ところが、もし殺害された重冨郷士族の遺族が出した願書の内容が正しいとすれば、また、土岐半介が大口本営にいる辺見十郎太に直接情実を訴えていたとしたら、私の訳はずれていることになる。
そういうズレが生じたのは、私は、始めから辺見はそこにいなかったと考えていたので、「辺見十郎太ヨリ」という表現を主語と見なさなかったからだ。つまり、土岐が11人の情実を訴えたのは辺見ではなく、辺見の意を受けた誰かに訴え出て、それを拒まれたと解釈したからなのである。
だが、「辺見十郎太ヨリ」というのを主語と捉えれば、本営の誰かを主語とした私の解釈はズレてしまう。そのため私は自信がない、と言ったのである。
私自身ここまで整理してきて、先入観なしにもう一度読んでみた。その結果、辺見が実際に大口にいたかどうかはともかく、「辺見十郎太ヨリ」を主語と考えて解釈すべきだったのではないかと考え直している。
その理由として、ここでは、平和泉村に連れて来られた12人のうち、1人春山文平だけが先に殺されたことになっているが、こういう決定を下せるのは誰だろうかと考えたからである。
春山文平は、城下士族の中で一番の大物である。その一番の大物を最初に、それも単独で殺す決定を下せるのは誰かとなれば、辺見ぐらいしか思い当らない。それに、もし仮に、辺見の意を受けた責任者のような者がいたとすれば、その人物の名前が主語として登場してもおかしくないはずではないか。
どちらにしても、この願書の内容が正しいかどうかもよくわからないのだから、何とも言いようがない。
ところで、ここでは、殺された12名の中に、帖佐士族出身の岩爪隆助が出てくる。『姶良町郷土誌』では、詳細はわからないとして、殺害された者の中に入れていなかった。ということは、この願書の内容を正しいと認めていない、ということになる。
逆に、上場出身の養鶏農家が建てた墓にかれの名前があるということは、出水の郷土史家であるT氏が、この史料も読んでいたということなる。そうだったのだろうか
そういうズレが生じたのは、私は、始めから辺見はそこにいなかったと考えていたので、「辺見十郎太ヨリ」という表現を主語と見なさなかったからだ。つまり、土岐が11人の情実を訴えたのは辺見ではなく、辺見の意を受けた誰かに訴え出て、それを拒まれたと解釈したからなのである。
だが、「辺見十郎太ヨリ」というのを主語と捉えれば、本営の誰かを主語とした私の解釈はズレてしまう。そのため私は自信がない、と言ったのである。
私自身ここまで整理してきて、先入観なしにもう一度読んでみた。その結果、辺見が実際に大口にいたかどうかはともかく、「辺見十郎太ヨリ」を主語と考えて解釈すべきだったのではないかと考え直している。
その理由として、ここでは、平和泉村に連れて来られた12人のうち、1人春山文平だけが先に殺されたことになっているが、こういう決定を下せるのは誰だろうかと考えたからである。
春山文平は、城下士族の中で一番の大物である。その一番の大物を最初に、それも単独で殺す決定を下せるのは誰かとなれば、辺見ぐらいしか思い当らない。それに、もし仮に、辺見の意を受けた責任者のような者がいたとすれば、その人物の名前が主語として登場してもおかしくないはずではないか。
どちらにしても、この願書の内容が正しいかどうかもよくわからないのだから、何とも言いようがない。
ところで、ここでは、殺された12名の中に、帖佐士族出身の岩爪隆助が出てくる。『姶良町郷土誌』では、詳細はわからないとして、殺害された者の中に入れていなかった。ということは、この願書の内容を正しいと認めていない、ということになる。
逆に、上場出身の養鶏農家が建てた墓にかれの名前があるということは、出水の郷土史家であるT氏が、この史料も読んでいたということなる。そうだったのだろうか