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狂気と哀愁に満ちた最高傑作、『ジョーカー』ついに公開!

ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、全米でも話題沸騰となっている映画『ジョーカー』が、10/4(金)ついに日米同時公開となった。楽しみにしていたので、早速初日のレイトショーを観に行った。



とにかくこの映画には完全に打ちのめされた!こんなに強烈なダメージを受けた映画はかなり久しぶりである。



ご存知あのバットマン最大の天敵にして、恐らく全米で最も有名な悪役“ジョーカー”が誕生するまでの物語。ヒーローバトルものでも、アクション映画でも無い。前評判は聞いていたものの、それでもどこかで、“しょせんジョーカーを主人公にしたDCコミックスのアメコミ映画だろう”と、若干侮っていたのかもしれない。しかし、この映画は全くの別物であった。どちらかと言えば、1970年代に流行った“ニューシネマ”と呼ばれる、反体制感が漂う濃厚な人間ドラマが展開され、その描写は果てしなく暗くて絶望的。この映画の監督であるトッド・フィリップスも『セルピコ』、『タクシードライバー』、『カッコーの巣の上で』などのニューシネマを意識して製作したと語っているが、見事にその流れを取り入れることに成功している。



それにしても、悪のカリスマとなったジョーカー誕生の物語は涙無しに語れない。
犯罪は決して肯定してはならないし、ましてや犯罪者がカッコいいなどと祭り上げてはならない。しかし、この映画でジョーカーが如何にしてジョーカーになってしまったか、社会がジョーカーを産み出してしまったかを観て、そのあまりにも悲劇的で可哀そうな生い立ちを目の当たりにし、観客はジョーカーに感情移入し、同情、そして応援すらしてしまうのだ。後述するジョーカーほど辛い人生は経験したことが無いので、その気持ちを本当に理解することは出来ないが、人生がうまくいかなくて、全て投げやりになったり、メチャメチャにしたくなるような狂気の瞬間が芽生えることは、大なり小なり人間誰にでもある。よからぬ考えを抱いてしまうことすらある。それでも人間は理性で踏みとどまり、一線を越えるようなことはそうそう無い。しかし、この映画を観ていると、最後はジョーカーがカッコいいとさえ思えてしまい、ジョーカーを応援している自分に気が付いてしまうから、ストーリーテリングの世界は恐ろしい。その意味で、この映画は犯罪を助長してしまうのではと恐れられており、ハリウッドでのプレビューでは厳戒態勢が引かれて上映されたほどだ。それほど強いインパクトのある映画なのである。



さて、もう少しその物語に触れてみることにしたい。
ゴッサム・シティーは衛生局のストライキにより、街中にゴミが蓄積し、政府に対する不満も貯まり、犯罪が横行し始めて物騒な街になっていた。そんなゴッサム・シティーに住む主人公アーサー・フレックはピエロなどを演じながらバイトして、喜劇役者を目指していたが、景気も悪くなり、働き口も減って、何をやってもうまくいかない。貧困に悩まされ、子供の頃に脳に障害を負い、緊張すると笑いが止まらなくなるという発作もネックとなり、喜劇役者としてもなかなか認められない。たまに仕事を貰っても、若者グループに絡まれて路地裏でボコボコにされたり、仲間にはめられて仕事をクビになったり。。。



市のボランティアで精神カウンセリングを受けていたが、カウンセラーも親身に聞いてくれず、改善の糸口すらつかめない。ついてないことだらけで人生に希望が全く持てない絶望感の中、電車で3人の男に絡まれている女性を助けようとしたところ逆に彼らの暴行を受けてしまい、ついに我慢が限界となったアーサーは、同僚に貰った銃で3人を撃ち殺してしまう。彼は自分のしたことに浮ュなりその場を慌てて立ち去るが、ちょうどその時仕事でピエロの仮装をしていた為、犯人だとばれずに日々が過ぎていくのだった。アーサーはこの時、殺人を犯したことで何とも言えず心が満たされていく感情を覚えてしまう。



そんな日々の中で、病気の母親を献身的に看病すること、そしてそんな母も良く見ていたテレビの人気トークショー番組ホスト、マレー・フランクリンの番組を見ること、いつかは自分も有名な喜劇役者となってこの番組に出るという夢が唯一の希望と癒しの時間であった。母は若い頃大富豪トーマス・ウェイン(あのバットマンになるブルース・ウェインの父親)の邸宅で元使用人として働いていたらしく、いつかはトーマスがこの貧乏な生活から救ってくれると信じて、頻繁にトーマスに救いを求める手紙を書いていた。実は母がトーマスと当時関係を持ち、アーサーはトーマスとの間の子供なのだ、とアーサーに告げる。しかし、そんな母親には虚言癖が有り、精神的にも病んでいたことが判明し、トーマスと関係を持っていたのは完全な虚言であったこともわかってしまう。更に追い打ちをかけるように、自分は母の子では無く、血縁の無い養子であることも判明し、母が付きあっていた相手に自分が虐待を受けた結果、脳に障害を負っていたということも判明してしまう。もはや絶望のどん底で守るものが何も無いことを悟ると、母親を病院のベッドで窒息死させてしまう。自分をハメた仕事仲間の同僚も殺害し、自分が憧れていたマレーからも、自分がコメディーコントの舞台で全くウケなかった場面をテレビ放送で流され、屈辱を受けたことでマレーに対しても殺意を抱くようになる。そんな中で、マレーにトークショーに招待される機会を得るが、その生放送中、ついにマレーを撃ち殺してしまう。こうして、アーサーはついに“ジョーカー“という化け物と化してしまうのであった。





何とも衝撃的な物語だが、アーサーがまさにダークサイドに転落して行く様子が描かれており、当時のゴッサム・シティーの社会的な背景も相まって、このような化け物を産んでしまう様子が実に巧みに、丁寧に描かれて行く。アーサーことジョーカーを演じたホアキン・フェニックスの迫真の演技が実に素晴らしかった。貧困を表現する為ダイエットで体をがりがりに絞り、狂気と哀愁の狭間を見事なリアリティーを持たせて表現しているのが兎に角凄いのだ。これはアカデミー賞でもかなり期待出来る名演技ではないかと思った。




マレー・フランクリンを演じているのが、ロバート・デ・ニーロ。相変わらず渋い名演技を見せている。



この映画に、バットマンは一切出てこないが、やがてバットマンになる子供時代のブルース・ウェインが登場し、ジョーカーとも対面しているので、このシーンも必見だ。またバットマン映画ではお馴染みのシーンとして、ブルースが子供の頃両親と舞台を観に行った帰りに、暴漢にあって両親を殺されてしまうシーンも確り後半に描かれているのは、バットマンファンとしては実に興味深いのだ。



それにしてもこの映画、あまりにも狂気的で美しく、危険である。
チャップリンの名曲『Smile』が、ジョーカーの名言『Put On a Happy Face!』と見事に融合し、何とも深く、暗い余韻を残して終わる。繰り返しになるが、これほどまでにインパクトを受けた映画は本当に久しぶりであった。ジョーカーというDCコミックスの題材をベースに、何とも素晴らしい映画が完成したものだ。
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