海鳴記

歴史一般

日本は母系社会である(52)

2017-04-24 10:03:06 | 歴史

                              (52) 

 吉本は、これらの連関から、邪馬台国が直接、大和王権に結びついたなどと言っているのでは勿論(もちろん)ない。また、『古事記』の編纂者(へんさんしゃ)たちが、邪馬台の官制をそのまま踏襲(とうしゅう)したと言っているわけでもない。ただ、「初期天皇の名称(めいしょう)から、その世襲(せしゅう)的な宗教(しゅうきょう)的王権根拠(こんきょ)として、たかだか邪馬台国的な段階と規模(きぼ)の<国家>しか想定していなかった」のではないかと言っているだけである。

 おそらく吉本は、現在まで続いている天皇制が、どこから由来(ゆらい)し、どのように出現(しゅつげん)してきたかわからないにしても、それほど古く起源を(さかのぼ)れることはできないと考えているようであるそして、天皇の天皇たる由縁(ゆえん)である大嘗祭(だいじょうさい)の意味合いが(と)ければ、また天皇陵の発掘(はっくつ)実現すれば天皇制は今すぐほぼ解体(かいたい)するようなことをどこかで言っていたような記憶(きおく)があるしかし私には、それはそう簡単(かんたん)にいかないように思える。なぜなら、天皇が掌握(しょうあく)したと考えられる神権(しんけん)は、最初に発生した母権・母系と結びついていたと考えられるからである。もし、そうだとすれば、邪馬台のような高度な国家社会より、数千年前という国の起源まで(さかのぼ)れることになるのではないだろうか


日本は母系社会である(51)

2017-04-18 10:53:04 | 歴史

                                (51

 もう一度、「魏志」の記述に戻る。吉本は、邪馬台国がかなり進んだ<国家>だという一つに「錯綜(さくそう)する官制」があるからだして、それぞれの国職階(しょっかい)をあげている。以下、一例として並べてみる。

 

 対馬(つしま)国   大官  卑狗(ヒク→ヒコ)

            副  卑奴母離(ヒヌモリ)

 一(いっし)国    官  卑狗(ヒク)

            副  卑奴母離(ヒヌモリ→ヒナモリ)

 伊都(いと)国    大官  爾支(二キ)

            副   泄護<角ヘンに瓜=コ>(セモコ)

                暗渠<角ヘンに瓜=コ>(ヒクコ)

 奴(な) 国      官  凹馬<角ヘンに瓜=コ>(シマコ)

            副  卑奴母離(ヒヌモリ)

 不弥(ふや)国     官  多模(タマ)

            副  卑奴母離(ヒヌモリ)

(とま)国      官  弥弥(ミミ)

            副  弥弥那利(ミミナリ)

(やまたい)国   官  伊支馬(イキマ)

            次  弥馬升(ミマツ)

            次  弥馬獲支(ミマエキ)

            次  奴佳<革ヘンに是>(ヌカト)

 吉本によれば、ここにあげられた官名は、総称(そうしょう)的な意味で、人名や地域名(ちいきめい)とよく分けらないとし、例として以下のような『古事記』における初期天皇群の名前との対応(たいおう)関係をあげている。

 初代・カムヤマト・イワレヒコ      神武(じんむ)

 二代・カムヌナカハミミ         (すいぜい)

 三代・シキヒコタマテミ         安寧(あんねい)

 四代・オホヤマトヒコスキトモ      (いとく)

 五代・ミマツヒコカエシネ        (こうしょう)

 六代・オホヤマトタラシヒコ       孝安(こうあん)

 七代・オホヤマトねこヒコフトニ     (こうれい)

 八代・オホヤマトねこヒコクニクル    孝元(こうげん)

 九代・ワカヤマトねこヒコオホヒヒ    開化(かいか)

 十代・ミマキイリヒコイ二エ       崇神(すじん)

 十一代・イクイリヒコイサチ       (すいにん)→サオ彦・サオ姫

 十二代・オホタラシヒコオシロワケ    (けいこう)→大和タケル・(おとたちばな)(ひめ)(やまと)

 十三代・ワカタラシヒコ         (せいむ)

 十四代・タラシナカツヒコ        仲哀(ちゅうあい)(じん)(ごう)(オキナガタラシ姫)

