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日本人にはなかなか理解(りかい)し難(がた)いこの米国憲法は、西洋諸国家群の、言ってしまえば父権性社会の行きつく先(さき)だった。
エンゲルスが指摘(してき)するように、ギリシャ・ローマといち早く<文明>社会に突入(とつにゅう)した古代から、すでに母権・母系制家族は崩(くず)れ、どの階層も父が家族の長となる社会に変貌(へんぼう)していった。以後、種族(しゅぞく)・民族(みんぞく)の異(こと)なった隣接(りんせつ)国家<あるいは階級(かいきゅう)・宗教間(しゅうきょうかん)>同士(どうし)、その覇権(はけん)・勢力(せいりょく)争(あらそ)いにその歴史の時間を費(つい)やす。そしてある時期、その分派(ぶんぱ)が新大陸に渡(わた)り、より強い父権性社会を築くことになったのである。
だが、初めの頃、この新しい共同体は、旧(ふる)い<父>からなかなか逃(のが)れられなかった。かれらの理想も、厳(きび)しい現実の前にしばらくは旧い<父>たちの力に頼(たよ)らざるをえなかったのである。
その間にも、接(つ)ぎ木した新しい共同体は力を蓄(たくわ)えていった。穏(おだ)やかな、未(いま)だ母系的な社会に暮(く)らしていた土着(どちゃく)の部族共同体を駆逐(くちく)し、古代ギリシャ・ローマの歴史に倣(なら)い、合<法>的に奴隷制(どれいせい)を敷(し)きながら。
そして最終的(さいしゅうてき)に、独立(どくりつ)戦争という旧(ふる)い<父>からの解放(かいほう)を勝ち取ると、その共同体は、また新(あら)たな<父>が出てきても戦えるようにと、さらに、彼らが獲得(かくとく)した自由を守(まも)るため、各自に銃(じゅう)を与えることにしたのである。こうして彼らは、旧世界(きゅうせかい)でもなし得なかった個人の自由の権利として、<野蛮>な火力(かりょく)を入手(にゅうしゅ)したのであった。
これが、強固(きょうこ)な<父権>性社会の象徴(しょうちょう)である合衆国憲法修正第2条の意味合いである。
今となっては、大いなる矛盾(むじゅん)を社会にもたらし、しばしば<野蛮>と<文明>の狭間(はざま)にいるような結果を生じさせているが。
もう一つ、アメリカが旧世界より父権性が強いと思われる徴候(ちょうこう)がある。ある時期、やや異様(いよう)と思えるほど、社会主義や共産主義体制を嫌悪(けんお)する<空気(くうき)>があった。<赤(あか)狩(が)り>と称(しょう)し、自国(じこく)の自由主義者さえも徹底的(てっていてき)に糾弾(きゅうだん)しているのだ。その後、多少寛容(かんよう)になってからも、ソーシャリズムとかコミュニズムをという言葉を使うことを極端(きょくたん)に嫌(きら)っている。もともとそういう言葉を生み出したのが、旧世界の<父>たちだったからだろうか?かつてないほど強い父権社会を築(きず)いたのに、なぜそんなに怯(おび)えるのだろうか?
なるほどマルクスやエンゲルスが、人類史の黎明期(れいめいき)に原始共産制社会を想定(そうてい)し、それをある種の理想(りそう)とみなした。そしてこの原始共産的な社会とは、母権・母系制社会であったのである。