私がその船会社の船員でなかったために、直接呼んで叱らなかったのかどうかわからないが、その船長が私をよく思っていなかったのは事実だったろう。だからといって、ああいう悪し様な対応は、許せなかった。
もっとも、今ではそういう頑な気持ちはない。今の私は、その当時の船長の対応も理解できないわけではない年齢になっている。また、ひょっとしたら、私は誰か別の人にそういう対応とったことがあるかもしれない、と考えられるような年齢にもなったのである。
その船長のその後は、どうなったか知らない。念願だった水先案内人試験にも合格し、甲板部船員として最高の道を歩み終えたかもしれない。また、それも叶わず、家族からも疎外され、淋しい引退生活を送らざるを得なかったかもしれない。人間の邪悪というか弱い心には、後者を望み、前者を否定する気持ちが働くことを否定しないが、そういうことより、その人間と他者との関係は、その人間が変わらない限り、同じような関係を続けるということだ。つまり、かれは私にしたことと同じことをまた他の誰かにしてしまうということである。だから、いつその関係が壊れ、結果として、いつより強いものに報復されるかわからないのである。これは仏教でいう因果応報につながっていく考え方だが、こういうことがわかってくるのも年齢のせいなのであろう。
こういうことを実感したのも、むしろ自分自身が窮地に追い込まれ、それは全面的とはいえないまでも、元を正せば、自分自身が招いたのだという結論に達したからである。だから、他人のことを自分を中心として捉える考え方、つまり自分が正しいのだという思考法は、放棄しなければならなくなったのである。人間と人間との関係に絶対的なものはなく、あくまでも相対的なものであるのだと。
話が抹香くさいところに飛躍してしまい、何について話をしているのかわからなくなったので、元に戻そう。
とにかく、これらのことがあって、会社側も私のことを煩わしく思うようになったのか、10航海後に船が佐世保にドック入りした際、下船を命じられた。一年に満たない強制下船だった。
もっとも、今ではそういう頑な気持ちはない。今の私は、その当時の船長の対応も理解できないわけではない年齢になっている。また、ひょっとしたら、私は誰か別の人にそういう対応とったことがあるかもしれない、と考えられるような年齢にもなったのである。
その船長のその後は、どうなったか知らない。念願だった水先案内人試験にも合格し、甲板部船員として最高の道を歩み終えたかもしれない。また、それも叶わず、家族からも疎外され、淋しい引退生活を送らざるを得なかったかもしれない。人間の邪悪というか弱い心には、後者を望み、前者を否定する気持ちが働くことを否定しないが、そういうことより、その人間と他者との関係は、その人間が変わらない限り、同じような関係を続けるということだ。つまり、かれは私にしたことと同じことをまた他の誰かにしてしまうということである。だから、いつその関係が壊れ、結果として、いつより強いものに報復されるかわからないのである。これは仏教でいう因果応報につながっていく考え方だが、こういうことがわかってくるのも年齢のせいなのであろう。
こういうことを実感したのも、むしろ自分自身が窮地に追い込まれ、それは全面的とはいえないまでも、元を正せば、自分自身が招いたのだという結論に達したからである。だから、他人のことを自分を中心として捉える考え方、つまり自分が正しいのだという思考法は、放棄しなければならなくなったのである。人間と人間との関係に絶対的なものはなく、あくまでも相対的なものであるのだと。
話が抹香くさいところに飛躍してしまい、何について話をしているのかわからなくなったので、元に戻そう。
とにかく、これらのことがあって、会社側も私のことを煩わしく思うようになったのか、10航海後に船が佐世保にドック入りした際、下船を命じられた。一年に満たない強制下船だった。