 十五代・ホムタワケ(オホトモワケ)   (おう)(じん)

                          (「起源論」参照・傍線・二重線・→以下も筆者)

             


日本は母系社会である(50)

2017-04-17 12:55:02 | 歴史

                           (50

 だが、(おもて)舞台から消えてしまったとしても、消滅(しょうめつ)したわけではない。

 ここで、私なりの視点(してん)から、この「変質」を考えてみたい。

 歴史家たちは、結跏趺(けっかふ)(ざ)して(未明に)政務を(と)る兄(大王)や、太子(たいし)の和歌弥多弗利(ワカミタヒラ?)を様々な人物に比定(ひてい)しているが、このことにさほど意味があるようには思えない。また吉本が言うように、たとえ、卑弥呼的な位置が皇后(こうごう)に代わったとしても、これもとりたてて問題になるようには思えない。なぜなら、当時、推古(すいこ)という女性君主であり、それを補佐(ほさ)し、実際に政務を執りしきっていたのは、聖徳太子((うまや)(どの)皇子(みこ))という男性だったからである。推古以前体制った天皇系統(けいとう)(ふ)33代推古は、30(びたつ)皇后(きさき)った

 つまり、母権的、父権的という大まかな捉え方をすれば、氏族的(あるいは前氏族的)なヒメーヒコ体制をこの時代でも、まだまだ引きずっていたと言えないだろうか。

 統治形態における母権制が、父権制に最終(さいしゅう)的に移るように見えるのは、奈良朝の末期の(こうけん)天皇(重祚<ちょうそ>して最後は徳<しょうとく>天皇)になってからである。から、母権制と父権制という視点からだけから言えば実際(じっさい)父権制への「移行」あるいは「変質」にはかなりの時間を(つい)やしたように思われるのである。

 それでは、邪馬台国における母権体制が、天皇制における父権体制にどのように(つな)がり、どのように「移行」あるいは「変質」していったのだろうか?


日本は母系社会である(49)

2017-04-17 12:40:59 | 歴史

 

                                (49

 当時の中国は、三国に分立(ぶんりつ)していた時代とはいえ、すでに強力な父権制社会であり、倭国とは(くら)べようもない高度(こうど)な政治組織をもった社会である。いわば倭国などとるにたりない<未開>の社会である。それゆえ、倭国の三十国も、大陸に使いを出し、その先進性(せんしんせい)を学ぼうとしていたのだろう。しかしながら、騒乱(そうらん)(おさ)めるような強大な邪馬台国でさえ、世襲(せしゅう)的な呪術(じゅじゅつ)的王位の継承(けいしょう)に関する限りは氏族的(あるいは氏族的)な<兄弟>と<姉妹>が神権(しんけん)政権(せいけん)分担(ぶんたん)する構成(こうせい)(ほ)(ぞん)していた」のである

 では、これから三世紀半ほど経た「隋書倭国伝」ではどうなっているだろうか。

            

 開(かい)(こう)二十600年)、倭王あり、(せい)阿毎(アマ)、(あざな)は多利思比孤(タリシヒコ)、阿輩雉弥(オホキミ)と(ごう)す。使(し)(つか)わして(けつ)(もう)でる。(かみ)所司(しょし)をしてその風俗(ふうぞく)(おと)なわしむ。使者いう、「倭王は天を(も)って兄と(な)し、日を以って弟と為す。天(いま)(あ)けざる時、(い)でて(まつりごと՜…)(き)跏趺(かふ)して(ざ՜…)し、日出ずれば便(すなわ)(り)(む)(とど)め、(い)う我が弟に(ゆだ)ねんと」と。高祖(こうそ)(いわ)く、「これ大いに義理なし」と。(ここ)(お)いて(おし՜…)えて(これ)(あらた)めしむ。王の妻は雉弥(キミ)と号す。後宮(こうきゅう)に女七百人有り。太子(たいし)名付けて利歌弥多弗利(ワカミタヒラ?)(な)す。城郭(じょうかく)(な)し。(括弧等は自在につけてある)

 

 これらの話も、邪馬台国の統治形態も信じられるとすれば、吉本は「天皇位のもっているシャーマン的な呪術性(じゅじゅつせい)が、ある変質(へんしつ)を受けた」と言っている。

