文化遺産に登録してはどうでしょう。


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