これは一般にはあまり知られていないが、鹿児島では西郷に関する有名なエピソードのひとつだった。ただ、時代が違うという人もいよう。それでは、私の実際に経験したこの地方の実例をあげてみる。
私は中学生になって清水に越してきたのだが、両親とともに、ある時期農家の一軒家を借りて住んでいたことがあった。そのとき、当然私は新参者だったので、周囲の大人にどこに住んでいるのかよく訊かれた。そこで、その場所を説明すると、大抵の人は「ああ、藪の花か」と頷くのが常だった。つまり、その家の苗字を答えても、例外なく家の通称名で納得するのだった。
現在はともかく、少し前までは、日本の田舎というのはこんなものだったろう。具体的な苗字や名前はそれぞれの家を識別する「記号」ではなかったのである。というより、苗字が同じ血縁が近くに大勢住んでいれば、それでは識別できなかったので、その家を象徴する屋号のようなもので区別するしかなかったというのが実情だっただろう。
「こがね味噌」が藤作氏の創業で、藤作氏が建てた家に藤平氏も住んでいたとなれば、その家は「藤作さんの家」と周囲が呼んでいたとしても何の不思議もない。これに加えて、事件当時、当の藤平氏が病院に入院中だった。それゆえ、事件直後の新聞等が充分な確認もせず、そのまま報道し、以後その名前で定着してしまったということもままありうることだろう。藤平氏は被疑者でもないどころか、声をかけるのも痛ましい被害者一家の祖父だったのだから。
私は、今さらこんなことを言って、警察の初動捜査やマスコミ報道の危うさをあげつらうつもりはない。おそらく、事件直後の報道ではありがちのことだ。しかし、そんな事件とは直接関係のない小さな間違いでも、何か決定的な誤謬の象徴のように受け取れないこともない。
繰り返すが、これらの推測は、墓の記述が絶対だと仮定しての話である。最終的には戸籍簿を確認するしかない。ただ、この件に関して、私はそれを確かめる術もないし、そのつもりもない。今、私にできることは合掌のみである。
私は中学生になって清水に越してきたのだが、両親とともに、ある時期農家の一軒家を借りて住んでいたことがあった。そのとき、当然私は新参者だったので、周囲の大人にどこに住んでいるのかよく訊かれた。そこで、その場所を説明すると、大抵の人は「ああ、藪の花か」と頷くのが常だった。つまり、その家の苗字を答えても、例外なく家の通称名で納得するのだった。
現在はともかく、少し前までは、日本の田舎というのはこんなものだったろう。具体的な苗字や名前はそれぞれの家を識別する「記号」ではなかったのである。というより、苗字が同じ血縁が近くに大勢住んでいれば、それでは識別できなかったので、その家を象徴する屋号のようなもので区別するしかなかったというのが実情だっただろう。
「こがね味噌」が藤作氏の創業で、藤作氏が建てた家に藤平氏も住んでいたとなれば、その家は「藤作さんの家」と周囲が呼んでいたとしても何の不思議もない。これに加えて、事件当時、当の藤平氏が病院に入院中だった。それゆえ、事件直後の新聞等が充分な確認もせず、そのまま報道し、以後その名前で定着してしまったということもままありうることだろう。藤平氏は被疑者でもないどころか、声をかけるのも痛ましい被害者一家の祖父だったのだから。
私は、今さらこんなことを言って、警察の初動捜査やマスコミ報道の危うさをあげつらうつもりはない。おそらく、事件直後の報道ではありがちのことだ。しかし、そんな事件とは直接関係のない小さな間違いでも、何か決定的な誤謬の象徴のように受け取れないこともない。
繰り返すが、これらの推測は、墓の記述が絶対だと仮定しての話である。最終的には戸籍簿を確認するしかない。ただ、この件に関して、私はそれを確かめる術もないし、そのつもりもない。今、私にできることは合掌のみである。