 なるほど、形式的には、神事を(つかさど)女性(、未明に政務を聴聞(ちょうもん)する男性(兄)に変わっている未明に「政務を聴聞する」というのは、卑弥呼以来の呪術という神事を(にな)っていたのかもしれない。だから、高祖は未開二重(にじゅう)(あるいは二重統治)合理性がないとして、(あらた)めさせたのだろう

 ただ、このことは、「変質」と言うのだろうか。

 問題は、王(天皇)の妻(皇后<きさき>)のことである。吉本は、妻をキミ>と号しているのが暗示的だという。なぜなら、南島(沖縄・奄美諸島)では氏族集団の(おさ)が<アジ>と呼ばれるのにたいして、祭祀(さいし)(ちょう)である巫女(みこ)が<キミ>とよばれているからである。だから倭王の妻が卑弥呼的(母権)支配形態の遺制(いせい)をとどめている、としている。つまり、ある変質」というのは、期大和権では、邪馬台(国)的(前)氏族的な体制が舞台(ぶたい)から消えてしまったということだろう。

                          

 


日本は母系社会である(48)

2017-04-14 10:32:55 | 歴史

                                 (48

 それでは、吉本の「起源論」(『共同幻想論』所収)を参考にしながら、これらの統治形態(けいたい)比較(ひかく)してみたい。

 まず、現在の歴史学では大和(やまと)統一(とういつ)王朝政権を<国家>の起源のように定義(ていぎ)していることに対して、吉本のそれ基本的(きほんてき)に違っていることを(ことわ)っておかなければならない。

 かれは、<国家>の原初(げんしょ)的形態村落(そんらく)社会の<共同幻想>がどんな意味でも、血縁(けつえん)的な共同性から独立(どくりつ)に現れたものを(さ)している」と捉えていることである。より具体(ぐたい)的にいえば、「同母の<兄弟>と<姉妹>の間の婚姻(こんいん)が、最初に禁制(きんせい)になった村落社会では<国家>は存在する可能性をもった」のである、と。

 明解(めいかい)である。もちろんこれは、論理的な展開(てんかい)の上であり、こういう禁制がなかったとしても<国家>のプリミティブな形態はありうるとしている。だから、こういう定義であればエンゲルスらが土器(どき)漁労(ぎょろう)(ぐ)武器(ぶき)(など)の生活形態で区分する、野蛮(やばん)とか未開の時期に<国家>が存在しなかったとは言えまい

 そういう観点(かんてん)からすれば、「魏志」は日本における最初の<国家>の形態を、また、原初(げんしょ)の<国家>の萌芽(ほうが)からすれば、数千年(すうせんねん)(へ)た、かなり進んだ<国家>の様子を伝えているものだとしている。

 さて「倭国」は、もと百(よ)(こく)にわかれており、そのうち名前のわかっている国名は三十国であり、((やまたい)(こく)がその中でもっとも強大(きょうだい)な国家である。そしてそこでは、卑弥呼(ひみこ)という女性が女王であり、(き)(どう)(つか)える「シャーマン的な神権」を(にな)っている。   また、実際の政治は(兄)(おとうと)仕切(しき)っている。そして、この王国のもとには、それなりの官僚制(かんりょうせい)があり、<ヒコ>とか<ミミ>、あるいは<ワケ>のような上層(じょうそう)官僚とそれを補佐(ほさ)する官人(かんじん)がいる。また、倭の三十国は、大陸(朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)も含む)と外交関係をもっている。訴訟(そしょう)機関(きかん)刑罰(けいばつ)(あた)える<法>もあり、それを施行(せこう)できる組織もある。だからといって、モルガン・エンゲルスらが言っているような古代父権制社会における専制(せんせい)とかギリシャ的な民主(みんしゅ)制でもない。それにも関わらず、倭国のような母権的遺制が強い日本の古代社会でも、かなり進んだ<国家>は存在していたと言えるだろう。

 そして吉本は、「邪馬台国家(ぐん)は、その権力の構成(ゲシュタルト=形態・全体(ぜんたい)性)は<原始>的ではない。それにもかかわらず<共同幻想>のゲシュタルトは、上層部分で強く氏族的(あるいは前氏族的)な遺制を保存している」と結論づけている。この日本的特異性(とくいせい)は、現在における共同体の基層(きそう)を考える上でも、非常(ひじょう)示唆(しさ)的である


