左門委員長;「それでは、皆さん、全員お集まりいただきましたので、最終審理裁定の公表をしたいと思います。
長岡氏が訴えた、奈良原幸五郎すなわち奈良原繁が、イギリスの商人であるチャールズ・レノックス・リチャードソンに最初に斬りつけたかどうかということについて、我々委員7名は、6対1をもって有罪と判定しました。
では、審理過程を簡単に申しあげましょう。私には少し意外でしたが、第1回の審理で5対2の有罪評決となってしまいました。
ですから、これで最終評決としていいではないかとの意見もありました。しかし、もっと審議すれば、全員一致の評決が得られるのではないかというD委員の説得により、2回、3回と討論を重ね、結局、3回目の最後にE委員が無罪から有罪にまわり、これを最後の評決としたのです。
さて、最初から最後まで無罪を訴えたのはA委員です。A委員、皆さんの前でもう一度、簡単に無罪とした理由を述べてください」
A委員;「はい、わかりました。私は、とくに長岡さんの訴えに対して、おかしいところがあると言っているのではありません。いえ、むしろその証拠収集といいますか史料収集への意欲には驚嘆させられました。そして、推測も含めて長岡さんの言う通りかもしれません。ただ現在のところ、たとえ、弟・幸五郎の名前が2度3度出てきたとしても、またそれを隠そうとしたのかどうか知りませんが、幸五郎すなわち奈良原繁が生前いかに怪しい行動を取ったとしても、私はどうしても奈良原繁を有罪とすることができませんでした。
一つには、今までの長い間、なぜ兄の喜左衛門が冤罪の罪をきせられてきたのか、私にはどうしても理解できなかったのです。つまり何パーセントかの疑いでそうなってしまっていたとしたら、弟・繁も同じような運命になるのではないかと思えたのです。
さらにもう一つ、長岡さんもおっしゃっていましたように、今後、どんな史料が出てくるのかわからない以上、私は判断を留保すべきだと考えるようになったのです。そして、それは長岡さんの推測を強固にするものでも、あるいはその逆であっても、です。つまり、もっとより多くの史料を判断材料に加えてからでも裁定は遅すぎることはないのではないかという考えが有罪をどうしても躊躇させるのです。もっと具体的にいえば、喜左衛門が無罪に至るまでこれだけの時間を必要としたのなら、もう少し時間をかけて真犯人を見つけるべきではないか、と考えたのです。
うまい説明になっているかどうかわかりませんが、私はこれらの迷いを消せない以上、今のところ特に有罪とする判断は留保すべきだと考えたのです」
左門委員長;「ありがとうございました。A氏のある意味での誠実さには頭が下がりますが、残りの委員は、現時点の史料で充分なのではないかという意見でまとまりました。その結果、我々審理裁定委員会は有罪と認定したのです。
なお、最終的にはブログ陪審員の方の投票も可能ですから、また1週間待ちまして、その結果を経て、最終評決とさせていただきます。もちろん、それがない場合、あるいはそれでも決着がつかない場合、当委員会の決定が最終決定となります。
では、今日のところはこれで終了します。ご出席ありがとうございました」
長岡氏が訴えた、奈良原幸五郎すなわち奈良原繁が、イギリスの商人であるチャールズ・レノックス・リチャードソンに最初に斬りつけたかどうかということについて、我々委員7名は、6対1をもって有罪と判定しました。
では、審理過程を簡単に申しあげましょう。私には少し意外でしたが、第1回の審理で5対2の有罪評決となってしまいました。
ですから、これで最終評決としていいではないかとの意見もありました。しかし、もっと審議すれば、全員一致の評決が得られるのではないかというD委員の説得により、2回、3回と討論を重ね、結局、3回目の最後にE委員が無罪から有罪にまわり、これを最後の評決としたのです。
さて、最初から最後まで無罪を訴えたのはA委員です。A委員、皆さんの前でもう一度、簡単に無罪とした理由を述べてください」
A委員;「はい、わかりました。私は、とくに長岡さんの訴えに対して、おかしいところがあると言っているのではありません。いえ、むしろその証拠収集といいますか史料収集への意欲には驚嘆させられました。そして、推測も含めて長岡さんの言う通りかもしれません。ただ現在のところ、たとえ、弟・幸五郎の名前が2度3度出てきたとしても、またそれを隠そうとしたのかどうか知りませんが、幸五郎すなわち奈良原繁が生前いかに怪しい行動を取ったとしても、私はどうしても奈良原繁を有罪とすることができませんでした。
一つには、今までの長い間、なぜ兄の喜左衛門が冤罪の罪をきせられてきたのか、私にはどうしても理解できなかったのです。つまり何パーセントかの疑いでそうなってしまっていたとしたら、弟・繁も同じような運命になるのではないかと思えたのです。
さらにもう一つ、長岡さんもおっしゃっていましたように、今後、どんな史料が出てくるのかわからない以上、私は判断を留保すべきだと考えるようになったのです。そして、それは長岡さんの推測を強固にするものでも、あるいはその逆であっても、です。つまり、もっとより多くの史料を判断材料に加えてからでも裁定は遅すぎることはないのではないかという考えが有罪をどうしても躊躇させるのです。もっと具体的にいえば、喜左衛門が無罪に至るまでこれだけの時間を必要としたのなら、もう少し時間をかけて真犯人を見つけるべきではないか、と考えたのです。
うまい説明になっているかどうかわかりませんが、私はこれらの迷いを消せない以上、今のところ特に有罪とする判断は留保すべきだと考えたのです」
左門委員長;「ありがとうございました。A氏のある意味での誠実さには頭が下がりますが、残りの委員は、現時点の史料で充分なのではないかという意見でまとまりました。その結果、我々審理裁定委員会は有罪と認定したのです。
なお、最終的にはブログ陪審員の方の投票も可能ですから、また1週間待ちまして、その結果を経て、最終評決とさせていただきます。もちろん、それがない場合、あるいはそれでも決着がつかない場合、当委員会の決定が最終決定となります。
では、今日のところはこれで終了します。ご出席ありがとうございました」