この「海と船と船員と」の与太話も100回を迎えた。最後のほうはやや惰性で綴っていたようなので、自分でもややもてあまし気味だった。そこで、一応この区切りのいいところで終わりにしておきたい。
本当をいうと、私の船員体験はこれで終わったわけではないし、ここまででもまだいろいろな船員について語り終えていないような気がする。職業としての船員だとしても、陸上生活ではめぐりあえそうもない素晴らしい人たちも何人かいたのだから。それらの船員たちも語りたかったが、話が否定的、批判的方向に流れ、あるいは小話的面白さを強調するあまり、どうもそういう真面目で真摯な人物像を追うことができなかったようだ。かれらは、陸上生活者たちとは一味も二味も違う、ゆったりとした悠揚せまらぬ「海の男」であり、会者定離、一期一会という人生の真理を、言葉を通してではなく、態度でもって教えてくれた素晴らしい師でもあった。
だから、いつか私が「海の物語」を書くようなことがあったら、当然かれらが主人公となるだろうから、そのときに語りつくそうと思う。また、インド航路の船を下りたあと、3年ほど陸上生活をし、その後米国へ渡って3年弱で帰国してからも船員になっているのだが、この話もまた別の機会に譲ろう。
というのは、このとき、私自身のやや常軌を逸した選択によって再度船員になったいきさつがあるのである。そして、いまだに当時の自分を語ればいいのか、はたまた他の船員たちを語ればいいのか迷っているのである。
ともかく、私の船員生活は非常に短い期間で、そんなの船員をしていたなどと言わないよ、といわれてしまえばそれまでだが、長い間船員をしていた人たちの「肩ふり」も、ほとんどの人は聞いたこともないだろうから、あえて綴ってみたのである。自分自身の記憶の整理も含めて。
毎日時間だけはあるので、今度は、また歴史に戻ろうかと考えている。
本当をいうと、私の船員体験はこれで終わったわけではないし、ここまででもまだいろいろな船員について語り終えていないような気がする。職業としての船員だとしても、陸上生活ではめぐりあえそうもない素晴らしい人たちも何人かいたのだから。それらの船員たちも語りたかったが、話が否定的、批判的方向に流れ、あるいは小話的面白さを強調するあまり、どうもそういう真面目で真摯な人物像を追うことができなかったようだ。かれらは、陸上生活者たちとは一味も二味も違う、ゆったりとした悠揚せまらぬ「海の男」であり、会者定離、一期一会という人生の真理を、言葉を通してではなく、態度でもって教えてくれた素晴らしい師でもあった。
だから、いつか私が「海の物語」を書くようなことがあったら、当然かれらが主人公となるだろうから、そのときに語りつくそうと思う。また、インド航路の船を下りたあと、3年ほど陸上生活をし、その後米国へ渡って3年弱で帰国してからも船員になっているのだが、この話もまた別の機会に譲ろう。
というのは、このとき、私自身のやや常軌を逸した選択によって再度船員になったいきさつがあるのである。そして、いまだに当時の自分を語ればいいのか、はたまた他の船員たちを語ればいいのか迷っているのである。
ともかく、私の船員生活は非常に短い期間で、そんなの船員をしていたなどと言わないよ、といわれてしまえばそれまでだが、長い間船員をしていた人たちの「肩ふり」も、ほとんどの人は聞いたこともないだろうから、あえて綴ってみたのである。自分自身の記憶の整理も含めて。
毎日時間だけはあるので、今度は、また歴史に戻ろうかと考えている。