日本は母系社会である(47)

2017-04-12 11:10:25 | 歴史

 

                              (47

                      「魏志倭人伝」・「隋書倭国伝」・「古事記」

 さてここまで、母権・母系制の起源をかなり概略的(がいりゃくてき)に捉(とら)えてきたが、今回から、日本の国家の起源や母権・母系制との関連(かんれん)を論じてみたい。

 その史料として、「(ぎし)倭人(わじん)(でん)」、「隋書(ずいしょ)(わこく)伝」、『古事記(こじき)』の三点をあげておきたい。吉本の「起源論」(『共同幻想論』所収)を手がかりとして話を進めることになるからである。

 最初にあげた「魏志倭人伝」は、(や)(ま)(たい)(こく)女王(じょおう)卑弥呼(ひみこ)が出てくる著名(ちょめい)文献三世紀頃の日本状況を伝え「隋書倭国伝」は、七世紀初頭の初期大和政権様子垣間見(かいまみ)

 また、八世紀始めの『古事記』は、「国の(な)(た)ち」を語った神話(しんわ)である「神話」を使用するのは、共同体の深層(しんそう)に(ひそ)んでいる、古い「国のかたち」を暗示(あんじ)したり、象徴したりしている挿話(そうわ)(み)ちているからである。

 ところで、日本(倭国)について、もっとも古い中国の文献は、一世紀(なか)ばに編纂(へんさん)された「漢書(かんじょ)地理(ちり)(し)」とされているが、ここでの記述(きじゅつ)はいたって少ない。「楽浪海中倭人分為百余国以歳時来献云」(HP参照)だけだそうである。つまり、朝鮮半島ののほうの島に百(あま)りにわかれた国があり、定期(ていき)的に中国に使者を送って来る、とう記述のみである。これだけでは、国の様子がわかるとは言えない。では、(わ)が国の様子がわかる最初の史料(しりょう)はというと、「魏志倭人伝江戸期新井(あらい)白石(はくせき)以来、その所在地(しょざいち)が、九州(きゅうしゅう)なのか関西(かんさい)なのか議論(ぎろん)の対象になってきた史料である。最初の記述が、倭国への距離(きょり)方角(ほうがく)っきからだろう。もちろん、ここではそれを(あつか)うわけではない。

 次の「隋書倭国伝」は、中国の統一(とういつ)朝である(ずい)小野(おのの)妹子(いもこ)を送った頃、すなわち、推古(すいこ)(ちょう)の様子を伝えている。魏志隋書情報(じょうほう)三世紀時間(へだ)当時の倭国の統治(とうち)状況(じょうきょう)を比較す現在天皇制と日本の基層(きそう)にある母権・母系社会をあぶり出すように思われる


日本は母系社会である(46)

2017-04-06 11:36:46 | 歴史

                           (46

  この<対幻想>が解体(かいたい)した後の<兄弟>は、「<母>または遠縁の<母>たちとは関係のない」母と同世代の女性の子供と婚姻し、の中や外に四散(しさん)するというのだ。

 一方(いっぽう)、四散した<兄弟>や<姉妹>たちにとって、<父は>は問題にならない。なぜなら、<母系>制社会では、エンゲルスがいうような、<父>が(だれ)であるか確定(かくてい)できないからではなく、<父>はいつも「<対なる幻想>を消失(しょうしつ)させる契機をはらんだ存在」でしかなく、「自然な<性>としては一番疎遠(そえん)な存在」だからというのである。

 こうして四散した<姉妹>や<兄弟>たちは、同一の<母>を崇拝(すうはい)の対象としながら、それぞれ独立(どくりつ)した集団を形成していく。そして<兄弟>たちは、<姉妹>の系列とともに世代を(へ)ながら、また<母系>制の傍系(ぼうけい)として自由な立場となりうる。しかしながら、対なる心の意識としても集団の制度としても<母系>制を支えうる存在となる。これが<氏族>制社会へ転化(てんか)の契機だというのである。

