そこは、富士山の吉田口登山道沿いの二合目、
標高は1700mの場所であります。
昔は、ここを皆、歩いて富士のお山に登ったのでありまして、
お山登りの人々の信仰を集めていた、御室浅間神社が鎮座ましましています。
今は、歩いて上る人の影もめっきり少なくなり、信仰も薄れてきたのか、
また標高の高い厳しい環境にあることも重なって、
たいへん荒れてきてしまっています。
神社の拝殿の前に、富士山の形をした説明板がありました。
とても大切なので、内容を読めるように、説明の部分を切り出しました。
そういうこと・・・なのですね。
つまり、ここには、富士山にかかわる信仰の歴史があるようです。
拝殿の裏手に回ってみますと、おもしろいことに、また鳥居があります。
平成16(2004)年に、新たに建てられたようです。
完全に信仰が廃れたわけではないことが理解されます。
鳥居の先には、金網のフェンスで囲まれた区画があります。
実は、この区画が、説明文の中にあった「本殿」があった場所で、
旧勝山村(現在、富士河口湖町勝山)の里宮におろされているその本殿は、
重要文化財に指定されている立派なものであります。
よく見ると、フェンスの中に、その本殿のミニサイズのものが
祀られていることがわかります。
ここまで、長々と富士山二合目のお話しをしてきましたが、maibunCと
どんな関係があるのか、不思議に思われたかもしれませんね。
はい、先ほど見た、金網のフェンスに、何か表示板が2つ、仮設されていましたね。
そこに「山梨県埋蔵文化財センター」の文字が読み取れます。
実は、現在この場所で、富士山の信仰に関わる遺跡の発掘調査が進められているのです。
どんな調査が行われているのか、何がわかってくるのか、のぞいてみたくなりますね。
おっと、怖い顔したライオンさんが、あぶないから入ってはいけない、といっています。
また何かの機会に、ライオンさんのお許しをいただいてご紹介することにしましょう。
同じ二合目の御室浅間神社のまわりには、たくさんの石碑などが、
一定の意味を持ったモニュメントとして、いくつも建てられています。
この日、富士河口湖町教育委員会の関係の皆さんが、石碑の文字部分の
拓本採取を行っておられました。
山梨県では、お隣の静岡県と共同して、富士山の世界遺産登録を目指して
さまざまな取り組みを展開しているそうです。
今回、一部ですが、ご紹介した発掘調査や石造物調査などは、
そうした世界遺産としての資産構成の要素を充実させることにつながるものとなっています。
(撮影:2009.10.16 話題の場所:
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