日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

京都旅行四日目 2013年12月31日

2013-12-31 22:17:29 | 旅行記
早朝ランニング+朝ごはん=眠いのでグー

目をさましたら10時になっていました。あたふたと引き出しに散らばった荷物を整え出発です。
目指したのは、先日腹ペコに負けて上り損ねた吉田山。京大の横、街中の小高い丘とでも言うべき位置にあります。
銀閣寺前のバス停から歩き、すぐにわかるとたかをくくっていた登り口が見つかりません。
裾野の周りの住宅街を歩くと、小さく見えた丘も、結構距離があります。
何とか山頂近くのお茶所に向かう看板を見つけて上がり始めました。
等高線に沿って綺麗に並ぶ家々に、
きっと敷地を整えるべき歴史が有るのだろうと想像しながら足を動かします。

三等三角点もある吉田山は標高100メートルあまり、ヒヨドリがかまびすしい、林に包まれています。
枯れ葉を鳴らしながら探したのは吉田神社です。神道統合を目指した由緒を持つこの神社には、回りに多くの祭神がいらっしゃいます。製菓の神様、料理と食材の神様等々。八百万だなあ。

山を降り、向こうに見えた多重搭に足を伸ばします。真如堂です。ホテルでもらうような地図には細いゴシック体文字で印される寺院が京都では実に立派な佇まいをしています。『ようお参りやした』と、すれ違ったおそらく信徒だと思われる男性に言われたりすると、この街のもつ時間が育んだ社会の厚みを感じたりしました。

一時も大きく回り、また昼を食べ逃したと愚痴ると、それでも真如堂の隣にあるお寺には行くべきだと彼女が言います。風邪気味で辛そうにしながらそんなことを言うのですから、きっとなにかがあるはずです。
『金戒光明寺』です。
見上げる壮大な本堂のスケールはなかなかです。真言宗の力恐るべし。
でも、彼女の示唆したのは、今年だから、という意味が有りました。
八重の桜を見ていた方なら、このお寺の名前に聞き覚えがあるかもしれません。
京都所司代を申し使った会津藩主が拠点とした場所が、金戒光明寺でした。
確かにこのお堂なら一国の軍を収用することができるでしょう。
御所の真東三キロ位でしょうか。
境内の案内を読むと、戊辰戦争で殉死した会津藩士の墓地もあるようです。

純な心と歴史の皮肉を描いたドラマを思いだし、今年の京都歴史紀行は終わりにしました。

平安神宮まで歩いて戻り、権太呂さんでお蕎麦を頂き、神宮道裏のお菓子やさんの工場で実家へのお土産代わりの 小餅を20個買って、最後までバタバタ歩き回り、2013年もせわしないフサオマキ夫婦でありました。

皆様、一年本当にありがとうございました。
2014年が皆様にとってよい年になりますように。

(訳あって写真のアップはまた後で)


南無南無ランニング

2013-12-31 09:30:02 | ふさおまき(オス)日記
山入端少し明かりて、の時間に目覚ましが鳴り、なんとかベッドから這い出したわたしたち。
蹴上の坂を神宮道までウォーミングアップがわりに、薄氷を避けながら歩くと、ヘッドランプを着けたランナーが坂を登ってくるのとすれ違います。
日本全国、ホントにランナーが増えていると実感します。

平安神宮への道を左にとって走り始め、朱塗りの大鳥居をくぐると、都を走る気持ちが引き締まります。
動物園の周りを走り、東山の山沿いに向かい、緩く坂を上り、鹿ヶ谷の道に入ります。俊寛の密議も、ここなら漏れまいと思ったからこその場所でしょう、今でも十分に隔世の感はある道を、犬の散歩に歩く方と朝の挨拶を交わしたりしながら哲学の道へ。宿を出て30分で銀閣寺です。



ここでどんついて、東山の門前をつなぐ道を戻ります。
法然院、安楽寺、大豊神社、そして若王子神社。時にはコースを外れて初詣の幟を分けて参拝するのも毎年恒例です。





さらには、永観堂、彼女のご先祖様に再度幸せのご報告と安らかな眠りを祈りつつ、南禅寺へ。
山門の横から入ります。



曇って見えるのは、朝霧ではありません。
スマホを胸ポケットに入れたので、レンズに汗が着きました!

門前を過ぎ、昨日の朝一番に入った金地院を右に見て、琵琶湖疎水の水道橋をくぐるとウェスティン都ホテルが見えました。
ちょうど一時間。眠くてボーッとしていたことも今は昔、すっかり気持ちが良くなっています。

大晦日の参拝ランニングは、京都年末御祓の旅の欠かせない行事です。



汗でベコベコになった、ウェスティンのジョギングマップ。赤いラインの八キロコースを走りました。