 私は、これまで吉本の『共同幻想論』の中の「対幻想論」及び「母制論」を参照(さんしょう)しながら、私なりの家族および母系制誕生(たんじょう)変遷(へんせん)のイメージを(つづ)ってきた

 ただ吉本自身(じしん)は、私のように時間軸にそって<母系>制を論じているわけではない。フロイトやヘーゲルを始め、多くの文献(ぶんけん)を引用し、「対幻想論」や「母制論」等をそれぞれに分けて論述している。だから、その煩雑(はんざつ)をさけるため、また誤解や曲解(きょくかい)を怖れず私がイメージした通り(なが)めてきたのである。

 私は、『共同幻想論』を読み解きながら、多くの古代史研究者がこれを一顧(いっこ)だにもせず、未だにエンゲルスの家族論に固執(こしつ)している現状(げんじょう)を不思議に思っている。くどいほど私も言いたいが、土台の論理の危うさを(かか)えた理論が、(は)たして普遍(ふへん)的な家族論なり家族史になりうるのだろうか。


日本は母系社会である(45)

2017-04-05 11:54:51 | 歴史

                                 (45

 この結果どういうことが(おこ)るかというと、子を生む女性の重要さが相対的に(うす)れていったということになる。このことを吉本は、「共同幻想と<対>幻想を同一視(どういつし)する観念は(むじゅん)にさらされた」と表現しているが、子を生む女性の重要さがなくなったわけではない。では、共同体はこの矛盾を解消(かいしょう)するため、どうしたのだろうか?

 それは女性を農耕(のうこう)祭儀(さいぎ)として疎外(そがい)し、宗教的に祭りあげることにした、というのである。その一つの根拠として、縄文中・後期の遺跡(いせき)に女性を祭ったと考えられる土偶(どぐう)が多く発見されることあげているが、詳細(しょうさい)は別な機会に(ゆず)

 とにかく、その祭儀を媒介(ばいかい)として、子を生み、育てる個々の男と女の心の意識が集団の心の意識共有したときを<対幻想>と<共同幻想>同致(どうち)と言っているのだ。それだけでなく、子を育てる時間制の違いを意識しだしたことにより、男と女の<性>行為に、つまり「<対幻想>に固有(こゆう)な時間制を自覚するようになり、はじめて<世代(せだい)>という観念(かんねん)を手に入れ、<親>と<子>の相姦(そうかん)がタブー化された」のである。

 モルガンやエンゲルスらになぞらえれば、彼らが想定した、血縁家族は、こうして生まれたとイメージできる。最初に集団婚など措定しなくとも。

 さらに次の段階としては、(じつ)の兄弟・姉妹の相姦タブーから氏族制社会への過程(かてい)にはいる。吉本は、以下のように述べている。

 

 いまエンゲルスのいう通りに同母の<姉妹>と<兄弟>を、原始的な母系制の社会で純粋(じゅんすい)にとりだしてみたと仮定する。この両者(りょうしゃ)の間には普遍(ふへん)的な意味では自然な<性>行為、いいかえれば性交はないだろう。たとえあっても、性交があったとしても、なかったとしても<母系>制社会の本質(ほんしつ)には、どちらでもいいといった意味においてである。だがたとえ性交はなくとも<姉妹>と<兄弟>の間には<性>的な関係の意識は、いいかえれば<対なる幻想>は存在している。そしてこの<兄弟>と<姉妹>の間の<対なる幻想>は、自然的な<性>行為に基づかないから(ゆる)くはあるが、また逆にいえばかえって永続(えいぞく)する<対幻想>だともいえる。そしてこの永続するという意味を空間(くうかん)的に疎外すれば<共同幻想>との同致を想定できる。これはとりもなおさず<母系>制社会の存在を意味している。けれどこの場合でも同母の<兄弟>同志は<母>または遠縁(とおえん)の<母>たちが死んだとき<対幻想>としては全く解体(かいたい)するほかない。


日本は母系社会である(44)

