海鳴記

歴史一般

西南戦争史料・拾遺(40)

2010-08-04 11:22:59 | 歴史
 くどいようだが、平成版『姶良町郷土誌』によれば、帖佐郷からは、415名という多数の従軍者があり、そのうち戦死者64名、戦病死者3名を数えている。だから、当時このすべてが把握できていないとしても、日清・日露の殉難者などおよびもつかない頁数を割かなければならいはずだったのだ。
 ところが、印刷屋へ出す前の最終稿でそれらの人名だけを消し去ってしまったかのように、突然次の項目に移っているのである。何らかの後難を恐れた編集委員たちの手によって。ただそれでは、帖佐士族の末裔である自分たちの名がすたる。その結果、あの「遠野物語」の一挿話に匹敵する「恐怖譚」を掲げ、それを唯一の帖佐村における西南戦争記録としたのではなかろうか。若干ユーモラスな文体で、謎かけでもするかのように。

 どうも話が青駕籠のようにあっちこっちに飛んで申し訳ない。今回も、以前頼んでいた『蒲生町郷土誌』などは数日前に届いているのだが、今度は平成版『姶良町郷土誌』を読み返していると、またまた忘れていたり、読み飛ばしていた部分が見つかったりした。それを語っておかないと、次にまた変なところで挿入することになりそうなので、ここで先にそれを述べておこう。
 一つ目。忘れていたというのは、黒江豊彦の行動記録だ。これは昭和版『姶良町郷土誌』で気づき、平成版にはなかったかのように書いてしまった。が、これは、昭和版を基により具体的な記述があったこと。二つ目。読み飛ばしていたというのは、出水事件のことに関して、である。前者は謝るしかないが、後者は、私自身の収穫でもあったので、『蒲生町郷土誌』の赤塚源太郎らの話に移る前に、これを紹介しておかなければなるまい。
 
 まず、出水上場で斬殺された重冨郷出身者として、別府量輔、中村兼武、山口一斉、高山一角、それに山口一斉の助手である平民の黒石川仁助の5人を平成版『姶良町郷土誌』で認定している。ただ、考証に厳密な同郷土史は、帖佐郷出身の岩爪隆助のことは詳細がわからないとして、公的には認めていない。このことは前にも触れた。
 さて、平民黒石川仁助を除く、別府、中村、山口、高山らの遺族が、出水の上場で仮埋葬されたかれらの遺骸を、すでに政府軍が管轄していた大口の牛山郷警察署(注)を通じて地元の寺に葬るための改葬願書を出した。そして、その願書の草稿と思われるものが残っていて、それを出水事件の一部がわかるものとして、掲げている。言い訳がましくいえば、この文字が小さいので、すでに老眼の私は敬遠していたのである。

(注)・・・現在の上場は、出水市区域になるが、当時は大口郷内になっていたのだろう。