2017-04-04 15:35:10 | 歴史

                             (44

 もともと脆弱(ぜいじゃく)人類(じんるい)は、集団(しゅうだん)生活を強いられた。そのなかで、長い時間をかけ、穀類(こくるい)を育てることを(おぼ)えるようになったそしてそれまで「女性が子を産み、人間が老化(ろうか)し、子が(そだ)つことに格別(かくべつ)注意(ちゅうい)をはらわなかったのに、人間もまた自然と同じく時間の生成(せいせい)に従うのを知った」とき、女が子どもを生むことと、人間が意図(いと)的に穀物(そだ)て、それが(みの)り、(か)れるという時間制重なることを意識するようになる自然な時間の(なが)れのなかで、初めて対なる男と女の時間の流れを意識しだしたのである。このとき共同体の認識始め女が子を生むことが重要(じゅうよう)なのでなく、子を生むのほうがが重要だった。というのも、男と女の性行為によって子が生まれるという認識(にんしき)類推アナロジ必要類推(るいすい)一般高度(こうど)知的(ちてき)能力女性重要認識たはずである(すく)なくとも、集団(共同体)成員共通認識としては

 ここに、母権・母系制契機(けいき)があった。しかしながら、時の経過(けいか)とともに、人間は(べつ)な観念の発生にとって代わられると吉本は続ける。

 

 人間は穀物の生成や枯れ死や種蒔(たねまき)によって導入(どうにゅう)される<時間>の観念が、女性が子を妊娠(にんしん)し、生育(せいいく)し、子が成人(せいじん)するという時間性と違うことに気づき始める。穀物の栽培(さいばい)収穫(しゅうかく)とは四季(しき)がめぐる(きねん)のことである。だが女性が妊娠するのは十か月であり、分娩(ぶんべん)による子の分割(ぶんかつ)から成人までは、十数年であり、その間、大なり小なり扶養(ふよう)し、育成しなければならない。そして、この二十年(ちか)くの歳月の生活は、女性だけでなく男性もまた、分担(ぶんたん)せずになりたたない。(「母制論」)


日本は母系社会である(43)

2017-04-04 09:50:17 | 歴史

                             (43

 人間と他の動物との(ちが)いを、どこかに(せん)を引けばどのような言い方でも可能(かのう)だろう。たとえば、二足(にそく)歩行(ほこう)とか、道具(どうぐ)を使うとか、言語(げんご)獲得(かくとく)したとか。しかし、<家族>とか<母系>制のような、すでに人間段階(だんかい)、その発生を考えなければならない場合、エンゲルスらの発想は、いかにも機械(きかい)的<モノ的>(す)ぎるのである。

 要するに、(おす)(めす)の動物生的自然の<性>行為だけで、婚姻制の基礎を考えれば、人間の男・女の性交にとって不都合(ふつごう)なばかりか「混乱(こんらん)(まね)くだけの親族(しんぞく)体系を(つく)りあげたり、親族名称(めいしょう)を創りあげたりした未開の人類の集団」は、なぜそんなことをしたのかわからなくなるのである。ましてや、人間の<性>というものを基軸(きじく)おく、<家族>とか<母系>制というのは、人間の心意識の問題排除(はいじょ)しては私にも納得(なっとく)できる理論とはなりえないように思える

 

 人間が動物と同じような<性>的な自然行為を<(つい)なる幻想>として心的(しんてき)疎外(そがい)し、自立(じりつ)させて初めて、動物とは違った共同性<家族>を獲得したのである。人間にとって<性>の問題が幻想の領域に滲入(しんにゅう)したとき、男・女の間の<性>的な自然行為とたとえ矛盾(むじゅん)しても、また桎梏(しっこく)制約(せいやく)になっても、不可避(ふかひ)的に男女の<対なる幻想>が現実にとれるすべての態様(たいよう)が現れるようになった。そこでは男・女が互いに<嫉妬(しっと)>しようが<許容(きょよう)>しようが、ある意味では個々の男・女の<自由(じゆう)>にゆだねられるようになった。(「母制論」)

 

 さて、以前後回(あとまわ)しにした、性交の形態と<性>行為の形態の違いについてだが、エンゲルスは、動物生から家族の発祥(はっしょう)を想定した。だから、集団が大きくなるにつれて、男(雄)と女(雌)の間の<嫉妬>の解放(かいほう)などという不可解な概念を持ち出さざるをえなかった。ところが、人間の男と女との<性交>は、あくまで意識された<行為>なのであって、互いに意識のない、動物生の<性交>ではない、といっていることなのである。